異常な生活痕
※この物語はフィクションです。
あなたが観測するまでは。
夜。
宮島悟は、机に座ったまま画面を見ていた。
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杉並四丁目一家殺害事件。
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記事を開いたまま、動かない。
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スクロールは止まっている。
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ただ、一点だけを見ている。
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『犯人は侵入後、長時間にわたり室内に滞在していたとみられ——』
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「……長時間」
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小さくつぶやく。
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普通じゃない。
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殺して、逃げる。
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それが普通だ。
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なのに。
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「なんで残る」
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理由が浮かばない。
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もう一度、スクロールする。
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別の記事。
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『室内には食事の痕跡が残されており——』
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食事。
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悟の指が止まる。
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「……食ったのか」
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事件のあとに。
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その場で。
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「……」
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言葉が出ない。
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さらに読み進める。
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『パソコンの使用履歴も確認されており——』
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「……触ってる」
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家の中を。
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まるで。
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「……住んでるみたいだな」
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ぽつりと漏れる。
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■
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編集部。
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班目唯は、写真を見ていた。
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現場の写真。
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テーブル。
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開かれたままの食品。
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使われた食器。
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整っているようで、どこか乱れている。
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「……これ」
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指で写真をなぞる。
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「おかしくないですか」
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向かいの斉藤が、目を向ける。
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「どこが」
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「生活してますよね、これ」
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静かに言う。
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「事件の後に」
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斉藤は写真を見る。
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数秒。
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「……してるな」
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あっさり認める。
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班目は少しだけ驚く。
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「普通、しないですよね」
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「しない」
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即答。
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一拍。
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「普通の犯人ならな」
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班目は黙る。
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写真を見つめる。
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「……じゃあ、普通じゃないってことですか」
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問い。
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斉藤は椅子にもたれる。
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「普通じゃないか」
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少し間。
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「“普通でいられた”かだな」
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意味が分からない。
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班目が顔を上げる。
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「どういう意味ですか」
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斉藤は、天井を見る。
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「怖くない状況だったんだろ」
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一言。
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空気が、少しだけ冷える。
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「……怖くない?」
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「捕まるかもしれないって状況でな」
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淡々と続ける。
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「飯食うか?」
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班目は、言葉を失う。
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想像する。
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その場で。
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あの状況で。
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食事をする人間。
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「……無理です」
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小さく答える。
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斉藤は頷く。
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「だろうな」
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一拍。
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「でも、やってる」
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写真を軽く叩く。
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「これが事実だ」
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大学。
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講義中。
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宮島悟は、ノートも取らずに前を見ていた。
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頭の中は、別のことを考えている。
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事件のこと。
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家の中。
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食事。
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パソコン。
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「……」
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違和感が消えない。
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ただの異常じゃない。
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「……条件があるな」
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小さくつぶやく。
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気づき始める。
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「捕まらないって分かってるか」
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一拍。
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「もしくは」
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少しだけ目を細める。
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「捕まらない“状態”だったか」
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夜。
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班目は、一人で歩いていた。
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スマホに表示された写真。
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現場。
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テーブル。
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食事。
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何度も見ているのに、慣れない。
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「……なんで残ったんだろ」
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答えは出ない。
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ただ。
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考えれば考えるほど。
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おかしくなる。
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「……帰れなかった?」
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違う。
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「……帰らなかった?」
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それも違う気がする。
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立ち止まる。
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街灯の下。
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「……帰る必要がなかった?」
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その言葉が出た瞬間。
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背中に、ぞわっとした感覚が走る。
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同じ夜。
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宮島悟。
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部屋。
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スマホの画面を見つめている。
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事件の記事。
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指が、わずかに動く。
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「……見えてないな」
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小さく言う。
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情報はある。
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だが。
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“決定的な部分”がない。
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「……そこか」
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静かに、立ち上がる。
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窓の外を見る。
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暗い夜。
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何もない。
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だが。
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「……あったはずだ」
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一言。
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その瞬間。
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部屋の空気が、ほんのわずかに揺れる。
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まだ、触れていない。
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だが。
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確実に。
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“そこ”に手をかけている。
——この物語は、あなたに観測されたことで成立しました。




