プロローグ だらしないジャージ姿で、不審者にしか見えない俺が、なぜかお嬢様学校に赴任することになったんだが
「黒部大地。国語担当。二十九。独身。彼女なし。趣味ラーメン。以上」
教室が、しんと静まり返った。
「……彼女なしまで聞いてない」
「体育教師かと思った」
「先生、情報の出し方おかしくない?」
一学期始業式の日。俺が担任を任された、とある女子高の二年桜組で最初に返ってきた反応がこれだった。
――どうして俺が、こんな場所で担任をやることになったのか。
話は、一週間ほど前に遡る。
☆
四月一日。よく晴れた朝。
都心から少し離れた閑静な住宅街。その一角にある私立・白百合ヶ峰学園高等部の正門をくぐった瞬間、俺は早くも場違いな場所に来た気がした。桜並木の向こうには、いかにも伝統校らしい煉瓦造りの校舎。その前を歩いているのは、当然ながら女子、女子、女子……。
見渡す限り、女子しかいない。
「……帰っていいかな」
「赴任したばかりなのに何を言ってるんですか」
「いや、聞いてはいたけどさ。実際見ると圧がすごいな」
「女子校なんだから当たり前でしょう」
「前の職場、男子校だったんだぞ。落差が激しすぎる」
「まだ春休みですから、学校に来てる子は部活動の子くらいです。始業式と入学式が終わったら、全校生徒が揃ってこの何倍もいますよ」
三宅先生が、今日三度目の呆れ顔をした。
「この先が思いやられる」
この春から、俺はなぜか系列の女子校へ赴任することになった。
「黒部先生には、二年桜組の担任をお願いします」
「……担任?」
「はい」
「いきなり?」
「新学期ですから」
「そういう意味じゃねえよ」
俺はまだ知らなかった。二年桜組が、この学校でも特に――いや、たぶん全国的に見ても相当面倒くさい女子高生の見本市みたいなクラスだということを。
☆
職員室に向かう廊下は、朝の光が高い窓から斜めに差し込んでいて、埃っぽい空気を白く照らしていた。長い歴史を感じさせる木の床が、歩くたびに軽くきしむ。
壁には創立当時らしい白黒写真や、金色の文字で校訓が記された木製の額が掛けられている。窓辺には、誰が活けたのか、小さな花瓶に季節の花まで飾られていた。
磨き込まれた手すりにも、教室の扉にも、白百合をかたどった校章が控えめに刻まれている。前の男子校に勤めていた頃には、こんな華やかな廊下を歩いた覚えはない。
窓ガラスに反射する自分の姿が視界に入る。男子校の熱気の中では「まぁ、教師だしこんなもんだろ」で済んでいたくたびれ具合が、この陽だまりの中では、ただの「だらしない不審者」にしか見えない。
その空気に、俺がまるで馴染んでいないことに今さら気づいた。
寝癖の残った短い黒髪に、身長百八十を超える長身。だが、イケメンと言われるほどでもなく、愛想がいいとは言い難い顔。そこによれたジャージまで加わっている。
「先生、それ、今日から着替えたほうがいいですよ」
「これ着心地いいんだよ。動きやすいし」
「動くんですか、国語の授業で」
「黒板の前を歩き回るだろ、普通」
「普通の先生は歩き回りません」
三宅先生は二十五歳。保健・体育の担当で、背丈は百六十くらい。短めの髪に快活そうな顔立ち。この学校での経験は俺よりずっと長い。とはいえ二年しか違わないくせに、やけに先輩面をしてくる。もっとも、女子校というフィールドにおいては、その二年の差は途方もなく大きいのかもしれなかった。
職員室に着くと、扉の向こうから聞こえていた話し声がぴたりと止んだ。何十人分もの視線が、一斉にこちらへ向く。
「あの方が新しい……」
「元、男子校の」
「二年桜組の担任って、大丈夫なんですか」
小声のつもりなのだろうが、全部聞こえている。俺は職員室の入り口で軽く頭を下げた。
「今日からお世話になります、黒部です。よろしくお願いします」
拍手はまばらだった。歓迎というより、様子見という空気が濃い。奥の席から、ひときわ隙のない雰囲気の女性が立ち上がってこちらに歩いてきた。すらりとした姿勢と隙のない所作。
「九条です。学年主任を務めています。黒部先生、よろしくお願いいたします」
「よろしくお願いします」
「一点、伺ってもよろしいですか」
「なんでしょう?」
「前任校で、生徒との距離が近すぎるというご指摘を受けたと伺っています」
直球だった。三宅先生が横で小さく息を呑む音がした。
「まあ、合ってます」
俺は淡々と答えた。
「教師は生徒との距離を適切に保つべきだと、私は考えています」
「適切って何メートルですか?」
「……そういう話ではありません」
九条先生は眉ひとつ動かさず、それだけ言うと自分の席に戻っていった。
「……なぜ理事長は、黒部先生をこの学園にお呼びになったのでしょうね」
小さな独り言だったが、俺の耳にははっきり届いた。
三宅先生が肘で軽く俺の脇腹を突いてくる。
「先生、初日からもう睨まれてますよ」
「事実確認しただけだろ」
「それが駄目なんです」




