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あなたを好きだと言いましたっけ?  作者: 四折 柊


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1.ルールは守るべき

よろしくお願いします。

 カロリーナは本を読み終えると「ふう」と感嘆の溜め息をもらした。

 読んでいたのは他国の歴史小説だが、登場人物の感情の機微が丁寧に書かれていて大変面白かった。お気に入りの作品で五巻まで読了している。読み返すたびに新たな気付きがある。

 原作本の言語はこの国と違う。そのためこれは翻訳されたものだ。この小説をここまで面白くしてくれたのは翻訳者の力だと思う。表現一つで魅力が半減、いやまったくなくなることもある。翻訳者に尊敬の念を抱いてしまう。


「カロリーナ。またその本を読んでいるのかい?」

「サミュエル。来たのね」


 彼はギオーニ伯爵子息のサミュエル。本の感想を心置きなく語り合える友人、略して『本友』である。彼の顔を見て微笑んだ。感想を聞いてもらえる! 家族にも語っていたが最近はみんな「もう何度も聞いた」と避けられてしまう。サミュエルなら聞いてくれる……と思ったがすでに何度も感想を語っているので今日は控えておこう。


「カロリーナの読んでいる本、私も読もうかな」

「ぜひ読んで。これは本当にお勧めよ。冒頭の展開が――」

「待って! 散々感想は聞いているから、これ以上はいいよ。読む楽しみが減ったら困る」

「そうね。ごめんなさい。つい……」

「カロリーナはそんなに私に感想を聞いてほしいのだね」


 サミュエルは嬉しそうに声を弾ませた。

 

「だってみんな聞いてくれなくなってしまったの。うるさくしてごめんね」

「いや、うるさくないよ」

「ありがとう」


 どうしても好きな本については語りたくなる、だけど同じ本の感想を繰り返せば煙たがられるのは当然だ。だけど何度目でもサミュエルは楽しそうに聞いてくれる。それはサミュエルはカロリーナと同じように本が大好きだからだろう。持つべきものは本友である。


「その本、読みたいのはやまやまだけど、ここにいられる時間内に読み終わらないのだよなあ。持ち帰ることができれば家でゆっくり読めるのに」

「それは無理なの。地道にここで読んでいってね」


 ここには本がいっぱいある。それなりの大きさの屋敷は五階建てとなっており、一階と五階以外の部屋はすべて本が所蔵されていて、分野別にわけられている。

 ちなみにここは図書館でも本屋でもない。王都のベルトーネ公爵家の敷地内にある別邸で、巷では『閣下の本屋敷』と呼ばれていた。

 閣下というのはお祖父様のことだ。みんなが尊敬の念を込めてそう呼んでいる。お祖父様はすでに公爵位を息子(カロリーナのお父様)に譲り隠居生活を謳歌している。すなわち読書三昧なのだ。五階はお祖父様のプライベートなフロアとなっていて、身内以外は入ることを許されていない。


 お祖父様は無類の本好きで、公爵家を継がなくていいのならば、本を読むために世界を旅したいと公言していたほど。残念ながら公爵家当主はそのような自由な旅はできない。

 

 そこで敷地内に本のための屋敷を建て、公爵家の権力と多大な資金を用いてあらゆる本を集めまくった。その結果、王立図書館に匹敵するほどの本が集まった。なんならここには資料を求めて宰相様や文官が来ることもある。

 幸い亡きお祖母様も本好きだったので、このことが家庭内不和をもたらすことはなかった。

  

 本は国内で出版されているものだけでは足らないと外国の本も集めている。この情熱はすごいと思う。

『閣下の本屋敷』は条件付きではあるが開放されている。その条件とは身元を明かしたうえでお祖父様と面談し合格すること。面談はさほど厳しくなく、本を読みたい熱意を聞くくらい。年齢制限はなし。ただし本の部屋での飲食は禁止。そのかわりお腹が空いたら一階の食堂で食事をすることができる。これは無料なので皆に大変喜ばれている。


