上洛は異世界でも命懸けである
オーデンヴァルト連合の発足から三月。
ノブナの予想通り、平穏は長くは続かなかった。
「ノブナ様。帝都より急使です」
ヘルムートが執務室に駆け込んできたのは、深夜のことだった。手には封蝋の施された書状。ライゼン帝国の紋章――双頭の鷲が刻まれている。
「クラウスからか」
「はい。最高位の封蝋です。極秘扱いの」
ノブナは封蝋を切り、書状に目を通した。
読み進めるにつれて、紅い瞳が細まっていく。
「……皇帝が倒れた」
「なんと」
「病臥して一月。回復の見込みは薄い。宰相カールハインツが摂政の座を狙い、保守派貴族を糾合している。クラウスの改革派は押され、皇位継承も危うい」
ノブナは書状を置いて窓の外を見た。暗い山々の向こうに、帝都ライゼンハウプトがある。
「さらに厄介なことが書いてある。聖エクレシア教国の枢機卿が帝都に使節を送り込んでいるらしい。教国は、次の皇帝を自分たちに都合のいい人物にしたいようだ」
「帝国と教国が手を結ぶのですか」
「カールハインツと教国の思惑が一致している、というだけだ。だが、放置すれば帝国は保守派と教国の傀儡になる。クラウスが失脚すれば、我々の暫定同盟も無効だ」
ヘルムートの顔が青ざめた。連合の後ろ盾を失うということは、周辺諸侯にとって「ノブナを攻める口実」が復活するのと同義だ。
「……クラウスは何と」
「『帝都に来てほしい』と。率直な書き方だな、あの男にしては」
ノブナは椅子から立ち上がった。
「上洛だ」
「じょう……らく?」
「帝都に入る。今がその時だ」
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翌朝。軍議が招集された。
シュタインベルク城の大広間に、連合の幹部が集まる。ヘルムート、エルヴィン、フリードリヒ、ローザ。そしてガルドも列席している。
「皆に伝える。私は帝都ライゼンハウプトに向かう」
沈黙が降りた。
「帝国の皇帝が病に倒れ、権力の空白が生まれている。皇太子クラウスから支援の要請があった。この機を逃せば、帝国は保守派の手に落ち、我々は後ろ盾を失う」
「しかし」
フリードリヒが重い声を出した。
「連合が発足してまだ三月です。足場が固まりきっていない段階で、盟主が領地を離れるのは」
「だからこそ行く。今行かねば、二度と好機は訪れぬ」
ノブナの声には、有無を言わさぬ力があった。
「信長が――いや。天下を見据える者は、機を逃さぬ。帝都の権力構造に我々が食い込めれば、連合の地位は盤石になる。逆に、帝国が保守派に支配されれば、いずれ我々は潰される」
ふと、窓の外に目をやった。初秋の庭に、見慣れぬ白い花が咲いている。
「……あの花は何だ。帝都にもあるなら、帰りに一株持ち帰りたいのだが」
「ノブナ様。今は花の話ではなく」
「うむ。すまぬ。続けよ」
覇王の顔と令嬢の顔が、この方の中には同居している。家臣たちはもう慣れたが、初対面の者は間違いなく面食らうだろう。
エルヴィンが手を挙げた。
「軍勢はどの程度、帯同されますか」
「精鋭三百。それ以上は連れて行けぬ。帝都への大軍の移動は、諸侯を刺激する」
「三百で帝都に乗り込むのですか」
フリードリヒの眉が寄った。
「帝都の守備兵だけで数千。万が一のことがあれば」
「万が一のことなど起こさせぬ。これは戦ではない。政治だ」
ノブナはエルヴィンに向き直った。
「エルヴィン。留守を任せる」
エルヴィンが目を見開いた。
「私に、ですか」
「連合の軍事と行政。そなたなら両方を見渡せる。フリードリヒには軍の実務を、ガルドには鉱山の管理を引き続き頼む。ヘルは私と共に帝都に向かう」
「ノブナ様」
エルヴィンは深く頭を下げた。
「必ずやお任せを果たします。連合は、私の命に代えてもお守りします」
「大げさだな。命は大事にしろ。死んだ者に留守は任せられぬ」
ノブナは軽く笑ったが、その目は真剣だった。
エルヴィンを信じている。その能力も、忠誠も。
だが、胸の奥でかすかな違和感が過ぎった。理由はわからない。前世の記憶が、何かを囁いている気がした。
――信頼した家臣に、留守を任せた。
――そしてその家臣が……。
「ノブナ様?」
「いや、なんでもない」
ノブナは首を振った。今はまだ、その心配をする時ではない。
「ローザ。帝都の情報を集めてくれ。宮廷の派閥、貴族間の力関係、聖エクレシアの動向。すべてだ」
「すでに手は打ってあります」ローザが微笑んだ。「帝都の商人仲間を通じて、かなりの情報が入っています。帝都の政治は、宮廷の裏で動く金の流れを見れば読めますからね」
「さすがだ。道中で詳しく聞かせてくれ」
「私も同行するのですか」
「商人が宮廷に入れば、不自然ではあるまい。商談の名目で帝都に入り、情報網を直接動かしてほしい」
ローザは扇を口元に当てて笑った。
「帝都で商いですか。悪くありませんね。大きな市場は、大きな利益を生みますから」
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出立の朝。
シュタインベルク城の門前に、精鋭三百が整列していた。
ノブナの親衛隊を中心に、騎兵五十、歩兵二百五十。少数だが、いずれも渓谷戦とシュタインベルク攻略を経験した歴戦の兵だ。
「ノブナ様」
フリードリヒが跪いた。
「ご武運を。いや、帝都では武運よりも――」
「知恵と胆力が必要だな。わかっている」
「くれぐれも、お気をつけください。帝都は戦場とは違う意味で危険な場所です」
