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悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
決戦――覇王の長槍

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18/24

長篠は異世界にもある

 夜明け前。


 アイゼン平野に、冷たい霧が立ちこめていた。


 ノブナは指揮台の上で、地平線を見つめていた。霧の向こうに、ヴォルフの軍勢が布陣している。篝火の赤い光が、霧を通して無数に揺れていた。


「二万五千の篝火か。壮観だな」


「壮観、ですか」ヘルムートが隣で震えた。寒さではなく、緊張で。


「前世で、関ヶ原の霧を思い出す」


「前世?」


「いや、何でもない。各部隊の状態は」


「長槍兵、配置完了。砲台、装填完了。騎兵、待機中。遊軍、待機中。治癒部隊、準備完了。全軍、戦闘態勢です」


「よし。夜が明けたら、始まる」


---


 夜明け。


 霧が薄れ始めた瞬間、地平線が動いた。


 ヴォルフ軍の中央から、重装騎兵の突撃が始まった。


 大地が揺れる。数千の馬蹄が地面を叩き、鎧が軋み、槍の穂先が朝日を反射して煌めく。先頭に立つのは、漆黒の鎧を纏った将軍。ヴォルフ・シュヴァルツ。


「来たか。正面突破。ヴォルフらしい」


 ノブナは冷静だった。


「全軍に通達。計画通りに動け。砲兵、射撃準備。ガルド、射程に入ったら合図を出せ」


 敵騎兵が三百歩の地点を越えた。二百五十歩。二百歩。


 ガルドが砲台の上で叫んだ。


「射程に入りやした! 令嬢様!」


「まだだ。引きつけろ」


 百五十歩。百歩。騎兵の顔が見える距離。


「撃て!」


 五十丁の魔導砲が一斉に火を吹いた。


 轟音が平原を引き裂いた。白煙が立ちのぼり、魔力を帯びた弾丸が騎兵の隊列に襲いかかる。


 先頭の騎兵が弾け飛んだ。馬が悲鳴を上げ、倒れ、後続の騎兵を巻き込む。第一波の突撃が、一瞬で崩された。


「装填! 第二班、前へ!」


 ガルドの号令。撃ち終えた砲兵が後退し、装填を終えた第二班が砲台に着く。


 三段撃ち。


 切れ目のない射撃が、ヴォルフ軍の騎兵を次々と薙ぎ倒していく。


---


 ヴォルフは、先頭集団の崩壊を見た。


「何だ、あれは」


 轟音と白煙。見たこともない兵器が、味方の騎兵を遠距離から撃ち倒している。弓でも魔法でもない。もっと速く、もっと致命的な何か。


「将軍! 先鋒が壊滅しました! 第二陣を」


「第二陣を正面に回すな。左翼から迂回させろ。あの兵器の射角の外に出る」


 ヴォルフの判断は素早かった。正面突破が通じないなら、側面に回る。


 だが、左翼にはフリードリヒの騎兵が待ち構えていた。


「フリードリヒ隊長! 敵騎兵が左翼に回り込もうとしています!」


「見えている。全騎兵、迎撃に出る! 我が騎兵の意地を見せよ!」


 連合軍の騎兵五百が、ヴォルフ軍の迂回部隊と激突した。数では劣るが、フリードリヒの騎兵はこの日のために鍛え抜かれていた。


 一方、ヴォルフは右翼にも別動隊を送った。


 エルヴィンの遊軍が、それを阻止した。


「右翼に敵影! 数、約三千!」


「予想通りだ。陣を構えろ。ここは通さぬ」


 エルヴィンは冷静に指揮した。三千の兵で右翼を塞ぎ、ヴォルフ軍の迂回を許さない。


---


 正面では、ヴォルフが再び突撃を命じた。


 今度は自らが先頭に立った。


 漆黒の鎧が、朝日の中を疾走する。背後に従うのは、ヴァルムントの精鋭中の精鋭。ヴォルフの直属騎兵隊、五百騎。


「柵を越えろ! あの砲を潰せ!」


 三重柵に突撃が殺到した。第一の柵を、馬の勢いで突破する騎兵がいる。だが第二の柵で足が止まり、その隙に魔導砲の射撃が襲う。


 それでもヴォルフは止まらなかった。


 第二の柵も突き破った。馬が倒れれば、降りて走る。鎧に弾丸が当たり、火花が散る。それでも前に進む。


「将軍! 危険です! お戻りください!」


「退くか。この期に及んで、退けと言うのか」


 ヴォルフの目に、狂気にも似た炎が燃えていた。


 だがそれは狂気ではない。武人の誇り。正面から打ち破ることでしか、この戦いに意味はないという信念。


 第三の柵。ヴォルフの剣が柵を叩き斬った。


 その向こうに、塹壕の中の長槍兵がいた。


「長槍構え!」


 無数の槍が、ヴォルフに向けて突き出される。


 だがヴォルフは槍の合間を縫い、剣を振るった。一人、二人。長槍兵が倒れる。ヴォルフ一人のために、陣地の一角が混乱に陥った。


 崩れかけた槍衾の中で、一人の若い兵が踏みとどまっていた。マルティン。渓谷戦から生き残った志願兵。あの時ノブナに名前を呼ばれた男だ。隣の仲間が倒れても、震える腕で槍を構え直し、退かなかった。


