春の夜の丘
結局、何曲奏でたのだろう。
途中からは皆のリクエストを聞き、子どもたちの就寝の時間になるまで大騒ぎすることになった。
子どもたちは宴の興奮冷めないまま寝室に連行されたが、あっという間に寝てしまったようだ。大人と違い、子どもはオンとオフの切り替えが非常にうまいらしい。
そうして子どもたちが寝静まり、大人がそれぞれ自分の時間を過ごしている頃。
「……セリア、準備はできた?」
ドアがノックされる音に、セリアは振り返って返事をする。
「ええ。あとは上着を着るだけだけど……どれがいいのか分からなくて。見てもらってもいい?」
「もちろん。それじゃあ、お邪魔するね」
一言断ってから入室してきたのは、デニス。
昼間も着ていた青い上着姿の彼は、ベッドの上に三着の上着を広げて悩んでいるセリアを見、にっこりと笑った。
「この中で、どれを着ようか迷っているんだね」
「ええ。……この一年間でフィリパたちが私用に買っておいてくれたものなの。どれも素敵で、迷ってしまって……」
「そうだね……確かにどれも可愛らしくてセリアに似合いそうだけど、今日の君は花柄のスカートだし、これが落ち着いた色合いでいいんじゃないかな」
そう言ってデニスが指さしたのは、赤、青、緑と並んでいる上着の中で、一番シンプルな緑色のものだった。
「でも、本当にどれも素敵だから、別の機会に着ているところを見せてね」
「うん、ありがとう。それじゃあ今日は緑にするわ」
デニスのおすすめを受けて、セリアはうきうきと緑の上着を纏った。
今夜、セリアはデニスに夜の散歩を申し出たのだ。
理由は前回と同じ。聖弦を弾くためだ。
「もしかしたらマザーだけじゃなくて、他の皆も私の正体に気づいているかもしれないけれど……やっぱり、できる限りこの力は隠しておきたいの」
「そうだね。それに、持っている力を見せびらかすのがよいとは言い切れない。いざとなったときに皆を助けるために弾ける、ってくらいが格好いいかもね」
「でしょう?」
顔を見合わせてくすっと笑った後、セリアは棚の一番下に置いていた聖弦のケースを取り出す。
夜間外出する二人を見て、警備の傭兵は一瞬だけ目を丸くした。だが彼はすぐにニッと笑い、「若いっていいよなぁ。頑張れよ、デニス」と意味深な言葉を残して去っていった。
夜の春風は少しだけひんやりとしており、昼間とはまた違った良さがある。
草原も、昼間は色とりどりの花が視界いっぱいに広がっていたのだが、月光のみに照らされていると全体的に落ち着いた色合いになり、歩いていると心穏やかな気持ちになれた。
「……さっきの宴会、何かもうすごかったな」
歩きながらデニスが感想を述べたので、セリアはしばらく考えた後、「そういえば」と声を上げた。
「デニスが滞在していた頃は、あそこまで派手なパーティーをすることはなかったわね」
「うん。僕は隅っこにいたんだけど、十分熱気が伝わってきたよ。なんというか、グリンヒルの館の皆の本気が伝わってきたというか、こういうのもアリなんだって気づいたっていうか」
「アリよ、大アリ。にぎやかでみんな仲良しであってこそグリンヒルの館なんだから」
そうしているうちに、前回と同じ場所までたどり着いた。
同じようにデニスが上着を敷き、礼を言ってセリアはそこに腰を下ろす。
「聖弦を弾くのも一年ぶりね」
ケースを開きつつセリアが呟くと、デニスは目を細めてケースの中の木枠を見つめた。
「そうだね。……さっき竪琴を弾いているときは大丈夫そうだったけれど、うまくいきそう?」
「大丈夫よ。だいぶ元気になったし、お腹もいっぱいだから――」
言葉の途中で、セリアは口を閉ざした。
(……あれ?)
セリアは目を瞬かせ、膝に乗せた聖弦を見つめる。
「……どうしたんだい、セリア?」
「い、いえ。何でもないわ」
動きを止めたセリアを不審に思ったデニスがこちらを見てきたので、セリアは慌てて誤魔化し、いつものように弦を張るべく手を滑らせる。
(気のせい……そう、きっと気のせいよ)
だが。
いくらセリアが手のひらを動かしても、いっこうに弦が張られる気配がなかった。
デニスの呪いを解くときもそうだったが、焦っているときや体調の悪いときはなかなか弦を張れないことがある。聖奏師団にいた頃も、風邪を引いたときなどはなかなか弦を張ることができなくて苦労したものだった。
だが、それにしても手応えがなさ過ぎる。
(そんな……いえ、気のせいよね?)
つうっ、と冷や汗が胸元を伝い落ちていく。
だが必死になれば必死になるほど焦りは増し、必死になっているというのに弦の一本すら張ることができない。
それだけではない。
(何も――感じない?)
愕然とした。
いつもなら聖弦に触れているだけでなんとなく、精霊の力を感じることができたのだ。
それなのに今は、愛用の聖弦に触れていても何も感じない。指先に感じるのは聖弦の力ではなく、ただの木材であるかのような触感だけだった。
(弦が、張れない――!?)




