第五十話 うまみと苦味
さて、料理の一つもまともに出来ない我であるが、この場においては一つの策があるのだ。店の女から詳しく聞き出したレシピ――巻きキャベツのトマト煮込みとやらを作るのだ。我は料理が出来ないが、それは経験値が絶望的に少ないからである。根本的に苦手という訳ではない。
作り方さえ分かれば、多少はまともな物ができる……筈である。
我は取り敢えずキャベツと呼ばれる野菜を水でよく洗う。キャベツは瑞々しい葉が花のように伸びた野菜である。伸びた葉は中央で繋がっており、ここは固く食べられないらしい。今回のレシピに扱うのも葉の先端であるため、葉を切って根元を残す。
続けて、トマトと呼ばれる球体をした真っ赤な野菜を取り出した。最初は果物だと思っていたが、なんと野菜らしい。
これも水でよく洗い、果物の上についていたへたを取る。そして我は次に、埃っぽい鍋を用意した。そう、鍋である。焼く以外の調理法を全く知らなかったこの我が、煮込みという工程を成すのだ。
取り敢えず鍋を洗い、続けて四分の一ほど市場の水を入れた。殆ど入れなくてもいいと言われたが、取り敢えず入れておく事にする。
我は水の入った鍋を焜炉の上に置くと、一旦考えた。
「塩が先か……? いや、どちらでもいいか」
我は説明を思い出していた。だが、流石に細かい部分までは聞いていなかった。あれをこうする、という話だけを聞いていたので、順序が分からないのである。我は少し悩んで、まあいいかと考えた。
そして、水の入った鍋に塩を二摘み入れ、火をつける。そして我は、その中に先ほど切ったキャベツを入れた。この行程はキャベツの固さを柔くする意味があるらしい。数分待って、キャベツを水から上げた。多少ふやけて扱いやすいような気もする。
キャベツが無くなり水のみになった鍋に、我は続けてトマトを三つ入れ、新品の蓋をした。あとは沸騰するまでキャベツと肉の処理をするのみである。
我は包丁を片手に、羊肉を見た。これを一口大に切るのだ。大きさは目分量で二人前……だが、それを一口大に切るとキャベツの量が足りないように思える。少し大きく切るとしよう。
少し縦長にすべての羊肉を切り分けると、我はキャベツを一枚持ち出した。
「……どうやるのだったか」
自慢の記憶力を駆使し、手順を思い返す。まずキャベツを起き、その上に羊肉を……続けて下からキャベツを巻いて、側面から内側に折り畳むようにし、もう一度下から巻く。……あとは、あー……そうだ。耳のように余った側面を、巻いた穴にしまいこむのだ。
「……これでいいのか? まあ良いか」
所詮は素人の料理。多少粗があっても良いだろう。我は何度も首を傾げながら同じものを十二作った。その頃になると、蓋を締めた鍋から白い湯気が出てきている。同時に少し酸味のある香りがした。
更に待っていると、鍋の蓋がかたりと動いた。湯気によってひとりでに震えているのである。我はそれを見て、鍋の蓋を外した。一瞬煙たい靄が現れて、続けて酸味の利いた香りがする。それにはどこか塩味が混じっているが、どうにも薄い。やはりキャベツをふやかした後に塩を入れるべきだったか。
そう思いながら鍋を覗くと、中で煮込まれていたトマトの形がぐにゃりと変形していた。溶けているのだ。我は記憶を頼りに、料理用のヘラを使ってトマトを押し潰す。上から、中身を押し出すように何度もである。
鍋の中は真っ赤であり、ぐつぐつと煮えている。ちらりと見ると、鍋の中身の水が増えていた。
このトマトという野菜は水分が多く、煮込むとそれが出てくるらしい。なので水は少なめに入れると丁度良いらしいのだ。話に聞いた現象が予想通りに起きていることに安心し、我は暫く待った。何度かヘラで鍋をかき混ぜながら、しっかりと煮えるのを待っているのである。
すると居間の方から、おー? と不思議そうな声が聞こえてきた。
「……なんか良い匂いするな」
「酒で鼻まで鈍ってはいなかったようだな」
