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03 見習い少女の朝③




 ドゴンッ。



 和気藹々と談笑を続けていた二人の会話を引き裂くように、突如として大きな音が室内に響き渡ったのは、それから程なくしての事であった。



「ひっ……何の音でしょう? 今の」



 ジュジュは驚いたように身体をビクリと縮ませ、怪訝そうに眉を顰めると、手に持っていたワイン入りのグラスを、テーブルの上へとそっと逃がす。

 


 ──室内に響き渡ったのは、まるで何か大きな物が落下したかのような鈍い音である。


 それに加え悶絶するような女性の呻き声が、遅れて居間にまで響き渡ってくるのであった。



「 オ゛ア゛ッ゛! 」



 二人は静かに顔を見合わせると、会話を止めてじっと耳を澄ませる。


 今になるまで気が付かなかったが、先程まで遠巻きに聞こえていた筈の、師である魔女の大きなイビキの音が、既に聞こえなくなってしまっていたのだった。

 


「気を付けて見習いちゃん侵入者よ。あの子ったらこの家に不法侵入してきた誰かに、首の骨を折られて殺されたに違いないわ。貴女にも聞こえたでしょう……さっきの豚のような悲鳴が」

「変なことを仰らないで下さいよ。あの……少しだけ様子見てきますね私」

「……えぇ、そうね。うちの眠り姫にもいい加減起きて貰わないといけない頃合だわ。せっかく貴女が作ってくれた美味しそうな朝ごはんが冷めてしまうもの」


 

 猫は恨みがましくチラリとテーブルへ視線を移す。



 そこには朝早くから少女が丹精込めて作った朝食が、その時を今か今かと待ちわびる様にして綺麗に並べられていた。



 ……料理から立ち昇る暖かな湯気と食欲をそそる香りが、二人の鼻腔を刺激する。


 少女と猫のお腹がまるで示し合わせたかのように、同時にキュウっと切なげな音を鳴らし、胃袋の窮状を訴えるのであった。



「ミネットさん、もしあれでしたらお先に召し上がってて下さい。お師匠様をすぐ起こしてきますので」



 と、善意から少女は提案するも猫は苦笑いを一つ返すのみである。


 猫はわざとらしく肩を竦めると、新聞の山の中から最も古い一部を抜き取り、それをパラパラと気だるげに捲り始めるのであった。



「……ありがたい提案だけれど遠慮しておくわ。見習いちゃんも知ってるでしょう。先に私だけ食べてたらあの子に一日中何を言われるかわかったものではないわ」

「それもそうですね」



 少女はその言葉と共に、自身の師である魔女の、ありし日の姿を思い出すのであった。



 以前、今朝と同じように魔女がなかなか目を覚まさず、遅い時間帯まで起きて来ない日があった。


 前日には珍しく大仕事をこなしたから疲れているのだろう──そう判断したジュジュとミネットは、その日は魔女をそのまま寝かしておく事に決めて、先に二人で朝食を済ませたのである。


 ……だがその後に目を覚ました魔女からの反応は、あまり良いものではなかったのだった。


 全く他意の無い純然たる好意の元であったが、師である魔女からは

 『私だけ除け者扱いにした!』と謂れなき悪意として曲解され、少女たちは一日中嫌味を言われ続ける破目となったのだ。



『ずるいなぁ! 二人だけで仲良く朝ごはん食べちゃってさぁ! 私だけが除け者扱い! 悲しいなぁ!』

『ジュジュちゃんのことを、世界で一番愛しているのは師匠であるこの私なのにさぁッ! そんな私は、愛する弟子に見捨てられ一人で寂しく朝ごはんッ! 嫌だなぁ!』

『あぁ苦しいッ! 考えるだけで辛くて身体が震えちゃうよもうっ! えっ、嘘……待って、待って、止まらない! 止まらないッ!!! 助けてジュジュちゃん! 私……身体の震えが止まらないッ!』

『お願いジュジュちゃん……一生に一度のお願いだから。私を力一杯ぎゅっと抱きしめて』

『いまさら何よッ! 私に触らないでよっ!! この馬鹿弟子! 変態!』



 ──普段は店番に出る事はほとんど無いのだが、少女や猫の後ろを付け回っては、切々と胸中を明かしてくるよわい1200を数える魔女が一人。


 まるで背中に張り付くかのように背後を追従し、いかに自分が悲しかったか、どれほど君たちの心無い軽率な行動に傷付けられたか、君たちの何気ない悪意がどれほど私にダメージを与えたかと、怨霊のようにネチネチと囁いてきたのだ。


