第百三話 盗人ミストルティン
翌朝、我とリサは冒険者組合へ向かって歩みを進めていた。目覚めたリサが自分の体を確認したり、寝巻きからの着替えで一悶着を起こしたりと小さな出来事はあったが、おおよそ問題ない歩みである。昨日までは寒さにうち震えるのみであったアルベスタも、テラから受け取った魔道具によってただの街である。
とはいえ流石に三つ同時に魔道具を扱うと、逆に体温が上がりすぎる。我は断熱の魔道具を切って、保温と発熱の魔道具を使っている。寒冷な外気が好機とばかりに押し寄せるが、我の体表に巡る熱気はそれをいとも容易く打ち払っていた。
この分ならば吹雪の中でも充分、と考えて、我の聴覚が何かを捉えた。
「……む」
「ん?」
「……これは何の音だ?」
宿から組合までの距離はそれほど離れていない。精々通り二つ、開けた道を持つアルベスタでは十数分も掛からぬ距離である。そんな道のりの中で、我にとって異音とも言うべき音が進路方向に転がってきていた。
当然我が微かに捉えられる程度なので、リサには聞こえていない。が、音は断続的であるが続いており、我らが進もうと考えている道の方から聞こえてくる。
なんとも奇怪な音だ。何かを引っ掻くような掠れた音であり、その癖調子外れに響く時もある。有り体に言えばかなり不愉快な音だ。我は警戒を全面に出しながら、音の方角へ路地を曲がった。ここから直進でぶつかる三又の道に冒険者組合があるのだが……。
「ん……え? 何この音」
「……何やら人集りがある。少しばかり揉め事があるようだ」
進む先の路上に、幾人かの人間が集っていた。白昼堂々、何かを囲むような立ち位置である。十中八九囲まれているのはこの異音の主だろう。不思議に思いながら前へ進むと、人集りが少しだけ揺れて音が途切れた。
リサが少しばかり早足になって我の右前を歩く。心配性のリサであるから、あの人集りに誰かしらが嫌がらせを受けていると勘繰っているのだろう。
どう考えてもあの異音は人の声由来では無かったが、かく言う我も気になっていた。あれほどまでに不快な音は初めてであったのだ。少しばかり歩調を早めると、人間によって作られた囲いの中に、一人の男が居るのが見えた。
更に近づいてよく見ると、どうやら男は周りの人間らに口頭で責められているようである。男はみすぼらしく、同時に汚ならしい身なりをしていたが、周囲の人間に癇癪や逆上を起こさず、申し訳ないと頭を下げていた。
会話が聞こえる距離にまで近づいて、堂々と事の成り行きを見る。リサも気になっているようで、控えめに体が傾いていた。
「いやぁ……すみません。自分でもこれ程下手とは思わなくて……」
「もう、勘弁してよ。うちの赤ん坊が泣き出しちゃったんだから」
「やるにしてもここじゃない所でやってくれよ」
「耳が千切れるかと思ったぜ……あんた、もうちょっと腕を磨いて出直しな。もう少し血気盛んな奴が居たら、問答無用で石投げられてるぜ」
「ははは……実はもう……」
「こんな下手くそな吟遊詩人なんざ見たことがねえ」
……どうやら、騒音の主は吟遊詩人のようだ。それも、耳が千切れる程の素人らしい。遠くから聞いただけの音色で不快だと感じたのだから、それを朝方から聞かされた住民の不満は当然だろう。男は肩を竦めながら、ちょこんと胸元に何かを持っていた。恐らくだが、楽器である。独特の形をした緑色の貝殻のようで、幾つもの孔が空いている。ちょんと伸びた筒状の部分から息を吹いて音を出すのだろう。
その楽器を見たリサは呆れた顔をした。
「オカリナって……難しいにも程があるでしょ」
「……そうなのか?」
我にとって楽器というのは、笛と戦争で使われる喇叭、大太鼓、銅鑼、レストランの老人が弾いてみせたヴァイオリンという奴しか知らない。オカリナというのはヴァイオリンよりも難しいのか、とリサに聞くと、リサは少し考えて口を開いた。
「どっちもやったことがないあたしが偉そうに言うのは変だけど……ヴァイオリンの方が難しいと思う。でも、オカリナだって簡単に吹けるものじゃない筈だから」
とにかく、この男は無謀にも難易度の高い楽器に手を伸ばし、結果あの最悪の音色を奏でたのだろう。ぼそりと漏らした言葉によれば、酷い演奏に投石さえされたという。我は少しだけ首を伸ばして男を見た。
男は遠目から見た通りみすぼらしい格好である。煤けた茶色や灰色の服装、草臥れた鼠色の外套、安っぽい靴の前には、使い込んでへたれてしまった帽子が逆さまに置いてある。当然のことだが、銅貨の一枚も入っていない。その上妙にカビ臭く、実に怪しい男である。