『閣下の本屋敷』に立ち入るための条件を課すことを非難する人もいるけれど、あくまでもここにある本はお祖父様の私物なので文句を言われる筋合いはない。ここに入れない人は図書館に行ってもらえばいいのだ。


 厳しく入室制限をするには理由がある。過去にルールを守らず本を読みながら飲み食いをして本を汚した人がいた。または乱暴に読んで破いた人もいた。最悪なのは勝手に持ち帰り貴重な本を売ってしまった人がいたことだ。お祖父様にとって本はお金以上に価値のある宝物なのだ。

 それ以降、持ち出し禁止となり、どうしても読みたいのなら時間を作りここに来なければならない。納得した人だけがここにある本を読むことができる。


 サミュエルがここに最初に来たのは六歳のとき、今から十二年前になる。

 当時のサミュエルは少しふっくらしていて癖毛が大きくうねってぼさぼさに見えた。使用人が頑張ってセットしてくれても野暮ったく見えた。容姿を馬鹿にされることが多く自分に自信が持てずにいつも俯いていた。一部の貴族子息からいじめられていたそうだ。そのせいで貴族子息の集まりに参加することが嫌で、ここに入り浸っていた。もちろんお祖父様が面接した上で許可をしている。

 カロリーナは幼い頃から本好きなこともあり、空いた時間はここで過ごしていた。本邸から歩いて数分の距離なので自由に行き来できる。二人は子供用の本が置かれている部屋にいることが多く、顔を合わせるうちに本の感想を語り合う仲となった。


 今の二人は学園の最終学年、二か月後には卒業する。伯爵家の嫡男であるサミュエルは後継ぎ教育が大変で、最近は本を読む暇がないとこぼしていた。以前は毎日のように来ていたが最近は二週間に一度くらいしか顔を出していない。

 本を持ち帰れば学校の休み時間や自邸で空いた時間に読めるのにと言いたいのだろうが、それなら自分で購入してもらうか、王立図書館で借りてもらうしかない。ルールは誰であっても破ることは許されない。


「その本は非売品だろう? 買えないのが残念だよ」

「お祖父様はいずれ販売できるようにするつもりよ。それまで気長に待つしかないわね」


 サミュエルは肩を落とす。わかる。読みたい本が読めないのは、拷問かと思うほど苦しい。でも我慢してもらうしかない。とはいえカロリーナだったら絶対に我慢できない。カロリーナは本を読み始めると途中で止めることができない。食事も睡眠も削って読み進める。


 この本はお祖父様が目をかけて支援している若者が、外国から取り寄せた本を翻訳してくれたもの。すでに原作者と交渉して国内の出版権もお祖父様が買った。全十巻の翻訳が終わったら、正式に出版する予定になっている。お祖父様は本のためならお金に糸目をつけない。カロリーナは孫という立場を利用して、未発表の本も読み放題なのだ。恵まれていて幸せだ。


「やっぱり気になる! 一巻を読んでみるよ」

「分厚い本だから時間がかかるわよ?」

「頑張って読み進めるよ」

「私は他の部屋に本を探しに行ってくるわ」

「ここにいてくれないのか?」

「ここの本は読み終わっているから」

「そうか。残念だな……」


 がっかりされても人が本を読んでいる姿を眺めていても楽しくない。自分も本を読みたい。


「読み終わったら感想を聞かせてね」

「わかったよ」


 サミュエルが本棚から本を取り出し椅子に座って読み始めた。サミュエルは明るい茶色の髪を長く伸ばして後ろに結っている。子供の頃は短かったので癖が大きく出ていたが伸ばすといい感じのカールになって見目が良くなった。サミュエルの顔自体は整っていたし、自信がついたことで背筋が伸び社交的になったようだ。

 

 実はサミュエルが髪を伸ばすきっかけを作ったのはカロリーナだ。もさっとした髪が鬱陶しそうだったので「いっそ、髪を伸ばして結ったらいいと思う!」と提案し髪をしっとりさせるお勧めの香油も教えてあげた。想像したよりもいい感じになった。さらに自信がついたおかげで、過食がおさまり太めだった体型も自然にすらりと細身になった。今のサミュエルは学園で女子生徒に大人気だ。告白されている姿も何度か見かけた。


