423 隠し剣、俺の嫁 1
暗殺計画の予行演習がはじまってからこっち、ハッキリ言って俺は生きた心地がしない毎日を送っていた。
何しろ奥さんたちの眼の色が、これまでとは明らかに違うのである。
早朝。
ハーレム大家族の寝室で目を覚ますと、普段はゆっくりと朝のまどろみを楽しんでいるはずの奥さんたちは、何人かがすでに覚醒していた。
睡眠中も一定の警戒心を解かないでいるニシカさんやエルパコは当然として、以前ならばぐうたら寝ていたはずの女魔法使いまでほぼ同時に起床するのだからね。
「おはようございます閣下、今日も素敵な朝ですね!」
何を言っているんだこの女魔法使いは。
うーんと大きく伸びをして俺の方を見やった彼女は、ニッコリとそんな事を言ったのだ。
グラード別館の窓は、贅沢にもガラスがはめ込まれている。
けれども冬場は横殴りの風雪が酷いので、今は跳ね板の窓が下ろされて外の世界は見えない。
よしんば外が見えたとしても、きっと冬の湖畔は銀世界に彩られていて、しんしんと降りしきる雪景色とドンヨリとした雲が広がっているだけだろう。
「おはようございます、かもですご主人さまっ」
「かもじゃなないですよ後輩、わたしたちはまさしく早起きしたんですからね!」
騒がしい女魔法使いの声でモエキーおねえさんも起床したらしいね。
俺はふたりにニッコリと笑顔を向けて、手をヒラヒラとさせた。
「おはようマドゥーシャ、おはようモエキーさん。きみたちは近頃やる気に満ち満ちているね」
「当然ですよ閣下。何しろ眼の前には特別なご褒美、おちんぎんがぶらさがっているんですからね!」
「ご褒美があるから頑張ると言えば不謹慎かもですが、やっぱり結果が評価されてご褒美がいただけるのはうれしいかもですっ」
ふたりとも、俺をターゲットにした暗殺訓練で貰える予定のご褒美が、楽しみで仕方がないらしいね。
すると俺とほぼ同時に体をムクリと起こしていたニシカさんが、寝癖大爆発の髪をボリボリやりながらニヤニヤしているのが視界の端に写り込んだ。
「それはいいがよ。お前ぇたちは早いところ訓練の支度をした方がいいんじゃねえか? マイサンドラのしごきは厳しいから、朝の訓練に遅刻したらブチ殺されてもしらないぜ」
「あ、いけませんねそれは!」
「マイサンドラさんは口うるさいので、急いだ方がいいかもです」
「折檻されたらたまりませんよ後輩、急ぎましょうっ」
すぐにも毛布をけ飛ばした女魔法使いとモエキーさんだ。
運動神経抜群の彼女はゴロンと一回転して床に着地すると、タンスをひっくり返す勢いで魔法使い用のローブを引っ張り出し、着替え始めた。
ふむ、マドゥーシャはひもパンを最後に身に着ける派か。
一方のモエキーおねえさんは、いそいそと畳んでいた着替えを手に取って、まずひもパンを装着してから貫頭衣を被り、そうしてチュニックを身に着けた最後に着剣した。
主計官という文官畑の彼女であるから、家族でお揃いの長剣を身に着けると少し違和感がある。
俺の両隣では、まだムニャムニャとカサンドラとタンヌダルクちゃんが夢の中にいた。
寝返りする時に俺の体を探っている姿がちょっと愛おしくて、ふたりを交互に撫でた後に毛布をしっかりとかけておく。
「お前たちも奴隷親衛隊の部屋で寝起きすれば、マイサンドラと一緒に行動できるんじゃねえのか?」
ニシカさんがアホ毛を気にしながらガウンを羽織っていると、眼の色を変えた女魔法使いが抗議する。
「とんでもない! そんな事をすれば、閣下のスキを伺うために、眼を光らせておくというわたしたちの大切な役目が果たせないじゃないですかッ」
「マイサンドラさんもクレメンスさんも、今の寝室では寝る場所がないので奴隷親衛隊の部屋で寝るしかないかもです。だからこの部屋を使えるわたしたちが、その役割を負っているのかもです」
「…………」
なるほど、きみたちはそんな命令をマイサンドラから指示されていたんだね。
工作員上がりの彼女なら、ターゲットの監視から行動パターンを分析する様な事を考えついてもおかしくはないだろう。
似たような方法でサルワタの付け火事件の時にマイサンドラが行動計画を立てていたのかも知れない。
まったく油断も隙も無いとはこの事だ。
などと思っていると、女魔法使いはローブの懐から魔法発動体の宝珠を引っ張り出してニコニコと撫でまわしていた。
あれは俺がイジリー砦攻略と、これまでの功績を称えて彼女にプレゼントしたものである。
どうするのかと思えばそいつを首から外して、寝室の隅にある自分の金庫にコソコソと隠しているではないか。
「魔法発動体を置いていっても大丈夫かもです?」
「これは閣下から頂いた大切なご褒美ですからね、訓練で傷でもついたら大変です。閣下にいざという事があったら、これを売っ払ってこどもの養育費に当てないといけませんから」
