第60話:限界寿命の計算式と大陸総力戦の幕開け
西の交易都市ルクソールを制圧し、巨大な富のシステムを「無価値」へとデバッグした王国軍の装甲列車『オオツチ』は、今や大陸の八割を制覇した新たな覇者の帰還の途についていた。
夕闇が迫る大平原を、黒鋼の巨竜が轟音を立てて東へと疾走していく。王都エリュシオンを目指すその車内は、しかし、勝利の祝賀という浮ついた空気からは程遠かった。
移動司令室の重苦しい静寂を支配していたのは、地下大金庫の最深部で発見された黒水晶の記録媒体から抽出された、あまりにも絶望的なデータだった。
「……設計者の残した『百年の猶予』という数字は、あくまで環境変数が一定であった場合の希望的観測に過ぎない。
あの千年前のメッセージが発せられて以降、人類は魔導技術を発展させ、地脈のエネルギーを際限なく吸い上げ続けてきたのだからな」
青白いホログラムの光に照らされたアルスの横顔は、彫刻のように冷徹だった。
彼の右手の【掌握の刻印】は、黒水晶から引き出した世界のシステム構造と地脈の枯渇率をリアルタイムで演算し、空中に一つの残酷な数式を提示した。
「現在の地脈エネルギーの総量 E(t) の自然減衰率に、大陸全土に広がる国家群の魔力消費量 C_i(t) を代入し、中央処理装置が自己崩壊を起こす臨界点を再計算した。……結論から言おう。この世界が物理的な形態を維持できる猶予は、長めに見積もってあと『八・七年』だ」
アルスが淡々と告げたその宣告に、ガイウスは重厚な革手袋をきしませて息を呑み、バルドは咥えていた葉巻をポロリと床に落とした。
「は、八年だと!? 冗談じゃねぇぞ王子! あと八年でこの大陸ごと空に吹っ飛ぶってのか!?」
「吹っ飛ぶのではない、バルド。地脈の循環が停止し、大気が魔力汚染を起こして全生物が窒息死する。それだけのことだ」
「あははっ! すごーい! つまりあと八年で、大陸中の生き物が一斉に解剖待ちの死体になるってこと!? ボク、防腐剤のストックをもっと増やしておかなくちゃ!」
狂気を孕んだ笑い声を上げるルナの頭を、ガイウスが大きな手で乱暴に押さえつけた。
「笑い事ではないぞ、ルナ! 殿下、西のハンザを抑え、大陸を統一したことで、ようやく平和な統治が始まると思っていたのですが……」
「盤面が一つ上の次元に移行しただけだ、ガイウス。我々は国家間のシステム競争には勝利したが、世界そのもののハードウェアが寿命を迎えている。ならば、その腐りかけたハードウェアを解体し、私の手で再構築する以外に生存ルートはない」
アルスの迷いのない瞳に、三人のコンポーネントたちは沈黙し、やがて不敵な笑みを浮かべた。 相手が隣国であろうと、神であろうと、あるいは世界そのものであろうと、この冷徹な管理者は決して歩みを止めない。その圧倒的な論理に惹かれ、彼らはここまでついてきたのだ。
「……分かったぜ、王子。大陸の鉄道網をさらに強化し、世界の心臓部へ突っ込むための超弩級の『何か』を作ればいいんだろ? 俺のドワーフの魂のすべてを、あんたの設計図に捧げてやる」
バルドの力強い言葉に、ガイウスとルナも深く頷き、それぞれの準備のために司令室を後にした。
夜の帳が完全に下り、車内には一定の心地よい車輪の走行音だけが響く。 ホログラムの光源だけが薄暗く灯る空間で、アルスは深く息を吐き、ソファの背もたれに身を預けた。視神経の奥が焼けるように熱い。世界規模の演算は、いかに彼であっても脳細胞に致死量の負荷をかけていた。
そのこめかみに、ひんやりとした柔らかな感触が触れた。
「……アルス様。少し、演算回路を休ませてくださいませ。貴方の熱は、私がすべて吸収いたしますから」
いつの間にか背後に立っていたロザリアが、アルスの頭を自身の豊かな胸元へと優しく抱き寄せていた。彼女の細い指先がアルスの銀色の髪に触れ、そこから注ぎ込まれる極上の氷属性魔力が、過熱した脳を甘く、そして確実に冷却していく。
「すまない、ロザリア。……少しだけ、お前の冷却領域を借りるぞ」
アルスは抵抗することなく目を閉じ、彼女の体温と魔力に身を委ねた。冷徹な支配者が見せる、ただ一人の女性に対する無防備な姿。
「世界を延命させるための、最も効率的で簡単な計算式がある」
閉じた目のまま、アルスはぽつりと呟いた。
「魔力消費量 C_i(t) を減らせばいい。つまり、私の手で大陸の人口の八割を間引きし、経済活動を中世レベルまで強制退行させれば、世界の寿命は数百年単位で延長できる。……かつての私なら、迷わずその最適解を選んでいたはずだ」
「ですが、貴方はそれを選びませんでしたわ」
ロザリアは愛おしそうにアルスの髪を撫でながら、微笑みを浮かべて答えた。
「ああ。選ばなかった。……無駄な感情や非効率な人間関係の束であっても、それが生み出す『笑顔』や『温もり』という名の付加価値が、どれほど私のシステムを心地よく満たしてくれるか。お前が、私にそれを教えてしまったからだ」
アルスは目を開け、ロザリアを見上げてその手首をそっと掴んだ。
「私は、世界の寿命を延ばすために誰一人切り捨てるつもりはない。大陸の全リソースを一つに統合し、そのすべてを動力源として世界の墓標の制御を奪い取る。極めてリスクの高い、バグだらけの無茶な戦いだ。……私を、愚かな管理者だと笑うか?」
ロザリアはアルスの顔を覗き込み、その美しい瞳に涙ほどの情愛を浮かべて、首を横に振った。
「いいえ。貴方は世界で一番優しくて、最高に優秀な管理者ですわ。貴方が全人類の明日を背負って演算を続けるというのなら、私は貴方の心の『絶対防衛線』として、どんな熱も、どんな恐怖も、すべてこの腕の中で溶かしてみせます」
ロザリアは身を屈め、アルスの唇に深く、甘い口づけを落とした。 言葉など必要なかった。アルスの右手の刻印と、ロザリアの胸の奥で高鳴る心音の波長が、完璧な同期を果たしていく。
装甲列車は、東の空が白み始めた大平原を真っ直ぐに進む。王都へ帰還し、世界再構築のための「大陸総力戦」の準備を整えるために。 完璧な論理の王と、その論理を愛という定数で支え続ける妃。
世界の余命がわずか八年と宣告されようとも、二人のシステムに絶望の二文字は存在しなかった。彼らの視線はすでに、千年の時を超えて大陸の中央で眠り続ける、神のシステムそのものへと向けられていた。




