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悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
本能寺は二度燃えない

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22/25

本能寺の夜

 それは、深夜のことだった。


 ノイシュタイン城の天守で書物を読んでいたノブナは、ふと顔を上げた。


 音が聞こえる。遠く、微かな――だが、聞き覚えのある音。


 甲冑が擦れ合う音。多くの足が地面を踏む、地鳴り。


「……まさか」


 ノブナは窓に駆け寄った。


 月明かりの下、ノイシュタインの城下に無数の松明が揺れていた。城門へ向かって押し寄せる、何千もの兵。その先頭に翻る軍旗は、見覚えのない紋章だった。


 いや、違う。見覚えがある。旧ヴァルムント王国の旗だ。


 そしてその隣に、もう一つの旗。聖エクレシア教国の――旧強硬派の紋章。


「ノブナ様ッ!」


 階段を駆け上がる音。フリードリヒが鎧姿で飛び込んできた。老騎士の顔には、驚愕と焦燥が浮かんでいる。


「敵襲です! 城門の前に大軍が――旧ヴァルムントの残存兵と、聖エクレシアの武装修道士! 数は五千から六千!」


「率いているのは誰だ」


「……エルヴィン殿です」


 ノブナの紅い瞳が、一瞬だけ揺れた。


 だが、すぐに静まった。


「そうか」


 その声に動揺はなかった。予期していたかのような、静かな受容。


「城内の兵力は」


「親衛隊二百。城詰めの衛兵が百。合わせて三百です。ヘルムート殿が出立時に兵の大半を護衛に連れて行きましたので」


「三百か。本能寺の百人よりはましだな」


「は?」


「いや。何でもない」


---


 ノイシュタイン城の一階大広間。


 ノブナが降りてきた時、すでにガルドが駆けつけていた。


「令嬢様! 大変ですぜ! 城門の外に敵が――」


「知っている。ガルド、砲兵は使えるか」


「砲台に三丁だけ残してありやす。弾も少ねえ。正直、五千を相手にするにゃあ」


「フリードリヒ。城門はどれくらい持つ」


「石造りですから、破城槌でも半日は耐えましょう。ですが、城壁を越えられれば」


「分かった」


 ノブナは瞑目した。


 頭の中で、前世の記憶が再生される。


 天正十年六月二日。本能寺。


 明智光秀の一万三千が寺を囲んだ。信長の手勢は百に満たなかった。逃げ道はなく、援軍の当てもなく、炎の中で「是非もなし」と呟いて死んだ。


 今、状況は酷似している。


 忠臣と頼む者が兵を率いて襲来し、主君の城を囲んでいる。手勢は寡少。宰相は遠方。


 だが――決定的に違うことが一つある。


「ガルド」


「へい」


「坑道だ。昨日、確認してくれたな」


 ガルドの目が光った。


「もちろんでさあ。いつでも通れやす。城の地下から山の裏手まで、一本道で抜けられやすよ」


「よし。万が一の備えが、万が一ではなくなった」


 ノブナは大広間を見渡した。三百の兵たちが、不安に満ちた顔でこちらを見ている。


 夜襲。大軍。寡兵。


 兵たちの恐怖は当然だ。だがノブナの胸には、不思議な静けさがあった。


 前世を含めれば、これは二度目の本能寺。


 一度目は、何も知らず、何も備えず、一人で死んだ。


 二度目は、すべてを知り、備え、仲間がいる。


「聞け、皆の者」


 ノブナの声が、大広間に響いた。


「城を囲んでいるのは、エルヴィンだ。我が家臣。かつて我が旗の下に馳せ参じた男が、今は反旗を翻している」


 兵たちの間にざわめきが走った。


「だが、慌てるな。この城は堅い。城門は半日は持つ。そして我々には、切り札がある。詳しくは追って伝える。今は、己の持ち場を守れ。私がここにいる限り、この城は落ちぬ」


