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小娘つきにつきまして!  作者: 甘味処
3幕 決意の噺
12/23

#11 言葉のナイフ

「あの、僕、登校拒否してもいいですか?」


 木曜の明け方。キッチンまで足を運び、僕がそう言うと、京子さんはしばらくの間固まっていた。我が子のように育ててきた子供に、真剣な顔でそんなことを言われたのだ。逆の立場だったとしたら、どんなリアクションで驚いたことだろう? なにかのドッキリじゃないかと勘を働かせたに違いない。


 母親代わりである斉藤京子さいとうきょうこさん。三〇後半という年齢であるのにもかかわらず、見た目三〇を越えている女性のようには思えない。これは別段、お世辞ではない。二〇代前半であるとさばを読んでも通用するレベルだ、と客観的に見て思う。


 そんな彼女は、僕ら兄妹きょうだいに遠慮されることを嫌う。隠し事をされることを嫌う。沙夜のことを宣告できないのは止む終えなしとして、この一件に関しては、ばっさりと物申した方がわかってくれるだろうと考えた。なので、僕は思い切って登校拒否宣言をしてみたのだ。


 京子さんは、年の割にぱっちりとした目を見開き、落ち着きない視線を宙に漂わせている。ひょっとすれば、カメラを探しているのかもしれない。今ならまだ、タッタラー、と軽快なSEを奏でれば引き返すことができそうだ。そういった退路もしつらえておいた方がいい。


 こぽこぽと鍋が吹きこぼれ始めた時になって、ようやく京子さんが現実に戻ってきた。黄色がかった火を止めて、僕の顔をしげしげと見つめる。彼女の表情は、心配しているというよりも、いぶかしんでいるといった方が正確な気がした。


「あら、どうしたのよ、急に。珍しいこともあるわ。んんん~、いじめられた、ということはないでしょうね?」


 きっと登校拒否する理由が見つけられないのだろう。見つけられないのも無理はない。僕自身にはないのだから。完成間近のジグソーパズルのピースを一枚隠してしまったような、そんな申し訳なさに駆られた。


「ええっと。そういうわけではないのですが、どうしても学校行く気になれなくて。あはは、やっぱりだめですよね?」


 少しの間、京子さんは目を白黒させていたが、もう一度目をやった時には、いつもの表情に戻っていた。


「うーん、わからない。わからないわ」

「わ……わからないって?」

「こういう時ってさー。ばっさり、だめって言うべきなんだろうけど――」


 そこまで言うと、彼女は僕の方へ背を向け、朝食の味噌汁に使う冬瓜とうがんを刻みだした。思わぬ伏兵に銃口を突きつけられたような気分になり、背筋がぞっとした。というのも、僕は冬瓜が大の苦手だからだ。どろどろとした食感に、青臭い風味。数ある冬瓜料理の中でも、どろどろ感が倍増するため、味噌汁に入ったものは特に苦手だった。当然、そんなことを言える雰囲気でないことはわきまえている。


 僕に背中を向けたまま、やんわりとした口調で彼女は言った。


「けどね、あっちゃんがそう決めたのなら別にいいわ」


 あまりのやんわりさに、始めは目前の女性がなにを言っているのか、わからなかった。まだ思考が冬瓜に向けられていたのだ。


「……え!」


 僕は確認するように感嘆符をもらしながら後ずさり、彼女の口から飛び出した言葉を頭の中で反芻はんすうした。彼女が認許してくれたのだ、と気が付いて、驚くこととなる。


「ええっ!? そんなあっさりとっ!?」


 そういえば、最近の僕は驚いてばかりな気がする。憑きものに出会って驚いて、試験の結果に驚いて、幼馴染みの鋭さに驚いて、クラスメイトの変態加減に驚いて――。それらは悪い意味だったり、いい意味だったり、さてこれは果たしてどっちだ?


 少なくとも、怒っているのか、愛想を尽かしているのか、そのどちらかだろうと断定した。つまり、鬼が出るか、蛇が出るか、という修羅場に立たされている。笑ってごまかす準備に取り掛かろうとした。


 そんな時、いろいろと思案に暮れていた僕を安心させるように、京子さんはくるりと顔だけを向けて、少女のようなあどけない笑みを浮かべた。


「だって、私だったら許可してくれると信じて、お願いしてるんでしょ?」


 考えを見通されて、僕は一瞬どきりとした。


 休む方法ならいくらでもあった。だけど、僕は京子さんの了解を得る道を選んだ。彼女は隠しごとをされるのが好きじゃないから。それに、彼女ならわかってくれるかもしれない。そう思ったから。だから、嘘をつくことなく、このように蛮勇ばんゆうを奮ったのだ。


「……えぇ。まぁ、そうなんですけど」

「だったら不思議がることなんてないじゃない。潔くてむしろ素敵よ、そういうの」

「り、理由を追及しないんですか?」

「いーわよ、いーわよ」


 京子さんは片手をひらひらと動かしながら、口元を綻ばせた。おばちゃんが遠慮する時に見せるような仕草だ。


「私、思春期の頃の感情なんて当の昔に忘れちゃったし、男の子の気持ちなんて分からないからさー。それにあっちゃんが登校拒否する理由も見当たらないし」


 味噌汁の香りが食卓付近に漂っている。


「でも、なにかあるんでしょうね。悩みがあるんだったら、お父さんにでも相談した方がいいわ。ただ、あの人は相当な朴念仁ぼくねんじんだから。大したこと言えないと思うけど」


