表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生した信長、こちらの世界でも天下統一を狙います  作者: hiroe
辺境の覇者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/25

本能寺の炎、悪役令嬢に転ず

 炎が、すべてを呑み込もうとしていた。


 天正十年六月二日。本能寺。


 寺を囲む明智の軍勢、燃え盛る伽藍、崩れ落ちる梁。その只中で、織田信長は静かに目を閉じていた。


 天下布武。

 その旗印のもとに駆け抜けた四十九年の生涯が、炎の向こうに霞んでいく。


「是非も――なし」


 それが、織田信長の最期の言葉となるはずだった。


 ――はずだった。


---


 意識が浮上する感覚があった。


 水底から水面へ引き上げられるような、ゆるやかな覚醒。


 まず気づいたのは、体が妙に軽いことだった。四十九年鍛え上げた武人の肉体ではない。華奢で、柔らかく、どこか頼りない。


 目を開ける。


 天蓋つきの寝台。絹のシーツ。窓から差し込む朝日に照らされた、西洋風の――いや、見たこともない様式の部屋。


「……なんだ、ここは」


 声が出た。高い。女の声だ。


 跳ね起きて、近くにあった姿見を覗き込む。


 映っていたのは、銀色の長い髪と紅い瞳を持つ少女だった。年の頃は十七か。整った顔立ちに、どこか冷たい印象を与える美貌。


挿絵(By みてみん)


