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金塊の夢  作者: 平谷 望
第一章 金色の魔王と砂漠の亡霊
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第三十五話 魔王の右手とおまじない

 男に連れられて入った開拓班での日々は……まあ、悪くなかった。毎日班の足を引っ張っては死にかけるような、そんな日だったが、俺にとっては面白い日々だった。


 開拓班の目的は、俺たち魔族が住んでるこの大陸を開拓すること。未開の地を歩み、その場所を記録し、危険を排除すること。開拓班は幾つかの部隊や機関に別れており、俺はその中でも一番危険で、馬鹿みたいに前線に進む場所に居た。


 えあることに、俺の居た部隊はこの魔大陸では最高峰の殉職率を誇る部隊だ。一歩外へ踏みだせば、知らない毒蛇だの未知の部族や種族が(ひし)めいていて、謎の遺跡だの動植物だのを見つけては、大爆発や大混乱で全滅しかけるような部隊だ。

 特に、未知の部族との遭遇が一番危ない。相手にもよるが、最悪どっちかが動けなくなるまで殺し合いになることがまあまああった。


 そんなので開拓ができるのかって俺は思ったが、後々分かった。問題はない。極論、一人でも情報を持って帰ってくれば良いんだ。俺たちはそもそも帰還を目的としていない。いや、目的にはしてるが、第一の目的は情報収集だ。


 それを知ってから、ここは随分と馬鹿げた場所だと分かった。頑丈さに自信がある魔族達が、入ってから一ヶ月で五割殉職するような部隊だ。地獄にも程がある。

 そのせいで年がら年中人手が足りなくて、そんなこんなで俺はこの部隊に転がり込んできたんだ。


 入って初日は誰も相手をしてくれなかった。まあ、そりゃそうだ。下手をすりゃ今日にでも死ぬ相手と会話なんてしたくないだろう。新入りはすぐに潰れる。潰れなかった奴だけが会話に値する奴だ。


 本当に頭がおかしい場所だった。誰よりも最初に先へと進んで、誰よりも遅く帰ってくる。そんな日々が四六時中続いた。何でこんなにこの大陸は危険なんだ、と何度か思った。答えはそれほど難しくない。そもそもこの大陸は魔族の生活圏が少ないんだ。


 人間と違って、魔族は母数が少ない。それだというのに、地図ではこの世界で一番デカイ大陸を持っている。相対的に、未開の土地が多いんだ。先代から先々代……それよりも前の魔王様達も同じように土地を拡大してきたが、人間の勇者に討たれてしまうと、それどころではなくなる。結局、開拓した土地が荒野に早変わりだ。


 それなら人間を相手にしなければいいのに、とは思えない。俺達は人間とは相容れない。魔族の大部分が人間を憎んでいる。それは家族や仲間を殺された怨みであったり、ながいこと負け続けていることへの屈辱もある。

 そういった世論というやつが、魔王に平穏を願わせないのだ。


 そんな情勢を背負って、俺達は知らない土地を歩いた。相変わらず俺は一人で何度も失敗し、それでもなんとか生き延びた。全く役に立たない俺を馬鹿にする奴も居た。だが、そいつは俺よりも先に死んだ。


 誰も彼もが俺を見下して、そして俺はそんな奴等の死に際を見た。俺は馬鹿みたいに弱かったが、死なないことだけはこの中の誰よりも上手い自信があった。死にかけた回数が違うんだ。

 そんな俺を、長いこと生きてる古参は馬鹿にはしなかった。むしろ、気安く話し掛けてくれることの方が多かった。


 初めてだった。初めて背中を誰かに預けて戦った。初めて誰かに背負われた。初めて傷ついた誰かを背負った。

 初めて、誰かと話して飯を食った。初めて、誰かの冗談で笑った。初めて――仲間が出来たんだ。


 何もかもが知らないことばかりで、見る物も聞く音も、全部が新しかった。知らない場所を探索している癖に、自分の知らないことも探索していたような……上手く説明できないけれど、とにかく新鮮な日々だった。