 兵たちの表情が変わった。恐怖が薄れ、覚悟が浮かぶ。ノブナの声には、いつだってそういう力があった。


---


 城壁の上。


 松明の海が、ノイシュタインの城を取り囲んでいた。


 その中央に、一騎の男が進み出た。


 エルヴィン。


 月明かりに照らされた端正な顔は、苦渋に歪んでいた。だがその瞳には、迷いのない決意が宿っている。


「ノブナ・オーデンヴァルト!」


 声が夜の城壁に響いた。


「私はエルヴィン。あなたに忠誠を誓い、あなたの理念に命を懸けた者です。だが、あなたの覇道はもう看過できない」


 城壁の上から、ノブナが姿を現した。銀髪が夜風になびく。


「エルヴィン。やはり、そなたか」


「ノブナ様。恨みで挙兵したのではありません。あなたは力で大陸を一つにした。恐怖で人を従わせた。それは、あなた自身が掲げた理念に反しています」


「理念か」


「身分ではなく能力で人を評価する。力ではなく信頼で人を導く。それがあなたの旗印だったはずです。アイゼンで七千を殺し、ノイシュタインに君臨するあなたは、もはや信頼の統治者ではない。征服者です」


 ノブナは黙って聞いていた。


 その言葉に、嘘はなかった。エルヴィンは本気だ。私怨ではなく、理想のために刃を向けている。


 前世の光秀も、そうだったのかもしれない。


「エルヴィン。聞くが、そなたの兵は何者だ。旧ヴァルムントの残存兵。聖エクレシアの旧強硬派。そなたの理想を共有する者たちか。それとも、ただ私を倒したいだけの者たちか」


