安土は異世界にもある
戦いの翌夜。ノブナは一人、執務室で書類を読んでいた。
戦死者名簿。連合軍八百名の名前が、ずらりと並んでいる。
「ノブナ様。もうお休みください。それは明日でも――」
「全員の名を知る義務がある。名前も知らぬまま死なせたとは、言いたくない」
ヘルムートは何も言えなかった。名簿を繰るノブナの指が、時折止まる。知っている名前に当たったのだ。マルティン。訓練の時に長槍を上手く扱えず、ノブナ自身が手本を見せた青年。
一ページ、また一ページ。最後の名前を読み終えた時、夜は白み始めていた。
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アイゼン平野の戦いから一月。
ヴァルムント王国は事実上の崩壊を迎えた。
将軍ヴォルフの戦死と主力軍の壊滅は、王国の威信を根底から揺さぶった。国王は戦意を喪失し、残存兵力も散り散りになった。ノブナが大軍を送り込むまでもなく、ヴァルムントの諸侯が次々と連合への帰順を申し出てきた。
「ヴァルムント王国の十二領主のうち、九領主が帰順の意思を表明しています」
ヘルムートが報告した。
「残る三領主は」
「国王直属の近衛領主たちです。まだ抵抗の姿勢を見せていますが、兵力はわずか。時間の問題かと」
「無理に攻めるな。降伏を待て。これ以上の流血は不要だ」
ノブナの声は静かだった。
アイゼン平野の戦いの勝利は圧倒的だった。だが、その代償も大きかった。連合軍の死者八百。ヴォルフ軍の死者七千超。一万近い命が、たった一日で消えた。
ヴォルフの遺体は、ノブナの命で丁重に弔われた。武人にふさわしい墓碑が建てられ、その碑文にはこう刻まれた。
「大陸最強の武人、ここに眠る。その魂の気高さを、敵すら称えん」
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「ノブナ様。クラウス殿下から書状が届いています」
ヘルムートが差し出した書状を、ノブナは開いた。
「帝国は正式にヴァルムント王国との和平交渉に入る。帝国の仲介により、ヴァルムントの残存勢力を穏便に吸収する方針だ。また、大陸の新秩序について協議するため、諸侯会議の開催を提案する、と」
「諸侯会議か」
「ノブナ様が主導する新秩序の枠組みを作る場です。帝国も教国も、もはやノブナ様の力を無視できない。事実上、大陸の覇権を認めた形です」
事実上の天下統一。
ノブナの胸に、複雑な感情が渦巻いた。
前世の信長は、ここまで辿り着けなかった。本能寺の炎に阻まれ、天下統一の夢は半ばで潰えた。
だが今、この世界で。
「まだ、終わってはいない」
「え?」
「天下を獲ることと、天下を治めることは別だ。獲るのは半ば過ぎた。だが、治めるための器が必要だ」
ノブナは地図を広げた。大陸の中央。帝都ライゼンハウプトと連合領の中間に位置する、広大な平野。
「ここに、城を建てる」
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新城の建設が発表された。
場所は大陸の中央、帝国と連合領の境界に近い丘陵地帯。東西南北のどこからでもアクセスしやすく、交易路の結節点でもある。
「安土は異世界にもある、か」
ノブナは独りで呟いた。
安土城。信長が天下人の居城として築いた、壮麗なる城。天主閣から琵琶湖を見渡し、天下の中心に立つことを宣言した城。
今度は、もっと大きなものを作る。城であり、都市であり、新秩序の象徴。
「名は何としますか」
ヘルムートが訊ねた。
「ノイシュタイン。新しい石という意味だ。新しい時代の、新しい礎」
「……天守の窓は東向きがよいな。朝日が差す。眺望も確保できる。それから、庭園には水路を引いて――」
「ノブナ様。それは城の設計ですか、それとも令嬢のお屋敷の話ですか」
「両方だ。天下人の城は美しくなければならぬ」
ヘルムートはもう何も言わなかった。この方が城に異常なこだわりを見せるのは、今に始まったことではない。
建設にはガルドの鉱山から切り出した石材が使われ、ローザの商人ネットワークで大陸中から職人が集められた。帝国からも聖エクレシアからも、技術者が派遣されてきた。
それは、ノブナの権威が大陸全体に及んでいることの証だった。
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新城の建設が進む中、エルヴィンがノブナの仮設の執務室を訪れた。
「ノブナ様。お時間をいただけますか」
「何だ」
エルヴィンの表情は硬かった。いつもの端正な顔に、深い苦悩の色がにじんでいる。
「アイゼン平野の戦い以来、考えていたことがあります」
「聞こう」
「あの戦いで、七千を超える敵兵が死にました。我々も八百を失いました。合わせて八千近い命です」
「知っている」
「その後、ヴァルムントの諸侯が次々と帰順しています。戦わずして降伏する者もいます。これは、アイゼンでの圧倒的な勝利を見て、恐怖から降伏しているのではありませんか」