 だから、辛くなかったんだ。むしろ楽しかった。悪くはない日々だった。


 俺は二年半ぐらい、その部隊に居た。死にかけた数は歴代でも一番で、その数が(ほま)れになるとは思ってもみなかった。新参は、俺を見るたびに大慌てで頭を下げた。古参も、俺には対等に接してくれた。むしろ俺を古参って思い始めるやつだって何人か居て、気恥ずかしいと思った。


 なんてことない……ああ、そうだよ。充実した日々だった。死ぬほど戦った筈なのに、心休まる日々だった。


 俺の実力も、みるみる成長していった。最初はゴミカスみたいな、生き延びるしか能がないような俺だったが、二年もすればそこらの魔族なら倒せるようになっていた。流石に戦闘経験が多い魔族とかだと難しいが、相性次第では勝つこともあった。

 相変わらず死にかける時もあったが、仲間と力を合わせて生き延びた。


 この日々が続けばきっと、魔王様の隣に立てるようになる日々は遠くないと思った。俺はまだしばらく開拓班に居るつもりだったし、なんなら離れる気なんて無かった。



 ――あの日が、来るまでは。



 俺が開拓班に入ってから二年と半年……珍しく、本部から帰還命令が出た。基本命令は『進め』の二文字で、魔王様の誕生日ぐらいしか帰還命令を出さない本部からの突然の命令に俺達は戸惑ったが、命令に背くわけにはいかない。探索を切り上げて来た道を戻る。


 俺は周りに警戒を張り巡らせながら、仲間と命令について話していた。


「何だってんだろうな……あの本部が」


「さあな。まあ、おめでたい事だと嬉しいんだが……例えば、魔王様が結婚したとか」


「おい」


「カハハハ! すまねえ、ヴァチェスタ。冗談だって」


「違う、魔王様が結婚したとしても、俺は何も言わねえ。何様だって話だろ?」


「確かにねぇ……でも、ヴァチェスタって結構魔王様のこと慕ってるから……ねぇ?」


「いいだろ、別に」


 話の話題を切り替えるために、俺は、隊長……俺をここに連れてきた蜥蜴人リザードマン――セパール隊長に理由を聞いてみたが、よくわからないらしい。ともかく帰ってこい、とそれだけ告げられたとのことで、まあいつもの事だなと全員で笑った。


 ちなみにセパール隊長は俺が入った時は普通の隊員だったが、二年の内に隊長にまで登り詰めていた。本人は、そんなに上に行くつもりはねえんだが、と言っていたが、ここでは長生きをしていれば自然と隊長になる。


 数日前に踏み越えた場所を悠々と帰還する。本部に着けば、俺達は全員腫れ物扱いだ。一応全員開拓班ではあるが、俺達ほど命知らずな部隊は存在しない。

 だから、そこに居る全員が俺達に畏怖の視線を向けてくるんだ。まあまあ気持ちが良かったが、同時に気持ち悪いとも思った。


 その気持ち悪さを思い出し、嫌な顔をしながら俺は本部にたどり着いた。いつもならば適当な奴が俺達のテントを案内するのだが、今回はそれがなかった。代わりに厳つく武装した魔族が本部の出入り口に立っている。


「おい、お前たちで最後か?」


「まあ、そうだな。で、お前は?」


 セパール隊長がいつも通りの口調で言った。すると魔族は不機嫌そうに鼻を鳴らして、自らの後ろを指差した。ちらりと覗くと、丸太の壁で囲まれた本部の内部には、ぞろりと開拓班の部隊が並んでいた。そして、その隣に見たこともない重武装の魔族の軍人が並んでいる。


「さっさと中へ入れ。話はそれからだ」


「……」


 セパール隊長は訝しげな顔をしたが、軍人に逆らう訳にはいかない。俺達は実力ならば軍人程度歯牙にもかけないが、役職的には国を守る彼らの下にある。

 結局俺達は疑問を抱えたまま本部に入ることになった。


 本部に入ると、その場に居る全員の視線が俺達に集まった。ざあっ、と幾つもの感情が入り交じったそれらを、俺達はさらりと流して、適当に列を作った。俺達開拓班の目の前には物々しい軍人達が整然とした列を作っており、そのどれもが冷たい目を携えていた。


