415 全裸、敗北する
「真剣に参ります! 真剣ではありませんが!」
「ちょ、そんなに全力で立ち会うとか、まだ心の用意ができていないんですけど?!」
以前とは比べ物にならない速度でアップルスター卿が斬りかかったのは、もう十分に説明はしたと言いたいからだろうか。
後は体で覚えろとばかり、彼女は容赦なく剣を俺に当ててこようとしやがる。
右に左に。
避けたつもりになっていた俺だが、刃引きされた長剣の癖にしっかりとおべべの布を引き裂き、切り飛ばしているじゃないか!
これは俺も真剣にならざるを得ない。
即座に剣を握る手に力が入って、そのまま頭上に引き上げて振り込んだ瞬間の事だ。
するりとアップルスター卿が身を引いてそれをすんでのところで回避する。
「ぐお、やるなッ」
「この程度は!」
押せば引き、引けば押してくるとはこの事だ。
アップルスター卿はかなり対人戦闘、それも一対一には自信があると見えて俺の攻撃を正確に見切っている。
さすがに刃引きだろうと斬り伏せるわけにはいかないので俺もギリギリのところで力を抜いているけれど、剣を合わせなければ相手の攻撃を巻き上げる様な事はできないし、難しいもんだ。
同時に彼女も剣を重ねた瞬間に、相対する敵の剣を巻き取る技術を持っているから厄介だぜ。
などと、しばらく防戦一方に切り替えてみせた彼女を相手に俺が連撃を見舞っていると。
また円を描く様に体を入れ替えたアップルスター卿が、俺を壁際に追い込もうと意図しているのが理解できた。
そうはさせるかッ。
ガシャン!
激しく剣をぶつけて、回避しようとしたアップルスター卿をあべこべに壁際へ押し込んでやろうとする。
そのまま激しいつばぜり合いになって密着した。
荒々しい吐息が互いの顔に吹きかかる距離まで接近した。
つまりは彼女も以前に増して本気モードになっているという事だ。
男装の麗人でも、巨人メイドを相手でも見せなかった彼女の表情に俺はニヤリとした。
すると、
「かかりましたねっ」
小さな言葉が漏れたのを俺の耳は聞き逃さなかった。
そのまま例の鍔迫り合いから側面をすり抜ける様なモーションに入った彼女は、ぐっと体を沈ませてスライド体制に入ろうとする。
だが俺は何度もその動きを見ていた。ベローチュやケイシーさんだけでなく、実際に彼女の解説付きで見ていたのだから、対応はできるはずだ!
自分に言い聞かせながら、そうはさせまいと後方に飛び退って距離を稼ごうとするが、
「しまった!」
「油断でしたね閣下っ」
アップルスター卿の沈み込んだ体は、俺の予想を遥かに超える勢いで跳躍して迫って来たのである。
この挙動でケイシーさんは頸根を掠り斬られてしまったのを思い出して、脚を絡ませそうになりながらも、もう一歩後方にと飛び退ったつもりだが、それでも足りなかったらしい。
「うおおおっ。いでぇ!」
俺は壁際の家具に突っ込んで、てきめんに体勢を崩した。
そこに素早く剣を引き付けたアップルスター卿が、刺し殺さん勢いで飛び込んでくる。
屋内戦闘のプロってやつか。
完全に俺の動きに合わせて、屋内環境のあらゆるものを自分の武器として応用している。
かなり視野を広く取りながら、俺を油断させて足元をすくうのが秘剣オレンジハゲの術だったのかっ!
「おい、いきなりガチの殺し合いになってるじゃねえか」
「シューターさんが追い詰められてる姿も珍しいね」
「ああっ、ご主人さまのズボンが引き裂かれてしまいましたね。これはピンチ、いえチャンスです!」
反撃に転じたアップルスター卿の攻撃は冴えていた。
ズボンの紐を切り飛ばされたものだから、下半身に意識がもっていかれそうになる。
ええい、脱ぐか!