「案ずるな。悪役令嬢は、社交の場が本来の戦場だ」
ノブナは不敵に笑った。
ガルドも見送りに来ていた。
「令嬢様。帝都のことはよくわかりやせんが、あっしらは留守をしっかり守りやす。鉱山も、新しい坑道の開削が順調でさあ」
「頼んだぞ、ガルド。金は戦の命だ。そなたが稼いだ銀が、帝都での我々の武器になる」
「へへ……あっしの銀が武器になるたぁ、面白い話でさあ」
最後に、エルヴィンが前に出た。
「ノブナ様。改めて申し上げます。連合は、必ずお守りします」
「うむ。そなたを信じている」
ノブナはエルヴィンの肩に手を置いた。
「だが、一つだけ頼みがある。留守の間、何か判断に迷うことがあれば、フリードリヒに相談しろ。そなたの知略とフリードリヒの経験。二つ合わせれば、大抵のことは乗り越えられる」
「承知しました」
ノブナは馬に跨がり、南を見据えた。
帝都ライゼンハウプト。大陸の中心。権力の座。
前世で信長は、足利義昭を奉じて京に上った。名目は幕府の再興。だが真の目的は、天下の中心に立つことだった。
今回も同じだ。名目はクラウスへの支援。だが真の目的は――
「帝都の政治に食い込み、天下への足がかりを作る」
小声の独白は、隣を歩くヘルムートにだけ聞こえた。
「……やはり、最初からそのおつもりだったのですね」
「当然だ。だが、クラウスへの支援も本心だぞ。あの男が潰されれば困る」
「利害の一致、ですね」
「そうとも言う。だが利害だけでは人は動かぬ。信頼もある。少なくとも、私はクラウスの志を認めている」
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七日間の行軍。
連合領を南に抜け、帝国の直轄領を通過する。馬上から振り返ると、オーデンヴァルトの山並みが少しずつ小さくなっていく。あの山々の向こうに、自分が築いたすべてがある。胸の奥がわずかに軋んだ。領地を離れるたび、指の先から何かが零れ落ちるような感覚がある。
信長の時も上洛の時、尾張を振り返っていただろうか。
道中、ローザの情報が次々と入ってきた。
「帝都の現状をまとめますね」
野営の焚き火を囲んで、ローザが報告する。
「まず宰相カールハインツ。七十を超える老獪な政治家です。保守派貴族の筆頭として三十年以上宮廷に君臨している。皇帝が健在だった頃はおとなしくしていましたが、病臥の隙に一気に動き出しました」
「目的は」
「摂政の座。あわよくば、クラウス殿下を廃して別の皇族を傀儡の皇帝に立てること。クラウス殿下の改革路線は、保守派にとって死活問題ですから」
「聖エクレシアは」
「枢機卿アウグスト。教国の実質的指導者です。穏やかな人柄で知られていますが、その裏で教国の政治的影響力を着々と拡大しています。帝都に常駐の使節を送り込み、宮廷貴族への工作を進めています」
「カールハインツと手を結んでいるのか」
「直接の同盟ではありません。ですが、利害が一致する部分が多い。特に、ノブナ様の能力主義は、教国にとっても脅威です。『身分を問わない登用』は、教義が定める秩序を揺るがしかねない」
ノブナは焚き火を見つめた。
「前世でもそうだった。既存の秩序を壊す者は、あらゆる方向から敵を作る」
「ノブナ様……前世とは?」
「……いや、かつて読んだ書物のことだ。気にするな」
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八日目の朝。
丘を越えた先に、帝都ライゼンハウプトが広がっていた。
白亜の城壁に囲まれた巨大な都市。尖塔が林立し、大聖堂の鐘楼が朝日に輝いている。城壁の外にも町並みが広がり、オーデンヴァルトの数倍の規模がある。
「これが帝都か」
ヘルムートが息を呑んだ。
「想像以上の規模ですね。人口は二十万を超えると聞いていましたが」
「華やかだな。だが、華やかさの裏には必ず影がある」
ノブナの目は、都市の美しさではなく、その構造を読み取っていた。城壁の配置。街路の幅。大聖堂と宮殿の位置関係。軍事的に見れば、守るには堅固だが、一度内部に入れば混乱に弱い都市だ。
「ノブナ様!」
帝都の門前に、騎馬の一団が待っていた。
先頭に立つのは、金髪に蒼い瞳の青年。ライゼン帝国皇太子、クラウス・フォン・ライゼン。
「よく来てくれた」
クラウスの表情は、一年前の再会時とは打って変わって厳しかった。目の下に隈があり、頬も痩せている。激務と心労の跡が明らかだった。
「ずいぶんやつれたな、クラウス殿下」
「率直だな、相変わらず。だが、ありがたい。宮廷では誰も本音を言わないから」
「本音を言わぬ者の中で戦ってきたのだろう。大変だったな」
クラウスは一瞬、虚を突かれた顔をした。そして苦笑した。
「……ああ。大変だった」
ノブナは馬上から帝都の門を見上げた。
巨大な門扉の上に、双頭の鷲が刻まれている。大陸の覇権を象徴する紋章。
前世の信長が京の都に入った時。天下の中心に立つという感覚があった。畏れではない。ただ、ここからは後戻りできないという覚悟。
今、同じ覚悟がノブナの胸にある。
「さて」
ノブナは不敵に笑った。
「帝都の魑魅魍魎ども。この令嬢が相手をしてやろう」
オーデンヴァルト連合盟主、ノブナ・オーデンヴァルト。
精鋭三百を率いて、帝都に入る。
天下への第二歩が、今始まった。
読んでくださりありがとうございます。
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