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妻が何も言わずに出て行った。

ロメリオ視点。白の貴公子のあわてふためきをお楽しみください。

 

 結婚して数年。妻が俺を置いて実家に行ってしまった。


 始まりが始まりだっただけに、いつかはこうなってしまうんじゃないかと思ったことがないわけではない。でも妻は熱心に子供を愛し育てていたから、今すぐにどうこうということはないだろうとたかを括っていた。そのうちきっと俺にも絆されてくれるはずだと期待していた。


 昨晩仕事に疲れて帰ってくるといつものように妻がロビーにいて声をかけてきた。俺はその姿を一目見て一瞬疲れも飛んだが、彼女の発した言葉によってその疲れは石の重みを伴って帰ってきた。


「実家に帰らせていただきます」


 それは彼女にとって決定事項らしい。主人である俺の許可を取ることもなく、むしろそんな考えは端からないと言わんばかりに用事が済んだ妻はくるっと振り向いて去っていく。

 俺がようやく己を取り戻したときには影も形も無くなっていた。どういうことかと部屋を訪れてみれば、妻はもう夢のなか。それを起こせるはずもなく俺はすごすごと退散するほかなかった。

 ならば朝一番で聞くしかないと、必死に眠らぬように疲れた体に鞭をうつような気分で起きていた。が。俺は朝日が昇る直前に気を失うようにして眠ってしまった。結局目が覚めたのは妻が家を出てしばらく経ってからだった。


 俺の頭には、離縁という言葉が何度もこだまする。まさか、いやでも、しかし。信じられない。信じたくない。

 妻は政略結婚に強い責任感を抱いていた。だから別れるつもりなんてないと思う。だが万が一ということも……。根拠に持つ理由も理由で自分が情けなくなる。俺は世に名高いヴァイス家の当主だぞ? 妻の気持ちひとつも満足に理解できないなんて。

 …………ひどく虚しい気持ちになりながらも俺はその日も仕事に向かった。朝が来れば、嫌でも一日が始まるのだ。



 妻や子供たちのことが頭から離れないまま、いつも通りを装って仕事に励む。一刻も早く帰って妻の元へ向かいたかった。そのまま帰ってこなかったらと思うと胸が引き裂かれそうな気がした。その可能性が高いものだから余計に。何故ならば、離縁はなくとも別居もありえるからだ。

 しかしそういう日に限ってトラブルが重なるもので。俺が諸々を終えて家に帰り着くことができたのは、夜もとうに更けた深夜。

 今からかのトリスターの地に向かうとなると着く頃には朝日とご対面だ。昨日もほとんど眠れていない疲労した体には、その強行軍を敢行することは出来なかった。

 俺は静か過ぎる屋敷の空気に耐えながら気絶するように眠った。


 夢を一切見ない深い眠りは、体を癒し、頭を冷静にさせてくれた。しかし結論は変わらない。彼の地へ行こう。そのためにトラブルを即行で解決し、粗方の仕事も終わらせたのだ。


 ああ、ナターシャ。頼むから、俺と帰ると言ってくれ。


 ただそれだけを思い馬を走らせた。




 “悪魔”の治める地はいつ来てもそうとは思えぬほど平穏で豊かだ。ここまでの都市を築くのは並大抵の労力ではない。きっとそこに悪徳の一族と呼ばれる秘密があるのだろうと俺は考えている。

 いかな白の貴族と呼ばれるヴァイス家とて、まっさらなだけでは高みには昇れないのだ。武の功を掲げるということはその分の血を散らし流したということなのだから。

 どうして俺はそのことを忘れ、疑心暗鬼にトリスター家を嫌っていたのか。今となっては愚かなだけだ。そのツケを今こうして払っているのだから世の中とは上手くできている。



「急な訪問失礼する。ヴァイス家当主、ロメリオ・ヴァイスだ。妻を迎えに来た」


 門番にそう伝えると相手は意を得たりというように頷いて「(あるじ)様より伺っています。どうぞこちらに」と導かれる。

 追い返される可能性も考えていただけにその扱いには驚かされた。

 かのご領主は俺が来ることを見越していたのだろうか。深淵をのぞき見るという瞳は一体どこまで見通しているのか…………計り知れないものがある。


 邸に招かれて入った俺を迎えたのは妻の「あら」という少し間の抜けた声だった。


「旦那様。どうしてこちらに?」


 ひどく不思議そうな妻の様子に俺はがっくりと肩を落とした。俺がここに来ることなんて欠片も思っていないのが、よくよく伝わる態度であった。


「君が、もう帰ってこないかもと、思ったから」

「……え?」

「あ! おとうさまだ〜!」

「ほんとだ。とうさま! いつお着きになったんですか!」


 賑やかな声で現れたのは我が愛し子たち。一日会わないだけで随分久しい気持ちにさせられる。ひっついてくる子供たちをなんとか抱き上げると目線の先に、黒ずくめの大柄な人影があった。