 エルヴィンが一瞬、言葉に詰まった。


「……彼らにも、それぞれの正義があります」


「正義か。では問おう。そなたが私を倒した後、この大陸はどうなる。帝国は。教国は。旧ヴァルムントの領主たちは。民は。そなたに、それを束ねる力があるのか」


 沈黙。


「エルヴィン。そなたの理想は正しい。だが、理想だけでは世は治まらぬ。私がいなくなれば、この大陸は再び群雄割拠に戻る。そなたはそれでよいのか」


「……それでも。間違ったやり方で統一された世界に、意味はない」


「ならば仕方がない」


 ノブナの声が変わった。冷たく、しかし悲しみを帯びた声。


「来るがよい、エルヴィン。だが覚えておけ。私は死なぬ。今度は、死なぬ」


---


 攻撃が始まった。


 城門に破城槌が打ち付けられる轟音が、城全体を揺らした。同時に、城壁の四方から梯子が掛けられる。


「砲兵、城壁に取りつく敵を撃て!」


 ガルドが砲台から魔導砲を放つ。轟音と閃光が夜を裂き、梯子ごと兵が吹き飛ばされる。だが三丁しかない。装填にも時間がかかる。その間に、次々と新たな梯子が掛けられた。


「フリードリヒ! 西壁が危ない!」


「任されよ!」


 老騎士が親衛隊を率いて西壁に駆けつけた。城壁を乗り越えようとする敵兵を、剣で叩き落とす。七十を超える老体とは思えぬ剣捌きが、城壁の上で閃く。


「この城は、ノブナ様のものだ! 一歩たりとも入れぬ!」


 だが、数の差は如何ともし難かった。


 三百で五千を相手にしている。城壁は長く、守る兵は少ない。一箇所を押し返しても、別の場所から敵が攻めてくる。


 時間が経つにつれ、守備隊の疲弊が目に見えて進んでいった。


---


 午前二時を過ぎた頃。


 ノブナは天守から戦況を見下ろしていた。


 城壁の三箇所で敵兵が侵入を試みている。フリードリヒとガルドが必死に食い止めているが、限界は近い。


 そして――城の東側から、火の手が上がった。


 エルヴィンの別動隊が、火矢を城の建物に撃ち込んだのだ。乾いた木材に火が移り、たちまち炎が広がっていく。


 熱波が肌を叩いた。乾いた木が爆ぜる音。煙が喉の奥を焼き、涙が滲む。


 この匂い。焦げた木と、灰と、熱に歪む空気の匂い。四百年前に嗅いだものと、同じだ。


 ノブナの瞳に、炎が映った。


「また、炎か」


 その呟きに、前世の記憶が重なった。


 本能寺の炎。梁が崩れ落ちる音。畳を這う炎。煙に塞がれる視界。


 あの時と、同じだ。


 城が燃えている。外には大軍。逃げ場はない。


 ――いや。


「同じではない」


 ノブナは目を開いた。紅い瞳に、揺るぎない光が灯る。


 前世の信長には、逃げ道がなかった。仲間もいなかった。一人で死ぬしかなかった。


 だが今は違う。


 坑道がある。ガルドが用意してくれた。

 フリードリヒがいる。命を賭けて守ってくれている。

 ヘルムートがいる。遠くにいても、必ず駆けつける。


「是非もなし、などと言ってたまるか」


 ノブナは天守を降りた。


---


 大広間に戻ると、フリードリヒとガルドが待っていた。


 二人とも血と煤にまみれている。フリードリヒの鎧には刃傷がいくつも刻まれ、ガルドの腕には矢傷が巻かれていた。


「ノブナ様。城門が持ちこたえられるのは、あと一刻ほどです」


 フリードリヒが報告した。


「東の建物から火が回っています。このままでは天守にも――」


「分かっている。ここで告げる。ガルド」


「へい」


「坑道だ。全員を城の地下に集めろ。坑道を通って、山の裏手に抜ける」


 ガルドがにやりと笑った。


「待ってやしたぜ、その言葉! あっしの坑道、今度も令嬢様を救いやす!」


 フリードリヒが表情を引き締めた。


「しかし、全員が脱出するには時間がかかります。敵が城内に入れば、地下への入り口を見つけられる可能性も」


「ああ。だから、退路を守る者が要る」


 ノブナがフリードリヒを見た。フリードリヒもノブナを見た。


 老騎士は、すべてを理解した。


「ノブナ様。その役目は、私に」


「フリードリヒ。無理は言わぬ。だが――」


「無理ではありません」


 フリードリヒは跪いた。


「この老骨が最後まで役に立てるなら、本望です。ノブナ様。あなたに仕えた日々は、私の誇りでした」


「馬鹿を言うな。最後などと。生きて戻れ、フリードリヒ。それは命令だ」


「……承知しました。命令とあらば、生きて戻ります」


 だが、二人ともわかっていた。五十の兵で五千を足止めして、生還できる見込みは限りなく薄い。


「ノブナ様」フリードリヒが立ち上がった。「走ってくだされ。あなたが生きていれば、この大陸には希望がある」


---


 城の地下。


 ガルドが先導し、ノブナと残りの兵たちが坑道に入った。


 石を切り出した鉱山跡の坑道は、暗く、狭く、冷たかった。松明の灯りに照らされた岩肌が水滴を伝わせている。靴底が濡れた石を踏む音が、狭い空間に反響する。地上の熱がここまでは届かず、吐く息が白い。