「あなたたち、なにを悠長に構えているんですの。ふたりをお止めなさいましなっ」
「ご安心くださいマイ・ロード。怪我をしても聖女さまであれば、聖なる癒しの魔法でどうとでも治療して下さります」
「そうね、あたしなら体と首が分離でもしない限り助けてみせるわ」
「そういう問題ですのっ?!」
壁にぶつかった衝撃から、まだ俺は立ち直っていない。
息をする事も苦しいままだ。
「まだまだっ、さあ来い!」
だがここで無様な姿を見せるわけにはいかない。
何しろ奥さんたちは「全裸最強」とか「辺境不敗」とか、よくわからない理由でいつの間にか俺の事を最強神話に出てくる伝説の存在みたいに妄信しているからな。
勝手な話だが、失望させるのはできるだけ先延ばしにした。
「行きますッ。せええいっ」
迫るアップルスターが気合の言葉を発して俺に迫る。
もはや受け立ちは腰砕けになっているからできないので、それに対しては剣を振り抜いて時間稼ぎをするしかない。
するとアップルスター卿は横に飛びのきながらそれをやり過ごしてふたたび片手の大突きを狙いすまして来るのだ。
俺もどうにか家具を蹴り込む様にして前に飛び出し、イチかバチかの反撃を行った。
鋭く突き出した剣が俺に迫るのが早いか、俺が咄嗟に体を捻って彼女の腕を掴むのが早いか。
肩から体当たりをする様にアップルスター卿の腕を掴む事ができたのは、ほんのマグレだったのかも知れない。
そうするために俺は剣を放り出す必要があったし、本当にイチかバチかの勝負だった。
飛びついたその勢いでアップルスター卿を押し倒した俺は、馬乗りの状態で息も絶え絶えに言葉を発する。
「……ああ、わかった。なるほど。これは単純な理屈だ」
「ハア、ハアっ。おわかりいただけたでしょうか全裸卿閣下」
「ローキックで相手の意識を足に向けておいて、そこからハイキックで倒すあれですね。わかります」
「……っ?」
彼女からタックルを奪う事には成功した。
けれども今俺は、彼女の胸に顔を埋める格好だった。
ギリギリでアップルスター卿の放った突刺の一撃は回避できたけれども、見取り稽古をしている奥さんたちには間抜けな格好に見えているに違いない。それだけではなく、
「最後の最後がいただけねえぜ、相棒。ガッツリ首に腕を回されて何にも抵抗で気ない上に、短剣まで突き付けられているんだからな。お前さんの負けで決まりだぜ」
「シューターさんにはガッカリだよ。やっぱりおっぱいが大きい女のひとがいいんだね」
呆れた顔のニシカさんが解説する様に、俺はフロントチョークと呼ばれる首の締め技に見事にハマっていた。
しかもアップルスター卿の放った片手の大突きに気を取られていたが、彼女は左手で密かに短剣を抜いていたのだ。
その隣で侮蔑の表情を浮かべているけもみみ、おかしな事を言うのはやめなさいっ。
「くっ違うこれは。不可抗力だ!」
フロントチョークとは言ってもこれは偶然この形になったものだろう。
必死に体を揺すって回避しようとすれば、抜け出せるのではないかと俺は抵抗した。
抵抗する度に俺は、柔らかなアップルスター卿の太ももに体を擦り付けてイケナイ気分になるのだ。
「そうは言うけどねシューター、お前の股間はどうして膨らんでいるのかしら?」
「別の意味で興奮しておりますのね……」
「ご主人さま、自分は何も見ていないのでご安心を」
言い逃れできない事に、息子はますます元気になった。
違うんだ。そうじゃないんだ。
レスリング選手は試合中に股間が膨らむ事もあると聞いた事があるぞ。つまりはそういう事だ!
