第1話 チートの持ち込みには関税がかかります
どこにも属さない灰色の虚空。
アストラル空間の中央に、その巨大な建造物は浮かんでいた。
『境界ターミナル Central-0』。
数キロメートルに及ぶ幾何学的な結晶構造と、近代的なガラス張りのトラス構造、そして古代のルーン文字が刻まれた真鍮のパイプラインが入り交じる、全マルチバースの巨大トランジット・ハブ。
その外周には、無数の異世界や神界へと繋がる発光リング(次元ゲート)が蜂の巣のように突き出している。
だが、その内部はロマンチックな異世界ステーションのそれではない。
「だから言っただろ! 俺はトラックに撥ねられたんだよ! つまり『異世界転生の王道テンプレ』だ! なのに何で俺が、こんな白タイルの殺伐とした窓口に並ばなきゃならねぇんだよ!」
中央コンコースの一角、第2入国審査課のカウンターから、耳障りな絶叫が響き渡った。
並ぶカウンターの数は数百。
天井一面に掲げられた巨大な魔導ステータスボードには、各世界の運行状況や「到着した魂の遅延情報」が無機質な文字で明滅している。
怒鳴り散らしているのは、一人の若い男の魂――いや、肉体を失い、半透明の霊体となった「元・現世の引きこもり」だった。
その背後では、白いローブをまとった初老の低級神が、冷や汗を拭いながら「し、静まりたまえ若者よ……」と青い顔で肩を叩いている。
カウンターの向こう側。
山積みにされた厚さ十センチ超の『次元出入国管理法規集』の陰から、一人の男がやれやれと溜息をついた。
ネクタイを緩め、無精髭の生えた顔に深いクマを刻んだ一般審査官――セイジ・イマミヤである。
「お静かに願います。ここは神様の遊び場でも、あなたの妄想を叶えるアトラクション会場でもありません。境界出入国管理局、第2審査課です」
セイジは卓上の魔導スキャナーに男の魂データを映し出し、ジト目で冷ややかに見据えた。
「ええと……鈴木タケル君、齢二十二。死因:赤信号無視の大型トラックによる跳ね飛ばされ。……ふむ。見事なまでの自業自得ですね」
「なっ……! 死者にむかってなんだその態度は! 俺はこれから異世界に行って、最強の魔王を倒して、美女に囲まれてハーレムを築く運命なんだよ! 神様もそう言ってた!」
鈴木タケルが喚き散らすと、その背後で初老の低級神――今回の担当神であるゼノが、バツが悪そうに目を泳がせた。
実はこのゼノ、自分の担当世界でうっかり凡ミスをやらかし、現世を歩いていたタケルを不法な落雷の身代わりで誤って即死させてしまったのだ。
その隠蔽工作として、「無敵チートスキル」を口止め代わりに与え、勝手に自世界へ送り込もうとしていたのである。
「す、鈴木君……。あまり大声を出すと、お役所の方々に……」
ゼノンが小声で宥めようとするが、タケルは鼻息を荒くする。
「ふざふざふざけんな! 神様が『お詫びに全属性魔法と無限魔力をやる』って言ったんだ! 早くその転生ビザとやらにスタンプを押せよ!」
セイジは手元の法規集をパラパラとめくり、乾いた笑声を漏らした。
「全属性魔法に無限魔力……。ほう。次元重量オーバーもいいところですね。お気持ちは察しますが、却下です」
「は……? 却下……だと?」
「当課の審査基準において、生前のカルマ値および社会貢献度がマイナス、かつ『精神的適性』が著しく欠如している魂への過剰スキルの発給は一切禁止されています。――おいゼノ神……。おっとあなたですね。規約第12条『不正な口止めおよび過剰権能の付与』に完全に抵触していますよ」
ゼノの顔から血の気がサーッと引いた。
「な、何をバカな! 私はただ、ささやかなる慈悲を……!」
「慈悲ではなく証拠隠滅の誤魔化しでしょう。あなたの神殿の裏帳簿、あとでうちの監査局に丸ごと洗ってもらいますか?」
セイジが冷たく言い放った瞬間、カウンターの空気がピリッと凍りついた。
「――ほう。神界管理法第12条違反、ですか」
静寂を切り裂いて、澄んだ、しかし氷のように冷たい声が響いた。
第2審査課のフロアの端から、漆黒の三つ揃いスーツを身に纏った男が足音もなく歩いてくる。
白銀の髪をきっちり撫で付け、彫刻のように整った顔立ち。
細いフレームの眼鏡の奥から放たれるアイスブルーの瞳は、目の前の低級神を虫けらのように捉えていた。
神界監査局(DAB)第3査察執行部・上席監査官、レヴァニエル・サリム。
彼が左手に提げた黒革のバインダー――『監査用概念帳簿』が、微かに青白い光を放っている。
「レ、レヴァニエル上席……っ!」
ゼノ神は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
レヴァニエルはタケルを一瞥し、それからセイジのカウンターの前に立つと、いつものように無表情で軽く頷いた。
「ご苦労様です、イマミヤ審査官。どうやら今日もまた、ルールを忘れた愚かな神が、無知な魂をダシにして不祥事を隠そうとしているようですね」
「毎度お疲れ様です、レヴァンさん。おかげでこちらの窓口業務がパンクしかけてますよ。こいつの『全属性無敵チート』の申請、完全に基準値を超過しています。処理をお願いします」
