サンティアナ王女
そこは、漆黒の闇に包まれていた。
天を覆う分厚い雲、遠雷が絶えず轟く異郷の地。
人々は痩せこけ、恐怖という感情に支配されていた。
黒龍王。
厄災の象徴として、永劫に近い時を過ごす伝説の龍。
確実に来る滅び時をただ待つのみだった。闇に支配された土地では農作物も育たず、魔物は活発化する一方。疲弊するなという方が難しいまであった。
滅亡寸前の国、アンネの故郷……ラナンキュラス。
「黒龍王、襲来!」
「全隊員、第一種警戒体制!!」
「街へ近づけさせるなァァッ!!」
空間が軋んだ。生物の頂点たる矜恃か、背中から生える暗黒の翼をはためかせ、豆粒に満たない人間達を上空から睥睨する。
巨大な顎が一度開かれた、それが開戦の合図。
「グァァアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
【恐慌】【麻痺】【転倒】……。
次々と状態異常が付与される兵士達。神々に挑戦するかのような、馬鹿げた争いだと本能に刻み込まれる恐怖の感情。
震え上がる全身、最早まともな思考などありはしない。
「う、ぅぁあああああ!!!?」
「特攻するなッ、陣形を立て直せ……ッ」
「し、死にたくない……ぁあああ!」
昼夜が逆転したかと錯覚を覚える程の光量と熱量。対策など無意味だと暗に仄めかす絶望の光線に、小隊がまた一つ消えた。
轟ッ……。
人間の命など容易く散る。
巨大な体躯にはまるで似合わない俊敏な動きで上空を駆け回り、焔を撒き散らす。
絶望の淵。無力を嘆き、頭を垂れた。滅びの刻だ。
「『恩恵』───『鑑定』」
黒龍王を視た。まるで、閲覧が許されない禁忌の図書に触れたかのように秘匿されたはずの情報が俺の目に開示された。
名前 黒龍王
体力 2482600/3514000 魔力1007200/1210500
『恩恵』『???』
「なるほど……あれが黒龍王。俺の『鑑定』ですら見抜けない『恩恵』に加えて、100万を超える莫大な体力と魔力。倒せないのも納得だな」
乾いた笑みが零れる。
これを倒すなんて、本当に身の程知らずだ。
人間は本当に馬鹿だ。
邪魔な物はこれまでも排除してきた。
俺も、その意志による犠牲者の一人だ。
だから分かる、たとえ絶望を知ったとしても。
───人間は簡単に諦めたりしない、と。
「聞きなさい、我らが優秀な騎士達!」
地に伏した同胞を鼓舞する言葉。爆音が耳を劈く戦場のど真ん中でさえも、凛とした声に自然と顔を上げる。
ブロンドに輝く長髪は、闇夜を打ち消す希望の輝き。ルビライトの双眸が赫々と熱を帯びた。
「貴方達が諦めたら、この国に住む人々の明日はない。愛する子供も恋人も、全員が死ぬ。その背中に、何十万という命を背負っているのを忘れないで……!」
一人の少女が片手を上げた。
握られた手に備わるのは、繊細な細工が施された一振の細剣。紫電が蓄積されたエネルギーとなって細剣へと集中し、たった一度。力みの無い自然の動作で振り下ろす。
ズドォォォンッッッッ!!!!
───体力 2482600/3514000
───体力 2297260/3514000
十万の単位で黒龍王の体力が吹き飛ぶ。屈強な体皮を直接抉るかのような鋭い衝撃が黒龍王の腹に襲う。
「誇りある騎士なら、全力を賭してこの国を守りなさいッ!」
おぉおおおおおおお……!!
