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第一章 2-4

 険しい顔をした男達が、続々とセントレイラの間に集結していた。


 宮廷の深淵にある窓一つない小さな部屋は密談にはもってこいであり、各省の長官と皇帝による少数精鋭の会議、通称“中枢議会”のために初代皇帝が誂えたものだと言われている。

 その歴史は脈々と受け継がれ、今も正に緊急中枢議会が開かれようとしていた。


 緩やかな楕円形の長机に座る面々は、皆ひどく深刻な面持ちだった。

 壮健であった皇帝が、齢四十五にして突然の死。

 そんな事態、誰が想像できようか。


 予想外、つまりは不自然。

 そこに何者かの意図を考えざるを得ない。


 アイズベルグ帝国宰相グリゴリー・エローヒン公爵は、気持ちを落ち着かせるように息を吐いてから、重い口を開いた。


「診察の結果はどうだったんだ?」

「明らかな外傷は見られず、毒物が使用された痕跡もないそうです」

「そうか……」


 グリゴリーは険しい面持ちで呟く。

 対する司法省大臣エドガル・ソロキン伯爵は、医師による検死結果が記された羊皮紙を広げながら続ける。


「陛下のご遺体は非常に血色がよく、苦しんだ様子もなく、穏やかな最期であったかと」

「そんなことはどうでも良い。死因は何だ」


 グリゴリーは地を這うような低い声でエドガルの言葉を遮った。

 飛ぶ鳥を射殺せる程の眼差しに、エドガルは一瞬言葉を失ってから慌てて書面に視線を落とす。


「バーベリ医師曰く、『凍死』です」

「凍死だと? 室内でか?」

「はい。陛下のご遺体には各所に紅斑が見られ、それは凍死に特徴的な所見なのだとか。それに昨夜はひどく冷え込んでおりましたし、下女曰く、昨日に限って、陛下は寝室の暖炉の火入れを断られたそうで」