 ――これが、余か。


 その瞬間、頭の中に膨大な情報が流れ込んできた。


 断片的な映像。この世界の知識が、まるで誰かに教えられるかのように脳裏に浮かぶ。


 剣と魔法の世界――エルドラント大陸。

 乱立する諸国が覇権を争う、戦乱の時代。

 その大陸の片隅にある辺境の伯爵領、オーデンヴァルト。

 そしてこの体の持ち主は、ノブナ・オーデンヴァルト。ライゼン帝国の皇太子に婚約破棄され、領地を没収され、追放される運命にある――いわゆる「悪役令嬢」。


「悪役令嬢、か」


 信長は鏡の中の自分を見つめながら、ゆっくりと口角を上げた。


「面白い」


 運命だの筋書きだの、そんなものに従う気は毛頭ない。本能寺の炎すら恐れなかった男が、たかが定められた末路ごとき――。


 控えめなノックの音が響いた。


「ノブナ様、お支度のお時間です。本日は帝都の舞踏会でございます」


 扉の向こうから聞こえる、やや緊張した若い男の声。


 流れ込んだ知識によれば、この声の主はヘルムート。オーデンヴァルト家の家令見習いで、平民出身ながら事務能力を買われて仕えている青年。


 そして今夜の舞踏会こそが、皇太子クラウスが公衆の面前で婚約破棄を宣言する場――すべてが動き出す場面。


「よい。入れ」


「は、はい。失礼いたします」


 扉を開けて入ってきたのは、栗色の髪を短く整えた真面目そうな青年だった。手には衣装を抱えている。


 ヘルムートは一瞬、主人の様子がいつもと違うことに気づいたようだった。ノブナの紅い瞳に宿る光が、昨日までとはまるで異質だったからだ。


「……ノブナ様? どこかお加減でも」


「いや。むしろ今日ほど気分のよい朝はない」


 信長は――ノブナは、堂々と立ち上がった。


「支度をしよう。今宵は楽しくなりそうだ」


---


 帝都ライゼンハウプトの大舞踏会場。


 数百の貴族が集うきらびやかな空間に、オーデンヴァルト伯爵令嬢ノブナの姿はあった。


 深紅のドレスに銀髪を結い上げた姿は、否応なく視線を集める。だがその視線の多くは、好意的なものではなかった。


 没落寸前の辺境伯爵家。傲慢で冷酷と評判の令嬢。まもなく皇太子に捨てられる哀れな女。


 ひそひそと交わされる嘲りの声を、ノブナは正確に聞き取りながら、完全に無視していた。


 ――雑兵の囁きなど、聞くに値せぬ。


 やがて、大広間の中央に金髪碧眼の青年が現れた。ライゼン帝国皇太子、クラウス・フォン・ライゼン。


 クラウスの表情は硬かった。決意を固めた、しかしどこか後ろめたさを残した顔。


「ノブナ・オーデンヴァルト」


 大広間に響く声。会場が静まり返る。


「私は本日、そなたとの婚約を破棄する」


 ざわめき。予想されていたとはいえ、公衆の面前での宣言に会場がどよめく。


「そなたの数々の悪行――領地の財政破綻を放置した怠慢、他の令嬢への高圧的な態度、領民を顧みぬ傲慢。私はこれ以上、そのような者を伴侶とすることはできない」


 貴族たちの視線が一斉にノブナに集まった。


 泣き崩れるか。

 激昂するか。

 それとも、惨めに言い訳をするか。


 誰もがそのいずれかを予想していた。


 ノブナは、微笑んだ。


 それは令嬢の慎ましい微笑みではなかった。戦場を前にした武将が浮かべるような、不敵で、堂々とした笑み。


「結構」


 たった一言。会場が凍りついた。


「殿下のご決断、謹んでお受けいたします」


 ノブナは優雅に一礼した。だが、その目は笑っていなかった。笑っていたのは、口元だけだ。


「むしろ感謝いたしましょう。これで私は自由の身。己の力で道を拓く機会を得ました」


「……は?」


 クラウスの顔に、想定外の困惑が浮かぶ。


「重ねて申し上げます。ありがとうございます、殿下。この婚約破棄は、私にとって――」


 一瞬、信長の地が出た。


「天の恵みであるな」


「……え?」


「――でございます、の意味ですわ。それでは殿下、ご機嫌よう」


 ノブナはくるりと背を向けて歩き出した。その足取りには一片の未練もなく、むしろ戦場に向かう者の高揚すら感じられた。


 会場は完全に静まり返っていた。泣くでも怒るでもなく、微笑みながら去っていく悪役令嬢。誰も、この展開を予想していなかった。


 クラウスは呆然とその背中を見送ることしかできなかった。


---


 帝都を発つ馬車の中。


 ノブナの向かいに座るヘルムートは、主人の変貌に戸惑いを隠せずにいた。


「ノブナ様。あの、本当によろしかったのですか。婚約破棄を、あのようにあっさりと……」


「ヘル」


「は、はい」


「オーデンヴァルト領の現状を教えよ。包み隠さず、すべてだ」


 ヘルムートは目を瞬かせた。これまでのノブナ様は、領地の経営にまるで興味を示さなかったのに。


「え、ええと……正直に申し上げますと、かなり厳しい状況です。先代様の……その、浪費により財政は破綻寸前。重税に耐えかねて逃げ出す領民も増えております」


「うむ。それで、領地の強みは何だ」


「強み、ですか?」


「どんな土地にも、何かしらの利がある。地の利、物の利、人の利。何でもよい。申してみよ」


 ヘルムートは驚きながらも、必死に考えて答えた。


「鉱山があります。鉄鉱石と銀が採れる山が。先代の時代に採掘が止まっておりますが、鉱脈自体はまだ生きているかと。それと……領地は東西の交易路の要衝に位置しております。商人たちが頻繁に通過する街道が」


「鉱山と街道か」


 ノブナの紅い瞳が、暗い馬車の中で光った。


 鉄。銀。交易路。


 これは――使える。


「ヘル。領地に戻ったら、すぐに家臣を集めよ。全員だ」


「は、はい。何をなさるのですか?」


「決まっておろう」


 ノブナは窓の外に広がる大陸の風景を見渡した。


 この世界もまた、群雄が割拠する戦国の世。ならば、やることは一つ。


「天下を獲る」


「……て、天下、ですか?」


「そうだ。まずは領地の立て直しからだ。話はそれからよ」


 ヘルムートは言葉を失った。


 婚約破棄されたばかりの、没落寸前の辺境伯爵令嬢が。天下を獲ると言った。


 正気ではない。そう思うべきだった。


 だが――不思議と、この方ならば、と思わせる何かがあった。あの紅い瞳に宿る光。あの堂々とした佇まい。まるで、すでに天下を獲ったことがある者のような。


 ノブナは窓の外を見つめながら、誰にも聞こえぬほど小さく呟いた。


「面白い。この世界もまた、天下布武の舞台としては申し分ない」


 本能寺で燃え尽きたはずの炎が、異世界の悪役令嬢の胸の内で、ふたたび燃え始めていた。


挿絵(By みてみん)


ここまで読んでくださりありがとうございます。

面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価をいただけるととても励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