男はそんな容姿でオカリナを両手に持ち、こなれた苦笑いで腰を折っていた。
髪色は焦げたような赤色で、瞳の色は赤茶である。頼り無さげな顔に無精髭を生やしており、年齢は四十半ばといった具合だろう。さして取り上げる事のない容姿であるが……我は少しだけ、男の体格が気になった。男は吟遊詩人にしては精強で、軍人というにはいまいち頼り甲斐のない背格好をしていた。
どっち付かずで曖昧な体型である。付け加えて、我は男の髪に見覚えがあった。何処だ何処だと記憶を探ってみれば――ああ。
セラである。ミルドラーゼにて出会い、魔王たる我に不遜な態度を示した怪しい女。妹を探していると言っていたが、そんなセラと男の髪は色が似ていたのである。
我は俄然気を引かれて男を観察し、続けて驚いた。オカリナとやらを抱える両手に、見えづらいがかなりの傷がある。あの傷は剣や槍を振って鍔迫り合いを繰り返す剣士の傷だ。
驚いて顔を上げると……男と目が合っていた。男は苦笑いを浮かべている。何の変哲もない苦笑いだが、その瞳の奥には我と同じ観察の色が滲んでいる。
男が目を合わせたのはほんの一瞬であり、瞬きを一つ挟むと、苛立つ住民にペコペコと頭を下げていた。一体何だと我は思ったが、それを考える前に袖が引かれる。見れば、リサが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「金髪、どうしたの?」
「……いや、大した事ではない」
男に関しては色々と考察の余地があるが、それをすることで得られる物は大して無いだろう。ただ、こいつがただの吟遊詩人等ではないということだけを覚えていられれば良い。我は「分かったら気をつけてくれよ」という注意と共に解散する住民たちに合わせて男に背を向けた。
……さて、予想外の事はあったが、組合に向かうとしよう。
我は慣れぬ道を通り、組合の前に立った。我の中で組合と言えば傾きかけの歪んだ酒場であったので、二階まであるオズワルの組合は中々に違和感がある。その違和感を振り払うように扉を開けると、カウンターにオズワルとロッシュが居た。メリルやストライクは居ないが、メリルは一応魔法使いであるし、ストライクは性格的な話で暇というものが少ないだろう。
2日続けて暇そうなロッシュの方に問題があるというものだ。
オズワルは扉の音につられて我らを見、続けて愉快そうに笑った。
「ヒャヒャ……その様子じゃ宿には泊まれたらしいね。一晩で服装まで変わっちまって……寒いだなんだってのはどうしたんだかねえ」
「諸事情で克服した。忘れるがいい」
「あ、えっと、良い宿で助かりました。ご飯も美味しいですし……」
「アイツの女は昔っから料理が上手いからねえ。娘は元気にやってたかい?」
「知らん。ほとんど会話していないからな。だが、見た限りでは元気であろう」
店主の娘に関しては、注文の時に一言会話したのみで全くどんな人間かが分からない。注文の時に我の顔を見て惚けた顔をしていたので、そういった顔をする余裕はあると見える。我としてはその後リサが人間じゃらし云々を言ってきたほうがめんどうであったし記憶に残っている。
我の言葉にオズワルはいつもの笑い声を上げて、ロッシュが口を開いた。
「おはよう、コルベルト。……なんていうか、かなり雰囲気が変わったな」
「……服に関しても諸事情があった。気にするな」
「お、おう……」
言葉に従って引き下がるロッシュに代わり、オズワルが用件を尋ねた。冒険者が組合に来た以上、用件など決まっているだろう、と返すと、そうかいそうかい、と軽く返された。特に何かを言ってくる様子もないので、すぐ隣にある依頼板を見させてもらうとしよう。
依頼を吟味しようと右を向くと、右に居たリサが珍しそうな顔で我を見ていた。
「……なんか、あたしより冒険者っぽくなってる気がする」
「……場所に応じて適応するのも、魔……王族の素質よ」
何だか癪な言葉に言い訳を変えそうとして、地雷を踏み抜くところであった。この面子ならば冗談だと言って流されるだろうが、メリルやストライクが居れば面倒は加速するだろう。あの二人は見たところ子供っぽく騙されやすいように見えるのだ。
身内から突き立てられた唐突な一撃を掻い潜って、我は依頼の束に向かい合う。さて、どんな依頼があるものやら。
「やっぱり街の中の依頼のほうが良い?」
「討伐依頼で無ければ一考であるが、出来ればアルベスタ内部での依頼が望ましいな」
「…………あんまり無いね」