「ちょ、動かないでください閣下。これ以上動かれたら……」
幸せ気分で浮かれている息子とは裏腹に、抵抗すればするほど俺はアップルスター卿の胸に顔を揉みくちゃにしながら埋める事になるのである。
ますます侮蔑の衆目を集めながら、どうにかフロントチョークから抜け出した時。
あわてて短剣を突きつけようとした彼女の腕を押さえつけて、ようやくまともなマウントポジションを奪う事ができたのだが……
「ひっ」
「いや、えっと。すまないすぐに手をどける!」
覚悟の表情を浮かべて眼をつぶったアップルスター卿に、俺はたまらず体を浮かした。
もしかすると今ので、彼女の不幸な思い出を脳裏によぎらせたのかも知れない。
「い、いえ大丈夫です。さすがに殿方を相手に締め技を決めるのは無理がありました」
「あのまま短剣を躊躇なく刺されていたら、俺は死んでいたわけだしな。か、完敗だよ……」
膨らんだ息子を抑えながら俺が謝罪をすると、アップルスター卿は困惑の表情で返事をしてくれたけれども。
奥さんたちの視線は冷たいままで、いたたまれなくなった息子はすぐにも委縮した。
遅いんだよ! もっと早く鎮まれよっ。反抗期の息子の扱いは難しいものだ。
カールブリタニアには素直な娘に育ってもらいたいと、心の中で思う吉宗であった。
◆
台無しになったズボンを履き替えて、夫の体面というものを取り戻す事にする。
すでに手遅れだという一部奥さんの言葉は耳を塞いで聞こえない事にした。
改まって彼女から色々と話を聞く事にしたのだが、その身支度を手伝ってくれたのはアップルスター卿ご本人だった。
するとシュンと恐縮した彼女がこう言うのだ。
「閣下のお召し物を台無しにしたのは自分ですので」
「いやまあ。試合の上での事だから、それは気にしないでくれていいよ」
「申し訳ございません。わたしも先程の事は、べっ別に気にしておりませんので閣下もお忘れください」
「うン……」
気まずい雰囲気の漂う彼女の私室で、俺は視線を外しながら外の風景を見た。
別館の最上階に位置する部屋からの眺めは、ちょうどガーターさまは反対方向のものだった。
ッヨイ広場を中心としたグラードの城下を見下ろす事はできない代わりに、野牛の居留地へと続くトンネルの入り口が見えた。
湖畔に城館が建築されてから後は、そのトンネルの入口に立っていた野牛の兵士はいなくなった。
その代わりに辺境東部のどこからかやって来た商人たちの往来が、居留地との間で行われて賑わっているらしい。
今は雪に閉ざされる季節だから往来は居留地とグラード、それにサルワタ間ぐらいのものだが、やがて春の訪れが来れば文物の交流は遥かリンドルやオッペンハーゲン辺りまで広がるかも知れない。
「お待たせしました。カサンドラ奥さまの様に上手くお茶を淹れられたかわかりませんが……」
「ありがとう、いただくよ」
お茶の支度をしていたアップルスター卿に声をかけられて、俺は向き直る。
見れば高価そうな陶器のティーカップに、七色に光るお茶が注がれているではないか。
カサンドラもお茶の練習をはじめてせいぜい半年ぐらいのものだから、たぶん彼女の方がよっぽど淹れるのは上手いはずだが、ちょっと呑むのを躊躇する色味である。
「これは?」
「聖女ガンギマリー奥さまより譲っていただいた、ポーションティーです。色鮮やかで素敵ですね」
「そうだね。いただきます……」
マリから譲ってもらったという事は、きっと精神安定か何かの効能があるものか。
勧められるままに小ぢんまりとした応接セットに腰を落ち着ける。
対面に彼女が着席したところで口をつけたが、お味の方は見た目に反してただ酸っぱいだけのお茶だった。
このファンタジー世界のお茶はどうしてこんなにも酸っぱいんだろうなどと、どうでもいい事を考えながらアップルスター卿の表情を観察すると。
先ほどよりは落ち着いたのか、落ち着いた少女の顔立ちに戻っていた。
薄幸そうなところは相変わらずだが、そこはカサンドラに含められた通り俺も何か手助けをしたい。
「正直、きみの剣術の腕は俺も見くびっていた。あんたは間違いなく強いし、何も知らずにテールオン妃の暗殺なんて実行していたら、奥さんの誰かにとんでもない被害が出ていただろう。間違いない」
「いえとんでもありません。全裸最強の閣下がもし、天秤棒をお持ちでしたらわたしには勝ち目はありませんでした」
アップルスター卿の視線を向けた先に、武器立てにささった天秤棒が一本。
なるほど。あまり気にしたことはなかったが、ハーレム大家族の私室すべてにもしかしたら天秤棒が常備されているんじゃなかろうか。
もちろんいざという時に俺が使う様なのだろうが、これはいつ頃から配備されていたんだろう。
「大正義奥さまのご差配で、少し前にここへ運ばれてまいりました」
「少し前って、この最近かよ」