 そして少女の隙を突いては脇腹をチョップしてくるという、ただひたすらに面倒くさい抗議活動をしてくる自身の師に、それはもううんざりさせられた一日なのであった。



 そんな事を思い出し、気が滅入りながらも、そそくさと師である魔女の部屋へ向かおうとする、少女の背に向けて猫が声を投げ掛ける。



「見習いちゃん、それ持って行きなさい。何かの役に立つかもしれないわ」



 と、猫が部屋の隅に立てかけられた木製のスコップを指差す。



「いりません! 私に何をやらせたいんですか!」

「ウッフフフ。冗談よ」

「もうっ……それにミネットさん。私にはこれがあるので大丈夫です」

「ん?」



 ジュジュはミネットから飛ばされた冗談を返すように、真剣な表情でポコリと小さな力こぶを作ると、もう片方の手で自慢げにポンポンとそれを叩く──。



「お師匠様がまた寝ぼけた事を仰るなら、気合の入った一撃を喰らわせてきますよ。私も一応は魔女……ですからね」

「ひゅう! 見習いちゃんもなかなかうちの色に染まってきたじゃないの!」



 余程のこと少女から冗談が返されたことが嬉しかったのか、ミネットはケラケラと愉快そうに声を上げて笑うのであった。




 ◇ ◇ ◇


 


「お師匠様? お目覚めですか?」



 ジュジュは部屋の前に立ち、扉越しにそう呼びかけてみるも、当然のように返事は無い──。

 同様にこつこつと控えめに扉をノックして中からの反応を伺う。



(……まさか本当に死んでたりしないよね?)



 不謹慎ながらも頭に過ぎったそんな邪念を払うように少女は頭をブンブンと振り回す。


 そっと扉に耳を近付けて中の気配を探ってみるが、中で何かが動き出したような気配や、生物の息使いなどは全く感じられない……。


 部屋の前は不気味な静寂に支配されており、一瞬だけ少女は思案すると、室内と通路を隔てる扉へ遠慮がちに触れるのであった。



「お師匠様──……? 入りますよ。失礼します」



 可能な限り静かに扉を押す。


 ところどころ表面の塗装が剥げた扉は、長き歴史を感じさせるその見た目に反して、思いの外滑らかに開き、そして何かにぶつかったのかゴトッという小さな音を立てるのであった。



(なんだろう?)



 頭の中でそんな事を考えながら、ゴロゴロと音を立てゆっくりと床の上を転がっていく物体を拾い上げる──。


 ──それはサハリナ地方原産の安価な大衆向け赤ワインの空瓶であった。



(にゃろう……ッ!)



 少女は思わず眉間に皺を寄せると、頭の中で毒づきながら大きな舌打ちをする。



 素早く目視で床下に転がっている空瓶の数を数えてみるが、その数から察するに、昨晩は一人で相当お楽しみであったようだ。



 少女は拾い上げた空瓶を、まるで感情が抜け落ちたかのような表情で、部屋の中央に置かれたテーブルの上へと無言で並べて行くのであった。



 はたして他の地域でもそうなのかは不明であるが、ラウラレンに居を構える商会では、ワインの空瓶やコルク栓を持っていき商会へ返却すると、1本あたり50エルクが返金される制度が存在していた。


 子どものお小遣いにもならない、文字通りのはした金ではあるが、他家たけよりも酒精の分解が激しいこの家においては、それも積み重なれば存外馬鹿にならない額になるのであった。



「んもう……お師匠様ったら」



 少女は師に対し、『飲み終えた空瓶は直ぐにでも片付けて下さいね?』と、日ごろから口を酸っぱくして注意をしていたのだが、この惨状を見るにどうやらそれも、あまり意味を成してはいなかったようである。


 少女は呆れた様に小さく溜息を吐くと、悲しげにガクリと肩を落とし、床に転がる巨大な人型の物体を見つめるのであった。



 少女の目の前──ちょうど眼下には一人の女性が転がっていた。



「お師匠様……起きて下さい。もう朝ですよ」



 少女は遠慮がちに女に触れ、その身体を労わるように優しく揺らすのであった。




 ◇ ◇ ◇




 あまり認めたくない事実ではあるが、その魔女は誰の目から見ても美しいと評価される程の相貌を持っていた。


 同姓であり身内ともいえる少女の目から見ても、師である魔女は掛け値なしに美しい。


 外見だけで個人を評価するのならば、今まで会ってきたどの女性よりも魅力的な女性に思えるであろう。



 ……まるで星々が見えぬ漆黒の夜空を切り取ったかのような、美しく妖艶ようえんな長い黒髪。


 腰元まで伸ばされたその艶やかな黒髪は、文句しか付ける所が存在しない本人のねじくれ曲がった性格とは対照的に、一切の癖や痛みも無く、指を通せば引っかかりもない。柔らかなシルクを思わせるような触り心地なのであった。


 また今は閉じられておりその美しさを見る事はできないが、青みがかった鴨の羽色(ティール・ブルー)の瞳は、どこかエキゾチックな雰囲気を漂わせる魔女の相貌と合わさり、より神秘的かつ美しく見えるのであった。


