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「金食い虫」と呼ばれた偽物令嬢ですが、静かに下がるつもりはありません  作者: neene


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第12話 封を切る場所

 公爵の机の上に、北口から戻した紙包みが置かれた。


 外へ出た荷ではない。

 だが、もう部屋の中にあった紙でもない。


 麻紙の表には、白い荷札が結ばれている。


 計数室経由。

 北口仮置。

 封緘前。


 その三つの言葉が、机の上で妙に軽く見えた。


 公爵は椅子に座っていなかった。

 窓際でもない。

 机の横に立ち、紙包みと、封筒に入れた二枚の書類を見下ろしている。


 押収予定目録。

 女主人頭マルタ 職務停止仮達。


 夫人は少し離れた場所にいた。

 顔色は変わらない。

 けれど、扇は閉じたままだった。


 オズワルドは扉の近くに立っている。

 セリクは紙包みを運んだまま、まだ息を整えられていない。

 マルタは机の脇。

 クラウディア様は紙包みではなく、荷札の結び目を見ていた。

 エドガー様は、公爵の正面にいる。


「開ける前に」


 マルタが言った。


「記録を作ります」


 公爵が頷く。


「作れ」


 マルタは紙を一枚取り、机の端に置いた。


「日時。場所。立会人。持込者。荷札文言。北口出門記録の有無。開封者。中身」


 声は平らだった。

 その平らさで、誰も割り込めなかった。


「北口門番」


 公爵が呼ぶと、扉の外に控えていた門番が入ってきた。

 帽子を胸に当て、一礼する。


「この荷は外へ出たか」


「出ておりません」


「記録は」


「北口出入り帳には、出門なしと記しました。仮置棚にあったことも記録しました」


「誰が置いた」


 門番は一瞬だけセリクを見た。


「帳場係セリク殿です。後ろに下働きが一名おりました」


 セリクの肩が動いた。


「下働きの名は」


「ルカです」


「呼べ」


 公爵が言う。


 オズワルドがすぐに口を開いた。


「旦那様、まず中身を」


「呼べ」


 二度目の声で、オズワルドは黙った。


 廊下へ人が走る音が遠ざかる。


 公爵は紙包みへ視線を戻した。


「開ける」


「私が」


 セリクが言いかけた。


「待て」


 マルタが止める。


「開封者を記録してからです」


 彼女は紙へ書いた。


 開封者 帳場係セリク。

 立会人 公爵、エドガー、クラウディア、リゼット、女主人頭マルタ、執事長オズワルド、北口門番。


 自分の名を書く時だけ、筆先がほんの少し止まった。

 だが、線は乱れなかった。


「開けなさい」


 公爵が言った。


 セリクは紙包みに手を伸ばした。

 片手で紐を解きかける。


「両手で」


 マルタが言う。


 セリクは唇を噛み、両手で紐を解いた。


 帳場の仮結びは、すぐにほどけた。

 ほどけるための結びだった。


 麻紙が開く。


 中から出てきたのは、薄い紙が三枚だった。


 一枚目。


 灯油受払帳写し。


 私の字だった。


 日付。

 持出量。

 夜番分。

 本邸分。

 厨房分。

 返戻なし。


 夜番の量は変わっていない。

 厨房分も増えていない。

 増えているのは、本邸分だけ。


 二枚目。


 灯油納品控え写し。


 納品日は、焼け残った紙片の日付と合っていた。

 納品数は、帳簿より一樽多い。

 備考欄に、細い記号がある。


 BMD。


 三枚目。


 受領印の控え。


 朱がかすれている。

 だが、押し直した跡があった。

 同じ印を、違う角度で二度置いている。


 机の上が静かになった。


 私は指を伸ばしかけて、止めた。


 触らない。

 ここで触れば、また私の紙になる。

 いまは、机の上の証拠でなければならない。


「中身を読み上げろ」


 公爵が言った。


 マルタが一枚ずつ読み上げた。


 灯油受払帳写し。

 灯油納品控え写し。

 受領印控え。

 数量差。

 納品日。

 備考記号。

 押し直し跡。


 読み上げるたび、紙は少しずつ軽くなくなっていった。


「セリク」


 エドガー様が言う。


「これを北口に置いたのは、お前だな」


「……はい」


「誰の指示で」