 そのとき隣にいた友人に意味ありげに「気になる? 嫉妬する? 婚約したいと思う?」と問われた。カロリーナは困惑した。サミュエルを恋愛対象に考えたことは一度もない。彼はあくまでも『本友』だった。サミュエルだって同じように思っているはずだ。だから答えは「嫉妬はない」になる。

 

 基本的にサミュエルと本屋敷以外のところで交流を持ったことはない。すれ違えば挨拶くらいはする。

 本屋敷内は特別で社交界のルール適用外の場所だと思っていた。だから公爵令嬢であるカロリーナは、サミュエル以外の読書をしている男性とも気さくに話をするが、一歩外に出れば世間に誤解されるような行動はしない。それは本屋敷に来ている人たちの暗黙のルールだ。

 カロリーナは公爵令嬢でサミュエルは伯爵子息。縁付くには身分差がある。それでも結婚することでお互いの家に利益が生まれるのなら別だ。そう説明すると友人は「カロリーナはドライよね」と肩を竦めていた。

 その話の流れでサミュエルと結婚することを想像してみた。


(……………)


 イメージが湧かない。それはカロリーナが恋を知らないからかもしれない。でもサミュエルなら気を遣わないで本の話ができる。一緒にいれば恋心も芽生えるかもしれない。そこまで考えて想像するのを止めた。カロリーナの婚約者はいずれお父様が利のある相手を探してくれるだろう。

 カロリーナはサミュエルを残して静かに部屋を出ると、次に読む本のことを考えた。


「どの本にしようかしら?」


 恋愛小説も歴史小説も好き。ちょっと難しい科学の論文もそれなりに面白い。迷った末に……とりあえず喉が渇いたから食堂に行くことにした。

 食堂へ向かう途中の部屋の扉が開いていた。のぞいてみると小さな女の子が本を取ろうと爪先立ちで手を伸ばしていた。


「お嬢さん、どの本を取りたいの?」


 その子はカロリーナを見ると棚の上の方を指差した。


「あれ! おひめさまの本がよみたいの」

「これね。どうぞ」


 本を取って女の子に渡すとその子は嬉しそうに本を抱えて近くにある椅子に座り絵本を読み始めた。


(本邸に来ているお客様のお子様かしら? ふふ、懐かしいわ)


 カロリーナも小さな頃、棚の上の方にある本が届かなくて一生懸命背伸びをした。大人を呼びに行けばよかったのに、時間が惜しくて自分で取ろうとしたのだが、結局届かなくてむしろ時間がかかっていた。そのとき通りがかった背の高いお兄さんが取ってくれたのだ。


「おちびちゃん、どの本がいいのかな?」

「あのね、えほん、おさかなのえのほんをとってください」


 今思えば『おちびちゃん』呼び? と思うが、親しみがこもっている優しさの滲んだ声に、違和感は抱かなかった。それにカロリーナは当時同年代の子たちよりも体がひと回り小さかったのでそう呼ばれても仕方がなかった。


「さあ、どうぞ」

「おおきいおにいさん。ありがとー」


 そのお兄さんも本好きだったようで、その後も頻繁に本を取ってもらう機会があった。成長するうちにいつの間にか顔を合わせることもなくなっていた。懐かしい思い出を回想しながら食堂でお茶を一杯飲むと、悩んだ末に推理小説を読むことにした。


 翌日の朝、本屋敷の司書に声をかけられた。本が紛失しないように各部屋に司書を雇っていて、部屋で読む人にはどの本を読むか申請してもらっている。


「カロリーナお嬢様。昨日ギオーニ伯爵子息様の読まれた本が戻されていないのですが、何か聞いていませんでしょうか?」

「サミュエルの読んだ本? あの歴史小説のこと?」

「さようです。違う場所に戻したのかもしれないと、すべての棚を確認しましたがどうしても見つからないのです」

「それは困ったわね。今日学園でサミュエルに聞いてみるわ。ルールを知っているのに、まさか持ち出したのかしら?」


 あの本は出版を予定しているもので、大切なものだ。一冊しかなく紛失すれば大問題になる。司書は青ざめた顔でお願いしますと頭を下げた。

 