活気を取り戻す騎士達。
特別な魔法は要らなかった。特別な能力も必要なかった。ただ一言。その存在から放たれる言葉に、皆は心を震わせた。
「アンネの本当の主人だな」
「うん、生きててくれた……姫様」
サンティアナ王女の鼓舞を受けて、戦意は完全に取り戻された。この窮地を脱する為に、こちらも尽力を惜しむつもりはない。
「行こう、悠里!」
「ああ、暴れようか」
異世界からの来訪者───無能と蔑まれ追放された高校生にして俺の幼馴染、白雪奏は特異な『恩恵』を早々に発動する。
割れたステンドグラスのように、空間に罅が入った。黒龍王だけでは無い、その場にいた全員が異変に気づいた。
「嘘っ、『恩恵』が使えない!?」
サンティアナは剣を掲げても『恩恵』を行使できなかった。黒龍王もまた、猛威を奮っていた焔が消え、その場に佇む他なかった。
ニィ……俺は薄く笑う。
戦況のリセット。
奏が新たに身につけた力は、広範囲に『恩恵』無効エリアを指定するといったもの。制限時間は僅か一分程だが、威力は絶大である。
さて。頭の中で六十まで数え、効果が切れた瞬間俺は黒龍王へと吶喊を始めた。後ろでアンネの唄が聞こえる。
「魔法発動『天界の宴舞』!」
心に直接響くような美声を聞き届けた時、背中に羽が生えたみたいに身体が軽く、絶対な推進力を生み出す。
【体力回復】【体力自動回復】【体力最大値上昇】【攻撃力上昇】【会心率上昇】【魔力回復】【魔力自動回復】【魔力最大値上昇】【防御力上昇】【俊敏性上昇】
「この声……この唄、まさか───」
嗚呼、そうだよお姫様。
あんたの従者は一番の魔法師はちゃんと生きてる。
今の俺は、支援魔法を十個も受けて無敵だ。
体内で躍る血液に付き従って『恩恵』を放つ。
「『超鑑定』……ッ」
灰色になった世界で俺は剣を構えた。厄災の象徴として恐れられた龍が持つ漆黒の体皮に剣を突き入れる。全事象を暴き調べる俺の『恩恵』で、弱点を辿る光の線が見えた。
抗わずに付き従って、剣を決められた軌道へと誘導する。
さあ、どこまで効く?
───体力 2297260/3514000
───体力 1763560/3514000
「グァァァァアアアアアアアアアア……!?!?」
50万ちょい。
狙う場所が低すぎたか、倒しきれなかった。
俺は地上に降り立つと距離を取った。
「効いてる……っ、あの剣士は一体」
俺達三人の参戦により、戦況は大きく傾いた。
苦悶の表情で喚き続ける黒龍王は、堪らなくなってバサバサと巨大な翼をしきりに動かした。
飛ぶ。
爆風と砂塵を撒き散らして、巨大な頭体が空を舞った。
「逃げたか……」
山脈の向こうへ飛んでいく黒龍王を眺めながら俺はほっと息を漏らした。着いて早々国が滅んでは本当に路頭に迷う所だった。
一先ずの勝利に喜ぶべきか、ザワザワとざわめく騎士達の間を割って進み俺達の元へ辿り着くお姫様。
アンネの顔を見て僅かに顔を綻ばせたが、すぐに真面目な表情になると即座に頭を下げた。
「我々の窮地を救ってくれてありがとう……剣士様」
王女自ら謝意を告げたことに少なからず動揺が走る。だが俺はよそよそしい物言いが少しばかりおかしくなった。
「ライゼンベルクへのお忍び旅行は楽しめましたか、お姫様。ご依頼があるならば承りますよ?」
俺の発言にあっ……と口を手で押さえる。「あ、いやっ、これはその……」とあまりに遅く取り繕い始めるお姫様。どうやら俺には、普段の振る舞いを隠しておきたかったらしい。
「い、今の記憶は全て忘れてよ!?」
「『誇りある騎士なら、全力を賭してこの国を守りなさいッ!』……大変心に響く言葉でした」
「やめてぇええ……っ、見ないでぇえ……」
王女という立場も大変である。
羞恥に悶え、赤面しながら蹲るお姫様。
チラリと俺達三人を見つめ、
「アンネ……良くぞやってくれたわ」
一度奴隷に落ち、人生のどん底まで落ちた。
だが、目的は達せられた。
俺はかつての依頼者である彼女を見つめ、
「お助けに上がりました。お姫様」
お姫様が純粋可愛くて好き。





