25話 残された者
――「ねぇ、なにしてるの?」
眼下にいる子供が不思議そうに首を傾げた。
――「……なにも」
強いて言うなら外を見ていた。
だが別に目的があったわけじゃない。
無機質な部屋の中を見ているよりはまだマシか、と思っただけだ。
――「なにもしてないの?じゃあ、いっしょにあそぼ!」
そう言って、差し出された小さな手のひらと屈託のない満面の笑みを、彼は今でもまだ鮮明に覚えている。
あの日、世界に色がついた。
「誰も取り次ぐな」
部屋の前にいる扉番に冷たく告げ、ルイトは乱暴に自室の扉を押し開けた。
ドサッ、と苛立ちのままにソファーに体を投げ出す。
その顔には、隠しようもない疲労と焦燥が浮き出ていた。
シシルがルイトの前から姿を消した。
その日、ルイトが剣の稽古や逃げきれなかった公務を終わらせてシシルのいる部屋に戻った時には、すでにシシルはいなくなっていた。
すぐに宮内を捜索させたが見つからず、それどころか、どこかへ行こうとしているシシルの姿を見たという者さえいなかった。
部屋の中に荒らされたような形跡はなく、テーブルの上には一通の手紙が残されていた。
いなくなったシシルからルイトへと向けられた、別れの手紙が。
シシルが忽然と王太子宮から姿を消して、約一ヶ月。
ルイトの手持ちの兵を使ってしらみ潰しに探させてはいるが、未だ彼女が見つかったという報告はない。
ルイトはテーブルの上、放り投げられている封筒に手を伸ばす。
よほど強い力で握られたのか、封筒にはぐちゃぐちゃに折れ曲がった跡がある。
何度も何度も読み返して、今ではもう一言一句全て覚えてしまった。
それをまた、読み返す。
『ルイトヴィッヒ=ヴィ=エスタント様』
僅かに丸みを帯びた、小さめな文字。
書いてる本人の性格からか、一文字一文字、丁寧に綴られている。
『これを読まれているということは、私はもうそこにはいないのでしょう』
誰よりもよく知っている、シシルの字だ。
その字を、ルイトが見間違うはずがない。
だが。
『許してくれとは申しません。全ては私が弱かったせい。私には、貴方と共にあれるだけの強さがなかった。ずっと一緒にいると言いながら、申し訳ありません』
見間違いだと、破り捨ててしまいたかった。
出来はしなかったけど。
『貴方が素晴らしい王となられる日を、心より願っております』
王。
それが、なんだと言うのか。
そんな物に、どれほどの価値があるというのか。
『もうこの身は傍にあることは叶いませんが、心だけは常に貴方の傍に』
心だけ傍にあったって意味がない。
抱きしめる体がなくては、意味がない。
『いつまでも貴方を愛しています。私の――覇王』
「どうして……」
傍に、いて欲しかった。
近くにいて欲しかった。
彼女さえいてくれたら。
「何故だ、シシル……!」
王位なんて。
国なんて。
どうでも良かったのに。
――グシャ。
手紙を持つ手に力が入る。
読み返すたびに思わず力が入りすぎてしまう手紙は、今ではグシャグシャで所々破けかけてさえいる。
強さなんて、求めてなかった。
ただ傍にいて、笑っていてくれるだけで良かったのに。
なのに。
探しても探しても。
彼女が――シシルが見つからない。
「…――っ」
シシルが、いない。
その事実が苦しくて、苦しくて、どうにかなってしまいそうだ。
◇◇◇◇◇
ルイトが居室に篭って、しばらく。
「――なさい!」
「ですが――」
部屋の前には、言い争う二つの影があった。
「私は開けろと言っているのです!」
「しかし、ここは……」
一人はルイトの正妃であるマリアベル、もう一人はこの部屋の扉番である騎士だ。
困惑した様子の騎士に対し、マリアベルは苛立った様子を隠そうともせずに口を開く。
「もういいわ! お退きなさい!」
一向に扉を開けようとしない騎士を押しのけて、マリアベルは力任せに扉を押した。
「正妃様!」
大きな音を立てて扉が開く。
素早く室内を見回したマリアベルは部屋の中央にあるソファーに腰掛けているルイトを見つけると、制止しようとする騎士の声を振り切って部屋の中に足を踏み入れる。
ツカツカと早足で項垂れるルイトの前まで進むと、マリアベルは立ち止まった。
「何をしているのです! 私を負かした男がなさけない!」
ルイトを睨み付け、マリアベルが怒鳴る。
しかしルイトは、その怒鳴り声を受けてさえ、微動だにしなかった。
マリアベルが部屋に入って来てから、いや、おそらくはその前からずっと、項垂れて下を向いたままだ。
マリアベルの声は聞こえているだろうに、ルイトは顔を上げようともしない。
「……っ」
マリアベルは、憤っていた。
目の前の抜け殻のような男の姿に、苛立ちはさらにつのる。
妾妃であるシシルが突如王太子宮から姿を消してからというもの、ルイトは変わってしまった。
もちろん、最初は違った。
逃げ出した妾妃を、血眼になって探しているようだった。
だが。
見つからないままに時が過ぎ、一週間、二週間も経つ頃には、すっかりその目から元の力強い輝きが消え失せてしまっていた。
目の前の男は、項垂れたままだ。
ぐっと、歯を噛み締める。
こんな、こんな腑抜けた男に、自分は負けたと思ったのではない。
苛立ちを抑えつけるように、マリアベルは息を吐く。
「……諦めるのですか?」
ピクリ、とルイトの肩が揺れた。
それを視界にとらえながら、マリアベルは言葉を続ける。
「まだ探せていない所など、いくらでもございましょう。王太子としての力では見つけられぬと申すなら、さらに大きな力を手に入れればよいだけのことではありませんか」
ルイトが顔を上げた。
黒曜の瞳が、前に立つマリアベルの姿をとらえる。
「殿下、王となるのです」
「……いきなり何だ」
眉を寄せるルイトを見下ろして、マリアベルは鼻を鳴らして髪をかき上げる。
「置き手紙、お読みになられたのでしょう?なら、お分かりになりましょう。流されるままにではなく、自らの意思で王となるのです」
「王……か」
王となれば、より多くの兵を使うことが出来る。
探せる範囲も一気に広がる。
王太子なら無理でも、王なら出来ることは多い。
そして、何よりそれが――彼女の望みだから。
『いつまでも貴方を愛しています。私の――覇王』
手紙の最後の一文が、ルイトの脳裏を過ぎる。
――覇王。
(それがお前の願いなら、俺は――…)
「そうだな。なってみるか、王に」
覇王になる。




