第63話:侵食する結晶と凍てつく心音
第一の楔たる黒鋼のレールが不連続な空間へと打ち込まれてから数時間が経過したが、軌道敷設超弩級列車『ガルガンチュア』が突き進む前線の環境は、悪化の一途を辿っていた。
紫色の空からは、雪のように白い結晶の粉末が絶え間なく降り注いでいる。それは情緒的な冬の景色などではなく、地脈から噴き出した高濃度の魔力が空気中で相転移を起こした「死の結晶」だった。
吸い込めば内臓を内側からガラスへと変え、触れれば肉体を生きたまま硬化させる。世界そのものが、自らを解析しようとするアルスたちの存在を排除するために分泌した、強力な免疫システム(バグ防衛プログラム)のようであった。
「各員、呼吸器の魔導フィルターの出力を最大に維持しろ。防護服の密閉率が九八パーセントを下回った者は、即座に後退しルナの治療を受けろ」
ガルガンチュアの最前面、白濁した結晶の嵐が吹き荒れる展望デッキで、アルスは冷徹な指示を飛ばしていた。彼の周囲では、ガイウス率いる黒鋼騎士団が、重厚な魔導防護装甲を軋ませながら、線路の周囲に群がる異形の存在を迎え撃っていた。
地脈の底から湧き出してきたのは、かつてこの地に迷い込んだ魔獣たちの死骸に、結晶化した魔力が寄生して動かしている「残骸」どもだった。それらは意志を持たず、ただウロボロスの鉄路を破壊するためだけに、結晶の爪を振り立てて突撃してくる。
「ハッ、どいつもこいつも、俺たちのウロボロスを止められると思ってんじゃねぇぞ!」
操車室から身を乗り出したバルドが、列車側面に配備された大型魔導熱線砲のトリガーを引いた。超高熱の赤い光線が結晶の嵐を引き裂き、魔獣の残骸たちを一瞬でドロドロのガラスへと融解させていく。さらにその背後からは、不気味な防護マスクを装着したルナが、緑色の気体を噴出する特製の散布装置を抱えて笑声を上げていた。
「あはは! 見てよアルス、あの結晶魔獣たちの細胞、完全に地脈のエネルギーにハックされて死後硬直のまま増殖してる! 素晴らしい変異株だね! ボクの中和ガスがどこまで効くか、生きたまま解剖して確かめなくちゃ!」
ルナが撒き散らす魔力中和ガスが結晶の粉末と触れ合うたび、パチパチと不気味な弾け音が鳴り、死の嵐がわずかに減退していく。しかし、前進すればするほど、結晶化の圧力は幾何学級数的に増大していた。
「……前方の地脈結節点、エネルギーの結晶化速度がこちらの敷設速度を上回っている。このままではレール自体が結晶の圧力で歪み、構造破壊を起こすな」
アルスは右手の【掌握の刻印】をかざし、大地の奥深くで蠢く結晶化の「成長数式」を睨みつけた。世界の墓標から流れ出す真紅のバグコードが、地表の分子構造をハイスピードで書き換えている。
アルスはその数式を逆算し、デバッグの最適解を導き出そうとした。だが、今回のバグはあまりにも物理的な侵食力が強すぎた。刻印を通じて大地のコードを書き換えようとした瞬間、アルスの右手首から先が、チリチリとした音を立てて白く「結晶化」し始めたのだ。世界の拒絶反応が、彼の肉体というハードウェアを直接破壊しにきたのである。
「しまっ――」
アルスの冷徹な瞳に、一瞬の動揺が走った。情報処理の過負荷ではなく、物理的な肉体の損壊。指先が感覚を失い、銀色の刻印の光がかすれかけたその時。
「させませんわ……! アルス様の身体を一細胞たりとも、世界なんかに渡すものですか!」
激しい風の音を切り裂いて、ロザリアがアルスの右手を両手で強く包み込んだ。 彼女は防護服のグローブをあえて脱ぎ捨て、生身の手でアルスの結晶化しかけていた皮膚に触れていた。彼女の胸の奥から放たれたのは、これまでのような穏やかな冷却魔力ではない。