「おじいちゃま〜! おとうさまがきたの〜!」


 娘のそんな一言で、俺はハッと気がついた。いつ見ても迫力満点のその人こそ我が妻の父、現トリスター家当主、アルベルト・トリスター殿だ。俺の義父ともいう。


「……お久しぶりでございます。アルベルト殿。突然の来訪失礼いたします」

「いい。堅苦しい挨拶はいらない。単騎駆けは疲れただろう、我が家でゆっくりなされよ」

「お気遣い、ありがとうございます」

「──ナターシャ」

「…………あっ、はい。お父様」


 父親に促されて惚けていた妻が俺のそばへとやってきた。お義父上殿はそれを見ると階段を上っていく。……もしかして義父は俺が来たことを知りわざわざ子供たちを連れてきてくれたのだろうか。 


「ほら二人とも一旦降りてください。お父様が外套を脱げないでしょう? 旦那様、お預かりしますね」

「……ああ、頼む」


 嫁の実家にて外套を脱がせてもらうというシチュエーションに恵まれるなんて。ちょっとだけこの状況に感謝した。本当なら毎日だってしてほしいんだ。挨拶だけの出迎えはかなり切ない。いやそのきっかけを蹴ったのは他ならぬ自分自身なのは重々承知している。今更どのつらさげて言えるだろうか。まだ愛を乞うことも、ましてや告げることすら叶っていないのに!


「あの……旦那様、」

「おとうさま、どうしてここまできたの?」


 タイミング悪く妻に娘の声が重なる。


「うっ、いや、その……お、お前たちに会いたくて、だな」

「とうさま。そこは素直になったほうがいいと思いますよ」


 息子の容赦ないつっこみが胸を抉る。なかなかえぐい口撃力だ。


「? 子供たちの他に何があるというの?」

「ほら。かあさまはこういう人ですから」


 心底わからないと言った顔の妻に訳知り顔で首を振る息子。俺がなけなしの勇気で言ったさっきの言葉も、「君が(連れて行った子供たちが)、もう帰ってこないかもと、思ったから」なんて感じに解釈されているに違いない。


「わーい! おとうさまだ〜!」


 んんーと鼻をひくつかせ無邪気に抱きついてくる娘を抱えなおすと甘い子供特有の匂いと我が家の香りがしてなんだかとてもほっとした。


「ええっと、それで……子供たちに会いに来たんですよね。心配なさらずとも二、三日したら帰りましたのに」

「聞いてない」

「あれっ? そうでしたっけ。すみません忘れていたみたいで……ああ、そうだ。お仕事の方は大丈夫なんですか?」

「そっちは大丈夫」

「あの……怒っていらっしゃいます、よね」

「怒ってない」

「でも…………」


 怒ってはいなかった。ただ。珍しく妻が饒舌で。出て行くつもりじゃなかったことがわかった安心感と。息子に言われた素直な自分になるために。余裕がないだけなのだ。おろおろしている妻は貴重だ。かわいい。


 俺は抜け切れていなかった疲労と新たに溜まった疲労に襲われぐるぐるする視界のなか、娘を落とさないようにすることと妻の蒼ざめた顔を見たのを最後に落ちた。





 目が覚めて一番に見えたのは、妻の長い睫毛。光をはらんでまばゆく妻の目元を彩る。ああ、俺の妻はこんなに美しい。


「目が覚めましたか?」


 ぼーっとしていた俺は後頭部の優しい感触と真上に見える妻の顔に、現状把握ができずに固まった。


 こ、これはもしや………………!


「ごめんなさい。旦那様。私の膝枕なんてお嫌でしょうに……クラウス兄様が、二番目の兄が、そうしなさいっていうものだから……」


 お義兄さん、感謝いたします。


「具合はいかがですか」

「もう、大丈夫だ。すまない、重かっただろう」

「…………すこし、痺れましたわ」

「すぐ退こう」

「ふふ、冗談です。もう少し横になっていた方がいいと思います。私のでよければこのままで」

「……ありがとう」



「いいえ。私たちは夫婦ですから」



 さりげない妻の一言が、やけに深く深く、心に沁みた。








 それから、一晩、かの家で世話になり、俺たちは家族全員で、戻ってきた。一時はどうなることかと思ったけれど、思わぬ体験もできたことだし、前よりは妻に近づけたのではないかと思う。雨降って、地、固まったのだ。







「とうさまが言わない限りは、かあさまは気づきませんよ」




 ……………それは言わない約束だ。息子よ。




 END

お読みいただきありがとうございました。

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