 そのように相好そうごうを崩しながら、言っただけだった。やっぱり京子さんは寛大な人だ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 僕はその後すぐ、武史たけしさんの部屋へ向かった。キッチンから廊下に出たすぐの所にあるふすまを開けると、目前には青々とした畳が広がっている。竣工しゅんこうしてから20年と経っているが、いまだ、畳のいい香りが一室に立ち込めていた。この部屋が、斉藤家、唯一の和室だった。武史さんの部屋でもある。


 畳の上に座布団を敷き、その上であぐらをかく武史さんは、仏頂面で新聞を熟読していた。ニコニコしながら新聞を読むのも不気味だが、ここまで不機嫌そうに新聞を読むのも、少々おかしく感じた。


 武史さんはあごに髭をたくわえ、鋭い眼光をして紙面を見つめている。この人に睨みつけられれば、どんな勇ましい兵士であれど、物怖じするだろう、そんな気がした。


 広げられた新聞紙の一面には、くだんの大津製薬の記事が載っている。大手企業が潰れたことが、いまだ、尾を引いて、世の中に影響を及ぼしているようだった。


「武史さん。話があります」


 声をかけると、武史さんはちらりと僕の方を見た。その後、手招かれたので、僕は部屋に入った。年齢よりも若く見える京子さんとは反対に、武史さんは年齢よりずっと老けているように感じさせられる。同い年のはずなのに、ふたりの関係が実は夫婦でなく、親子なんじゃないかと勘ぐったこともあった。


「……なんだ?」


 とても厳格な人――のように見える。見えるだけ。実際はむしろ逆の人だった。彼は、極・道ゥ、警・察ゥ、とかではなく、某有名ゲームメーカーに勤めている。つまり、ゲームを作ることで生計を立てているのだ。見た目と職業のギャップに誰もが驚くそうだが、それをさも当然だと生きてきた僕には、意外だと言われても違和感が湧いて出ない。


 僕は武史さんの前に立ち、これまた面と向かって、登校拒否するむねを宣告した。


「僕しばらくの間学校に行きたくないのですが、休んでもいいですか?」


 返ってくる武史さんの言葉数は、圧倒的に少ない。


「そうか……」


 彼の口調は、厳然そのもので、古き良き父親を地でいくような物言いをする。しかし、それは、見た目や仕草だけであり、本人が意識して作っているものに他ならなかった。


 そのような父親を、「ドラマや映画で目撃して、感銘を受けて以来、ずっと、憧れているのよ」と京子さんが昔こっそり教えてくれたことがある。


「うむ、無理することはない」


 彼もまた、僕のむちゃくちゃな要求をあっさりと認可した。


「い、いいんですか?」


 僕は確認するようにもう一度問う。

 武史さんはやはり厳然とした口調のまま答えた。


「うむ、構わない。私がなにを言ったところで、どうにかなることではないのだろう?」


 すべてを見透かしたような鋭い眼だ。普通の生活を営んでいるだけでも、『普通に生活をしてすみませんでした』と自白してしまいそうだ。その威圧感から、憑きものを内緒で家においていることまで見抜かれているような気がしたが、それはさすがに気のせいだろう。


「は、はぁ」


 僕が曖昧に返答すると、彼は更に目つきを鋭くさせて、これまた険しい口調で言った。


「それとも、止めてほしいのか?」

「あ、いえ、そういうわけでは」


 短辺的な言葉で返すと、


「わかったら、部屋に戻りなさい」


 彼も短編的に言葉を吐き出した。僕はそろそろと立ち上がり、踵を返した。部屋を出ようと、ふすまを開けたところで、


「悩みごとがあるなら、いつでも相談してくれよ」


 武史さんが、ぼそりと柔らかい口調でそう呟いた。厳格さを演じるのを忘れて、素が露呈ろていしているのだ。当惑しながら振り向けば、彼の大きな背中が見えた。厳然さや厳格さを放棄した武史さんの後ろ姿には、優しさと温もりが漂っている。――ように思えた。


 誰がなんと言おうとも、あれが、僕にとっての父親の背中だ。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 部屋に戻ると、ドアを背にしながら、僕は大きく息を吐き出した。


 ――朝っぱらから、僕はなにをやっているんだろう。


 こんな面倒なマネをしている理由は、無論、沙夜を思ってのことだった。


 風邪を引いている沙夜を置いて学校を行く気にはなれなかったし、どの道、風邪が治ったとしても、沙夜を家に置いて、学校へ通う日々が続けば、またすぐに彼女は身体を壊してしまうだろう。だから、いっそのことしばらくの間、学校を休んでしまおう。などとは……。我ながら大それたことを思いついたものだ……。