 セリクは夫人を見なかった。

 見られなかった。


 代わりに、オズワルドを見た。


「執事長より、計数室へまとめるようにと」


 オズワルドの顔は変わらない。


「私は、確認対象物を計数室でまとめるよう命じました。北口へ運べとは申しておりません」


「では、北口仮置は誰が書いた」


 クラウディア様が荷札を指す。


 セリクの喉が動いた。


「奥様付きの者から、そうするようにと」


「名を」


「……ヘレンです」


 夫人の扇が、わずかに鳴った。


「私の侍女を巻き込むのですか」


「巻き込んだのは誰ですか」


 クラウディア様の声は大きくない。


「荷札に書かれた通りに動かした者がいます。書かせた者がいます。止めなかった者もいます」


「クラウディア」


 夫人が言った。


「戻ったばかりのあなたが、使用人の細かな処理にまで口を出すものではありません」


「細かな処理ではありません」


 クラウディア様は灯油の写しを見る。


「私が戻る前から、この家の誰かが下げられ、誰かの紙が北口へ動いていました」


 夫人は答えなかった。


 その沈黙に、廊下から戻ってきた足音が重なった。


 下働きのルカが連れてこられた。

 まだ若い。

 手の甲に灰の跡が残っている。


「北口の荷を運んだな」


 公爵が言う。


「はい」


「誰に頼まれた」


 ルカはセリクを見た。


「帳場の方から、北口の仮置へと」


「中身は知っていたか」


「知りません。紙包みとだけ」


「どこへ出すと聞いた」


「出す、とは。北口に置けば、あとは帳場で持っていくと」


「帳場で?」


 エドガー様が繰り返す。


 ルカは自分の言葉がまずかったと気づいた顔をした。


「いえ、その、計数室の方で」


「もうよい」


 公爵が言った。


「下がれ。ただし屋敷から出るな」


 ルカは青ざめたまま下がった。


 公爵はオズワルドへ向いた。


「帳場で持っていく、とは何だ」


「下働きの聞き違いかと」


「便利な耳だな」


 エドガー様が言った。


 オズワルドは反応しない。


「奥様」


 公爵が、夫人を見た。


「リゼットの部屋を整理するよう命じたのは、あなたか」


「ええ」


 夫人は認めた。


「午後の部屋替えに備えるためです」


「本人を入れずにか」


「混乱を避けるためです」


 クラウディア様が小さく息を吐いた。


 その言葉は、もう何度も聞いた。


「帳場を入れたのは」


「家の記録に関わるものがあると聞きましたので」


「誰から」


 夫人は一瞬だけ黙った。


「オズワルドからです」


 今度はオズワルドが夫人を見た。


 初めて、見る順番が乱れた。


「執事長」


 公爵が言う。


「何を聞いた」


「リゼット様の私室に、屋敷の帳簿写しがあると」


「だから押収した」


「確認です」


「目録には押収予定とある」


「下書きです」


「北口仮置とある」


「記載上の仮置です」


「灯油写しに済がある」


「手違いです」


 公爵はその言葉を聞き終えると、机の上の三枚を指で軽く叩いた。


「手違いで、ここまで揃うか」


 誰も答えなかった。


 マルタが、封筒からもう一枚の紙を出した。


 女主人頭マルタ 職務停止仮達。


「こちらも、同じ場で確認をお願いします」


 自分の名が書かれた紙を、彼女は公爵の前へ置いた。


 夫人の顔が少しだけ硬くなる。


「それは家政上の相談です」


「相談なら、本人より先に計数室へ置く必要はありません」


 マルタが言った。


「署名もありません。発令もされていません。ですが、鍵管理一時停止、女主人頭室出入り停止、後任調整まで書かれています」


「混乱を避けるために、準備を」


「女主人頭室の鍵替え準備札も、北口にありました」


 私が言うと、公爵の目がこちらへ向いた。


「北口に?」


「はい。古紙、灰、破損布の札の下に書き足されていました。女主人頭室 鍵替え準備、と」


 門番が頭を下げる。


「私も確認しております。朝にはありませんでした」


「誰が書いた」


「分かりません」


「記録には」


「いま追加で記しました」


 公爵はしばらく黙った。


 その沈黙の中で、夫人の扇だけが動かない。


 オズワルドも動かない。

 セリクは目を伏せたままだ。

 マルタは、自分の職務停止仮達を見ていない。

