1話:異世界の王子、横浜の路地裏で拾われる
その日、アルス・フォン・ベルシュタイン王子の視界は、
黄金色に輝く麦畑で満たされていた。
愛馬の背に揺られながら、彼は満足げに目を細める。
「……ふむ。今年の収穫は良さそうだな。
民の笑顔が目に浮かぶようだ」
弱冠二十五歳。
次期国王として「名君の器」と称えられた彼は、
自ら領地を視察し、土地の声を聴くことを何よりの誇りとしていた。
だが、運命は唐突に牙を剥く。
茂みから飛び出した一羽の野うさぎ。
驚いた愛馬が激しく前脚を上げた。
「おっと……!」
熟練の乗り手であるはずのアルスの体が、重力に逆らえず宙に浮く。
スローモーションのように流れる景色。
慌てて駆け寄る騎士たちの叫び声。
(――ああ、城下で一番の菓子を
妻に買って帰る約束だったのだがな)
そんな人間臭い後悔を最後に、
アルスの意識は深い闇へと沈んでいった。
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「……痛っ……」
鈍い痛みが背中に走り、アルスはうっすらと目を開けた。
まず感じたのは、嗅いだことのない「無機質な臭い」だ。
焼けた鉄と、饐えた油が混じったような。
ゆっくりと体を起こすと、そこは宮殿でも天界でもなかった。
「……ここは、どこだ?」
地面は黒く、ひどく硬い。
石畳にしては継ぎ目がなく、まるで一枚の巨大な岩盤だ。
周囲を見渡せば、
空を突き刺すような巨大な箱型の建物が立ち並び、
壁面には見たこともない文字が光り輝いている。
そして、彼の目の前には――
煌々と光を放つ、四角い鋼鉄の塔があった。
中には、色とりどりの液体が入った筒状の器が、
行儀よく整列している。
「……魔導具か? いや、裁きの祭壇か……?」
喉が焼けるように乾いている。
アルスは無意識にその塔――自動販売機へ手をかざし、
使い慣れた「水召喚」の術式を脳裏に描いた。
だが。
「……魔力が、ない?」
体の中の回路が、完全に枯渇している。
王家の血筋に約束されたはずの魔力が、
一滴たりとも感じられない。
誇り高き王子が、
得体の知れない鉄の箱の前で絶望に震えた、その時だった。
「あらら。コスプレかしら?
それとも時代劇の撮影の落とし物?」
背後から、芯の通った女性の声が響いた。
振り返ると、そこには奇妙な格好の女性が立っていた。
頭には手ぬぐい、光る緑のベスト、
そして手には長い柄のついた刷毛。
「……そなた、何者だ。ここは私の領地か?」
王子の威厳を保とうとするアルスに、
女性――松代は、くすりと笑った。
「領地? 景気がいいわねぇ。
ここは横浜の路地裏よ、お兄さん」
松代は一歩近づき、アルスの瞳をじっと見つめた。
泥だらけの、正体不明の男。
しかし、その瞳の奥にある澄んだ光と、揺るぎない気品。
松代は掃除屋のプロとして、本物の「輝き」を直感で理解した。
「あんた、いい目をしてるわね。
……訳ありみたいだけど、このまま干からびさせるのは
寝覚めが悪いわ。うちへ来なさい」
「……私を、拾うというのか?」
「そう。私は松代。掃除屋のおばちゃんよ。あんた、名前は?」
アルスは躊躇った。
その名は、この世界では何の意味も持たない。
松代は彼の沈黙を察したのか、ポンと手を叩いた。
「いいわ、私がつけてあげる。
今日からあんたは、**『羽柴一太郎』**よ」
「ハシバ……イチタロウ?」
「一からやり直して、日本一の男になりなさいってこと。
さあ、行くわよ。私の軽トラに乗って!」
こうして、一国の王子は掃除屋の軽トラックに揺られ、
新たな「領地」へと向かうことになったのである。
魔力もなく、剣もない。
だが、彼には失われていないものがあった。
名君として培った**「論理」**と、民を想う**「情熱」**。
それが後に、**「エクセル」という現代の魔法**と出会ったとき、
停滞した日本のビジネス界に革命をもたらすことなど、
この時の彼はまだ知る由もなかった。
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