---


 ノブナは指揮台から、その光景を見ていた。


「……あの男。第三柵まで一人で突破したのか」


 畏怖に近い感情が胸を過ぎった。


 武田信玄。いや、武田勝頼か。長篠の設楽原に、鉄砲の弾雨を浴びながら突撃した武田の騎馬軍団。その魂が、ヴォルフの中に生きている。


「砲兵に通達。第三砲台、射角を下げろ。柵の内側に入った敵を狙え」


「味方に当たりませんか」


「長槍兵は退避させろ。砲で止める」


 魔導砲の咆哮が、再び轟いた。柵の内側に踏み込んだヴォルフの精鋭騎兵が、至近距離の砲撃で吹き飛ばされる。


 ヴォルフ自身にも、弾丸が命中した。


 左肩を貫かれ、血が噴き出る。だがヴォルフは膝をつかなかった。


---


 戦場の中央。


 ヴォルフは血に塗れたまま立っていた。周囲に味方はもういない。精鋭五百騎のほとんどが倒れている。


 目の前には、三重柵の向こうの指揮台。そこに立つ銀髪の令嬢の姿が見えた。


「ノブナ・オーデンヴァルト」


 ヴォルフは呟いた。


「見事だ」


 背後で、ヴォルフ軍の敗走が始まっていた。中央の突撃が粉砕され、左翼はフリードリヒに、右翼はエルヴィンに阻止された。統制を失った二万五千は、総崩れに陥った。


 だがヴォルフは退かなかった。


 剣を杖にして立ち上がり、指揮台に向かって歩き始めた。


「将軍! 退却してください!」


 部下の叫びが聞こえる。だがヴォルフは振り返らなかった。


「俺は、退かない。退いて何になる。勝てない戦に命を賭ける。それが武人だ」


 数歩。もう数歩。


 長槍兵が道を塞いだ。だが、ノブナが手を上げた。


「道を開けろ」


「ノブナ様!?」


「道を開けろ。あの男には、それだけの敬意を払う価値がある」


 長槍兵が左右に退いた。


 ヴォルフが、指揮台の前に立った。


 血に染まった漆黒の鎧。折れかけた剣。だがその目だけは、まだ燃えていた。


「ノブナ・オーデンヴァルト」


「ヴォルフ・シュヴァルツ」


「俺の負けだ。認めよう。お前は強い。この大陸で、俺が認める唯一の相手だ」


「そなたもだ。あの突撃は、生涯忘れぬ」


 ヴォルフは笑った。武人の、晴れやかな笑み。


「一つだけ、頼みがある」


「何だ」


「俺を殺せ。捕虜にはするな。武人として死なせてくれ」


 ノブナは静かに首を振った。


「投降せよ、ヴォルフ。そなたほどの男を、ここで失うのは惜しい」


「ノブナ。お前の理想は素晴らしい。だが、俺にはお前の旗の下で生きることはできん。俺は俺の道を歩んだ。それだけだ」


 ヴォルフは最後の力で剣を構えた。


「もう少し早く出会っていればな。お前の家臣に、なれたかもしれん」


 ノブナの紅い瞳が、揺れた。


「……私も、同じことを思っていた」


 ヴォルフが突進した。最後の一撃。


 長槍兵の槍が、ヴォルフの胸を貫いた。


 大陸最強の武人が、膝をつき、そして倒れた。


---


 戦場に静寂が降りた。


 ヴォルフ軍は壊走し、平原には無数の遺体が残された。連合軍の死者は八百。ヴォルフ軍の死者は七千を超えた。


 ノブナは指揮台を降り、ヴォルフの遺体の前に立った。


「武人の最期を、目に焼き付けた。そなたの魂は、忘れぬ」


 深く頭を下げた。


 それから、ノブナは平原を歩いた。


 担架で運ばれていく味方の兵。呻き声。治癒部隊の修道士たちが駆け回っている。その中に、見覚えのある顔があった。


「……マルティン」


 志願兵の一人。第一部隊の槍兵。領地改革の直後に志願してきた若者で、名前を覚えていた。胸に深い傷を負い、血に塗れた顔で薄く目を開けた。


「れい……じょう、さま」


「喋るな。治癒部隊が来る」


「名前を……覚えて、くださって……」


 ノブナはその手を握った。冷たかった。


 マルティンは微かに笑い、そして目を閉じた。


 ノブナは立ち上がり、血に染まった平原を見渡した。


 前世では、こういう顔を見ずに済んだ。大将は指揮台にいればよかった。兵は数だった。駒だった。だが、この身体は――この令嬢の目は、一人一人の顔を覚えてしまう。名前を呼んでしまう。


 それが覇王にとって弱さなのか、強さなのか。今はわからない。


 背後で、エルヴィンが立ち尽くしていた。


 血に染まった平原。折れた柵。散乱する武具と遺体。魔導砲の残り香が、硝煙のように漂っている。


 七千の敵兵が死んだ。八百の味方も死んだ。


 勝利だ。圧倒的な勝利だ。


 だがエルヴィンの目には、勝利の輝きは映っていなかった。


「これが……天下統一の代償か」


 誰にも聞こえない声で、エルヴィンは呟いた。


---


――大陸史上最大の会戦「アイゼン平野の戦い」。オーデンヴァルト連合、圧勝――


読んでくださりありがとうございます。

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