 結局、これって何だ? 状況に追い付けないのは俺だけではなくて、部隊の全員が首を傾げていた。そんな我らを置いてきぼりに、がしゃり、と軍人達が音を立てた。そして、並ぶ列の真ん中を開けて、並び直す。

 そうやって出来た空白を、見たことのない男が堂々と歩いてきた。


 その男は、目を疑うような真っ赤な装いをしていた。いや、赤じゃ足りない。それほど軽い色ではない。男は紅の髪、深紅の瞳、紅蓮の隻角を持っていた。釣り上がった瞳には威厳と自信が遺憾なく詰め込まれてて、立ち振舞いから溢れる気品は、住む世界が違うことを表していた。


 その男を見た瞬間、この場の全員が息を飲んだ。勿論、俺もだ。しかしその驚きは周りとは全く違う、本能的なものだった。圧倒的な存在感を滲ませるその男を見た俺が感じたのは唯一つ。


 ――強い。


 圧倒的な、暴力的とも形容できる強さだった。微かに見える指先だけで、その立ち振舞いだけでその強さが明け透けになっていた。あまりにも隔絶した強さだった。まるで……そうだ、魔王様だ。魔王様を最初に見たときのような、生き物としての格の違いがそこにはあった。


 深紅の軍服をムカつくぐらい格好良く着こなして、思わず見惚れちまうくらい整った顔をした男の名前を、俺は知っていた。


「……カヌス・アーデン」


 殺戮卿、暴虐の帝王、隻角の魔王子……そして、魔王の右手と呼ばれる男。話には随分と聞いていた。開拓班には軍人上がりの奴も中々多かったから、耳にする機会は多かったんだ。

 そいつらが話すカヌス・アーデンの話はまるで神様のことでも言ってるみたいで、どうにも気分が良くなかった。


 意味はあんま分からねえけど凄い二つ名ばっか持ってて、おまけに渾名の通りアホみたいに強くて、そのくせ魔王様に今一番近い男だ。血脈の方もずるい位に良くて、アイン様の前の魔王だったゼウス・アーデンの長男で、悪魔族の王族らしい。

 魔王様と魔王の座を争って負けたって聞いたときは清々しかったが、それでも気持ち悪い位の上位者だってのは変わらなかった。


 そんな奴が、どうしてか俺の目の前に居る。混乱しながらカヌスを見ていると、奴は俺達を堂々と見回して、そんで最後に俺らの方を見た。

 まるで買い物でもするみたいな目で、俺はどうにもそれが気に食わなかった。


 カヌスは小さく咳払いをすると、よく似合う微笑を浮かべて口を開いた。


「今日は俺の勝手を聞いて、ここに集まってくれた事を嬉しく思う」


 カヌスは一旦言葉を切った。続けて、落ち着いた口調で話が始まる。


「ここに集まっている者たちは、疑問でしょうがないだろう。どうして俺がここに居るのか。国を守る百人隊長が半分近くここに居るのか」


 この場のほとんどが唾を飲んだ音が聞こえた。百人隊長っていうと……あー、確か、この国の軍人を纏める奴等か。確かに半分も集まってるのはおかしいな。

 普通なら魔王様の下で、国と魔王様を守ってる筈だ。ますます強まった疑問に首を傾げていると、カヌスは威風堂々と口を開いた。


「単刀直入に言おう。……俺達は、この国を変えるつもりだ。今の魔王――アインを、俺は討伐するべきだと思っている!」


「は?」


 思わず声が出た。嘘だろ。そんな馬鹿な話があるわけねえ。だって……あんな、あんな素晴らしい人の真隣に居て、あの人に相応しい見た目も、血も、力も持ってるんだ。

 それが……討伐だって? 国を変える? そんなの、ありえねえどころじゃねえんだ。


 俺は混乱とか、そんな言葉を通り越して目が回りそうだった。聞いた言葉が全部嘘なんじゃないかと思った。けれど、目の前のカヌスは凶悪な笑顔で言葉を続ける。


「アインは、あろうことか人間と共存していきたいなどと、ふざけた事を言っている。現に、北だとか南の人間の王へ手紙を送っているそうだ。……信じられるか? あの女は、俺達がどれだけ人間に(しいた)げられてきたかを忘れてやがる。これまでの苦渋も全部、知らないことにするつもりだ」


 馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。あの女は人間の手先に違いない。このままだと俺達は、腑抜けた魔王の命令で人間と仲良しごっこをする羽目になるんだ。


 カヌスが語る言葉の全てが、俺の心を逆撫でした。気に食わないどころではない。あの女、だと? 腑抜けた魔王だと?


