輿入れ
南の国は、一年のうちの大半があたたかな陽の光に包まれていた。
領主アダンの館は赤土の丘の上にあり、白い壁と開放的な造りが特徴的であった。
朝の風が吹き抜けると、部屋の布がふわりと揺れ、香辛料と果実の香りとが混ざり合う。
その日アダンは花嫁を迎えるために、庭の噴水の前に立っていた。
彼に嫁ぐのは最果ての北国からやってきた一人の青年、レウ。
彼は北国の小さな村の出身で、そこでは長い冬が続くという。
結婚の理由は、政治的なものであった。とはいえ、アダンはその相手が男であると知っても、特に驚きはしなかった。
アダンは人一倍陽気な性格をしており、これまでの彼の人生において悲観することなど何一つとしてなかったからである。
「花嫁は、一体どんな顔をしているんだろうなあ……」
眩しい太陽の下でアダンは笑い、腕の飾り布を風に揺らしながら、今か今かと花嫁を待ちわびていたのであった。
やがて遠くに、小さな一行が見えてくる。
彼らはまるで雪そのものであるかのように、分厚い白の外套にその身を包んでいた。
中央に座する花嫁であるレウも例外ではなく、白い外套を肩にかけ、その内側には金、赤、黒と幾重もの衣服を着重ねてもこもこと着膨れていた。
強い陽射しに目を細め、まるで世界の明るさに耐えるかのように、一歩一歩慎重に緩やかにこちらに向けて進んでくる。
たまらず駆け出し、門の前で花嫁一行を出迎えた。
「ようこそ、我が家へ。君が、レウだね?よろしく!」
アダンは至極軽やかな足取りで近づき、にこやかに手を差し出した。
レウは戸惑いながらも、その手を静かに握り返した。
程よく日に焼けたアダンの肌とは対照的に、レウの手はひどく白い色をしていた。
「……はい。レウと、申します。急に暑くなり……。すみません、少し息が……」
「ははっ、それはそうだろうね!ここは昼の温度が、四十度を越えるような日もあるんだから」
アダンは笑い、使用人に冷えた果汁を持ってこさせた。
「まずは、ゆっくり休むといいよ。……その服も、もう少し軽くした方がいいんじゃないのかい?」
「い、いえ……。これでも、薄着なんです……」
アダンはその言葉に、思わず目を丸くした。
「驚いたな。それで、薄着なのかい?」
「はい。普段は、もっと重ねます……」
「ふふっ、北の人って……本当に、寒いところに住んでるんだなあ!」
レウは不思議そうに首を傾げ、初めて味わう果物の味に微かに目を細めていた。
レウ以外の人間は、荷物を終えて去っていく。
使用人もつけず、男一人。
ひどく簡素な輿入れではあったものの、アダンの目にはすでにレウの姿しか入っていなかったのであった。
その夜、館の食堂では南国らしい華やかな晩餐が開かれていた
色とりどりの果実に、新鮮な魚。嗅ぎ慣れぬ香辛料に、軽やかな衣装の人々。
レウはその光景に圧倒され、わずかに頬を赤らめた。
無論、それは婚礼の儀であるという気恥ずかしさも秘めていたのだが、レウが一番気になったのは人々のその服装であった。
男たちは胸元をはだけさけ、女たちはへそや肩を出し、皆陽気に歌い踊り笑っている。
アダンの装束も例外ではなく、上半身を覆う布はやけに薄く、下半身を覆う布も膝の上までしか生地がなかった。
「……ど、どうして……。皆さん、そんなに……肌を、見せて……?」
そうレウが小声で問うと、アダンは朗らかに笑って答えた。
「暑いからだよ!それにこの国じゃ、肌を見せることは決して恥ずかしいことではないんだ。太陽の祝福を受けるとも言われているんだよ?」
「太陽の、祝福……」
レウは思わず、アダンの肩元に目をやった。
褐色の肌が月明かりを受けてきらめき、まるで炎であるかのような情熱を秘めていた。
「そう。それに、今日はレウもその祝福を受けたんだ!さあ、踊ろう!」
「えっ……。あの、ちょっと……」
レウはアダンに手を引かれ、人々の輪の中へと加わった。
「大丈夫!今日から君も、この国の人間だ。恐れるようなことは、何もない」