 この的外れな極論は、マリー・アントワネットのあの言葉に通ずるものがあるのではないだろうか、と自嘲気味に思った。――沙夜が心配ならば、学校に行かなければいいじゃない。また半面で、的外れなように見えて、それが正当な判断であるような気もした。そんな発想が頭をもたげる。


「ご主人様、こほこほ、私のせいで、ご迷惑を……」


 沙夜はベッドに寝かせてある。僕がそうしているように指示したのだ。ベッドで寝かせるよりも、影の中で寝かせた方が、睡眠をとれると同時に妖力も補給できるので、効率がいいように思えるが、沙夜は影の中では眠れない。


 影の中、というのは想像をしづらいが、僕が思っているよりもよっぽど窮屈な空間なのかもしれない。寝不足、妖力不足、その対策として、こんな具合に情けをかけていた。


 寝ている沙夜に妖力を注ぎ込む手段として、机に備え付けられたスタンドライトを沙夜に向けて照らし、うまいこと僕の影を繋いでいる。部屋に置かれた勉強椅子に腰を掛けると、ちょうどいい具合に僕の影が沙夜に伸びるという仕組みになっていた。


「ひとまずはこれで休めよ。体調が快復したらまた考えよう」


 僕は椅子に腰を下ろした。沙夜の元まで影が伸びる。


「……すみません。迷惑ばかりおかけしてます」


「迷惑うんぬん言うんだったら、一緒に学校に来ればいいだろ。まぁそりゃ、あくまでも風邪が治ったらって話だけど。月曜日、あんなに楽しそうにしてたじゃないか」


 楽しげにはしゃいでいた登校中の沙夜の表情を思いだし、今の沙夜のようすと照らし合わせた。まったく違う。別人かと思うぐらいに違う。


 どこか儚げな眼を向ける少女は、初めて僕と言葉を交わした時のように、距離をおいていた。きっと、それ以上に心の距離は開いているのだろう。そんな、おぼろげな想像を膨らませた。


「いつまでも、学校を休んでいられるわけじゃないぞ。だから、風邪が治ったら――」

「そ、それは承服しかねます、……すみません」

「どうしてだよ? 理由は?」

「え……ぁ。な、なんとも言えません、…………すみません」

「なんだよそれ……。意味がわからない」


 奥歯に物が挟まったような彼女の弁舌に、温厚篤実おんこうとくじつだと名高い僕もさすがにイライラさせられる。これは、どこから生じるわだかまりだろう?


「別に怒ったりしないから、理由だけは聞かせてくれないか?」


 沙夜はなにかを隠している。直感的にそう思った。


「…………すみません。理由は言えないです」


 あくまでも曖昧に答える。


 それは確かに、彼女とはまだ一週間ぽっちの付き合いだ。ずっと昔から一緒にいるわけじゃないから、沙夜のことを何一つとしてわかっていない。憑きもののことなんて無知だし、憑きものにどういった応対をしてやるのが正しいのかもわからない。だから、彼女に隠しごとをされたって文句は言えないだろう。


 それだけわかっていても、怒りが込み上げるのだ。どうして、胸が熱くなるのだろう? そのように、自分自身の胸に手を当てて、尋ねてみた。もちろん答えは返ってこない。


「どうしても学校行くの、嫌か?」


 ここぞと言わんばかりに、沙夜は、はっきりとした口調で答えた。


「はい、嫌です」


 その態度がやけにしゃくに触って、気が付けば僕は、沙夜に聞こえるような音で舌打ちをしていた。


「……だったらもういい。勝手にしろよ」


 少しだけ、このわだかまりの正体が掴めた気がする。これは、せっかく心を開いて接しているのに、心が離れていくことに対しての苛立ちだ。まるで、欲しいものに手を伸ばしたら、その瞬間に欲しいものが引っ込められたような――。きっと、だから僕はこんなにも、むしゃくしゃしているのだ。


 沙夜に追い打ちを仕掛けるように、言葉を付け加える。『言葉は時に凶器になる』――という話を聞いたことがある。彼女の心にナイフの刃先を向けている気分になった。


「言っておくが、僕はお前と馴れあうつもりはない。それと、勘違いするなよ――」


 それ以上の発言はしてはいけない。あげ足を取るような卑屈な発想だ。彼女を傷つけていることは、自分が一番よくわかった。持ち出してはいけない話であることもわかった。


 わかっていても、


「――まだ正式にお前の主になると決めたわけじゃない」


 へそあたりから胸元にたまる、鬱憤うっぷんのような激情を無性に晴らしたくなって、悪しざまに言葉を吐き出してしまった。油断すれば、暴言が飛び出す。口を開けば、彼女を傷つける。


「僕には、憑きものの気持ちなんてわからないし、お前の気持ちもわからないよ」

「ご……しゅ……」


 口をはさむ間も与えずに、彼女の心を切りつけた。


「僕じゃ、お前の主は、不適応なのかもな……」


 吐き捨てるように僕がそう言うと、沙夜は消えてしまいそうな声で、ごめんなさい、と謝った。そんな彼女を無視して、僕は机に突っ伏した。もう口を開きたくなかった。謝られたことが、逆にむかついた。


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