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英雄のスープ代

辺境の街はずれに、ダンジョン産の危険な食材ばかりを出す居酒屋《深淵の鍋》がある。

店主ガルドは料理の腕は一流だが経営はからっきしで、雇った助手のエレナは無表情で冷徹、利益のことしか頭にない。

英雄が騒ごうが客の体が変になろうが、彼女の決まり文句はただ一つ――「勘定は済んでいますか?」

辺境の街はずれに、古びた石造りの建物がある。看板には『ダンジョン食材専門 居酒屋《深淵の鍋》』と書かれていた。


店主のガルドは元冒険者上がりの料理人だ。髭が濃く、声が大きく、腕は確かだが金勘定はからっきし苦手。今日も厨房で大きな鍋をかき回しながら、豪快に笑っていた。


その横で、銀髪の若い女性が無表情に野菜を切っている。名はエレナ。ガルドが雇った唯一の助手である。表情がほとんど変わらず、声も常に平坦。どんな状況でも冷静すぎて、時々客より冷たいと評判だった。


開店して四日目。店はすでに冒険者で溢れていた。


「親父! 今日の目玉はなんだ?」


「深層62階で獲れた『雷鳥の心臓』を使った串焼きだ。噛むとビリビリくるぞ、気をつけろよ」


客たちが盛り上がる中、エレナがガルドの耳元で小さく告げた。


「在庫はあと五個です。値上げした方が良いかと」


「まだ値上げかよ……」


「回転率より利益率を優先すべきです。感情は不要です」


その夜、事件は起きた。


一人の若い槍使いが、スープを一口飲んだ途端、目を大きく見開いた。


「うおっ……! このスープ……俺の中に英雄の血が目覚めた気がする!」


彼の首から下げた古びたペンダントが、突然青白く輝き始めた。それは「英雄の証」と呼ばれる、選ばれた者にしか反応しない魔道具だった。


店内が一瞬でざわついた。


「マジかよ……この店のスープで英雄が誕生したってのか!?」


「俺も飲む! 俺も英雄になる!」


ガルドは自分の作ったスープを訝しげに見つめた。


「あのスープ、ただの『幻影キノコ』と『酸のスライムゼリー』を煮込んだだけだぞ……」


エレナが淡々と説明した。


「幻影キノコの成分が、酸のスライムゼリーの魔力と反応して、強い自己肯定感と陶酔効果を生み出しています。要するに『自分はすごい』と思わせるだけです」


「……知ってて出したのか?」


「はい。客単価が42%上昇しました」


すると店内の冒険者たちが、次々とスープを注文し始めた。


飲んだ者から順に、


「俺は魔王を倒せる!」


「いや、魔王は俺が倒す! お前は雑魚だ!」


「なんだとこの野郎!」


あっという間に店内は大乱闘に発展した。剣が振り回され、魔法が飛び、椅子が壊れていく。


ガルドは慌てて叫んだ。


「てめえら! 飯食う場所で喧嘩すんな! 普通の居酒屋だぞここは!」


しかし誰も聞いていない。


そこへ、エレナが静かにカウンターから出てきた。


彼女は乱闘の真ん中で、一切表情を変えずにこう言った。


「破壊した備品の賠償金は、時価で請求いたします。英雄の証をお持ちの方は、保険適用外のため通常の三倍です」


店内が、凍りついた。


冒険者たちは、英雄の証を握ったまま、そろそろと武器を収め、壊れた椅子を直し始めた。


「……すみません」


「俺、英雄になる前に借金は嫌だ……」


乱闘はわずか数分で収束した。


閉店後、ガルドは疲れ果ててカウンターに突っ伏した。


「お前な……本当に冷てえよ。助かったけど」


エレナは床を掃除しながら、平坦な声で答えた。


「経営とは、冷静であるべきです。笑顔や温かさは、値引きを誘発するだけですから」


ガルドは苦笑いした。


「たまには笑ってみろよ。客も喜ぶだろ」


「必要ありません。笑うと『可愛いね』と言われて、サービスを要求されます。損失です」


翌朝、店の看板に新しい文字が書き加えられていた。


『深淵の鍋 ~英雄も金は払え~』


明らかにエレナの字だった。


ガルドはため息をつきながら、今日もダンジョンへ新鮮な食材を仕入れに出かけた。


エレナは後ろで無表情のまま、小声でつぶやいた。


「次は、笑わせても値引きを認めないスープを試作しましょう……」


そのスープを飲んだ者は、腹を抱えて笑い続けながらも、心の底から「絶対に値引きはしない」と誓うのだという。


深淵の鍋は今日も、冒険者たちを静かに、しかし確実に食い物にしていた。

最後に一言。

勘定は、必ずお支払いください。

――エレナより

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