人たらしの令嬢、兵を集める
オーデンヴァルト領に活気が戻り始めて二月。
城の執務室に飛び込んできたヘルムートの顔は、青ざめていた。
「ノブナ様。ヴァルムント王国の将軍ヴォルフが、国境付近に三千の兵を集めているとの報が入りました。商人たちの話では、ヴァルムントはこちらの鉱山と交易路を狙っているようです。ヴァルムントは軍事力こそ強大ですが、資源に乏しく、拡大し続けなければ国が保たないと」
「三千か」
ノブナは書類から顔を上げた。驚きはなかった。むしろ、予想より早いな、という程度の表情だ。
「オーデンヴァルトが豊かになれば、当然狙われる。弱い者が富を持てば、強い者が奪いに来る。道理だ」
「ど、道理と申されましても……! 我が領の兵力は正規兵が三百に届きません。三千を相手にするなど――」
「そうだな。だから兵を集める」
「集めるといっても、騎士は十名もおりませんし、傭兵を雇う資金も――」
「騎士や傭兵ではない」
ノブナは立ち上がり、窓を開けた。眼下に広がる城下町。市場を行き交う人々の活気ある声が聞こえる。
「あの者たちだ」
「……え?」
「領民だ。この町を、この暮らしを守りたいと思う者ならば、誰でも兵になれる。身分など関係ない」
ヘルムートは絶句した。
「農民や商人を兵にする、と仰るのですか? それは……いくらなんでも」
「長篠――いや、なんでもない。ともかく、素人でも戦える方法はある。肝心なのは個の強さではなく、集団の戦い方だ」
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翌日、城下町の広場に触れが出された。
「オーデンヴァルト領を守る志ある者、身分を問わず志願を求む。報酬あり。訓練期間中も日当を支払う」
――ノブナ・オーデンヴァルト
最初、人々は戸惑った。領民が兵になる? そんな前例はない。
だが、集まった者たちの中に、意外な声が上がった。
「あの令嬢様が税を下げてくれたおかげで、うちの店はやっていけてるんだ。恩を返す時だろう」
「鉱山で仕事をもらった。あの方がいなけりゃ、今頃飢えてたかもしれねえ」
「ヴァルムントに攻められたら、この暮らしも終わりだ。守りてえなら、自分で守るしかねえだろ」
三日で、五百名を超える志願者が集まった。
農民、商人の息子、鉱夫、職人。武器を持ったことすらない者がほとんどだ。集まった彼らを見て、古参騎士のフリードリヒは天を仰いだ。
「これが、軍ですか……」
「これが軍になるのだ、フリードリヒ」
ノブナは訓練場の中央に立った。五百の志願兵が、おっかなびっくりで令嬢を見上げている。
「よく来た」
その一言に、凛とした響きがあった。
「そなたたちは素人だ。剣の振り方も知らぬだろう。だが案ずるな。私が求めるのは個人の武勇ではない」
ノブナは、積み上げられた長槍の山を指差した。通常の槍より一間ほど長い、特注品だ。鉱山から産出した鉄で、この二月のうちに急ぎ鍛えさせたもの。
「これを使う。長槍だ。この槍を構え、隊列を組み、全員で同じ動きをする。それだけでよい」
ざわめきが広がる。
「槍を構えて突き出す。それを百人が同時にやれば、目の前の敵は百の槍に貫かれる。個の技量など、数と規律の前には無意味だ」
ノブナ自ら槍を手に取り、構えてみせた。令嬢のドレスではなく、動きやすい革の胴着に着替えた姿は異様だったが、その所作には一分の隙もなかった。
「構え。突き出す。引く。構え。突き出す。引く。この繰り返しだ。簡単だろう?」
志願兵たちが、恐る恐る槍を手に取る。
最初は散々だった。隊列は乱れ、槍はぶつかり合い、半数は転んだ。
だがノブナは根気強く教え続けた。自ら隊列に入り、声を張り上げ、一人一人の名前を覚えて声をかけた。
「いい突きだ。名は?」
「マルティンです、令嬢様」
「マルティン。そなたは筋がいい。前列を任せるぞ」
「は、はいっ!」
名前を呼ばれ、認められた者たちの目が変わる。
フリードリヒは腕を組んで訓練を眺めていたが、やがて小さく唸った。
「……人の動かし方を知っておられる。あの方は、戦を知っている者の動きだ」
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訓練が始まって十日目。
領地の南門に、一台の質素な馬車が到着した。
降り立ったのは、亜麻色の髪を簡素な三つ編みにした少女だった。旅装束に身を包み、小さな杖を手にしている。
聖女リーゼロッテ。
「あの、こちらがオーデンヴァルト領でしょうか」
門番が怪訝そうに答える。
「そうだが、あんた何者だ?」
「リーゼロッテと申します。帝都の舞踏会の後、教国の指示で辺境の教会に赴いて治癒の活動を続けていたのですが……教会は治癒を信徒だけに施すよう求めました。でも、苦しんでいる人に信仰の有無を問うのは、私にはできなくて。それで、居場所がなくなってしまいました。こちらが身分を問わず人を求めていると聞いて、治癒の力がお役に立てればと」
