観測者
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
夜。
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編集部。
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蛍光灯の白い光が、机の上の資料を照らしている。
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紙。
写真。
モニター。
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すべてが並んでいる。
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班目唯は、その前に座っていた。
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「……おかしい」
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小さくつぶやく。
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画面には、記事の更新履歴。
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杉並四丁目事件。
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何度も書き換えられている。
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だが。
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「……残ってない」
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履歴が、あるはずなのに。
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途中が抜けている。
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“変わった痕跡”だけが残っている。
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「……どうやって」
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指で画面をなぞる。
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消されたわけじゃない。
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最初から、そこに無かったような状態。
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「……」
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理解が追いつかない。
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■
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「班目」
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背後から声。
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斉藤和樹。
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コーヒーを片手に、無表情で近づいてくる。
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「まだやってるのか」
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「……はい」
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班目は振り向かずに答える。
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「これ、変なんです」
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画面を指差す。
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「更新はされてるのに」
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「履歴が繋がってないんです」
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斉藤が画面を見る。
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数秒。
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「……あるな」
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短く言う。
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班目が少し驚く。
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「分かりますか」
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「分かる」
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一拍。
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「普通じゃない」
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即答。
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「……ですよね」
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班目は小さく息を吐く。
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「でも」
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一瞬迷う。
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「消されたわけじゃないんです」
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「……?」
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「最初から、そうだったみたいな」
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斉藤は、少しだけ目を細める。
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「……書き換えか」
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ぽつりと言う。
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「え?」
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「記録が“変わった”んじゃない」
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一拍。
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「“そうだったことになった”」
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班目の思考が止まる。
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「……そんなこと」
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言葉が続かない。
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だが。
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否定できない。
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■
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大学。
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夜。
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人気のない廊下。
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宮島悟は、一人で歩いていた。
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足音が、静かに響く。
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ふと、立ち止まる。
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何もない。
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だが。
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“見られている感覚”
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「……」
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振り返る。
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誰もいない。
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当たり前だ。
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それでも。
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確実に。
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“観測されている”
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そんな感覚がある。
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「……」
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ポケットに手を入れる。
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触れる。
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翁。
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その瞬間。
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空気が、少しだけ変わる。
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圧が消える。
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「……」
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悟は前を向く。
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理解している。
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自分が、見られている理由を。
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「……来るな」
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小さくつぶやく。
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誰に向けた言葉かは、分からない。
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■
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編集部。
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「……一つだけ」
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班目が言う。
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「分かることがあります」
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斉藤が視線を向ける。
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「何だ」
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班目は、少しだけ間を置く。
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「これ」
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画面を見る。
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「人がやってるなら」
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「必ず痕跡が残るはずなんです」
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一拍。
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「でも残ってない」
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静かに言う。
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「じゃあ」
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そこで止まる。
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言葉にするのをためらう。
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「……何だと思う」
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斉藤が促す。
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班目は、ゆっくりと息を吸う。
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「……観測できてないだけです」
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言い切る。
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斉藤は、何も言わない。
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ただ。
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少しだけ。
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笑った。
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「いい線いってる」
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一言。
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「じゃあ次は」
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コーヒーを机に置く。
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「それを“観測する”」
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■
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夜。
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悟の部屋。
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静寂。
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机の上。
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翁。
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そこにある。
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悟は、それを見ている。
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「……観測か」
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小さくつぶやく。
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自分がやっていること。
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そして。
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自分がされていること。
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同じ言葉で説明できる。
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「……面白いな」
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初めて。
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ほんの少しだけ。
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笑う。
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だが。
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その目は、笑っていない。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