「ふざけるなよ……」


 俺は両手を強く握りしめていた。歯をきつく噛み締めていた。こめかみの辺りが熱い。怒りで気絶しそうだった。この男は……あの人を、裏切るつもりだ。

 確かに、魔王様の考えは魔族にとって受け入れがたい。だが、それでもあの人が平和を目指しているのなら、俺達はそれに真剣に向き合わなきゃいけない。正しいか正しくないかを話し合わなきゃいけないんだ。こうやって話し合いもせず、受け入れられないからと裏切ろうとするのは、最低の行いだ。


 それでも、カヌスは話を続けた。己の考えこそが是だと、人間は滅ぼすべきだと、魔王は臆病者だと言った。


「何を考えているか分からないが、俺達の力を合わせれば人間など一捻りだ。それだけの逸材が、この世代には集まっている。何より、あの女は歴代でも最強の魔王に近い。……だというのに、どうしてか人間と手を繋ごうとしている」


 これはゆるしがたい行動だ。歴代の魔王を裏切る、いわゆる反逆行為だ。魔族は、正しき魔王に導かれるべきだ。


 カヌスの話を聞きながら、俺は別の事を考えていた。


 カヌス・アーデンはすべてを持っていた。血統も、強さも、美貌も、知識も、何もかもをだ。俺はそんな奴の事を死ぬほど嫌いだったが、それでもしょうがないと思っていた。こいつなら、魔王様の隣に居てもおかしくない。悔しいが、魔王様を本当に守れるのはこいつぐらいだ、と。


 俺は、そんなカヌスが憎くてたまらなくて、たまらなくて――ああ、そうだよ。羨ましかった。羨ましい。カヌスになりたい。俺がアイツだったらって何度も考えた。そしたら何だって出来ると思った。

 それなのに、カヌスは……それだけ恵まれてながらまだ足りないってのか。……随分と傲慢で、強欲なくそったれだ。


 カヌスの話は佳境に入っていた。開拓班の殆どが、真剣にその話を聞いていた。俺はそのどれもが気にくわなくて、ムカついて、今にも全員を殴ってしまう所だった。

 そんな、爆発しそうな俺の心に、カヌスの言葉が針を差した。


「つまり、俺が今日ここに来たのは……俺とあの女を討つ英雄を求めたからだ。魔族にとっての聖戦を共に戦う戦友を求めたからだ。戦士達よ……俺と共に来い! 俺と共に歩め! 今こそ、玉座に座る臆病者を討ち滅ぼす時だ!」


 突き上げられたカヌスの右腕に、歓声が――沸いた。同時に、俺の中で何かが切れた。ぶちぎれたそれには理性とか、そういった名前が書いてあったが、もう読めもしない。

 浮かない顔をしていた仲間達が俺の顔を見て青ざめる。すぐに俺を取り押さえようとしたが、意味がねえ。


 俺は右手を上げて忠誠を示す馬鹿野郎どもを片っ端から殴りながら、カヌスに向かって突き進んだ。中には反撃してくるような奴もいるが、経験が違う。後ろから掴んで来る奴も、全力で殴り飛ばした。


 そうやって何十人も押し退けて、俺はカヌス・アーデンの目の前に飛び出した。カヌスのクソ野郎は満足そうに微笑んでいる。ふざけんな。ふざけるんじゃねえ。

 昔から俺は短気だったが、ここまで頭に来たことは生まれて初めてだった。生まれて初めての燃えるような怒りに身を任せて、俺はカヌスに向かって吼えた。


「ふざけんなッ! このカス野郎が!!」


 空気をビリビリと、俺の怒号が揺らした。それに触れた歓声が、塩に触ったナメクジみたいにしおれていく。代わりに冷たくて痺れる何かが俺の周りにのし掛かってきて、真っ赤な両目が俺の事を捉えた。