 背後から、地上の喧騒が微かに聞こえていた。剣戟の音。怒号。そして、鋼と鋼がぶつかる甲高い音。フリードリヒが、まだ戦っている。


 ノブナは一度だけ振り返った。


 坑道の入り口の向こうに、炎に照らされた城の廊下が見えた。


 ノイシュタイン城。安土城に代わる、天下の中心。


 それが今、燃えている。


 前世の安土も、本能寺の変の後に燃えた。信長が死んだ後、安土の天主閣は炎に呑まれた。


「また、繰り返すのか」


 ノブナの拳が握り締められた。


「いいや。繰り返さぬ。城は燃えても、私は燃えぬ。そして城は、また建てればよい」


 ガルドが振り返った。


「令嬢様。急ぎやしょう。坑道を抜ければ、山の向こう側に出られやす。あとは――」


「ああ。あとは、取り返す」


 ノブナは前を向いた。暗い坑道の先に、まだ見えぬ出口がある。


---


 地上では、フリードリヒが城門の前に立っていた。


 背後では天守に火が回り始めている。前には、城門を打ち破って侵入してきた敵兵の大群。


 親衛隊五十が、フリードリヒの周囲に残っていた。他の兵は、ノブナと共に坑道に入った。


「来るか」


 老騎士は剣を構えた。


 七十年の生涯で鍛え上げた剣技。最後にそれを使う時が来た。


「親衛隊、構え! これより我々は、ノブナ様が城を脱するまでの時間を稼ぐ! 一歩も退くな! 退けば、令嬢様の命が危うい!」


「「「応ッ!」」」


 五十の声が、燃える城に響いた。


 エルヴィンの兵が大広間になだれ込んできた。先頭の兵士がフリードリヒの前に立ちはだかる。


 老騎士の剣が閃いた。一人目の兵士が倒れる。二人目。三人目。


 七十年の技は、いまだ衰えていなかった。


「ノブナ様に仕えて五年。その前は先代に仕えて四十年。この老いぼれの剣は、オーデンヴァルトの盾だ!」


 親衛隊が大広間の入り口に壁を作り、敵の侵入を阻んだ。狭い入り口では数の差が圧縮される。


 かつてアイゼン渓谷でノブナが用いた戦術を、フリードリヒは最小の規模で再現していた。


---


 エルヴィンは城内に入り、燃え広がる炎の中を進んでいた。


「ノブナ様はどこだ!」


「大広間に老騎士が立て籠もっています! おそらく、ノブナ殿はその奥に――」


「フリードリヒ殿か」


 エルヴィンの表情が歪んだ。あの忠義の老騎士が最後尾の守りを務めているということは、ノブナは逃げようとしている。


「殺すな。フリードリヒ殿も、ノブナ様も。捕らえろ。命は奪うな」


「はっ」


 エルヴィンの命令は明確だった。


 エルヴィンが望んでいるのは、ノブナの死ではない。覇道の停止だ。ノブナを捕らえ、その力を封じ、大陸を対話による新秩序に移行させる。


 それがエルヴィンの理想だった。


 だが、戦場は理想通りにはいかない。


 旧ヴァルムントの兵たちは、アイゼンの恨みを忘れていない。聖エクレシアの旧強硬派は、信仰の権威を取り戻したい。彼らにとってノブナは、倒すべき敵だ。


 エルヴィンは、そのことに気づいていた。だが気づきながらも、彼らの力を借りなければ挙兵はできなかった。


 理想と現実の狭間。ノブナがずっと歩いてきた道を、エルヴィンもまた歩いている。


---


 坑道を抜けるのに、半刻かかった。


 山の裏手に出たノブナとガルド、そして二百五十名の兵たちは、冷たい夜気に包まれた。


 振り返れば、山の向こうにノイシュタイン城の炎が空を赤く染めている。


 ノブナは立ち止まり、その炎を見つめた。


「……安土も、こうして燃えたのだろうな」


「令嬢様?」


「いや。ガルド。感謝する。そなたの坑道が、また私を救った」


「へへ。あっしの坑道は大陸一でさあ。渓谷の時と同じでやんしょ? 令嬢様が知恵を出して、あっしが穴を掘る。最強の組み合わせでさあ」


 ノブナは微かに笑った。


「フリードリヒは……」


 振り返る。城の炎は、まだ燃えている。


「あの爺さんなら大丈夫でさあ。しぶとい人ですからね」


 ガルドの声は、少し震えていた。


 ノブナは炎から目を逸らし、前を向いた。


「行くぞ。まず安全な場所に移動する。そして――ヘルムートに連絡を取る」


「連絡って、どうやって」


「ローザの情報網だ。商人の伝書鳩は、どんな軍馬より速い」


 ノブナは歩き始めた。


 背後の炎が、銀髪を赤く染めている。


 前世では、この炎が最後の景色だった。


 だが今は、まだ続く。物語は、ここで終わらない。


「ヘル。待っていろ。必ず取り返す」


 ノブナの瞳に宿る光は、炎よりも強かった。


読んでくださりありがとうございます。

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