後悔③(テオ視点)
とんとん、と肩を叩かれる。
「おはようございます」
…………ん?
目を開ければ私はベッドの中にいた。
またあの夢か。
声が聞こえた方向を見つめる。ベッドに座ってこちらを見ている瞳と目が合った。
夢の中と違い視線は優しい。
未だ彼女に会うと鼓動は高まるが頭が真っ白になって暴言を吐くことはない。
そっと頬を手で包まれる。
「うなされていましたよ」
「あ、ああ……」
「大丈夫ですか?」
心配そうな声色。
泣いていないはずだが目尻を拭うように親指で擦られる。
上半身を起こして腕を伸ばせば大人しく中に入ってくれた。
幸せだ。
泊まることがなくともこうしてわざわざ早朝に起こしに来てくれる。実家の時間も大切にしたいだろうに。
ああ、これが夢でなくて現実とは。
少し腕を緩めて顔を合わせた。彼女の目は吸い込まれそうになる。綺麗な菫色の瞳。視界に私が入っていることが嬉しい。
「おはよう」
「またあの悪夢ですか?」
「うっ……ぁ、ああ」
目を逸らしたくなる。
うなされていたと起こされるのはこれが初めてではない。
そして私が何の夢を見ているのかは告げていた。昔のどうしようもない自分の所業だと。
「そろそろ一人でもいい夢を見てもいい頃だと思うんですけどね?」
今度伸びた人差し指は目頭に触れた。目やにを取ったらしい。
結構メリッサは遠慮なく私に触れるようになってきた。……頭の上の文字がなくなってから加速した気もする。
「私と一緒の時は一度もないのにおかしな人ですね。……ああいや、私が一緒の時まで過去の夢を見ていたらそれはそれでムカつきますが」
ぷに、と痛くない程度に頬をつねられた。
「私も見たくはないのだが……意識して見られるものではないから……」
「いいえ、目指すのは結婚前に0です」
目指せるものなのか?
けれどメリッサは私の頬を楽しそうに弄っている。風船のように柔らかいと言われた。……褒められて、いる?
0になれるかどうかはともかく、私とてメリッサにひどいことをした過去を夢でまで見たくない。
頬から手を離したメリッサは寝室の扉へ視線を移した。
そろそろ朝食の準備に女官が来るのだろう。私も支度しなくては。
「では、あちらでお待ちしています」
私が彼女を囲んでいた腕を指でするりと撫でてから立ち上がり扉から出て行った。
こうした軽い触れ合いをメリッサは好む。私としてはこそばゆい。煽られているのかと勘違いしてしまいそうだ。
ああもう、早く結婚したい。そうすれば毎日彼女が私の隣に……。
って、私は朝から何を考えている。まずは支度だ支度。
布団から出て魔法を使って着替える。
メリッサには驚かれたが私はほぼ一人で着替える。魔法ができれば私のことで使用人の仕事を増やすことはないのだ。
悪夢を見ていた時の重さはすでにない。
今日も国のため、国民のため、そして彼女のために仕事を頑張ろう。
* * *
今日は約束していた温室の薔薇を見に行く。
虫除けの魔具も完璧だ。はたから見ると楕円形のシンプルなブローチだが効果の範囲は広い。
私用に叔父上が作ってくれたものだから紫色である。
薔薇の温室は父上が作ったもの。管理もほとんど父上がしている。母上も薔薇が好きであそこは二人に確認しないと鉢合わせする可能性が高い。
昨日告げたから許可はもらっている。
朝食の後メリッサと手を繋ぎながら庭園へ向かった。
温室は王族居住地側の庭園の奥のほうにある。両親の憩いの場であるから私はあまり入ったことがない。
私は薔薇にも赤色にもあまり興味がなかった。
つい目が行くのは紫色。メリッサの色。
残念ながらあの温室には赤色しかない。
借りた鍵で開けると見えたのは一面の薔薇色だった。
「……すごい、ですね」
「ああ。この国ではこの温室でしか見られない薔薇もあるらしい」
世界各国の赤い薔薇を集め、品種改良までしていると聞いたことがある。
薔薇の名前が分からなくともネームプレートが見やすく設置してあるので困らない。
きょろきょろと上下左右に頭を動かすメリッサ。物珍しいのであろう。
正直、薔薇を見るより彼女を見ていたほうが楽しい。
「確かお義母様の薔薇があると聞きましたが……」
「ん? ああ。母上の薔薇というか母上の祖国の象徴らしい」
母上は隣のカーディナル国出身で国にたくさん咲いている。
それを見せたがメリッサは首を傾げた。
「いえ、これではなく。お義母様の花だと聞いたのですが……」
これではないとすると母上の名前が入った薔薇のことだろうか。それを見せても違うと頭を横に振る。
「新しく作ったと聞きました」
家族にしか言わない秘密だと教えてもらったらしい。そういえばついこの前父上が自慢気に語っていた。周りに言いふらすのはもったいないそうだ。
恐らく一番奥だろう。
歩いて行くと……何と言うか、息子としては気恥ずかしいほど母上の髪色そのままの薔薇が咲いてあった。
一際大きいネームプレートも母上の名前の「ディアナ」である。下には「最愛の妻に捧げる」と。咲いているスペースも広い。
ここまで直情的な父上の息子が何故私だったんだ。
「すごいですね」
幾分か呆れの混じった、けれど羨ましいともとれる称賛の声。
眩しそうに咲き誇る薔薇を見つめている。
……やはり王城中風船計画を実行すべきか。カルロに猛反対されているがメリッサが望むなら……。
考えているとちょんちょんと握った手を引っ張られた。
「王城中はいらないです。テオの部屋に置いておいてください」
「……私口に出していたか?」
いいえ、と否定した後メリッサの口角が少し上がる。
「分かりやすくなりましたよ」
か、可愛い!
