21話 夢
「シシー!シシー!」
名前を呼ばれ、少女は振り返った。
パタパタと足音を響かせて、回廊の向こうから少年が駆け寄ってくる。
年の頃は十歳前後だろうか。
「どうしたんですか?」
「おれ、ハオウになる!」
目の前で立ち止まった少年は、頬を上気させたまま力一杯に叫んだ。
「はおう?なんですか、それ?」
聞いたことのない単語だ。
少年は今日、劇を見に行くと言っていた。
おそらく、その劇の中で出てきた言葉だろうが。
――どういう意味なのだろう?
こてんと首を傾げる少女に、少年はしたり顔で笑う。
「ハオウはすごいんだ!だれよりもつよい、だれにもまけない、おうさまのなかのおうさまなんだ!」
興奮冷めやらぬと言う風に、少年が身振りを混じえて説明する。
「すごいんですね!」
少女の言葉に、少年は大きく頷く。
目を輝かせて、少年は笑った。
「だから、きめたんだ!おれはいつか、ハオウになる!」
シシルの脈を取り終わると、侍医は表情を緩めた。
「もう、大丈夫そうですね」
「ありがとうございました」
暫くは安静にするようにと言い残して、部屋を退出していく侍医をベッドの上から見送って、シシルは小さくため息を溢した。
気付いたらベッドの上で、近くには侍医の姿があった。
気を失って床の上に倒れたのを、扉番の騎士が倒れた時の音で気付いて、すぐに対応してくれたらしい。
まさか、気を失うとは。
どうやら、気づかないうちに疲れが溜まっていたようだ。
最近、どうにも食欲がなくて、あまり食べていなかったのも原因かもしれない。
気を失っている間、懐かしい夢を見た。
あれは確か、シシルがメイドとして働き始める少し前の頃の夢だ。
――「おれはいつか、ハオウになる!」
言葉の正確な意味も知らず、ただ憧れた。
幼い頃の夢。
夢で見た光景をもう一度見たくて、思い出すようにシシルはそっと目を閉じようとした――その時。
慌ただしい足音がして、ノックもなしに部屋の扉が開かれた。
「シシル!」
駆け込んできたルイトは、荒い息のまま大股でシシルのいるベッドに歩み寄る。
「このような姿で申し訳ありません」
上体を起こした体勢で、シシルが軽く頭を下げる。
それを手で制して、無言のままルイトは枕元に腰掛け、シシルの顔を覗きこむ。
「疲労が溜まっていたようです」
シシルの目に嘘がないことを読み取って、ルイトは大きく息を吐き出した。
「頼むから無理をするな……」
吐息とともに吐き出された言葉に、シシルは目を伏せる。
「申し訳ありません」
「謝るな」
ぐっと腕を引かれ、腕の中に抱き込まれた。
「心配した」
頭上から聞こえる安堵の吐息。
走ってきたのだろう。
心臓の音が早い。
「倒れたと聞いた時はこの世の終わりかと思ったぞ」
脱力したようにシシルに寄りかかってくる体の重みが、愛しかった。
「命に関わる物じゃなくて、良かった」
ルイトは笑って、シシルの顔中にキスを降らす。
額、瞼、こめかみ、頬、鼻――そして唇。
「ん……っ、」
名残惜しげに唇が離れ、至近距離で視線が絡む。
「気分はどうだ?」
頬に、ルイトの手が添えられる。
「もう、大丈夫です」
添えられた手に、そっと頬を押し付けた。
ルイトの指は、毎日の剣や弓の鍛練で固く、ふしくれだっている。
その綺麗な顔に似合わない、無骨で、だけど優しい指に顎や頬を撫でられていると、泣きたいような気分が込み上げた。
ルイトと始めて会話した時のことを、シシルは今でも覚えている。
あの時は、将来ルイトとこんな関係になるなんて、思ってもいなかった。
――「ねぇ、なにしてるの?」
脳裏に浮かぶ光景に、何か沢山の思いが浮かんで。
でも言葉にはならずにシシルの中であふれかえって、ポロリと一滴、目から零れ落ちた。