 途端に体が震え始める。だが、勝てない相手に向かって飛び出すような事を、俺は何度だってやって来た。怖くなんてない。


 嘘みたいに静かになったこの空間で、わずらわしそうに俺を見るカヌスに向かって、喉の奥から全力で声を叩きつけた。


「何が臆病者だ! 何が聖戦だ! ふざけんじゃねえ! 臆病者はてめえだろうが!! 正面から魔王様と戦うのが怖くて、こうやって影でちまちま馬鹿なことをしてんだろ!」


 ぴくり、とカヌスのこめかみが動いた。だが、それを知っていても俺は続ける。


「魔王様に折られた角が痛くて怖いんだろ! 今度はもう一本を折られるんじゃないかって怖くて堪らないんだろ! だからこんな風に見てないところでしかでかいことが言えねえんだ! 魔王様が見てないところでごっこ遊びをしてんのは、てめえの方だろうが!!」


 言ってやった。言ってやったぞ。息を切らしながら、遅れてきた喜びに体を浸していると――急に首が強く締まった。万力で強く締め上げられてるみたいな、そんな苦しさだ。何だと思った瞬間、俺は自分の首がカヌスに絞められてることに気がついた。両足が、地面に触れてない。片手で持ち上げられている。


 こめかみに血管を浮かべながら、カヌス・アーデンが言う。


「本当はお前みたいな奴を説き伏せて印象を上げたかったんだが……気が変わった。お前みたいな奴に説得なんざ、面倒くさくてしょうがない」


 目玉が飛び出そうなくらい苦しい。呼吸なんてできそうにもない。……だが、まだ終わりじゃねえ。


「……ッ! ……お前」


「は、似合ってんじゃねえか……」


 綺麗な綺麗なワイン色の瞳に、大粒の唾を叩き込んだ。思わずカヌスは俺を離して、右目を擦っている。全く、無様ってやつにもほどがあるな。どうした、隻眼になっちまったのか? と痣の残る首もとを擦りながら言うと、カヌスの雰囲気が変わった。どうやらやる気らしい。


 それならこっちも好都合だ。ここで手足の一本、出来れば片目を持っていく。そうじゃなくたって、こんな俺に手こずる様子を見りゃ、周りの奴等の信頼をがくっと落とせる筈だ


 たかぶる怒りを奥歯で噛み締めて、俺はカヌスに突っ込んだ。瞬間、嫌な予感がして、上体を大きく後ろに倒す。途端に、俺が居た場所にカヌスの拳があって、力強く空間を打ち抜いていた。遅れて押し出された空気に前髪を揺らしながら、俺はその腕に組み付く。


 両足をカヌスの肩に、体を腕と平行にして、素早く十字にカヌスの肘を固めた。その状態から体重を掛けて体を捻り、肩の関節を外してやろうとしたが、その前に俺の体が地面に叩きつけられた。俺ごと腕を地面に叩きつけたんだ。

 衝撃で肋骨が全部(きし)んで、内臓が潰れるかと思った。思わず拘束が緩んだ隙にカヌスは腕を引き抜いて、俺の体を強く蹴飛ばした。


 子供のおもちゃみたいに、俺の体が空を飛ぶ。そこらの球っころの方がよっぽどマシって位に飛んだ。十メートル近く空を飛んでから、地面にぶつかる。地面に爪を立てて転がるのを避け、直ぐに体勢を立て直してカヌスを見る。が、そこには居ない。

 勘を頼りに真後ろへ肘を振り抜いたが、そこにも居ない。思わず硬直していると、先程はカヌスが居なかった真正面から、力強く拳が顔に振り抜かれた。


 一瞬、意識が明暗する。ぷつりと途切れた意識が戻った時には、俺は地面に転がっていた。直ぐに立ち上がり――いや、その手前で体を止め、四つん這いになる。見えないが頭上で大木を蹴り飛ばすような音が聞こえた。カヌスが空気を蹴った音だ。