「わはは、まあな」
適当にライゼンをいなしていると、何だか妙な気分になった。リサは料理の時、こんな感じなのだろうか。なんとも筆舌に尽くしがたい感覚である。妙に真面目な気分になるというか、気が張る。とはいえ緊張とはまた違う……説明のできない物だ。
そんな物に打たれているうちに、どうやらトマトが充分煮込まれたようである。鍋の中はしっかりと真っ赤であり、蒸気に混じって酸味がある。我は一つ頷いて、キャベツを巻いた羊肉を摘み、ゆっくりと鍋の中に沈めた。転がって中身が出ないように、慎重な手つきである。
そして十二の肉を鍋に入れ、それらがしっかりとトマトの煮込みに沈んでいることを確認した我は、静かに鍋の蓋を閉めた。
「……恐らくこれで良い筈である」
一つ深呼吸をして、我は桃を取り出した。疲れによく効くといえば桃だと果物屋が言っていた。この桃は皮ごと食えるらしいので、我が施す手順としては種を取り除くことだけである。
我は包丁を構え、桃を真ん中から両断した。断面に何かある。我は桃を割ったことがないが、店の男によれば桃の種は真ん中に二つのみだという。我は指先を使って丁寧に種を取った。
……さて、恐らくこれで料理は終わりである。本来はパンの一つでも添えてやれば完璧なのだろうが、これ以上金を使うのはすこし戸惑われた。ライゼンも酒浸りでろくな物を食っていないだろうし、多く食わないだろうという予想も相まって、我は料理の品目をこの二つに絞っている。
我は両手を洗い、包丁とまな板を洗った。続けて棚から皿を二つ取り出して洗い、片方に桃を乗せる。スプーンやフォークを探すのはすこし手間取ったが、ライゼンに聞くとすぐに見つかった。
続けて洗ったコップを一つ用意し、そこに並々と水を注ぐ。市場で買った水が余っていたのだ。それでも余った水は、丁度良いので我が飲み干した。多少外を歩いて喉が渇いていたのである。
よし、と我は内心思った。あとは皿に料理を盛って出すのみである。ちらりと玄関を見ると、空の色が赤みを帯びていた。まだ夕方と言うには早いが、暫くすれば茜色の空が見えるだろう。
我は暫くそれを眺めた後、再び動き始めた鍋の蓋を開けた。ぐわり、とさまざまな匂いが沸き上がる。
「ほう……」
「うぉ……なんか腹が減る臭いだな」
ライゼンの言葉を聞き流しながら、我はフォークで肉の一つを軽くつついた。見た限りは柔らかい。新鮮な緑色だったキャベツには見事にトマトが染み込んで、赤緑という半端な色になっている。
我は少し考え……フォークを肉の一つに突き刺した。そしてゆっくりと口元に運び、一口に食った。
「…………」
熱い。熱いが、我はエリーズ達が言うところの猫舌というやつではない。気にせず料理を噛み締めた。
途端に、じゅわりと口内で肉の味が広がる。脂身が少なく、柔らかな羊肉に、少し強めの酸味をもったトマトが絡み、とても美味だった。さらにそこへキャベツの柔らかな歯応えと、薄く伸びる塩味が混じって、我は固まる。
噛む度に肉の旨味が口の中で炸裂し、塩味と酸味がそれを援護する。……完璧であった。
「……もしや、我は料理の才能があるのか?」
我は真剣にそう思った。魔王時代は凄まじい有り様であったが、レシピにしっかりと沿って料理をすれば、普通の料理を作ることが出来る。レシピというのは本当に大切なのだな、と我は実感した。
……とはいえ、多少粗が目立つ部分もあった。キャベツが少し固いのと、塩味が若干薄いのである。それを加味しても我にとっては会心の料理であったが、やはり経験と技術が少しばかり足りない。
だが、口の中に広がる旨味を噛み締めれば、そんなことはどうでも良いように感じられた。暫く我は己の成果に酔いしれ、料理を皿に盛ることにした。ついでに鍋に残ったトマトのソースをキャベツ巻きに掛ける。うむ、上出来である。
