代償
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
夜。
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街は、何も知らないまま動いている。
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信号が変わり、車が流れ、人が行き交う。
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整った日常。
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宮島悟は、その中に立っていた。
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「……」
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視線の先。
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パトカー。
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赤色灯は回っていない。
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だが。
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車の前に、一台の原付が止められている。
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「免許証出して」
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低い声。
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制服の男。
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交通課の警察官。
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「いや、だからしてないって……」
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原付の男が困ったように言う。
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「さっきの信号、完全に無視してたよね?」
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淡々とした口調。
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「してないですって」
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「いやいや、見てたから」
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一歩も引かない。
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周囲に、少しだけ視線が集まる。
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だが。
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誰も止めない。
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「……」
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悟は、それを見ていた。
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言い合いは続く。
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証拠はない。
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だが。
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警察官は、断言している。
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「違反だから」
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その一言で、決まる。
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「……」
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悟は、視線を落とす。
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理解している。
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これは。
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“作られた現実”だ。
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証拠がなくても。
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記録がなくても。
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“そうだと言われれば、そうなる”
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「……」
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ポケットに手を入れる。
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触れる。
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翁。
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冷たい。
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だが。
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迷いはない。
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「……分かってる」
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小さくつぶやく。
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正しくないこと。
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この力の歪み。
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すべて。
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「……それでも」
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一歩踏み出す。
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■
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空気が、止まる。
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音が消える。
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時間が、わずかにずれる。
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悟の視界が、静かに歪む。
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警察官。
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その視線。
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その記憶。
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その“確信”。
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すべてが見える。
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「……そこか」
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小さく言う。
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証拠はない。
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だから。
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“証拠を作っている”
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頭の中で。
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それだけの話。
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悟は、軽く指を動かす。
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翁。
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その瞬間。
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“観測が変わる”
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警察官の記憶。
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ほんの一部。
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ズレる。
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■
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時間が戻る。
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「……あれ?」
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警察官の声が変わる。
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一瞬だけ、言葉が止まる。
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「……」
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原付の男を見る。
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信号を見る。
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少しだけ、迷う。
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「……まあ、今回はいいや」
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小さく言う。
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「気をつけてね」
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「……え?」
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原付の男が戸惑う。
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だが。
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それで終わる。
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警察官は、何事もなかったように戻る。
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日常が続く。
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■
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悟は、その場を離れる。
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振り返らない。
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分かっている。
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今やったこと。
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それが何か。
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「……正しくない」
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はっきりと言う。
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だが。
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足は止まらない。
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「……だから何だ」
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一拍。
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視線は前。
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「……必要だ」
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静かに言い切る。
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夜。
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部屋。
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机の上。
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翁。
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そこにある。
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悟は、椅子に座り、それを見る。
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「……代償か」
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小さくつぶやく。
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力を使うこと。
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現実を変えること。
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その意味。
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理解している。
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だが。
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「……払う」
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一言。
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迷いはない。
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それが何かは、まだ分からない。
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それでも。
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「……やる」
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その言葉だけが、残る。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