「承知いたしました」
レヴァニエルは黒革の帳簿から、鮮血のように赤い一枚の執行票――『赤札』を指先でスッと引き抜いた。
その瞬間、レヴァニエルの背後に重厚で冷厳な「法の陣」が展開される。
「待て、待て待て待て! なんだお前は! 俺はこれから勇者になるんだぞ!」
タケルが恐怖に引きつった顔で叫ぶが、レヴァニエルは微動だにしない。
「神界管理法第12条違反。ならびに過失致死の隠蔽および不正権能の不法譲渡。――これより、ゼノ神、貴殿の神格およびすべての権能を一時凍結します」
レヴァニエルが『赤札』を掲げて冷徹に告げた。
「神権即時停止(赤札発給)」
ズウン。
空間が低い音を立てて揺らいだ。
ゼノの背後で眩しく輝いていた神々しい後光が、まるでガラス細工のように音を立てて砕け散る。
豪華な衣を纏っていたはずのゼノは、次の瞬間、ただのスーツを着た中年の焦った男へと変わり果て、その場でひっくり返った。
「ひっ……! 私の神力が……消えた……!?」
「法の下に平等でない存在など、この境界世界には一柱たりとも存在しません。後ほど監査局の地下牢で、たっぷり事情聴取をさせていただきます」
レヴァニエルが冷たく言い放つと、遠くの廊下から、次元検察庁の武闘派執行官であるガルムが『概念封印鎖』をジャラジャラと鳴らしながら巨体を揺らしてやってきた。
「――手続きは完了したな、レヴァニエル。この不祥事神は俺が地下へ連行する」
「頼みます、ガルム執行官」
静まり返った窓口のフロア。
取り残された元引きこもりの魂――鈴木タケルは、目の前で起きた現実を理解できず、わなわなと震えていた。
「そ、そんな……俺のチートは……? 俺の無双ハーレムライフはどこに行ったんだよ……!」
セイジは椅子の背もたれに深く寄りかかり、ポケットから取り出した赤いペンをカチカチと鳴らした。
そして、厚い法規集のページを開き、淡々と告げる。
「現実に戻りなさい、タケル君。神様の気まぐれな『お気に入り補正』も、努力なしの全属性無敵も、すべて当関の『関税および適性審査』によってハネられました。あなたが持ち込めるのは、生前のカルマ値に見合った相応の荷物だけです」
「そんなの納得いかねぇ……! じゃあ俺はどうなるんだよ! 絶望の底に突き落とされて死ねってのか!?」
絶望に顔をゆがべるタケルに対し、セイジは呆れたような、しかしどこか面倒見のいい目を向けた。
「誰も『死ね』とは言っていません。魂の再出発プログラムは用意してありますよ」
セイジは机の引き出しから、一枚のシンプルな青い用紙――『一般開拓村ビザ』を取り出した。
「チートはありません。最初から無双もできません。ですが、荒れ果てた辺境の村で、泥臭く畑を耕し、自分の手で汗を流して生き抜くための『初級生活魔法』のライセンスなら発給できます。……どうします? それとも、このままこの灰色の虚空で永遠の待合室送りにしますか?」
タケルは青い用紙と、セイジの冷徹でありながら真っ直ぐな瞳を交互に見た。
悔しそうに歯噛みし、何度も拳を握りしめ、やがて震える声で絞り出した。
「……そん、なのエリアで……泥臭く生きるなんて、俺にできるわけ……」
「やってみなさい。少なくとも、神様に作られた偽りの最強人生よりは、あなたの足で立つ価値があります」
セイジはふっと息を吐き出すと、手元の重厚なスタンプをしっかりと掴んだ。
「――お気持ちは察しますが、ルールの例外は認められません」
ガチャンッ!!!
カウンターの上に、鮮やかな真紅のインクで文字が押された。
『不適合・特例再出発(一般開拓村行き)ビザ発給』。
その瞬間、タケルの魂を包んでいた虚空の光が変わり、足元に小さな転生ゲートの青白い光がふわりと広がった。
「いってらっしゃい。今度は自分の足でしっかり歩くことですね」
タケルは何か言いかけたが、やがて諦めたような、そしてどこかすれたような複雑な表情を浮かべ、光の中に吸い込まれて消えていった。
静けさが戻った第2審査課のカウンター。
セイジは大きく伸びをすると、デスクの上のマグカップから冷めかけたコーヒーを一口すすった。
「ふぅ……これでやっと一息つけますかね」
「お疲れ様です、イマミヤ審査官」
隣のレヴァニエルが、黒革の帳簿を綺麗に閉じながら淡い笑みを浮かべた。
「相変わらずの容赦ない裁きっぷりですね。流石は我が局が全幅の信頼を置く現場の要だ」
「やめてくださいよ、レヴァンさん。あなたの『赤札』のほうがよっぽどエグいですよ。お陰で今日の報告書が何枚に膨れ上がるか……あぁ、マルティン統括にまた小言を言われるのが目に浮かぶ」
セイジが頭を抱えていると、遠くのコンコースの向こうから、別の不満げな大声と、新たな転生希望者の群れが再び押し寄せてくるのが見えた。
「――おっと、次の客の列ができたようです」
セイジは胃薬の小瓶を机の引き出しから取り出して一粒飲み込むと、再びネクタイをきゅっと締め直し、冷徹かつ事務的な「役人の顔」に戻った。
「次の審査の方、どうぞ!」
境界ターミナル Central-0の巨大なステーションは、今日も無数の魂と、理不尽を正す役人たちの喧騒に包まれながら、静かに回り続けている。




