楽市楽座は異世界でも有効である
オーデンヴァルト伯爵領。
帝都から馬車で三日。大陸東部の山間に位置するこの領地に足を踏み入れた瞬間、ノブナは眉をひそめた。
荒れている。
街道沿いの畑は半分以上が放棄され、雑草に覆われていた。すれ違う領民の顔は一様に暗く、痩せこけている。城下町に入っても、軒を連ねるはずの商店は半数以上が閉まっていた。
「ヘル」
「はい」
「先代の借財はいくらだ」
「金貨にして約八千枚です」
「歳入は」
「税収が年に千二百枚ほど。ですが経費を差し引くと、残るのは百枚もありません」
「……なるほど」
信長の記憶が蘇る。尾張を継いだ時も、似たような状況だった。家臣は離反し、周囲は敵だらけ。だが、あの時も立て直した。
この程度、何ほどのことがあろうか。
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翌日。ノブナは城の大広間に家臣団を召集した。
集まったのは二十名足らず。かつては五十を超えていた家臣も、先代の没落と共に大半が去っていった。残っているのは、忠義者か、他に行き場のない者たちだ。
古参の筆頭はフリードリヒ・フォン・ベルク。白髪の老騎士で、オーデンヴァルト家に三十年仕えている。その隣には、やはり古参の文官が数名。皆、警戒と不信の目でノブナを見ていた。
帝都で婚約破棄された令嬢が、何を言い出すのか。そんな空気が満ちている。
ノブナは上座に着くと、前置きなしに告げた。
「税を下げる」
静寂。
「現行の税率を半分にする。即日だ」
ざわめきが広がった。フリードリヒが立ち上がる。
「お待ちください、ノブナ様! 財政は破綻寸前でございます。税を下げれば、家臣への俸禄すら払えなくなります」
「知っておる。だからこそ下げるのだ」
「なんと……」
「フリードリヒ。領民が逃げ出している理由は何だ」
「それは……重税に耐えかねて……」
「そうだ。税を取る民がいなくなれば、税率など何の意味もない。まず人を留めねば話にならぬ。――ならん、のです」
最後だけ慌てて令嬢口調に戻したが、家臣たちは別のことに衝撃を受けていた。この令嬢は、領地の経営をまるで理解していなかったはずなのに。
「加えて、もう一つ」
ノブナは立ち上がり、窓の外――城下町を見下ろした。
「この領地を通過する交易路に設けられている関所の通行税を撤廃する」
「関所を!? あれは先代の時代から続く重要な収入源で……」
「代わりに、城下に自由市場を開く。出店は身分を問わず、誰でも商売ができる場を作る。市場の利用税だけを取る。商人が集まれば、通行税の比ではない利益が生まれる」
ノブナの紅い瞳が、家臣団を見渡した。
「名付けて――楽市楽座」
前の世で自分が使った言葉が、つい口をついて出た。当然、誰もその言葉の意味を知らない。だがノブナの声には、有無を言わせぬ力があった。
「商人は利で動く。この街道を通る者が、わざわざ関所の税を払って素通りする理由などない。だが、ここに自由に商売できる市場があれば、立ち寄る理由ができる。立ち寄れば金を落とす。金が落ちれば人が集まる。人が集まれば町が栄える」
沈黙が続いた。フリードリヒは腕を組んで考え込んでいる。反論したいが、理屈として筋は通っているのだ。
「もう一つある」
ノブナはヘルムートに視線を向けた。
「ヘル。鉱山の状況を調べてくれたな」
「は、はい。鉄鉱石と銀の鉱脈は健在です。採掘を再開すれば、かなりの産出が見込めるかと」
「よし。鉱山の採掘を再開する。責任者には――」
ノブナは家臣団の後方に立つ、日焼けした大柄な男に目を向けた。
「そこの。名は」
「へ、あ、あっしですか? ガルド・ハイネと申します。鉱夫頭をやっておりやす」
家臣たちがざわついた。ガルドは平民だ。鉱山が閉鎖されてからは雑用として城に残っていたに過ぎない。
「ガルド。鉱山の再開発、そなたに任せる。必要な人員と資材は好きに使え。ヘルに申請すれば手配させる」
「え、いや、あっしは平民で……」
「身分など知ったことか」
今度は令嬢口調に戻すのも忘れていた。
「鉱山を知り尽くしているのはそなただ。適材適所。それ以上に重要な理屈があるか」
ガルドは目を見開き、それから深く頭を下げた。
「……お任せくだせえ。必ずや、鉱山を蘇らせてみせやす」