アルスの右腕を侵食していた世界の結晶を、より強力な「絶対零度の氷」によって物理的に凍結し、その進行を強制停止させる絶対的な拒絶の力だった。
「ロザリア、馬鹿なことを! 生身で触ればお前まで結晶化する!」
「構いません! 貴方の右手が失われるなら、私の両腕を代わりに差し上げます。……ですが、そうはならないでしょう? 私たちの回路は、もう繋がっているのですから!」
ロザリアはアルスの胸に自身の身体を強く押し当て、その美しい瞳を怒りと愛の光で燃え上がらせた。彼女の細い指先から、アルスの体内に直接、彼女の心音の波長が流れ込んでくる。凍てつくような冷徹さと、アルスを絶対に死なせないという爆発的な熱量が同居した、究極の精神同調。
二人の【掌握の刻印】が、青白く、そしてどこか神聖な輝きを放って爆発的に共鳴した。ロザリアが世界の結晶化プログラムの進行を「氷」で押さえつけている間に、アルスはその隙を突いて、結晶化の成長数式の根本を、自身の圧倒的な論理で上書き(オーバーライト)していった。
ドォォォン!!
ガルガンチュアの周囲数キロメートルに広がっていた結晶の山々が、一斉に音を立てて砕け散り、ただの無害な砂となって荒野へと崩れ落ちていた。アルスを侵食しかけていた白い結晶も、ロザリアの氷と共に蒸発するように消え去り、後には元の綺麗な皮膚だけが残された。
大地の結晶化バグの制圧、完全完了。最前線のエリアは、王国の管理コードによって完全に初期化され、ウロボロスの次なる鉄路を受け入れるための広大な空間が確保された。
「……ふう、あ、アルス様……」
極限の緊張と魔力の放出を終えたロザリアの身体から、急激に力が抜けた。彼女の手のひらは、アルスの右腕を守るために酷使したせいで、霜焼けのように赤くなっている。アルスは躊躇うことなく彼女を横抱きに抱き上げ、結晶の嵐が止んだばかりの展望デッキから、暖房の効いた個室へと素早く移動した。
柔らかいベッドにロザリアを横たえ、アルスは自身の防護服を脱ぎ捨てると、彼女の赤くなった両手を自分の生身の手で包み込み、自らの体温で優しく温め始めた。
「……二度と、あのような無茶はするな。私の身体など、いくらでも代えが利く。だが、お前が結晶に呑まれれば、私のシステムは二度と起動しなくなる」
アルスの声は、いつもの冷徹さを失い、酷く低く、震えていた。彼はロザリアの手の甲に、何度も何度も、自身の誓いを刻み込むように深く唇を寄せた。
ロザリアは、アルスが見せたそのあまりにも人間的で、自分を失うことを心から恐れる姿に、愛おしさが胸を突き上げ、微かに涙を浮かべて微笑んだ。
「ふふ……代えが利くわけありませんわ、アルス様。貴方は世界で唯一の、私の大切な旦那様なのですから。……それに、私の氷は、貴方の熱を守るためにあるのです。今日のように、貴方が世界に壊されそうになったら、私は何度だって、世界ごとすべてを凍らせてみせますわ」
ロザリアは空いている方の腕をアルスの首筋へと回し、彼を自分の方へと引き寄せた。 アルスは彼女のその絶対的な愛を受け入れるように、静かに身を屈め、二人の唇を深く、熱く重ね合わせた。
部屋の外では、バルドたちが歓声を上げながら、第二の拠点となる黒鋼のレールを力強く大地へと打ち込んでいる。世界の余命があと八年というタイムリミットの中、最前線の過酷さは増していくが、アルスとロザリアの絆という名の「永久機関」は、いかなるバグをも粉砕する絶対の Order として、世界の深淵へとその歩みを進めていく。




