テオの日常
「何ですか、その格好」
「良いでしょ!さっき作ったんだ」
テオドロ・シルバは巨大な獣の毛皮を頭からすっぽり被り、口だけが開いた頭部から得意げに顔を覗かせていた。
「ダサい」
「えっ!?」
「というか、それより臭ッ!?」
クレア・ベネットは鼻をつまんで思わず一歩後ろへ下がる。
「それが良いんだよ。匂いも本物なら、警戒されずにもっと近付けるかもしれない」
「テオ、そんなこと言ってあなたが食われても私は助けませんよ」
クレアは反対の手であっちに行け、と追い払うように手を振る。
「そんなに言うなら実証してみようじゃないか」
「とりあえず近付かないで」
詰め寄るテオに半歩下がるクレア。
巨大な穴だらけの荒野の端に点在する森。その森の中で身を隠すように獣たちは生きている。そういった場所はテオたちにも都合が良かった。
「……本当に何をしているんだか」
クレアは草むらから双眼鏡で様子を伺っていた。彼女の視線の先には、ぎこちない四足歩行をしている、灰色の草食獣になりきっているらしいテオがいる。被り物の頭が重いのか、項垂れて気を落としているようにも見える。
湖の畔には生き物が集まりやすい。警戒心の高い獣であれば、人間のような生き物が近付けば普通は逃げていくが、テオが水を飲む獣を装って近付いても、今のところは警戒されていないように見える。
「後ろ足は普通に軍靴が見えているけど、異生種の獣も嗅覚の方が重要なのかしら」
クレアは双眼鏡を首からぶら下げ、手帳と鉛筆を取り出しメモをした。
そのとき、湖畔の獣が一頭、ゆっくりと頭を上げた。細長い耳が左右へ動き、鼻先がテオへ向く。
テオの動きが止まり、獣も動かない。
「見えているのかしら」
クレアは再び双眼鏡を覗いた。
テオはしばらく硬直した後、思い出したように顔を湖へ近づけた。しかし毛皮の口から水を飲めるはずもなく、鼻先を水面に押しつけているだけだった。
湖畔では、獣が一歩ずつテオへ近づいていた。
背丈は人間の胸ほど。灰色の毛に覆われ、頭部から後方へ曲がった二本の角が伸びている。
獣がテオの被った頭部へ鼻を寄せると、テオがわずかに顔を上げた。
「やあ」
獣は前脚を振り上げ、テオの毛皮の頭を殴った。
「うわっ!」
テオが仰向けに転がる。周囲で水を飲んでいた群れが一斉に湖へ飛び込み、器用に泳ぎ対岸へ逃げていった。
草むらへ駆け戻ってきたテオは、ずれた毛皮を直しながら不満そうに言った。
「今のは僕が悪いのか?」
「喋ったからでしょう」
「友好的な挨拶だよ」
「仲間の口から人間の顔が出て喋ってきたら、私でも殴ります」
クレアは手帳へ書き加えた。
「接近時にも嗅覚だけで判断していた可能性あり。人間の声に反応し逃走。あと、前脚による攻撃行動」
「毛皮の有用性も書いて」
「不完全な擬態でも接近可能、としておきます」
「大発見じゃないか」
クレアがメモをしている間、テオは被り物から頭を出し、振り返って湖の周囲を見渡していた。ふと、テオが獣と戯れていた場所から少し離れたところにある水辺が泥地になっていることに気付く。そこには太い尾を引きずった跡や、三本爪の足跡などが幾重にも残っている。岸辺の低木には白い体毛が絡み、その根元には砕かれた角が落ちていた。
「クレア、この湖に何かいた?」
「いえ、特には。変な姿は見てませんよ。何か見つけましたか?」
テオの声掛けに、クレアは手帳から顔を上げる。
「うん、あそこに沼地があるんだけど、変な跡がね」
そう言ってテオが泥地の方を指差す。クレアは眼鏡をしているにも関わらず、目を細めて悩ましい表情をしている。
「ん〜?確かに泥地はありますけど……ここからではよくわからないですね」
「もう少し近づいてみる?」
「そうですね……」
クレアが顎に手を当てて考えていると、先ほどの草食獣とは別の獣がその泥地にやってきた。
「お、あの獣は初めて見るな。あれも異生種かな?」
「ほんとですね、やっぱり見に行ってみますか」
そのとき、突如破裂音と共に水中から巨大な口が飛び出した。水辺に近付いた獣が顔を上げるより速く、獣の上半身が咥えられる。水中から飛び出した巨大な口の持ち主が天を仰ぐと、再度口を開いて全て食べてしまった。次の瞬間には水中に戻り、そこには真新しい三本爪の足跡だけが深く残っていた。
テオとクレアが驚き口を開いたまま硬直し、一部始終を見終わった後にお互いの顔を見た。
「……行かなくて良かったぁ」
「ですね。水辺に近付くのも気をつけましょう」
二人は静かにその場を後にする。