ノブナはエルヴィンの目を見た。
「そうだ。恐怖も一つの要因だろう。だが、それだけではない。我々の統治が、ヴァルムントの旧体制よりも優れていることを、彼らは理解している」
「理解して降伏しているのではなく、恐怖で降伏しているのです。これは統一ではない。征服です」
ノブナの紅い瞳が、わずかに細まった。
「エルヴィン。率直だな」
「申し訳ありません。ですが、黙っていられません」
「謝る必要はない。そなたの懸念は、常に傾聴に値する」
ノブナは椅子から立ち上がった。
「だが、一つ問おう。ヴォルフが攻めてきた時、戦わずに降伏すべきだったか。民を見捨てて、平和のために逃げるべきだったか」
「そうは言いません。あの戦いは避けられなかった。ですが――」
「その先だ。そなたが問題にしているのは。戦いの後のことだろう」
「はい。戦いに勝った後の振る舞いです。我々は勝者として、どう振る舞うべきか。恐怖で従わせるのか。それとも、理念で導くのか」
ノブナは窓の外を見た。建設中の新城ノイシュタインが、骨組みを空に向けて伸ばしている。
「そなたの言うことは正しい。恐怖による統治は長続きしない。だが現実として、この大陸を一つにまとめるには、力が必要だった。力を使わずに済む世界は、力で作らねばならない。矛盾しているが、それが現実だ」
「穏やかな方法は、本当になかったのですか」
「穏やかな方法で天下が治まるなら、戦国の世など来ぬ」
エルヴィンは黙り込んだ。
ノブナの論理は正しい。正しいが、エルヴィンの理想とは合わない。
「……承知しました」
エルヴィンは頭を下げて退出した。
ノブナは一人になった執務室で、天井を見上げた。
「……エルヴィン。そなたの正しさは、私にはない種類の正しさだ」
前世でも、同じことがあった。
明智光秀。理想主義者。信長のやり方に異を唱え続けた知将。
あの時、信長はその声に耳を傾けなかった。
結果が、本能寺だった。
「今度は、聞く。聞いた上で、それでも進む」
だが、聞くことと、受け入れることは違う。
エルヴィンが正しいのかもしれない、という可能性を、今は認めるわけにいかない。認めた瞬間、これまで流れた血が無駄になる。八千の命が、ただの犠牲になる。
だが――それは信念か。意地か。
ノブナにはノブナの覚悟がある。天下を統べるために、背負わねばならぬ業がある。それは、誰にも代わってもらえない。
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新城ノイシュタインの建設は順調に進んだ。
三ヶ月で基礎が完成し、城壁の建設が始まった。同時に城下町の区画整理も進められ、自由市場の設置、職人街の建設、学校の開設が計画された。
「オーデンヴァルトの楽市楽座を、さらに大規模にした形ですね」
ヘルムートが設計図を見ながら言った。
「そうだ。この城は、軍事拠点ではない。統治の中心だ。ここから大陸全体の行政を動かす」
「すべての道がノイシュタインに通じる、ですか」
「大袈裟だが、そういうことだ」
連合評議会の拠点もノイシュタインに移される。ヘルムートが制度設計を進め、各領地の代表者が定期的に集まる仕組みが整えられた。
ノブナの権威は、もはや誰にも否定できないものになっていた。
聖エクレシア教国も、穏健派の指導のもとでノブナとの和平に傾いている。リーゼロッテの尽力が大きかった。
帝国のクラウスは、帝国軍の再編と内政改革に専念しながら、ノブナとの同盟を基軸に大陸秩序の再建を進めている。
大陸は、新しい時代を迎えようとしていた。
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だが、すべてが順調なわけではなかった。
ある夜。フリードリヒがノブナの元を訪れた。
「ノブナ様。一つ、ご報告が」
「何だ」
「エルヴィン殿のことです」
ノブナの表情が引き締まった。
「最近、エルヴィン殿が独自に旧ヴァルムントの領主たちと接触しているとの情報があります。表向きは戦後処理の協議ですが、密会の形を取っていることが気になります」
「……そうか」
「私の気のせいかもしれません。エルヴィン殿は誠実な方です。ですが、万が一のことを考えて」
「フリードリヒ。そなたの忠告は、常にありがたい。だが、エルヴィンのことは私が見る。そなたは心配しなくてよい」
フリードリヒは頭を下げて去った。
ノブナは一人で、夜の闇を見つめた。
エルヴィンが密かに動いている。
それは裏切りの兆候か。あるいは、ただの戦後処理の延長か。
前世の記憶が、警鐘を鳴らしている。
だがノブナは、まだ信じようとしていた。
「エルヴィン。私は、そなたを信じたい」
夜風が、銀髪を揺らした。
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