我は二つの皿を持って、ライゼンの居る居間へ向かった。ライゼンは待ちかねたと言わんばかりの顔をしている。そしてその目の前には、どこからか持ち出した四脚のテーブルがあった。背が低く、布団に座ったままでも食うことができるものである。
そこに我は料理を置いて、続けてコップを運んだ。ライゼンは感嘆するようにため息を吐いており、内心気分が良かった。
「はぁ……あんたすごいな」
「これでも素人である」
そう言うとライゼンは訝しむような顔になったが、それよりも目の前の料理のほうに興味があるらしい。
「それじゃあ……いただくぜ」
「好きにしろ」
ライゼンはフォークでキャベツ巻きを突き刺し、口元で冷まして頬張った。
「……うっまいな」
実のところ、我は緊張をしていた。だがこの様子を見るに杞憂であったようだ。自然と、我の口角が上がる。慣れぬが、料理というのは中々に良いな、と思ったのだ。
ライゼンは次々と料理を口に運び、満足そうな笑顔を見せた。何だか老人に餌付けをしているようでよく分からない絵面であるが、我としては満足であった。
食事をするライゼンを暫く見ていた我は、もう一度台所へと爪先を向けた。後始末である。この男のことであるから、放っておいても後始末の一つもしないだろう。
鍋を洗い、包丁とまな板を元に戻す。余った塩は持ち帰るとして……余ったキャベツの芯はどうするか。ちらりと視線を振ると、隅のほうにごみ箱のような物があった。丁度良いと我はそこに芯を放り込んで、居間へと戻った。
ライゼンはキャベツ巻きを全て平らげ、桃の最後の一つを齧っていた。その顔は実に満足そうである。
「いやぁ、本当に……なんつったら良いのか」
「礼はいい。それを食ったらさっさと寝るのだ。明日には心身共に多少なりともマシになっている筈である」
「はいはい、料理上手の薮医者さん」
なんだその二つ名は。弱そうな二つ名に不満を感じながら空っぽの皿を下げようとすると、ライゼンが唐突に言った。
「……なあ」
その声音は先程と少し異なっていたので、我は立ち上がった足を止めて振り返った。
「何だ」
「一つ、聞いていいか?」
「……」
「あんたが倒したいって思ってる奴は……誰だ?」
我は、どうしてそんな事を聞くのかと思った。話す意味が一切感じられなかったが、別に話しても害は無い筈である。一瞬のうちにそう逡巡して、我は答えた。
「……エーテルホワイトの亡霊だ」
「……亡霊を狩るつもりか?」
「そうだ」
「それはまた……どうしてだ」
我は悩んだ。説明が面倒である。そのまま話せば分かりにくいが、説明するには長大すぎる。ライゼンは我を静かに見上げていた。
「我にとって大切な物を……いや、我にとって大切な人の持ち物を、そいつが持っているかもしれないからである。我はそれをどうしても返してもらわねばならない。例え、死ぬことになったとしてもである」
我は一つ、長い瞬きをした。瞼の奥の闇に、力のありかを感じる。ここから北西……エーテルホワイトがあるらしい場所から、強く共鳴するものがあった。それは深い破壊衝動と復讐心に駆られており、獣のような意思を持っていた。
感じる距離と方角からして、恐らくその亡霊が欠片を保持していると見てほぼ間違いない筈である。
この世界の最初の夜、星空に見た七つの景色の内、砂漠の遺跡のような物があった。そこが欠片のありかである。
我の言葉を聞いたライゼンは暫く黙って「そうか」とだけ言った。我は「そうだ」と返して、食器を台所へ運んだ。居間に戻ると、ライゼンは何かを考えていたが、我の顔を見るなりこう言った。
「……何だか、兄貴があんたを気に入ってるのが分かったぜ」
「……そうか」
我は全くさっぱりであるが。この兄弟は揃って訳が分からない。どこに感性の棘があるのだ。我はため息を吐いて、言った。
「ならば、さっさと寝ろ。我は帰るぞ」
「……ああ、分かった」
我の言葉にライゼンは頷いて、布団の中に潜り込んだ。それを流し目で確認してから、我は玄関へ向かい、扉を開ける。続けて鍵を閉めようとしたが……この家には鍵が無い。もう少しまともな場所に住むべきである、と思いながら、我はライゼンの家から立ち去った。
