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「金食い虫」と呼ばれた偽物令嬢ですが、静かに下がるつもりはありません  作者: neene


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第8話 本来の席

第8話 本来の席


 席札は立ったが、席はまだ軽かった。


 主卓の端に座ると、銀蓋の内側から湯気が上がった。

 皿は私の前にある。

 それだけで、廊下にあった白布の盆よりは強い。


 けれど、皿の重さだけで人の扱いが戻るわけではない。


 公爵は上座に座り、夫人はその右にいる。

 クラウディア様は、夫人の隣ではなく少し離れた席へ置かれていた。

 エドガー様は私の向かいに近い位置。

 そして、主卓の反対側には親族が二人いた。


 一人は公爵の妹にあたる人だった。

 伯母君、と屋敷では呼ばれている。


 薄い笑みを浮かべ、匙を取る前にまず場を見た。

 食事を見る人ではない。

 どの言葉なら置いても許されるかを測る人だ。


「まあ」


 伯母君が言った。


「思ったより、きちんとした席になりましたのね」


 夫人は水を飲む手を止めなかった。


「ええ。急なことでしたから」


「急なことばかりで、皆さま大変でしょう」


 誰に向けた言葉でもない。

 だから、誰にでも当たる。


 私は匙に手をかけたまま止めた。


「でも、本物のお嬢様がお戻りになったのですもの」


 伯母君はクラウディア様を見た。


「これで、長く曖昧だったものも片づきますわね」


 片づく。


 その語が、皿の縁に触れた音より小さく落ちた。


 夫人は咎めなかった。

 公爵もすぐには口を開かない。

 エドガー様だけが、匙を置いた。


 クラウディア様は伯母君を見た。


「何が片づくのですか」


 伯母君は目を細める。


「もちろん、家の形ですわ。あなたが戻られたのですから、本来の席に戻すだけでしょう」


「本来の席」


「ええ。無理に埋めていた場所は、元へ戻すのが自然です」


 言葉は柔らかい。

 柔らかいまま、人を削る形をしていた。


「無理に埋めていた場所とは」


 クラウディア様が訊く。


 伯母君は、私の方を見た。

 すぐに視線を戻す。


「悪い意味ではありませんのよ。事情があって、そうなっていただけでしょう」


「その事情の名前を言えますか」


 クラウディア様の声は平らだった。


「クラウディア」


 夫人が言った。


「食事の席です」


「はい」


「戻ったばかりで、そんな聞き方をしなくても」


「戻ったばかりなので、聞いています」


 夫人の指が膝の上で重なった。


 伯母君はそこで少し笑った。


「まあ、王都でずいぶんはっきりお話しになるようになったのね」


「言葉を曖昧にすると、別の人が片づけられるようなので」


 音が消えた。


 伯母君の笑みは残っている。

 だが、匙は動かない。


 夫人が静かに言った。


「誰も、リゼットを片づけるなどと言っていません」


「言っていなくても、席と盆は動いていました」


 クラウディア様は答えた。


「いまも、言葉が動いています」


「言葉?」


「片づく。本来。自然。事情」


 彼女は一つずつ並べた。


「どれも、誰かがそこにいたことを薄くする言葉です」


 伯母君はそこで初めて、私を正面から見た。


「リゼットさんは、ずいぶん静かですのね」


「食事中ですので」


「前からそうでしたかしら。もっと、帳簿やら費目やらで屋敷を困らせていたと伺っていましたけれど」


 金食い虫とは言わなかった。

 言わないことで、もっと広く置いた。


 公爵の目が伯母君へ向く。


「誰から聞いた」


 伯母君は少し首を傾けた。


「お義姉様から、先月お便りをいただきましたわ」


 夫人の水杯が、皿の脇で止まった。


「家計を騒がせる娘御のことは、近く片づくから気になさらずに、と」


「片づく、ですか」


 エドガー様が言った。


「言葉の綾でしょう」


 伯母君は笑みを薄くする。


「それに、親族の間では少し強い言い方も出ておりましたから」


「強い言い方とは」


 クラウディア様が訊く。


 伯母君は一度、夫人を見た。


「……金食い虫、などと。もちろん、私はそのようには」


 匙の先から、煮込みの汁が一滴落ちた。


 皿の上に小さく広がる。


「母上」


 エドガー様が言った。


「家の内のことを、親族へどう話していたのですか」


「誤解です」


「何が」


「この家に余裕がなくなっていることは、事実でしょう。リゼットが細かく口を出しすぎていたことも」


「それを、どういう形で外へ出したのですか」


 夫人の表情は変わらない。


「心配していただけです」


 伯母君が助け船を出すように言った。


「お母様としては当然ですわ。戻られる娘のために、家の中を整えたい。それだけでしょう?」


「私のためと」


 クラウディア様がそこで口を開いた。


「私を名目にすることは違います」


 伯母君は止まった。


 夫人も、今度はすぐに返さなかった。


 クラウディア様は続けない。

 言葉を置いたまま、皿の上へ視線を落とす。


 私は水杯を持ち上げた。


 指先に冷たさが移る。

 食事は温かいのに、水だけがやけに冷えていた。


「リゼットさん」


 伯母君が言った。


「あなたも、大変だったでしょう」


「はい」


「でも、これからは少し楽になるのではなくて? 責任ある場所は、本来の方へ返るのですし」


「責任だけなら」


 私は答えた。


「今日の朝まで、私のところに来ていました」


「まあ」


「部屋は空いたことにされ、席は抜かれ、別盆は南棟へ行く支度でした。でも、金食い虫という名だけは残っていました」


 伯母君の笑みが薄くなる。


「ずいぶん強い言い方ですわね」


「ええ」


 私は皿の上を見た。


「食事がここまで来るのに、何人も止まったので」


 それ以上は言わなかった。


 主卓の端に置かれた皿。

 扉の外へ戻った別盆。

 席札の裏に残っていた小客間の鉛筆跡。


 それだけで足りる。


 夫人は食事に手をつけた。


「食事を冷まさないで」


 静かな声だった。


「家の話は、あとでいたしましょう」


「あとで」


 クラウディア様が言った。


「ええ。戻ったばかりのあなたに、これ以上負担をかける必要はありません」


「誰の負担ですか」


「クラウディア」


 公爵が低く呼んだ。


 それで、場が一度切られた。


 伯母君はようやく匙を取った。

 何事もなかったように、煮込みの上澄みをすくう。


 その手元だけはきれいだった。

 人の名前を柔らかく変える人ほど、食器の扱いは乱れない。


 食事が進む。


 誰も大きな声を出さない。

 だが、皿の音はいつもより浅かった。


 終わりかけた頃、エドガー様が口を開いた。


「リゼットの扱いは、今日の昼で決まったわけではない」


 夫人が彼を見る。


「何を言っているの」


「少なくとも、今日までは」


 それだけだった。


 遅い。

 短い。

 けれど、主卓の上で言われた。


 伯母君は聞かなかったふりをした。

 夫人は水杯を戻す。

 公爵は何も言わない。


 クラウディア様は私を見なかった。


 それでよかった。


 見られないままでも、今の言葉は席の上に残る。


 食後、侍女が皿を下げに来た。

 私の前の皿も、他の皿と同じ盆へ載せられる。


 別盆ではない。


 ただ、それだけのことに、指先の力が少し抜けた。


 伯母君が立ち上がる前に、夫人が言った。


「午後に少し、部屋の話をしましょう」


 誰に向けた言葉かは分かる。

 クラウディア様のための響きで、私の部屋を動かす声だった。


 私は椅子を引く音を聞いた。


 昼席は終わった。

 片づいたわけではない。

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