 机の上の灯油写しを見ている。


「整理」


 公爵が言った。


「確認」


 誰も返さない。


「仮置」


 公爵の声は低い。


「仮達」


 そこで、彼は夫人を見た。


「どれも、正式にする前に人と紙を動かしている」


「あなた」


 夫人が口を開いた。


「私は家を整えようとしただけです。クラウディアが戻る以上、古い混乱をそのままにしておくわけには」


「リゼットの紙を北口へ出しかけることも、マルタの鍵を替える準備も、古い混乱か」


「リゼットが、余計なものを持ちすぎていたからです」


 その言葉は、初めて少しだけ熱を持った。


「帳簿、控え、写し、使用人への口出し。家に置かれた娘が、家の中を疑って回るなど」


「疑ったから、今これが出ている」


 エドガー様が言った。


 夫人は息子を見る。


「あなたまで」


「俺の婚約整理も、俺の知らないところで進んでいた」


「それは家のため」


「俺は家の荷物ではない」


 部屋の空気が止まった。


 クラウディア様は何も言わなかった。

 その沈黙が、かえって重かった。


 公爵が机の上の紙を揃える。


「今日は、ここで切る」


「父上」


 エドガー様が言う。


「逃がさない」


 公爵の声は低かった。


「だが、ここで怒鳴っても紙は増えん。いま出たものを保管し、書かせる。そこからだ」


 彼は灯油写しを指した。


「灯油受払写し、納品控え写し、受領印控え。これは執務室で保管する。北口、計数室、帳場へは戻さない」


 オズワルドが口を開きかける。


「異議は後で聞く」


 公爵は続けた。


「押収予定目録、職務停止仮達、北口出入り記録の写し、開封記録。これも同じく保管する」


「旦那様」


 夫人が言った。


「家政のことを、そこまで大きくなさるのですか」


「もう家政だけではない」


 公爵はマルタを見る。


「マルタ」


「はい」


「職務停止仮達は未発令として扱う。鍵管理も継続。ただし、今日の件に関わる鍵はすべて記録を取れ」


「承知しました」


「リゼットの私室は」


 私は息を止めた。


「本人立会いなしに入ることを禁じる。帳場も同じだ」


「承知しました」


「セリク」


「はい」


「今日の荷の移動について、別室で書面にしろ。誰に何を言われ、どこまで運び、何を見たか。書き終えるまで帳場へ戻るな」


 セリクは頭を下げた。


「オズワルド」


「はい」


「帳場と北口の運用を、今日の夕刻までに全て出せ」


「承知しました」


「奥」


 夫人の目が動く。


「部屋替えの話は、いったん止める」


「ですが」


「止める」


 二度目は、命令だった。


 夫人は返事をしなかった。


 クラウディア様が、机の上の灯油写しを見ている。


「これは、何につながるのですか」


 彼女が訊いた。


 私への問いではない。

 だが、私が答えた。


「厨房で焼け残った紙片です」


「灯油」


「はい」


「油、石鹸、灯油の線のうち、一番消したかったもの」


「たぶん」


「なぜ」


 私は一度、納品控えを見た。


「灯油は、使った場所が残るからです」


 火を入れた場所。

 夜に動いた場所。

 人がいたはずのない場所。


 そこまでは言わなかった。

 言えば、先にこちらの考えまで渡してしまう。


「では、次はそこですね」


 クラウディア様が言った。


 夫人の目が細くなる。


「何をするつもりです」


「確認です」


 クラウディア様は答えた。


「混乱を避けるために」


 その言葉が、初めて夫人の方へ返った。


 公爵が深く息を吐く。


 私は机の上を見た。


 戻った灯油の写し。

 北口から戻った荷札。

 開封記録。

 マルタの職務停止仮達。

 押収予定目録。


 全部が、同じ机の上にある。


 勝ったわけではない。

 でも、ばらばらにされる前に、一度だけ並んだ。


 それだけは確かだった。


 マルタが灯油写しの端へ、薄い紙を一枚重ねた。

 保管用の紙だ。


 折らない。

 曲げない。

 隠さない。


 彼女はその上から、静かに手を置いた。


「記録します」


 その声に、私は頷いた。


 公爵の机の上で、灯油の字はまだ黒く残っていた。

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