フリードリヒが声を上げた。
「ノブナ様。平民に鉱山の責任を任せるなど、前例がございません。我が家の家格にも関わります」
「フリードリヒ」
ノブナは老騎士を正面から見据えた。その目に宿る光に、歴戦の老騎士がわずかにたじろぐ。
「家格で飯は食えぬ。前例で民は救えぬ。私は結果で示す。一月待て。それで成果が出なければ、その時に存分に異を唱えるがよい」
フリードリヒは、しばらくノブナを見つめていた。
この令嬢は、昨日までとは別人だ。いや――まるで、幾度も国を治めたことがある者のような。
「……一月、お待ちいたしましょう」
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それからの一月は、嵐のようだった。
ノブナは毎日のように城下に出向き、自ら商人たちに声をかけた。
「オーデンヴァルトで商売をせよ。関所の税は取らぬ。市場は自由だ。儲けた分はそなたらのものだ」
最初は誰もが半信半疑だった。だが実際に関所が撤廃され、市場が開かれると、まず行商の小商人たちが恐る恐る集まり始めた。
ノブナは商人たちの前に自ら姿を現し、一人一人に声をかけた。
「何を扱っておる? ほう、南方の香辛料か。それは面白い。需要はあるぞ」
「あんた、本当に伯爵令嬢かい?」
「令嬢が商人と話をしてはならぬ法でもあるのか?」
その飾らない態度が、商人たちの心を掴んだ。
同時に鉱山の再開発も進んだ。ガルドの指揮のもと、鉄鉱石の採掘が再開。その鉄を使って農具や工具が作られ、領内に流通し始めた。
税が軽くなったことで、逃散していた農民の一部が戻ってきた。放棄されていた畑に、少しずつ緑が戻り始める。
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一月後。
城の執務室で、ヘルムートが帳簿を広げてノブナに報告していた。
「市場の利用税収が、撤廃した関所税の三倍に達しました。鉱山からの銀の産出も、まだ本格稼働前ですが、すでに黒字化の目処が立っております」
「うむ」
「それと、城下町に新しく十二軒の商店が開業しました。人口も、先月比で二割増です」
「まだ足りぬ。だが、まずは上々か」
ノブナは窓から城下町を見下ろした。一月前の死んだような町とは、明らかに空気が変わっている。市場には人が行き交い、商人たちの威勢のいい声が聞こえる。
「ヘル」
「はい」
「次は人だ。この領地に必要なのは、有能な人材。商人、職人、学者、兵士。能力ある者を広く集めよ。身分は問わぬ、出身も問わぬと触れを出せ」
「承知しました」
ヘルムートは頭を下げ、それから少し迷ったように口を開いた。
「ノブナ様」
「なんだ」
「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「申せ」
「あなたは……いつから、こんなにも領地経営に明るくいらっしゃったのですか。失礼を承知で申し上げますが、以前のノブナ様は……」
「以前の私は愚かだった。それだけのことだ」
ノブナはそっけなく言ったが、その目はどこか遠くを見ていた。
四百年前の日本。尾張の小さな国から天下を目指した日々。あの経験が、今この異世界で活きている。
「ヘル。そなたには感謝しておる」
「え?」
「あの財政状況で逃げ出さず、この家に残ってくれた。それだけで、そなたの忠義と能力は証明されておる」
ヘルムートの顔が赤くなった。
「い、いえ。私はただ、行く当てがなかっただけで……」
「謙遜するな。私はこれから、もっとそなたに頼ることになる。覚悟しておけ」
「……はい。全力でお仕えいたします」
ヘルムートが去った後、ノブナは一人で呟いた。
「さて。内政はひとまず軌道に乗った。だが、この世界は戦国の世。いつまでも内政だけでは済むまい」
窓の外、西の山脈の向こうには、ヴァルムント王国がある。拡大路線を取る軍事大国。オーデンヴァルトのような弱小領地は、いつ呑み込まれてもおかしくない。
「軍が要る。だが、ただの軍では駄目だ」
ノブナの紅い瞳に、新たな光が宿った。
「この世界の常識を、覆してやろう」
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