第74話:外部接続(グローバル・コネクト)の予兆と、未知なる開発区画
世界OS『エリュシオン・カーネル』の導入による世界再起動から、半年。
かつて滅びのバグに喘いでいた大陸は、冷徹なる新皇帝アルスと、その傍らで慈愛の微笑みを湛える皇后ロザリアの統治のもと、劇的な変貌を遂げていた。地脈エネルギーはウロボロス鉄路を通じて完全に最適化され、不毛だった荒野には新緑が芽吹き、人々の生活はかつてないほどの安定と繁栄を謳歌していた。
王都エリュシオンの中心に聳え立つ、超近代的な魔導工学城の最上階。
皇帝の執務室は、巨大なホログラムウィンドウがいくつも浮遊する、さながら巨大な管制塔のようであった。
「……内政データベース、および地脈の熱量分布。すべて設定された閾値の内側だな。エラー率はほぼゼロ。統治システムとしては、完全に安定期に入ったと見ていい」
アルスは玉座に深く腰掛け、目の前の宙に展開された青白いディスプレイを流れるように操作していた。その手つきは、一国の皇帝というよりも、完成されたシステムを保守する完璧なエンジニアのそれだった。
「お疲れ様です、アルス様。お顔に微かな熱が溜まっておりますわ」
ノックの音もなく、背後から冷涼で甘い香りが漂ってきた。
現れたのは、純白と深い青を基調とした、息を呑むほど美しい皇妃のドレスを纏ったロザリアだった。彼女は手にした冷たい魔導茶器を机に置くと、ごく自然な動作でアルスの背後に回り、その柔らかな両手を彼のこめかみへとあてがった。
「ロザリア、これくらいは問題ない。通常の保守タスクに過ぎないからな」
「いいえ。世界を完璧に管理しようとするあまり、貴方はご自身の肉体の冷却を疎かにしがちです。……私の『冷却領域』は、いつだってアルス様のために開かれているのですから、甘えてくださいませ?」
ロザリアはそう言うと、ふふ、と愛おしそうに微笑み、額をアルスの後頭部へとそっと重ねた。
彼女の指先から流れ込む極上の氷属性魔力が、演算で熱を帯びかけたアルスの脳細胞を優しく、そして瞬時に凪いでいく。アルスは抵抗するのをやめ、彼女の確かな温もりと、身体を通じて伝わる心地よい心音に身を委ねた。
「……すまない。お前の冷却(愛)のおかげで、私の効率は常に理論上の最大値を維持できている」
アルスはロザリアの手首をそっと掴み、その白い手の甲に優しく唇を寄せた。ロザリアは嬉しそうに頬を染め、アルスの肩に顎を乗せて同じディスプレイを見つめた。
その時だった。
ビー――ビー――ビー――
執務室の中央に設置された、世界の心臓部『天の階梯』と直結するメインコンソールが、これまでにない、一定のリズムを持った「呼び出し音」を鳴り響かせた。
それは、かつての滅びの警報ではない。何かを求めるような、規則的なパルスの受信。
『受信中:未知のパケット(Inbound Packet)』
『送信元:ローカルIP範囲外(External Server)』
『プロトコル:ハンドシェイク要求(Syn-Sent)』
「な……!? 外部からの接続要求だと?」
アルスの瞳が、鋭い論理の光を取り戻す。
かつて人類は、この大陸こそが世界のすべてであり、その周囲を取り囲む「死の海」は存在の定義すらされていない空虚な終端だと信じていた。だが、コンソールが示しているのは、その死の海の向こう側――すなわち「ローカルサーバーの外側」からの、明確な通信信号だった。
アルスは【掌握の刻印】をかざし、その不規則な電気信号のスペクトルを高速で解析し始めた。
「……ノイズではない。フーリエ変換による解析の結果、コヒーレントな情報配列を確認した。死の海の向こう側には、我々の知らない『別のシステム(他大陸)』が存在する。そして彼らは、こちらの世界リブートを検知し、アクセスを試みているのだ」
「他大陸……! つまり、この世界には、私たちがデバッグした領域の他にも、未開の開発区画が存在するということですのね?」
ロザリアの瞳が、驚きと知的好奇心に輝いた。
「そういうことだ。だが、相手のポート(国境)が開放されているか、あるいは敵対的なファイヤーウォールを構築しているかは未知数だな」
その時、執務室の重厚な扉が勢いよく開き、待ってましたとばかりに、いつもの「開発コンポーネント」たちが飛び込んできた。
「おい、王子! 今の信号、俺の操車室の計器にも届いたぜ!」
バルドが巨大なレンチを肩に担ぎ、鼻の頭を赤くして叫んだ。
「海の向こうに別の世界があるってんなら、俺のやることは一つだ! 陸の線路が繋がったなら、次は『海を渡る鉄路』を敷いてやる! ドワーフの技術、舐めてもらっちゃ困るぜ!」
「殿下、未知の領域との接続となれば、不測の事態に備えた防衛プロトコルの構築が必要です」
ガイウスが重厚な黒鋼の鎧を軋ませて進み出て、胸に手を当てて一礼した。
「近衛騎士団、いつでも先遣隊として未知の海域へ出陣する準備は整っております」
「あはは! 新しい大陸! 新しい人間!」
ルナが特製の麻酔注射器を振り回しながら、狂気的な笑い声を上げる。
「あっちの人間たちの遺伝子情報、どうやってコンパイルされてるのかなぁ? ボク、生きたまま解剖して、こちらの標準規格と互換性があるか確かめたくてウズウズしちゃうよ!」
頼もしくも、相変わらず騒がしい仲間たちの様子に、アルスは不敵な笑みを浮かべた。
「面白い。内政の最適化が終わったなら、次に行うべきは帝国の『グローバル展開(規模拡大)』だな。バルド、ガイウス、ルナ。これより新プロジェクトを承認する。死の海を渡るための新型装甲列車、および『超空間敷設システム』の開発に着手しろ」
「おうよ! 任せときな!」
「御意、我が皇帝陛下」
「ひゃっほー! 解剖道具を新調しなくちゃ!」
三人がそれぞれの開発任務へと飛び出していく中、静寂を取り戻した執務室で、アルスは再びロザリアの細い腰を引き寄せ、彼女を自分の胸へと抱き寄せた。
「ロザリア。どうやら、私たちの共同開発(愛の日々)に、退屈している暇はなさそうだ」
「ふふ、望むところでございますわ、アルス様。海の向こうがどれほど過酷なバグで満ちていようとも、私の氷は、貴方の熱を最後まで守り抜きます」
ロザリアはアルスの胸に顔を埋め、その背中に愛おしそうに腕を回した。
アルスは彼女の顎を優しく持ち上げ、二人の唇を、新たなる開拓への決意を込めて、深く、熱く重ね合わせた。
新世界OS『エリュシオン・カーネル』の稼働により、世界は救われた。しかしそれは、より広大な「グローバル・ネットワーク」へと繋がるための、最初のステップに過ぎなかった。
皇帝アルスと皇后ロザリアの、理性を超越した愛と論理の進撃は、今、未知なる「外部サーバー」へと向けて、その鋼鉄の車輪を力強く回し始めるのだった。