組合に寄せられる依頼の大半がよく分からない魔物の討伐依頼であった。そうでなくとも以前見たように知らぬ薬草の採取であったり、中には三日ほど村の用心棒を、だとか、商隊の馬車を護衛してくれ、という依頼がある。ミルドラーゼに比べて依頼の母数はかなり多いのだが、代わりに依頼の範囲が広く外に向かっている。
今の我らが馬車の護衛などを受けてしまえば、間違いなく二週間を過ぎてしまうだろう。その他にも移動に丸一日を使う開拓村の依頼だのもある。それに関しては移動費を受け持ってもらえるらしいが、割には合わないだろう。
我らは依頼書の一つ一つに目を通した。……流石にドブさらいのような仕事は勘弁してほしいが、そうでなければ是非とも受けたい所である。時間的に早朝依頼を吟味しているので、一応選択肢は多いはずである。
少しの間依頼板と睨み合った我らであったが、リサが何かを見つけて声を上げる。
「あ……あー、いや……」
「どうした?」
「うーん……あんたにぴったりっぽい依頼があったんだけど、どうかなって」
言葉を続けながら、リサは随分上に貼ってあった依頼書を剥がす。依頼書には大きく『常設依頼』の印が押されており、良く見れば白狼の討伐依頼の近くにあったものである。まあとにかく内容を見よう、とリサの手元を覗き、我は依頼内容を読み上げた。
「……『盗人ミストルティンの捕縛』?」
我が読み上げた依頼を聞いて、へえ、とオズワルが面白そうな声を漏らす。
「アンタ、中々目の付け所が良いじゃないか」
「いえ、偶然です」
謙虚にそう言うリサの手元をよく見た。依頼主は……ふむ。よく分からんが、大量の貴族の名前が書いてある。貴族がこぞってミストルティンとやらを捕らえようとしているのか。依頼の期限は受けてから一週間。集合や内容確認は無し。盗人は生け捕りが理想だが、最悪首から上があれば良い、と。
報酬は……金貨十五枚? 凄まじい金額である。ミストルティンとやらは余程のことをしでかしたに違いない。余程のことをしでかしてもこの金額にはなりえないような気もするが、多くの貴族が金を出しあって、この依頼を出したのだろう。
とはいえ、実質的な指名手配が出ていて未だに捕らえられていないというのだから、かなり高難易度のように思える。我は訝しみながら備考を読み、ああ、と納得した。これならば、確かに我は適任である。というより、我以外では相当不可能に近いだろう。
曰く、盗人ミストルティンは、金を肥やした商人や貴族からのみ物を盗むのだという。夜道を歩いていると突然に風が吹き、財布や金目の物が無くなっている。そういったスリをミストルティンは繰り返し、貴族から文字通り身ぐるみを剥いでいるのだ。
その癖金庫などの金には手をつけないので罠にかからず、あまりの素早さから捕まえるのが難しい。
ミストルティンによる被害は貴族という存在を大きく貶める重犯罪であり、貴族はどうにかしてミストルティンを捕らえたいのだ。
我がこの依頼に適している理由は二つ。我の容姿が貴族にしか見えないということ。そして、ミストルティンは必ず夜にスリを行うということである。普通、夜に素早く逃げる盗人を捕らえるのは難しい上、そもそも盗人と接触することがかなり難しいのだが、我は気品に満ちており、夜目が利く。その上、その他の感覚も非常に鋭い。もし逃げられてしまえば捕獲は難しいとしても、上手くスリの瞬間を押さえれば簡単に捕らえることができるのだ。
大方、我が夜中に財布をちらつかせながら貴族の多く住む高級住宅をふらふらと歩いていれば、ミストルティンが向こうからやってくるという算段である。捕らえる段階に大きな問題点こそあれ、この依頼はまさに我らにうってつけという奴である。金貨十五枚という破格の報酬も相まって、非常に都合がいい。
リサは我の顔を見た。どうだ、と聞いているのだ。我はしばらく依頼書を読み返し、自分が読んだことに間違いがないかをしっかり確認した後に、リサを見た。
「うむ。丁度良い。方法はその都度考えるとして、これ程相性の良い依頼もそうあるまい」
――受けるとしよう。大きく声を張るわけでもなく、ただ淡々とそう言った。盗人ミストルティン……捕らえることはまず確定であるが、その技量が気になる所だ。恐らく噂を聞いて気を引きしめている貴族の護衛を掻い潜り、さらりと身ぐるみを剥ぐ技巧は、とても盗人の二文字で語られることではない。
捕らえて貴族につき出せば金と交換でミストルティンは吊るし首か断頭だろうが……それをうまいこと利用して、どうにかならないものか。
我はにやりと笑うオズワルに依頼書を渡しながら、素早く脳裏に計算を思い描いていた。




