紅龍との約束
閉店後の《深淵の鍋》。
「あの時……俺たちは本気で死ぬと思ったよ」
赤い牙の4人がいつものカウンター席に座り、ガルド特製の酒を飲んでいた。
話題は自然と、以前ガルドが提供した「若き紅龍の肝臓」の話になった。
レオンがジョッキを傾けながら、遠い目をして語り始めた。
「あの龍の肝臓を食った時、俺は思い出したよ……
俺たちが『赤い牙』になるきっかけになった、あの冒険のことを」
ミアが静かに頷いた。
「紅龍……『紅の災厄』と呼ばれていた、あの個体ね」
ルルが目をキラキラさせて身を乗り出した。
「えっ、みんな、ドラゴンに会ったことがあるの?
どんな感じだったの? 教えて教えて!」
レオンは苦笑しながら、ゆっくりと話し始めた。
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それは二年前、紅晶の谷でのことだった。
当時のパーティ名はまだ『鉄壁の盾』。
安全第一を掲げ、リスクの高い依頼は極力避けていた。
しかし、仲間の治療費を稼ぐため、彼らは高額報酬の緊急討伐依頼を受けた。
対象は——若き紅龍「紅の災厄」。
谷に到着した瞬間、圧倒的な存在感が4人を襲った。
全身を覆う燃えるような深紅の鱗。
体長二十メートルを超える巨体から立ち上る熱気と魔力の波動。
その赤い瞳が、獲物を値踏みするように彼らを捉えた。
レオンが盾を構え、声を震わせて叫んだ。
「全員、散開! 絶対に正面に立つな!」
戦闘は一方的に始まった。
紅龍が大きく息を吸い込んだ瞬間、灼熱の炎の息吹が谷を埋め尽くした。
シーラが素早く矢を放つが、龍の鱗に当たって無力に弾かれた。
「くっ……効かない!」
ダンが影から飛び出し、短剣で龍の後脚を狙ったが、
一瞬で振り回された尾に吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
ミアは全魔力を集中させ、最大級の氷結魔法を展開した。
「凍てつけ……! 〈氷槍の嵐〉!」
無数の氷の槍が紅龍に向かって殺到したが、
龍の体表に張られた魔力障壁に阻まれ、ほとんどダメージを与えられなかった。
レオンは盾を前面に構え、仲間をかばいながら必死に耐えた。
しかし、紅龍の爪の一撃が盾を粉砕し、彼の左腕に深手を負わせた。
血が飛び散る中、レオンは歯を食いしばって叫んだ。
「退くぞ! これは勝てねえ……!」
その瞬間、紅龍が攻撃を止めた。
巨体をゆっくりと低くし、赤い瞳でレオンたちをじっと見つめた。
低く、しかしはっきりとした声が谷に響いた。
「……弱い人間どもよ。
なぜ、そんなに弱いのに私に挑む?
命を粗末にする理由を聞かせろ」
レオンは血まみれの盾を握りしめ、荒い息を吐きながら答えた。
「金が必要だ……!
仲間の命がかかってる。
……たとえ勝てなくても、挑むしかねえんだよ!」
紅龍はしばらく沈黙した。
やがて、その口元にわずかな笑みのようなものが浮かんだ。
「愚かだが……その覚悟だけは認めてやろう。
私はまだ若く、退屈していた。
お前たちと『遊び』をしようではないか。
私をあと三回、傷つけることができれば……
私の肝臓を一片、くれてやる。
失敗すれば……お前たち全員を灰に変える」
それは、紅龍から見た「慈悲」であり、同時に「遊び」の始まりだった。
死に物狂いの戦いが再開された。
一回目の挑戦——
レオンが全力で突進し、盾の残骸で龍の前脚を叩きつけたが、鱗に弾かれて吹き飛ばされた。失敗。
二回目の挑戦——
ダンが瀕死の状態から這い上がり、紅龍の注意を引いている隙に、
シーラが精密射撃で龍の左目の下に矢を突き刺した。
小さな傷だったが、初めて紅龍の血が滴った。
紅龍が低く笑った。
「ほう……二回目でようやく一撃か。面白い」
三回目の挑戦——
ミアが残りの全魔力を振り絞り、
「これで……終わりよ! 〈星霜の氷葬〉!」
彼女の最大の切り札である複合属性魔法が炸裂した。
紅龍の右翼膜に深い裂傷を与え、龍の鱗が数枚剥がれ落ちた。
紅龍は満足そうに首を振った。
「三回……よくやった。
約束通り、肝臓の一片をくれてやろう。
だが、条件がある。
お前たちは今後、二度と『安全第一』などというつまらない生き方はするな。
美味いものを食らい、笑い、強くあれ。
それが、私が与える最後の贈り物だ」
紅龍は自らの胸を爪で裂き、小さな肝臓の欠片を切り取ってレオンの足元に落とした。
そして、満足げな笑みを残して、紅晶の谷の奥深くへと飛び去っていった。
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レオンはジョッキを置き、静かに言った。
「あの時、俺たちは初めて本気で『生きてる』って感じた。
それ以来、パーティ名を『赤い牙』に変えた。
龍に歯を立てるような気持ちで、冒険を続けようってな」
ミアが微笑みながら付け加えた。
「だから、この店で危険な食材を食べるのも、なんだか懐かしいの。
龍の肝臓を食べた時も、あの時の闘争心を思い出して……少し熱くなった」
ルルは目を輝かせて聞いた。
「すごい……! じゃあ、その龍は今もどこかにいるの?」
レオンは肩をすくめた。
「さあな。
でも、もしまた会ったら……今度はちゃんと挨拶したいもんだな。
『おかげで、美味い飯が食えるようになった』って」
ガルドはカウンターの奥から、静かに笑った。
「なるほどな。
だからお前らは、俺の危ない飯を笑って食えるんだ」
エレナは無表情のまま、淡々と言った。
「興味深いバックストーリーです。
ただし、龍の肝臓は今後も高リスク商品として、追加料金を維持します」
ルルは両手を挙げて明るく言った。
「ルルもいつか、赤い牙のみんなと一緒に龍に会いに行きたい!
……でも、食べないでね?」
店内に、赤い牙の4人の笑い声が響いた。
その夜、《深淵の鍋》には、
ただの冒険者と店主の関係を超えた、
少しだけ特別な絆が確かに存在していた。




