Episode1
「来ないで」
声が聞こえた。
霧の濃い森だ。
少女もそれが聞こえたのか、辺りを見回している。
やがて、何かを見つけたのか少女は走り出した。
森が蠢いている。
何かがいる気がする。
少女は足を速めた。
しかしどれだけ走ろうとも、同じような木々の横を通り過ぎていくだけだった。
いつの間にか歩く速度も落ちていき、しまいには立ち止まってしまった。
少女は再び張り詰めた空気が漂う周囲を見渡した。
一点、木々の隙間から青白い光が見えた。
声もそちらから聞こえてくる。
何の光かは分からない。
それを見た少女はそれに向かって一目散に走りだした。
額に汗を浮かべ、懸命に足を動かした。
だが、その光は少女が辿り着く前に消えてしまった。
同時に声も聞こえなくなっていた。
結局何が起きたのかは分からない。
けれど、最後に一つ聞こえてきた。
「来ないで」
それが誰に向けられた言葉なのか、どんな意味があるのかは分からない。
――――――――
それが夢であると気づいたとき、私は目を覚ました。
妙な夢だった。
見覚えのない森に、知らない少女。
しかし所詮夢、そんなこともあるだろう。
「来ないで……」
何となく呟いてみた。
少女が言ったようには思えない。
それにその声は拒絶とはまた違うような気がする。
まぁ、夢の詮索なんかしたところで、か。
背中に涼しさを感じながら体を起こした。
ほのかに頭が痛い。
それに朝はどうにも頭がパッとしない。
そのせいだろう、ここがどこか思い出せない。
自分の部屋?
……そんなものあっただろうか。
宿なのだろうか?
……そういえば、昨夜は何をしてたのだろう。
冴えてきた頭に違和感が生じ始めた。
ここはどこだ。
知らないベッド。
知らない机。
知らない本棚。
一人でいるには孤独が際立つ広い部屋。
ここはどこだ?
「目が覚めたようだね」
右側から木の軋む音と共に男性の声が聞こえ、飛び起きてそちらへ振り返った。
この声は誰だっただろうか。
……いや、違う。
知らない声だ。
息が詰まる。
一体誰だ?
扉が閉じられ、現れたのは、白髪を肩まで伸ばした薄紫の虹彩を持つ男性だった。
やはり知らない。
しかしなぜだろう、初対面のはずなのに妙に覚えがある。
忘れているだけ?
彼は椅子を引っ張りベッドの横に腰を掛けた。
「目が覚めたばかりで色々混乱しているだろうから、僕からいくつか話をさせてくれ」
ほのかに微笑みながら彼はそう言った。
取ってつけたような顔だ。
怪しい。
そう思ってるはずなのに、完全には疑いきれない。
信頼に足ると錯覚させられそうになる独特な雰囲気だ。
いつでも逃げられるように意識しながら耳を傾けた。
「私はベルカナ、聖アルバ騎士団の騎士だ」
騎士、と聞いて納得した。
服装だ。
騎士の礼装だからだろうか、強かな華やかさを感じる。
そしてこの広い部屋。
この人の家だろうか?
しかし、なんの因果があってここにいる。
「君はルーンの森深くで倒れていたんだ。私の部下が君を見つけてね、私の屋敷、つまりここで保護させてもらっているんだ」
「森……?」
ふと夢のことが想起された。
だが夢だ、すぐに頭の端に追いやり心当たりを探った。
彼の問いはシンプルだった。
なぜあんなところにいたのか。
……答えられない。
答えられる記憶がない。
そもそも森に行った記憶がない。
……いや、違う。
もっと根本的な問題がある。
違和感。
私は悉く、何も思い出せていない。
「……わからない」
「そうか。なら、思い出せる最後の記憶は?」
「……わからない、何も……」
ずっと自分に思いを馳せていた。
なのに、まるで他人のよう。
「名前は? 覚えてるかい?」
私は首を横に振った。
生まれは?
歳は?
あぁ、間違いない。
記憶がない。




