好きと言って
うう、寒い。馬車の中で腕を摩る。時期は十一月。もうすぐ冬となる。
私は冬生まれだが寒いのは苦手だ。雪は降ってほしくない。王城は大規模な魔法が使われて全体的に暖かくなっているから、この季節は早く行きたいと願うこともある。
魔法が使える世界といっても主に発達しているのは魔力がない人でも使える魔法道具。大国の我が国でさえ魔力がたくさんあり魔法を自由自在に扱える人はごく一部の上流階級のみだ。私も日常生活の魔法ならいくつかできるが戦争などで敵を攻撃したり敵から身を守る魔法は使えない。
王族は貴族とも比べ物にならないほど魔力がある。心の声が文字として見えるのも、歴代の王太子が無意識に発動してしまっている魔法と考えられているらしい。やはり呪いのほうが適切な表現だと思う。
(久しぶりのメリッサだ。会えて嬉しい。可愛い)
たった一週間で何を言っているのかこの人は。表に出ていないことは心の中でツッコむしかない。
そもそも私達は婚約者とはいえ十年間ずっと会っていたわけではない。特にこのお茶会が始まったのは約二年前、私が成人になろうという時だった。
お義母様とは今ほどではないが定期的にお茶会を開いていて、場所も私室ではなく庭園が多かった。
そこに殿下がやってきた。邪魔だと思い無視してお義母様とばかり話していたらいつの間にか殿下と二人きりでのお茶会が決定していた。兄やエディ、お義母様に懇願され今でも続いている。
ただし時間はお茶を一杯か二杯飲み終える程度の時間、長くても三十分くらいという条件を出した。短い時は五分ほどで終わったこともある。
なのでまあ、これまでを考えると個人的には久しぶりというほどではないと思う。殿下の感覚は分からない。
今日はまだ暴言を吐いていない。というよりあまり言葉を発せず、ずっとそわそわしている。上の空で紅茶を飲んでおり後ちょっとでこぼしそうだ。兄がはらはらしながら見ている。
(……言え、言うんだ私。勇気を出せ)
心の声もこんな調子。一体何を言うのか。さっさとすればいいのに、心の中も面倒くさい人だな。
(あああ、メリッサが紅茶を飲み終えてしまう!)
そうそう、時間は待ってはくれないのだ。私も待つつもりはない。
「…………っ…………っ…………! あ、あの、だな……」(言え、言え)
何ですか、という返事の代わりにカップから殿下へと視線を移した。私の視線に一瞬たじろいだがとうとう決意したらしく両手の拳をぎゅっと握ると叫ぶような声を出した。
「な、なななな、名前を呼んでくれないかっ!!」(言った!)
顔が真っ赤である。普段も顔がこれなら暴言も可愛いものだったかもしれない。ただしうるさい。表情も渋い。
名前、ねえ。
本人は私の名前をほとんど呼ばないくせに、自分は呼ばれたがるのか。どうしようかと悩んでいると頭の上の文字が動く。
(な、何も言ってくれない。いやなのか。私の名前など呼びたくないと……)
この人悲観的だな。
……まあ、いいか。
「テオドーロ殿下」
「……!」(つ、ついに名前呼び……! 殿下がついていても嬉しい! やった!)
赤色、か。文字も大きい。
「……殿下は、名前で呼ばれたかったのですか?」
兄がいる前では気が引けるが……言ってみるか。飲み終えたカップをテーブルに置く。
「クイズです。難問なのでペナルティはなしにします」
(い、一体何だ!? お茶会はなくなるのか?!)
テオドーロ殿下の心の動揺を無視して言葉を続けた。
「私が貴方に言われても嬉しく感じる言葉は何でしょう?」
(い、言われても……。カルロに言われたら嬉しい言葉でも私だと、ということか)
おお、よく分かっているじゃないか。
何だろう、と考えている。発言のないまま一分が経ち、そろそろ解答なしで不正解にしようと思っていたら口を開けた。
「か、か、か、かわ、い、い……?」
「不正解です。むしろあまり嬉しくない言葉です」
「何!?」(いや、言う勇気はないが……)
そもそも背が高く無愛想な私のどこを見てその言葉が出てくるのか。恋は盲目ということわざが彼には相応しい。
「正解は……」
テオドーロ殿下を正面から真っ直ぐ見つめた。婚約者だというのに、十年間一度も聞いたことがない台詞。
「好きです」
テオドーロ殿下の目が見開く。殊更ゆったりとした口調に変えた。
「いつか、言ってください。そうしたら喜んで結婚いたします」
おお、顔が真っ赤だ。心の声は叫び声だがこれも真っ赤だった。
……心の声はノーカウントです。
お義母様にも聞いて少し分かってきた。嬉しい時は赤などの暖色、悲しい時は青などの寒色、嫉妬など暗い気持ちの時は黒。
私と一緒にいる時はたいてい黒か青だ。失礼な人である。
今日は赤が多かった。気まずそうに彼方のほうへ視線を向けている兄を一瞥してから立ち上がり部屋を後にした。
私の挨拶に返事もせずテオドーロ殿下は未だ心の声で喚いている。文字があちこちを飛び交っていた。
* * *
「兄さんは素直になれって思うけど、メリッサも面倒くさいね」
「感想はいらないわ」
団長室に赴きエディに先ほどの出来事をテオドーロ殿下の心の声とともに話せば呟かれたのは余計な言葉だった。
副団長がほとんど終わらせた書類に判を押している。これくらいはやれと言われたらしい。少しでも鍛練を、と空気椅子だ。
こんな面倒くさい男に面倒くさいと言われるなんて。
「ところでさあ、兄さんの暴言なくなったら僕のこれってお役御免?」
「まだ0じゃないわ」
今日はたまたまなかっただけ。エディには悪いが私のストレス解消にはもう少し付き合ってもらいたい。
そう願えば大変だね、と同情するように慰められた。
「結婚までにはなくなるといいね」
「他人事みたいに言わないで」
「ごめんごめん。でも今日兄さんが願望言えたなんて進歩じゃん。ペナルティ効果かな」
「どうかしら。テオドーロ殿下……長いわね。もうやめたくなってきたわ」
これを毎回言うのは大変だ。受け入れなければ良かった。後悔していると
「テオでいいじゃん」
と簡単に言われた。あれでも相手は王太子である。
「あだ名で呼ぶ許可を得ていないにも関わらず呼んでしまったら失礼でしょ」
テオドーロ様。そんなに長さが変わらない。
テオドーロ。呼び捨てはあり得ない。
珍しく勇気を出して素直に言われたのだ、殿下に戻るのは避けたい。
どうしよう。こちらは真剣に悩んでいるのに
「めんどくさ」
ぼそっと低い声がした。