 くすみ一つ存在し無い純白の雪のように真っ白な素肌に、スラリと伸びた女性の肢体。


 だがそれも今では寒そうに、自身の長い両手に抱き込まれているのであった。



 ……床の上で寒そうに丸まるその女の姿は、まるで雪上せつじょうで静かに眠る美しき野生のギンギツネを彷彿とさせる。



 この店の家主にして魔女見習いジュジュの師匠である魔女──その名を“フレリア・アーレンティール”という。



「お師匠様。風邪、引いちゃいますよ」



 ワインの空瓶を抱くようにして床の上に寒そうに丸まる、下着姿のフレリアの身体を、ユサユサと揺らしながら何度も小さな声で呼びかける。



 これまたはてしなくどうでも良い情報ではあるが、フレリアと呼ばれる女は就寝時の酔い具合により、その寝巻き姿が大きく変容する生き物であった。


 酒精が入っていない時にはしっかりと寝巻きに着替えるのだが、少しでも酔いが回ってしまうと一足跳びで下着姿へ。

 そして翌日にまで響いてしまうほどの悪酔いの場合、必ずこの広大な世界に産み落とされた日と同じ、原初の姿へと立ち返るのだ。

 オマケに屋外屋内を問わず寝てしまうことも多々あり、なおのことタチが悪い特性なのであった。



 ──下着姿である事を鑑みれば、少し強く揺すってやれば目を覚ますであろうか。


 そんな風に軽い気持ちで当たりを付けていたジュジュであったが、今朝の魔女はことの他に手ごわい様子なのであった。

 


 

「朝ごはん冷めちゃいますよ? お師匠様? おーい」


 

 普段フレリアは少女の背丈ほどの高さはある、何とも高い位置にハンモックを吊るして、そこで就寝している。

 だがよく見ると、紐を引っ掛けていた片側の壁が捲れており、もう片側だけが壁から生えるような形でダラリとぶら下がっているのであった。


 先ほど隣の居間にまで響いた大きな音は、やはり目の前にいる存在によるものであったらしい。



 ……その後、何度も遠慮がちに小声で起床を促しながら身体を揺すってみるも、依然として愛する師は反応を示さないのであった。



「……お師匠様? 本当に大丈夫ですか?」



 本当は先ほどの落下の衝撃で死んでいるのではないか?、

 そう心配したジュジュであったが、まるでまな板のように起伏の乏しい胸元が静かに上下しており、魔女の存命を控えめに告げていた。



「んもうっ……! お師匠様ったら朝ですよ、いい加減に起きて下さいッ! ミネットさんも私もお腹ペコペコなんですからね!? 前みたいに先に食べてていいんですか!? 何でも良いから返事してくださいよぉ!」



 今度は懇願するように己の師へと訴えかける。


 ペチペチと控え目に師のお尻を叩くと、弟子の切実な訴えが聞こえたのか、はたまた衝撃を加え過ぎたせいか、フレリアの無駄の少ない小ぶりな尻からは「プスゥ……」という、何とも気の抜けた放屁ほうひが返事代わりに漏れ出るのであった。



「お、お師匠様っ……やっ……やだっ! うぐぐ、くっさ……!」



 一瞬で鼻腔を通過する放屁──少女が苦しそうな表情を浮かべて身をよじる。


 地獄の様な腸内環境で醸造された、強烈な毒ガスを浴びせかけられた少女のこめかみには、誰が見てもわかるほど大きな青筋あおすじが立っていたのだった。



「……わかりました。お師匠様、貴女の考えはよーくわかりました。貴女の弟子として……いいえ。魔女の弟子として私にも考えがあります」



 こめかみに青筋を携えた魔女見習いの少女は、ゆっくりと立ち上がると、そそくさとテーブルを部屋の隅へと寄せる。


 そしてテーブルの上に並べられていた全ての空瓶を、割れないように廊下へと逃がすと、フレリアから二歩三歩と距離を取り、利き腕である右腕を魔女へと向けるのであった。



 開かれた手の平に、急速に魔力が集い鳴動し始める。



 魔女見習いにしてはあまりにも膨大な魔力であり、かの魔女にとっては文字通り取るに足らない、ささやかな魔力量だ。


 手の平に集った魔力はやがて水の様な性質を持ち始め、球体状へと変化していく……。


 そして少女の手の平に引っ付いたままの水球は、高速で回転し始めると、笛の音にも似た何とも不気味な異音を上げるのであった。



「お師匠様──……今すぐに起きてくださらないのなら魔法。放ちますよ?」



 自身の師へ淡々と最後通牒さいごつうちょうを突きつける魔女見習い。


 だがそんな愛する一番弟子の問いかけに返されたのは、師である魔女の「ブボッ……!!」という何とも景気の良い二度目の放屁なのであった。


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