「なるほど納得かもです。妊娠のご予定はあるかも?」
「まだないかも……って、そんな事を言っている場合じゃないですよ後輩。時間、時間です!」
「了解かもです! それでは失礼かもです!」
騒々しいふたりは、俺とニシカさんとけもみみの方を見やって貴人に対する礼をすると、即座に寝室を飛び出していった。
朝っぱらから台風の様な有様だ。
全裸で寝台を降りて身支度を整えようとしたところ、
「あのふたり、眼の前におちんぎんがぶら下がっていると思うと現金なものだね」
先に寝台から抜け出してソファに腰かけていたエルパコが、俺の股間を見ながらそんな事を言った。
寝ぼけているのか、これまでひと言も口にしないと思ったら珍しくお下品な事を言う。
自分の息子の事は棚に上げて、何を言うかと思えばこれだ。
彼女も全裸である点は同じなのだけれど、鞘に納まった長剣を抱いて油断なく部屋の中を見回している。
「マイサンドラさんの訓練というのは、けっこう厳しいのかな?」
「まあな、オレも小さい頃はッワクワクゴロとふたりで酷いシゴキを受けたもんだぜ」
「どんな感じだったんだい?」
「朝はお天道様が顔を出す前から集合で、手槍に弓を担いで山歩きだぜ。それで獲物を探すのかと言えばそうじゃねぇ。ただひたすら歩かされて、その湖の横に広がっているサルワタの森の地形を頭に叩きこむんだぜ? それが毎日、開けても暮れても」
猟師の家はどこも同じだね。
なんてけもみみがボケーっとした顔で返事をした。
ふたりの猟師出身の奥さんたちが会話をしている間、手早く身支度を整えたのはニシカさんの方だ。
暗殺訓練がはじまると、彼女はお気に入りのベストレ染めのチュニックを身に着けるのではなく彼女が言うところのタクティカルベストを装着する様になった。
本気の証拠だ。
一方のけもみみは、ニシカさんの身支度が終わるのを見届けて、すぐにも自分の着替えを手早くはじめる。
普段ならばまず先に俺の着替えを持ってくるのだが、そこはニシカさんがやってくれる。
どうやらふたりで分担を事前に決めていたらしく、ハーレム大家族の寝室で過ごしているはずなのに、まるで合戦場の陣屋にいる気分だ。
「相棒、オレ様は黒の気分だ」
「いや俺は普通の白いやつでいいから、そっちをください」
「何でぇ、黒の方がいいじゃねえか」
俺の下着選びで口出しするニシカさんは、意味不明だ。
どうも以前、ニシカさんとッワクワクゴロさんは下着の色でどっちが偉いかを競っていた時期があった。
奥さんだからと言ってそういうバトルを俺にまで強要させるのはやめてくださいっ。
なんて馬鹿な事を考えながら俺も身支度を整え終えると。
静かにまだ寝ているみんなを起こさない様にして寝室を後にする。
最後に、昨夜の不寝番を担当していたらしい男装の麗人の側まで来て、放り出していた足をしっかりと毛布の中に収めてやった。
「昨日から黒いのはオレと交代で、毎晩警護の不寝番を担当する事になった。早朝にオホオのラメエと交代する。しばらくオレたち三人は、城内警備の当直からは外れる事になってるんだぜ」
「寝室の中はぼくが担当さ。いついかなる時、シューターさんが暗殺者に襲われても撃退できる様にしているんだ」
「いやに本格的だな……」
「当然だよ。シューターさんがかかっているからね」
だそうである。
寝室の廊下に出ると、真顔でけもみみがそんな事を言うものだから、俺は曖昧に返事をしておいた。
ちなみにエルパコは外出用の格好をしているので、今日は昼間の内は別件で城下に出る予定があるらしい。
「でもまだ時間はあるから、それまでシューターさんに付き合うよ」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
けもみみの頭をワシワシと撫でまわした後、三人そろって顔を洗いに水場に移動する。
これからカールブリタニアの寝顔を見に行くという、俺の大切な日課がある。
あかちゃんは四六時中、寝たり起きたりを繰り返しているけれど、それこそブリトニーのお世話を担当する事になった使用人たちは、交代でベビーシッターをしているはずだ。
「オレのガキの頃はまるで考えられなかったぜ。それこそ背中にシオを括り付けて、畑仕事に野良兎を射止めに出かけたもんだ」
「ぼくも同じだよ。近所の子供と手を繋いで、川遊びに出かけては魚や海老を捕まえていたんだ」
それは果たして川遊びというのだろうか……
俺は水瓶の中身が凍っていないのを確認した後、おっかなビックリと柄杓で水をすくった。
案の定、滅茶苦茶冷たかったのでニシカさんにお先にどうぞと押し付け合ったりしながら、顔を洗って歯を磨く。