 カロリーナは学園に行くとお昼休みにサミュエルの教室を訪ねた。サミュエルは自席で一人の女の子と談笑しながら食事をしていた。女の子の手にはあの歴史小説があった。


「ギオーニ伯爵子息様。今よろしいでしょうか?」

「やあ、カロリーナ。どうしたんだい?」


 なぜ馴れ馴れしく名前呼びをするのか? 『閣下の本屋敷』内では砕けて話しても、公の場所ではそれぞれの立場に応じた態度を取る、というのは暗黙の了解になっている。カロリーナは宰相と本の話をすることがある。あの屋敷の中では気さくに話すが、一歩出れば身分や立場に相応しい態度で接する。サミュエルは自分たちがまだ学生だからいいと思っているのかもしれないが、公爵令嬢であるカロリーナは常に身分や自分が他人からどう見られるかを意識しているので、サミュエルの態度に納得できなかった。


「その小説を勝手に持ち出したのですか?」

「ああ、読み終わらなくてちょっと借りたよ」


 横柄な態度でさらっと言われてムッとなる。


「持ち出し禁止のルールは知っていますよね? 断りもなく勝手なことをしては困ります」

「一冊くらい借りてもいいじゃないか。私はずっと子供の頃から『閣下の本屋敷』に通っているんだ。このくらい大目に見てくれて当然だろう」


 カロリーナが責める口調で問い詰めると、サミュエルは煩わしそうに顔を顰めた。カロリーナはその言い訳に唖然とした。本屋敷に長く通っていることで、自分は特別だと勘違いをしている。ルールを破ったことについて反省の色はない。怒鳴りたいほどの憤りを抑えて手を差し出した。


「司書さんが探していました。いますぐ返してください」

「おい、待ってくれ! この本をキアラも読みたいと言っているんだ。明日返しに行くからもう一日、いいだろう?」

「いいえ、許可できません」


 するとキアラと呼ばれた女の子が口を尖らせた。彼女と交流はないが存在は知っている。父親が古美術商をしているボネーラ子爵令嬢だった。


「公爵令嬢なのに随分ケチね。本一冊くらいいいじゃない。すぐに読み終えて返すわ」


 あまりに失礼な言葉にカロリーナは絶句した。学園内では身分はないということになっているが、公爵令嬢であるカロリーナに「ケチ」と言ったのだ。それに対してサミュエルは窘めもせずに同意するように頷いている。

 キアラは渡すまいと本を胸にぎゅっと抱きしめている。無理やり取り返して本が傷ついても困るのでいったん引き下がることにした。


「それなら今日中に読んで返却してください。ギオーニ伯爵子息様が責任をもって必ず本屋敷に届けてください」

「わかったよ……そんな言い方をしなくてもいいだろう。もしかして焼きもちなのか?」


 サミュエルは軽い調子で嘯いた。カロリーナは心がスッと冷たくなくなったのを感じた。ルールを破ったことを怒っているのに、焼きもち? そんなくだらない感情ではない。


 あの本はカロリーナのお気に入りで、世界に一冊しかない大切な本なのだ。それを軽く扱うことが許せない。サミュエルのくだらない言葉には返事をせずに踵を返した。

 

 屋敷に戻ると司書にはサミュエルが持ち出したこと、今日中に返却するように伝えたことを知らせた。もちろんお祖父様にも報告した。

 お祖父様はひとこと「そうか」とだけ言った。はっきりと言葉にしなかったが、サミュエルの本屋敷の出入り禁止は確定した。

 カロリーナは深夜まで待ったが、サミュエルは本を返しに来なかった。







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