キスしたくなったがさすがに母上のような薔薇の前でする勇気はない。
メリッサの反対の手が私の頬に伸びる。
「そしてよく笑うようになりました」
「そう、か?」
メリッサが嫌いなあの笑みではない。意識していなかった。彼女の前で素直になりたい、と常日頃思っていたことが実現できているなら嬉しい。
「昔の貴方は大嫌いですが」
ドゴッと固く重い何かで殴られた心持ちだ。
当然だ。そうであるのはわかっている。分かってはいるがショックはショックだ。
夢の内容を思い出す。ああもう、今は禁忌とされている過去に戻る魔法が使いたい。
震える私の耳にくすり、と心地良い音が聞こえた。
「今の貴方が好きです」
表情は柔らかい。メリッサも表情豊かになったと思う。可愛い。好きだ。
彼女の手に手を重ねた。
自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう。メリッサ、好きだ」
これからもそう言われるように努力しよう。メリッサに好かれる自分でありたい。
もう絶対にあの頃には戻らない。
残念ながらそろそろ仕事が始まる時間になった。それはメリッサとの別れの時間だ。
王族居住地から真ん中のホールへ向かいながら願望を口にしないように手で口を覆う。
「今夜泊まっていってほしい。一緒にいたい」
油断すると口から出てしまいそうだ。
ダメだ、メリッサにはそんな考えはないのだから。早起きさせてしまったから家に帰ってゆっくり休んでほしい。
実家で過ごす数少ない時間を私の我侭で奪うわけにはいかない。
後少しの辛抱である。
「今日はお昼が忙しいんですか?」
「あ、ああ、多分……」
メリッサの小さな声に慌てて反応する。今日の遅刻を許してもらう分昼も働くと告げたのは私のほうだ。
「では夕飯はどうですか?」
「夕飯も遅くなると思う。場合によってはメリッサが寝る時間になってしまうかも」
新婚の時はそうでないとありがたいため今のうちに働かなければ。わざわざ夕飯のためだけに再度来てもらうのも申し訳ない。
「いいですよ。いつまでも待っています」
「いや、お腹がすいてしまう。私を気にせず食べてくれ」
それにそんな夜遅くに私の私室にいたら帰すと約束できない。
もう一度手を口に当てると繋いでいる手の親指が擦るように動く。背筋がぞわっとして立ち止まってしまった。
メリッサを見れば菫色の瞳が細まる。
「いいえ、待っています。今夜はいい夢を見ましょう」
見られそうだ。
って、じゃなくて。
いい夢を見るということは、要するに、彼女が一緒に……。
「っ……メ、メリッサ。あ、まりそういうことは言わないでくれ。その……本気だと、勘違い、してしまう、から」
「いえ、勘違いではありません」
「は?」
「煽っています」
うわああああ、口に出さないでくれー!
メリッサは昔から言いたいことを言う人だったが素直すぎでは!?
嬉しい!!
堪らずもう片方の腕を伸ばして抱きしめる。
「で……できる、限り……早く、帰って、くる、から」
ふ、と腕の中でメリッサが笑う気配がした。
何故私はこれから仕事なんだっけ?
仕事をしないのは王太子としてダメだと分かっているものの、メリッサともっと一緒にいたい。
文字の魔法があってよかった。
おかげで今は贅沢なくらい幸せだ。
周囲にあまり人がいなかったとはいえ、ホールでの出来事に
「周りの目を考えろ!」
とカルロからお叱りをもらったのはすぐ後の話である。
そういえばメリッサは小声だった。
公の場ではあまりいちゃつかないようにしよう。そう決意したら父上から
「親子だな」
と言われた。