 俺は止まった呼吸を気にもせず、一本になったカヌスの軸足に力強く足払いを掛けた。が、ぶつかった瞬間に俺の足が止まる。


 ――化物かよ。


 体幹が堅すぎる。生半可じゃ体が揺れねえ。四つん這いで獣みたいに距離を取ったが、続けてカヌスの蹴りがもう一発、地面を蹴るみたいに低く放たれた。なんとか横に転がって避けたが、さっきまでいた地面が軽く抉れている。


 それをちらりと視界の端に捉えながら、俺は低姿勢からの体当たりをカヌスにかました。足一歩で駄目なら体重全部で、と思ったが、見積もりが甘かった。まるで城の壁に体当たりしたみたいだ。それならと俺はカヌスの胴体を両腕で掴んで、エビみたいに体を反って地面に叩きつけてやろうとした。だが、それよりも先にカヌスの膝が鳩尾にぶちこまれる。


「ッカァ……!」


 肋骨が何本か折れた。折れた肋骨が肺に突き刺さって、呼吸が出来なくなる。俺が口から血を吐く前に、カヌスが俺の髪を掴んで、地面に頭を叩き付けた。前歯が何本か駄目になって、顎にヒビが入る。

 続けてカヌスは俺の頭を踏みつけてこようとしたが、それは読んで転がって避ける。避けると同時に体を強くねじってバネみたいに跳ね起き、不安定な体勢のままカヌスの喉元へ貫手を放った。


 当然のようにそれはカヌスの手に掴まれるが、俺はその瞬間に腕を捨て、カヌスの首元に大口を開けて噛みついた。頸動脈だ。頸動脈さえ咬み千切れれば、いくら魔族と言えど回復に時間をかける必要がある。


 俺の鋭い牙がカヌスの喉元に突き立てられる――その一瞬手前で、ぐらり、と世界が歪んだ。続いて凄まじい衝撃と痛みが顎から脳に伝って、その瞬間、俺は確かに気絶した。後から分かったが、あれはカヌスが腕を縮めながら放ったアッパーが、俺の顎を打ち上げたのだ。顎の骨は見事に砕け、頭蓋骨に大きな亀裂が入る。

 揺れた脳がその痛みに叫んで、俺の意識が覚醒した。


 だが、見開いた目の前にはカヌスの拳があった。腕が掴まれているから、逃げようにも逃げられない。おまけに体が腑抜けて力が入らない。この一撃をもらったら……不味い。ビックリするぐらいゆっくりになった時間で、俺は幾つかの考えを浮かべた。

 だらり、と目や鼻から血を垂らしながら、俺はその中で一番マシな行動を選んだ。


 迫る拳を、全身を脱力させることで後ろに倒れて避けようとする。しかし、当然カヌスは掴んだ手を引っ張って距離を取らせない。そこで俺は――掴まれた腕の肩関節を外した。外れた関節の分だけ動きが自由になって、俺は髪の毛一本入るかどうかな隙間を空けて、拳を避けた。カヌスが僅かに驚いた顔をした。


 避けた瞬間、俺の脳みそがぐわりと目を覚ます。全身の血液が沸騰するみたいに巡って、体が軽くなる。俺は戦いの最中、こんな感覚に遭遇することが良くあった。命を削る境界線で、一気に体が覚醒していく。

 そんな覚醒が起こるのは……決まって、相手に致命的な隙ができた時だった。


 カヌスの右手は使えない。俺の手を掴んでいるから。カヌスの左手も使えない。振り抜いた拳を戻すには時間が掛かる。カヌスの足も使えない。拳と共に一歩進んだからだ。

 体が斜めになっている。後ろに引こうにもそのための足がない。


 ――一撃を入れられる、完璧な隙だった。


 直ぐ様カヌスが俺の手を離して防御しようとするが、ほんの僅かに遅い。俺は後ろに傾いた姿勢から更に倒れ込んで、足を振り上げながら一回転した。サマーソルトって言えばいいのか、そんな蹴りだ。俺は全身の力を集中して……そして、カヌスの顎を力強く蹴りあげた。