そのようなアダンの爽やかな笑みに見惚れてしまい、思わずレウの足がもつれる。
どさり、と着膨れたその身を受け止めて、アダンは無邪気な子供のようにいつまでも笑っていた。
***
晩餐のあと、レウは与えられた私室の寝台の上で、一人静かに息を整えていた。
「……まるで、違う世界みたいだ……」
そうこぼしてしまうのも、無理はない。
馴染みのない料理に、見慣れぬ人々。人々の高らかな声に、祝福の笑顔。
北国の小さな村とは異なり、この国はひどく明るく賑やかでもあったのだ。
さらにその身からは、絶えず汗が流れ続けていた。
「……暑い……」
外套を脱ぎ落して幾分か楽にはなったものの、未だその身の熱は籠るばかり。
幾重にも折り重なった色とりどりの花嫁装束を脱ごうにも、勝手に脱ぎ捨てるようなことは許されなかった。
レウの国においては、夫であるアダンがこの場に入室してこない限り、花嫁は静かに待ち続けるというしきたりがあったのだ。
未だ高鳴る胸を押さえて、夫となったアダンを想う。
――とても、素敵な人だった……。
レウは今日、初めて夫となる男の名前を知り、その姿を目に入れた。
アダンは想像よりもいくらか若く、ひどく整った容姿をしていた。
踊りの最中にあっても、風に揺れる美しい金の髪と、にこやかに笑う金の瞳だけはレウの目から焼き付いて離れなかった。
しかしその瞳の奥には、領主としての確かな意思と責任が宿っていたのだ。
――僕なんかには、勿体ないくらいに……。
すると、外から声がした。
「レウ、入ってもいいかい?」
「アダン様?……どうぞ」
アダンは、軽装のまま入室した。
先程までの装束とは異なり、上半身には何も身に着けておらず、腰元に薄布のスカーフを巻いていた。
そのような姿を目に入れて、レウは慌てて背を向けた。
「な、なぜ……そのような格好を……!」
「うん?……ああ。寝る前だし、この国ではこれが普通なんだ。……そうだ!君も、そんな格好じゃ寝苦しいだろう?いいものをあげるよ」
そうアダンは笑いながら、棚から薄手の布を取り出した。
「これを、寝間着にするといい。肌に風が通って気持ちがいいんだ」
しかしレウは、断った。
そしてにこやかな笑みを浮かべて、幾重にも身に纏っていた布を一つ一つ脱ぎ落としていく。
「お気遣いいただき、ありがとうございます……。でも僕は……。その……」
突然衣服を脱ぎ出した花嫁に対して、今度はアダンが背を向けた。
「えっ!?あの……、レウ……?俺たちは、男同士だし……。その、……初夜はなくてもいいと……以前書状に……」
その言葉を耳にして、思わずレウも声を上げた。
「あっ……。そういう意味じゃ……!あの……すみません……。寝るときは、いつも……素肌なので……」
その声に、アダンは思わず振り返る。
「えっ……?」
「それでは……、おやすみなさい」
しかし時すでに遅く、レウは眠りについてしまう。
アダンは静かに寝台へと近づき、その寝顔を覗き込む。
よほど疲れていたのだろうか、すぐさま響き渡る寝息にアダンは安堵したかのように息をつく。
「あー、びっくりした!……そうか、国が違えば……文化も違うのか……」
静かに気を吐いて、アダンもまたレウの隣へと横になる。
寒くはないかと薄手の布をその身に掛ければ、レウの口元がわずかに綻ぶ。
「……レウ。俺の、花嫁……」
にこやかな笑みを浮かべて、アダンはレウの黒髪を撫でつけた。
自らとは異なる、白い肌。控え目な言葉に、小さな笑み。
アダンもまた、初めて目にしたレウの姿にその胸を焦がしていく。
「なんて、愛らしいんだ」
思わず額に唇を寄せれば、レウの眉に皺が寄る。
「おっと、いけないいけない……」
指で眉をなぞりながら、アダンもゆっくりと瞼を閉じる。
――もっと、君のことが知りたい。
そのような想いを抱えながら、二人の初めての夜はゆっくりと更けていくのであった。




