第50話:鉄の龍の止まり木あるいは変数たちの円舞曲
「……いいか、王子。これはな、ただの『移動手段』じゃねぇ。俺のドワーフとしての魂、職人の意地、そして王国の最先端技術をこれでもかとブチ込んだ、動く芸術作品だ!」
蒸気と油の匂いが心地よく漂う王都の中央操車場。 偏屈な天才技師バルドが、自慢の髭を誇らしげに揺らしながら、一本の真新しい列車を指差していた。
黒鋼山脈から切り出された最高級の黒鋼で補強された車体は、鈍い、しかし洗練された光沢を放っている。その最後尾に連結されているのは、壁面が全面強化ガラスで覆われた、贅を尽くした「特別展望客車」であった。
前日の王都デートに続き、今日もアルスのスケジュール帳には『休日』の二文字が厳然と刻まれていた。 しかし、ただじっとしていることができない性分のアルスは、「新型車両の動態保存テストおよび、長期稼働時における車内環境のストレスチェック」という極めて尤もらしい名目をでっち上げ、主要メンバーを総出で呼び出したのである。
「業務ではないと言ったはずですが……まあ、アルス様らしい言い訳ですわね」
ロザリアは、動きやすさを重視した上品な乗馬服風のドレスを纏い、くすくすと笑いながら乗車口をくぐった。 彼女の後に続くのは、普段の重苦しい全身鎧を脱ぎ捨て、仕立ての良いレザージャケットを羽織ったガイウスだ。その顔には、戦場での猛々しさはなく、どこか緊張した赴きがある。
「おいおい、バルド。こんなガラス張りの部屋が動くなんて、本当に安全なんだろうな? もし敵の奇襲があったら、一発で蜂の巣だぞ」
「ガハハ! 心配性の脳筋騎士め! このガラスは帝国の魔導砲の直撃にも耐える三重構造だ。文句があるなら、お前だけ屋根の上に縛り付けてやろうか?」
「やめてくれ、風圧で髪が悲惨なことになる」
そんな二人の漫才のような掛け合いを遮るように、ひらひらと白い白衣の裾をなびかせながら、狂気の軍医ルナが車内へ滑り込んできた。彼女の両手には、何やら怪しげな紫色の液体が満たされたフラスコが握られている。
「あははっ! すごーい、揺れが全然ない! これなら走る列車の中でも、精密な臓器解剖や新薬の調合がやり放題だね! ねぇガイウス、ちょっとお腹貸して? 新しい『精神弛緩剤』の治験をしたいんだよね!」
「お断りだ! 休日くらい俺の五臓六腑を休ませてくれ!」
車内は一瞬にして、賑やかというよりは騒がしい混沌に包まれた。 アルスは最後尾のソファーに腰掛け、その様子を静かに眺めていた。手元には【掌握の刻印】によって表示された、列車の速度、車軸の温度、地脈からの魔力吸入効率などの数値が浮かんでいるが、彼の意識はそれらのデータよりも、目の前で繰り広げられる「無駄な会話」に向けられていた。
列車が滑らかに発車し、王都の美しい街並みが、やがて豊かな緑が広がる田園風景へと移り変わっていく。
「アルス様、お茶が入りましたわ。それと……不肖ながら、私が厨房をお借りして作らせていただいたものです」
ロザリアが、丁寧に淹れられた紅茶と、数種類のサンドイッチが綺麗に並べられたバスケットをアルスの前のテーブルに置いた。 アルスが手を伸ばそうとすると、ルナがすかさず首を突っ込んでくる。
「なになにー? ロザリアちゃんの手作り? 隠し味に『惚れ薬』とか入ってない? 成分分析させて!」
「ルナ先生、余計な分析は結構ですわ。アルス様のために、栄養バランスと『真心のパラメーター』を限界まで高めただけですから」
ロザリアが扇でルナの顔をペシっと叩いて下がらせる。 アルスは一切れのサンドイッチを口に運んだ。 鶏肉の塩気と、新鮮な野菜の瑞々しさ、そしてわずかにピリッとする香辛料のアクセント。
「……美味いな。カロリー効率やビタミン含有量といった数値を超えて、胃腑に染み渡る感覚がある」
「ふふ、合格点をいただけて光栄ですわ。アルス様がそうやって普通に食事を楽しまれている姿を見るだけで、私は何より満たされます」
ロザリアはアルスの隣に腰掛け、窓の外を流れる景色に視線を向けた。 太陽が傾き始め、広大な麦畑が黄金色に染まっていく。 かつては戦争と飢餓の恐怖に怯えていたこの国が、今はアルスの敷いた鉄路によって結ばれ、穏やかな息吹を上げている。
「なあ、殿下」
ガイウスが、バルドから勧められた地酒のグラスを片手に、しみじみとした口調で話しかけてきた。
「俺はな、剣を振ることしか能のない男だ。宰相の闇に怯え、国の行く末に絶望していた。だが……殿下が現れて、全てを『数字』で割り切って、この景色を作ってくれた。……感謝している」
「俺からもだ、王子。俺の技術を『無駄だ』と切り捨てず、国家の心臓に据えてくれたのはあんただけだ」
バルドも珍しく真面目な顔でグラスを掲げる。 アルスはグラスの紅茶を見つめ、それから彼ら一人一人の顔を見回した。
ガイウス、バルド、ルナ。そして、隣で微笑むロザリア。 合理主義を貫くアルスにとって、人間とは本来、不確定要素が多く、処理を狂わせる「バグ」の原因になり得る存在だった。 しかし、この国を再建する過程で彼らが示した忠誠、情熱、そして狂気すらも、今やアルスのシステムを駆動させるためには欠かせない「最適化されたコンポーネント(構成要素)」となっていた。
「……勘違いするな。お前たちが効率的に機能しているからこそ、この国という盤面が維持できている。私は、私の所有する資産が、正当な価値を発揮していることを評価しているだけだ」
アルスはいつものように冷徹な言葉を選んだ。 しかし、その声にはトゲがなく、どこか温かい響きが含まれていることを、車内の全員が察していた。
「あははっ! 王子ってば、相変わらず素直じゃないんだから! 照れ隠しの数値が上昇中だよ!」
ルナがからかうように笑い、ガイウスがそれを宥め、バルドが豪快に酒を煽る。 ロザリアは、そっとテーブルの下でアルスの手を握った。 アルスは拒むことなく、その柔らかな手の温もりを受け入れ、握り返した。
「(私のシステムにおいて、この『無駄な時間』は……全体の耐久度を向上させるための、必須のオイルなのかもしれないな)」
脳内でそんな結論を導き出しながら、アルスは窓の外の黄金色の世界を見つめていた。 鉄の龍は夕日の中を走り続ける。 迫り来る、さらに巨大な大陸の荒波を前に、彼らはこの一瞬の、しかし絶対的な絆という「定数」を、その胸に深く刻み込んでいた。