見上げた空は、ほんの少しだけ赤みを増していた。
家に帰ると、エリーズが居た。台所にリサも居たが、居間と台所の境界に立っており、テーブルのエリーズと話していたようである。我は帰ったぞ、と言って靴を脱ぎ、椅子に腰かけた。
「結構遅かったんじゃない?」
「色々あったのだ……エリーズはどうだ」
興味を含めたリサの言葉を流して、話題をエリーズに投げる。するとエリーズは目を泳がせて、えーと、と呻いた。
「……うん、良い感じだったかな」
「そうか」
「……何だか二人して隠し事してるように感じるんだけど」
何も隠していないだろうが、と言ってから、我は一つ思い出した。我の変化に、二人が食い付く。
「どうしたの?」
「……そういえば、金を使ってしまった」
「え? 嘘でしょ」
「我は嘘を吐かない……いや、嘘は吐くがこれは違う」
「えーっと、何に使ったのかな……?」
エリーズが控えめに聞いてきた。その様子を見るに、エリーズが金を使うことはなかったようだ。とはいえ、我の出費は偶発的というか、回避できないものだったのだ。我はどう説明したものか悩んで、ライゼンとの絡みを一切説明することにした。流石に過去については伏せるが、それ以外は諸々である。
するとエリーズは目を丸くし、リサは驚いたように言った。
「あんたが料理って……全く想像できないんだけど」
「何だか不思議な出来事だね……」
「まあ、そうだな。料理自体は悪くなかったが……少し面倒なことになった」
どうにも、店主に力を借りることは出来ないだろうというのが分かった。あれほど親密に話を聞いてしまえば、協力を願う気すら失せるというものである。非常に惜しいが、しょうがないだろう。店主の借りはロダキノとやらと関係を作ることに使い、後の面子をまた考えることになる。
我がため息を吐いていると、リサが聞いてきた。
「あんた、ちなみにいくら使ったの?」
「……銀貨六枚と銅貨十枚である」
我が計算をしてそう言うと、リサの顔が青くなった。エリーズも「えっ」と声を上げる。なんだ、何が不味い。困惑する我にリサが買ったものを質問し、それに答えるとため息を吐かれた。
「……どうした?」
「あんた、相当吹っ掛けられたわね」
「……」
「……うん、お肉以外大体相場の五割上くらいかな」
「そもそも、あたしたちが遺跡調査とかして稼ぐのが銀貨三十枚なのに、ラクダ肉四人前で銀貨七枚な訳無いでしょ?」
言われてみれば、そうである。一応値切ったつもりだったが、見た目を見て吹っ掛けられたようである。道理で素直に引いたなと思ったが、そこまでだったとは思わなかった。
リサ曰く『幾らならば良いのだ』という言葉が禁句らしい。その時点で相場が分からないことが確定してしまうため、相当不利になるとのことだ。
我が相場を知らないと見るや、続く店も大きく値段を上げ、結果的に金を無駄にしてしまった。リサはため息を吐いたが、良い授業料ね、と言った。
全く、痛い目を見ることになった。焦っていたとはいえ、まんまとひっかかるとは……流石に市場は甘くないらしい。
「まあ、そんなに気にしなくていいから。次気を付けましょ」
「うん、最初は仕方ないよ」
「……すまん」
リサが何かを言おうとしたが、その前に台所からかたかたと音がした。鍋の蓋が動いているのだろう。そそくさと台所へ向かったリサを、我は自然に目で追っていた。
「ええと……料理に興味が出てきたのかな?」
「まあ、多少であるが」
そうなんだ、と返したエリーズはどうしてか嬉しそうであり、我は首を傾げた。だが、その理由を聞くまででもなかったので、どうすることもなかった。
しばらくして出てきたリサの料理はシチューで、その完成度に我はため息を吐くのだった。
ヴァチェスタは一応高級食材ばかりの食事をしていたので、安い野菜や果物を生で見るのは初めてです。