 確かに、顎を蹴った感触があった。その感触にはっと感動が巡った時――俺の体が、藻屑のように吹き飛ばされた。


 体が無様に錐揉きりもみ回転をして、地面を転がる。受け身を取ろうとしたが、腕が使えないんじゃ難しい。何より俺は満身創痍だった。

 何が起きたか分からない状態の中、俺はなんとか首を立ててカヌスを見た。カヌスは片足を振り抜いていて、その蹴りが俺を飛ばしたのだと分かった。


「……」


「……やっぱり、手加減は苦手だ」


「……」


「お前の一撃を受けたのは……自戒のつもりだが……まあ、一割位はご褒美みたいな感じだな」


 カヌスは俺が蹴り抜いた顎を軽く擦った。……あぁ、知っていたさ。お前が最初から手加減していること位、知っていた。カヌスは端から手を抜いていて、魔法だって一切使ってこなかったことも分かってる。そもそも、いい勝負が出来るような力が俺にあるとは思えなかった。だから、手加減されていることを前提で、油断を突こうとしたんだ。


 カヌスにとって、俺程度片手で十分だと最初は思っていたのだろう。片手で十分ならば、片手で倒すのがベストだ。そうすれば、周りに己の力を誇示できるから。

 周りの目がある状況で、自分に逆らう奴がいるのなら、見せしめの意味を込めて軽くひねるだろう。そんな俺の予想は当たっていたが、それほど意味はなかったな。


 カヌスは血を吐きながら立ち上がろうとする俺を見下しながら、上から目線でこう言った。


「……俺に立ち向かって、ここまでやった後に立ち上がろうとする、その根性は認めてやる」


「……るっ、せぇ……」


「その根性に免じて……最後の警告だ。今度立ち上がったら、一撃で頭蓋骨を砕く。お前の体の固さは中々だが、次は無いって事ぐらい分かるだろ?」


「……」


 俺は一瞬だけ、体を止めた。視界が、欠けている。脳みその何処かがやられたか。体が、思うように動かない。何かが……多分、血液が体を流れ出していくのが分かる。息が苦しくて、どれだけ呼吸をしても窒息してしまいそうだ。

 震える体で、止まない喘鳴ぜんめいを抱えて――俺はゆっくりと立ち上がった。片足が折れていて、一本の足で立ち尽くす俺はきっと、ひどく不格好だろう。片腕の関節が外れているから、腕の長さが不揃いだ。だらんと垂れた指先からは、赤黒い血液がしたたっている。


 顎が壊れて、言葉がうまく喋れなかった。だから、何も語らず、俺はじっとカヌスを見た。カヌス・アーデンの赤い瞳を、あの人を真似た金色の瞳で見た。


 そんな俺に、カヌスはため息を吐いて……拳を――



 その瞬間、俺の前に人影がひるがえって、カヌスの拳を止めた。棒立ちの俺は、絶え絶えな息で目だけを動かして、その背中を見た。傷だらけの蜥蜴人リザードマン……ああ、セパール隊長だった。


「た……い、ちょ」 


「……へえ、面白い奴だな」


「……すみません、カヌス様。誠に勝手ではありますが、どうかここで拳を収めては下さりませんか?」


「……断ったら?」


「……死体が一つ増えて、貴方の角が一つ減るでしょう」


 カヌスが強くセパール隊長を睨んだ。睨んだが、隊長は微動だにしない。やがて、カヌスはため息を吐いて、拳を引いた。そして、カヌスは何かを口にした。セパール隊長は少し考えて、その言葉に返事をしたが、俺には何を言ったのか聞こえなかった。段々と、視界の上が黒くなっていく。


 ああ、まぶたか、とそれを理解した時にはもう限界で、俺は立っていることすら難しかった。音が全部曇っていて、世界が真っ暗になっていく。最後に俺が見たのは、つまらなそうに踵を返したカヌスと、じっとこちらを見るセパール隊長の口の動きだけだった。僅かに揺れた唇は、たった二文字、これだけを語った。


曰く、『行け』と、ただそれだけを。

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