報せを受けたノブナは、訓練を中断して門まで出迎えた。
リーゼロッテ。聖エクレシアの聖女。流れ込んだ知識の中にその名はあった。大陸随一の治癒の力を持つ少女。
ノブナの紅い瞳が、リーゼロッテを真っ直ぐに見据えた。
リーゼロッテは少し怯んだ。悪役令嬢と噂される人物だ。教国の聖女候補筆頭という肩書きを捨てた自分を、どう扱うのか。覚悟はしてきた。でも。
「あなたが噂の聖女か」
「は、はい。あの、教国を離れた身で厚かましいとは思うのですが――」
「教国を出たことを気にしているのか。むしろそれがよい。組織に縛られぬ者の方が、余は使いやすい」
「え?」
ノブナは手を差し出した。
「よく来てくれた。治癒の力を持つ者は、今の私に最も必要な人材の一つだ」
リーゼロッテは目を丸くした。握手を求められるとは思っていなかった。恐る恐る、その手を取る。
「あの……悪役令嬢のノブナ様、ですよね? 噂と、全然違います」
「噂など所詮は他人が作るもの。己の目で見て、己の頭で判断すればよい」
ノブナはリーゼロッテを訓練場に案内した。五百の志願兵が隊列を組んで槍の訓練をしている光景を見て、リーゼロッテは息を呑んだ。
「こんなに大勢……」
「領民たちだ。自分たちの暮らしを守るために志願した者たちだよ」
ちょうどその時、訓練場の隅で声が上がった。
「痛ぇ! 足をやっちまった!」
若い兵が、組み手の訓練で足首を捻って倒れていた。仲間が慌てて駆け寄る。
「見せてください」
リーゼロッテが駆け寄り、腫れ上がった足首に手をかざした。淡い光が傷を包む。
数秒。腫れが引き、兵が恐る恐る足を動かした。
「あ、痛くねえ。嘘だろ、さっきまでぱんぱんに腫れてたのに」
「腫れと痛みは抑えました。でも、中の傷は完全には治っていないので、今日は無理しないでくださいね」
周囲の兵たちがざわめく。ノブナはその一部始終を見ていた。
「なるほど。傷を完全に治すには時間がかかるが、痛みを抑えて動けるようにはできると」
「はい。切り傷の止血や、軽い骨折の応急処置くらいなら得意です。ただ、深い傷や内臓の損傷となると、何日もかけて少しずつ治すことしか……」
「十分だ。いや、十分以上だ」
ノブナの紅い瞳が鋭く光った。
「そなたの力を、戦場で負傷兵を救う専門の部隊に活かせないか」
「負傷兵を……救う部隊、ですか?」
「この世界の戦では、負傷した兵はそのまま死ぬか、運がよければ後方に下がるかだと聞く。だが、もし戦場の近くに治癒部隊がいれば、出血を止め、傷の悪化を防ぎ、命を繋ぐことができる。死なずに済む兵が増えれば、戦力の維持にもなる」
リーゼロッテの目が輝いた。
「治癒魔法を使える者は、各地の教会に一人いるかどうかです。それを部隊として組織するなんて、聞いたことがありません」
「聞いたことがないなら、我々が最初にやればよい。人は最も重要な資源だ。無駄に死なせるなど、もったいない」
言い方は素っ気なかったが、リーゼロッテにはわかった。この人は、本気で兵たちの命を大事に思っている。
「私、やります。治癒部隊、任せてください」
「うむ。期待しておるぞ」
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訓練は加速した。
長槍隊の隊列は日に日に整い、五百の素人兵が「軍」の形をなし始めていた。リーゼロッテは他に治癒魔法を使える者を三名集め、小規模ながら治癒部隊を編成した。
ノブナは連日、日が暮れるまで訓練場に立ち続けた。
その姿を見て、フリードリヒが初めてノブナに頭を下げた。
「ノブナ様。老骨ながら、この剣をお預けいたします。あなたの戦に、この命を賭けましょう」
「フリードリヒ。そなたの経験が要る。騎兵の指揮を任せたい」
「……はっ。お任せください」
その夜。
ヘルムートが慌ただしく執務室に駆け込んできた。
「ノブナ様! 国境の斥候から急報です。ヴォルフ軍が動きました。三千の兵がアイゼン渓谷に向けて進軍中。渓谷の入り口に到達するまで、早ければ五日」
ノブナは地図を広げた。
三千対八百弱。数の差は歴然。
だが、その目に恐れはなかった。
桶狭間で今川義元を討った時も、数の差は絶望的だった。だが勝った。数では勝てぬなら、知恵で勝つ。それが織田信長の戦だ。
「ヘル。地図を持ってこい。この一帯の地形を、すべて調べ上げるぞ」
「は、はい!」
「それと、ガルドを呼べ。鉱山の坑道の地図も要る」
ノブナは不敵に笑った。
「三千が何だ。数で勝てぬなら、地の利で勝つ。――見せてやろう、この世界の戦の仕方を」
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