「考えてみれば、村の猟師だった頃は食べていくのがやっとだったぜ」
「そうだね。子供の頃は獲物が取れなくてひもじい事があれば、ぼくが近所の子供と捕まえてきた魚や海老がお腹の足しだったしね」
考えてみれば近現代史以前の農村社会では、子供も立派な労働力の一翼を担っていたわけだ。
親の農作業を手伝ったりして田植えに草むしり、刈り取り作業と忙しい。
つまるところ、近現代以前において教育とは高貴な身の上にだけ許された贅沢なのである。
「ブリトニーは幸せ者だ。間違いない」
「そうだな。父ちゃんと母ちゃんたちは、みんな何かしらのエキスパートだからよ」
「女神様の守護聖人の血を引いていて、貴族軍人に商人、猟師に宗教関係者と一杯だから、きっと偉大な全裸を貴ぶ娘になる事間違いなしだよシューターさん」
全裸を貴ぶ娘になってしまうと、頭のおかしい人間と思われるからやめた方がいい。
水場の鏡を覗き込みながらそんな事を真顔で考えてしまった。
このファンタジー世界では、全裸なのは頭のおかしい学者だと相場が決まっている。
よし、子供に見せてもおかしくないパパの顔の出来上がり。
手拭いで丁寧に顔を拭いた後は、ブリトニーの部屋に向かう事になる。
あかちゃんの部屋はハーレム大家族の寝室やそれぞれの奥さんの私室とは独立していて、現在は誰かしらがいつも詰めている体制が取られている。
基本は暇な時間がある奥さんか俺が顔を出しているけれど、それ以外は使用人の女性たちが世話をしているのだが、これはあかちゃんが寝る時間も同じだ。
日本と海外ではあかちゃんに対する育児方針に違いがあるらしく、日本だと子供は親と寝室を伴にする場合が多いのに対して、欧米では違うらしい。
この場合は海外、と言うよりもアレクサンドロシアちゃんの教育方針が欧米的だと考えた方がいいのかも知れない。
「猟師小屋みたいなチンケな家だとそうはいかないぜ。やっぱお貴族サマサマだな」
「ニシカさんは子供ができたらどうするの? あかちゃんを背中に背負って狩りをしたり、戦場を駆け回っている姿はちょっと想像できないや」
「オレ様もなんつってもお貴族さまだからよ、そりゃベビーシッターにお願いするに決まってるだろう。まァおしめの交換とお乳ぐらいは自分でやらねぇとな」
「そうだね」
「ンだよ、シューター。何でオレの胸を見ているんだ。欲しがってもやらねえからな!」
タクティカルベストのおかげでいつもより強調されているたわわなお胸を見て、俺はあかちゃんプレイする自分を連想してしまった。息子は喜んだが、俺も喜んでいるところを看破されてバツの悪い気分である。
ブリトニーの部屋までやって来ると、アレクサンドロシアグラードの警備体制とは別系統で警護ローテーションを組んでいるラメエお嬢さまと出くわした。
彼女は別館内を巡回している最中で、そろそろ俺たちがここに来るだろうと先回りをしていたらしい。
「おはようございます全裸卿! 今日もいい天気ね旦那さま!」
女魔法使いみたいな挨拶をしてくる彼女の頭を撫でたら、ちょっと嫌そうな顔をしながら照れていた。
「三直体制で警備しているみたいだけれど、体調に無理はないかな?」
「問題ないわ。わたしも妻のひとりとしてしっかりと旦那さまを警護する役割を仰せつかっているんだから、辛いどころか誉れ高いと言いたいわ」
「そ、そうか」
ありがとうございます、ありがとうございます。
ニシカさんもけもみみも、ニコリともせずに同意する。俺は奥さんたちの真剣な眼差しに感謝した。
「ブリトニーは起きているかい」
「残念ながら先ほど寝かしつけたばかりなのエルパコお姉ちゃん」
「それは残念だねシューターさん。顔だけ見てからお仕事に向かう?」
そうしようかな。
俺はけもみみとラメエお嬢さまの会話を聞いて首肯すると、ニシカさんと一緒に中へ入る。
「人間、一番油断するのはこういうタイミングだからな。シューターの野郎は親馬鹿だから、あかん坊の寝顔を見ている時が一番危ねぇ」
「油断した瞬間を襲われたらたまったものじゃないわ。でも今ならわたしたち三人がいるから安心だね」
「ぼくはこの後、城下に侵入していた内偵の調査に向かうけど、大丈夫かな」
「オレもこれからちょっくらヘイヘイヘイと予定があるんでな。昼飯までには戻って来るから、そこでラメエと交代するぜ」
「任されたわ! 安心しなさいな。わたしだけでなく、じいも後から合流するからっ」
「ふたり減ってひとり追加だね。ぼくはお義姉ちゃんだからラメエちゃんの事は信頼しているよ」
…………。
俺がニコニコ気分でブリトニーの顔を覗き込んでいる背後では、奥さんたちがぴいちくぱあちくと作戦会議を開いていた。
静かにしないと寝ているあかちゃんが目を覚ますでしょう?!