「なに? まさか自殺……いや、あの陛下に限ってそれは無いか」


 未だ納得しかねるといった表情のグリゴリーに、エドガルはさらに詳細な報告を読み上げていく。

 すると、向かいの席に座る屈強な男が口を開いた。


「酔っ払って腹出したまま寝ちまったんじゃねぇのか? 俺もたまにそういうことあるぜ」


 陸軍元帥アルセニー・ルッツは浅黒い肌に浮き出た腹筋をパンパンと叩きながら、白い歯を剥きだして笑う。

 すると、


「アル。陛下を君のような粗忽者と一緒にするなど、失礼極まりないですよ」


 これまでだんまりを決め込んでいた海軍元帥クリメント・シィバが、さらりとした長髪を優美に掻きあげながら言う。


「あん? 何だとこのクリクリ眼鏡!」

「……君と言う人は、相変わらず言葉遣いがはしたないですねえ。あぁ、嫌だ嫌だ」


 クリメントはアルセニーの言葉に眉をぴくりと引き攣らせるも、すぐに肩を竦めて溜息交じりに呟いた。

 その態度が余計癇に障ったのだろう、アルセニーが「やんのかコラ」と指の関節を鳴らす。

 この二人のやり取りは、もはや中枢議会ではお決まりの光景である。


「……レーフ。君の意見が聞きたいのだが」


 議長たるグリゴリーは、頭痛に耐えかねるように眉間に拳を押し当てながら末席に座る青年に声を掛ける。

 その声に顔を上げたのは、中枢議会最年少であり秘密警察長官のレーフ・モルチャリンだ。


「んー?」


 宰相であり、公爵であり、泣く子も黙る強面のグリゴリーに対し、レーフは一切物怖じしない。

 そして男でも見惚れるような甘い相貌を崩すことなく、


「ま、普通に考えて殺しだよね」


 誰もが断言しかねていたことを、飄々と言ってのけた。

 物騒な二文字に、議会の空気がしんと静まり返る。

 しかしレーフはまるで気にした風もなく、いたずらを考える子供のように頭の後ろで手を組んで背もたれに寄り掛かりながら言う。


「問題はり方の見当が全くつかないことと、容疑者候補が多すぎることかな。……殿下は何かご存じありませんかね?」


 冷え切った議会の空気が、さらに凍り付く。

 誰もが、あのアルセニーですら、遠慮して声を掛けずにいたというのに……。


 グリゴリーは『この若造が』と怒鳴りたい気持ちをぐっと押し殺し、ようやく上席に座る人物に目をやった。

 金の飾り彫りが施された肘掛けに深紅の天鵞絨ビロード貼りの豪奢な椅子。

 それにふさわしい堂々たる姿で座していたマクシミリアン陛下の姿は、今は亡い。


 代わりに座っているのは、蛇に睨まれた蛙の如く蒼白な顔で縮こまる、あまりにも場違いなうら若き少女。


「へっ? わ、わわ、わたくし?」


 アイズベルグ帝国唯一の帝位継承者、ミーティス・ソーン・アイズベルグであった。



 ***



 ミーティスは焦っていた。


「へっ? わ、わわ、わたくし?」


 数時間前に父を亡くしたばかりで上の空のところに、突然話を振られたから――というわけではない。

 ミーティスは聞いていた。

 一言一句聞き漏らすことなく、必死に議会の面々の会話に耳をそばだてていた。


「えぇっと……」


 その上で理解が追い付かなかったのだ。

 この状況に。

 ミーティスが言葉に詰まっていると、敏腕宰相グリゴリー・エローヒンが、んんっと大きな咳ばらいで静寂を破った。


「レーフ、訂正しろ。今日よりこのお方は殿下ではなく、陛下であらせられる」


 一同が揃って息を呑んだ。

 誰よりも大きく息を呑んだのはミーティスだ。


 ――痛い、痛い、視線が痛いわ!


 何でこんなちんちくりんが由緒ある皇帝の座に座っているんだ、と言わんばかりの周囲の視線に、思わず扇を取り出して額の汗を扇ぐ。


「えー。戴冠式たいかんしきもまだなのに、細かいなぁ宰相閣下は。……ハイハイ、大変失礼致しましたミーティス陛下」


 レーフの言葉で、一気に現実味が沸いてくる。


「皇女殿下が次期皇帝ですか……」

「帝国初の女帝、ということになりますねえ」

「あのちっさかった姫さんが皇帝かよ!」


 エドガルやクリメント、アルセニーらが深刻な面持ちで口々に呟く。

 それを鋭い視線で瞬時にいさめたグリゴリーだが、さすがにその漆黒の瞳にも不安の色を隠しきれないようで。

 ミーティスと目が合うと、数刻の後、すっと目を逸らされた。

 もういや、心折れそう。


「あの、その……まだわたくしが次期皇帝と決まったわけではありませんわ」


 いたたまれない気持ちに耐えかねたミーティスが、おずおずと手を挙げながら苦し紛れに言う。


「そうよ! 今すぐにでも素敵な殿方と結婚して、その方に皇帝を引き継いでもらいましょう」

「出来ません」


 一縷いちるの望みを懸けたミーティスの妙案は、司法省大臣エドガル・ソロキンによって即座に却下される。


「陛下はまだ十四歳です。男女ともに、十六歳のデビュタントを迎えるまでは婚姻を結ぶことはできないと、帝国憲法に記されております」

「なっ! ならばその法律、わたくしの権限で変えてしまいましょう!」

「不可能ではありませんが……。憲法を改正するには大変面倒な手続きが必要でして、準備と根回しに最低でも半年はかかってしまいます。それに、婚姻制度を変えるとなると教皇猊下(げいか)のお許しが出るかどうか……」

「無理だろうな」


 困り顔で眉を下げるエドガルに、グリゴリーが断言する。


「あの保守的な教皇が、易々と許可を出すはずがない。そもそも皇帝不在の状況というのは、いつ他国からの侵攻を受けてもおかしくないということだ。国内も同様、僭称者せんしょうしゃによるクーデターの危険性が極めて高い。皇帝の死を隠蔽できる期間にも限りがある。姫のデビュタントを待つわけにはいかないのです」


 ――あぁ、宰相閣下のお話はよくわかりませんけど、これはもう皇帝に即位するのは不可避なのね。


 ミーティスは心で泣きながらも、運命を受け入れて「わかりましたわ」と必死に“女神の微笑み”を披露する。

 するとほんの少しだけ、議会の雰囲気が和らいだ。


 今更あがいたところで、父のような立派な皇帝にはたぶんなれない。

 ならばせめて、外見だけは相応しく振る舞おう――。


 ミーティスは意を決して、足のつかない高い椅子からぴょこんと跳び降りる。

 そして懸命に反らした胸に手を当てて宣言した。


「アイズベルグ帝国次期皇帝は、石帝ことマクシミリアンが娘、ミーティス・ソーン・アイズベルグが務めさせていただきますわ!」


 あえて椅子から降りたのがいけなかった。

 残念ながらミーティスの姿は背の高い長机に隠され、臣下達からはその額しか見えていなかったのである。

 ……威厳も立端もあったものではない。



 ミーティスの死角では、宰相グリゴリーが密かに天を仰いでいた。

 彼は決断を余儀なくされていたのだ。


 皇帝が殺害されたとなれば国中が混乱に陥る。

 それを治める手腕をこの小さき新皇帝に期待できるか?


 否である、と。

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