「ええ。その天秤棒は閣下がお立ち寄りになる奥さま方の部屋には、必ず置かれているそうですね。わたしは妻ではありませんが、近く閣下がここへお立ち寄りになるだろうとの事で」
「…………」
たぶんカサンドラは今日の稽古が無かったとしても、最初からアップルスタ―卿に心配りをする様に俺に差し向けるつもりがあった様だ。
そうでなければ俺が立ち寄る事を想像して、天秤棒を武器立てにさしておくはずがないしな。
「話が逸れました。わたしが得意なのは限られた武器と場所で戦う術だけです。それはテールオンさまもまったく同じしょう」
「それが屋内戦闘に特化したという事かな?」
「はい。ですから最初から閣下が全裸スタートか天秤棒をお持ちであれば、わたしに勝ち目はなかったかと。閣下の棒さばきは拝見した事がありますが、手足の様に自在に扱う様を見ては、わたしやテールオンさまではまず勝負にならないと判断しました」
少し後にアレクサンドロシアちゃんから聞いたところ。
後宮警備を担当する近衛の騎士たちは、城内や屋内で戦う事を想定して訓練を徹底するものらしい。
となれば領主奥さん本人だけでなく、男色男爵やカラメルネーゼさんも同様の訓練を経験しているはずである。
「だとすると、自分の娘を送り出したオレンジハゲは、最初からその事を知っていてテールオン妃をその様に教育していたのかな」
「これは想像ですが、恐らくはそうだと思います」
「ふむ……」
「わたしは身代わり役としてテールオンさまと同じ教育を受け、いざという時にテールオンさまに言葉通り身代わりになる事を求められていました。テールオンさまは高貴な身の上の教育と作法を施される必要がありましたので、剣術稽古の時間はわたしほど受けてはいないはずです」
立ち会って稽古をした事もあるそうだが、それを踏まえても、
「テールオンさまがわたしよりも優れた剣術をお遣いになるという事は、まず間違いなくありません。馬術については後宮警護の近衛としてわたしより上かも知れませんが、あの方は槍遣いもそれほど上手ではありませんでしたので」
「つまり、アップルスターさん。あなたに余裕をもって勝利する事ができるのであれば、テールオン妃の暗殺は夢物語ではないという風に言えるわけだね」
「直接対峙する状況に持ち込みさえすれば、そうだと思います。それに、」
この秘剣オレンジハゲはあくまでも一対一を想定した、不意の暗殺を防ぐための術だとアップルスター卿は言い添える。
これが遣える事で後宮警護の近衛騎士として推挙されただけでなく、もしかしたら……
「その護身術の特技を評価されて、王様の側近を任された流れから縁が芽生えた。そういう線は考えられるかな」
ティーカーップを小さな丸テーブルに置きながら俺が思案に暮れると。
微笑を浮かべた薄幸の少女貴族が俺を見やってこう言葉を添えたのである。
「わたしがテールオンさまの身代わり役をやっていたのは、貴族軍人としてあの方がお過ごしになっていた頃と、陛下に輿入れする事が決まるまで」
「つまり後宮にもきみは出入りをしていた事があるんだね?」
「もちろんこれは違法な事ですが、ありました。テールオンさまの代わりに難しい警護の役割をこなしたり、何らかの理由でお出になれないあの方の代わりを務めた事もあります」
「何らかの理由で」
危険度の高い任務に当たる時は、テールオンに代わって文字通り身代わり役として替え玉を演じていたというわけか。だが何らかの理由とは?
「わたしは限られたタイミングでのみ後宮での役割を命じられておりましたけれど、テールオンさまが陛下の護衛役をお勤めになられた事は度々ありました」
否定も肯定も、アップルスター卿はしなかった。
けれど、その頃から密かに王様とテールオン妃が逢瀬をしていた様な事を暗に物語っている様な口ぶりだ。
そして伏せ目がちにティーカップの中身をスプーンで混ぜていた彼女は、ふと俺の顔をまじまじ見つめ返してきた。
「閣下、どうされましたか」
「アップルスターさん、きみに確認しておきたい事がある」
「は、はい」
「きみは辺境伯ミゲルシャールの一族の末に席を置く身の上だけれども、俺たちに協力したという事は以後もうブルカ伯側がこの政争・戦争に勝利したとしても戻るべき場所はなくなっているわけだ」
「そう、なりますね……」
きみはその事を覚悟して協力を申し出ているのか。
もちろんその意思があるからこそ俺たちに秘密の剣術の手の内を見せてくれたわけだ。
けれど、薄幸な彼女の幸せを何とか手に入れさせたいと、カサンドラが言うまでも無く俺も同意するところである。
だから、もういち度最後にその事を確認しておきたかった。
ところが、
「辺境不敗を謳われる全裸最強の閣下が、この戦争に勝利すれば問題ありません」
「た、確かにその通りだね」
「それにカサンドラ奥さまからは、家族同然の扱いをしてくださる事をお約束頂きました。こうして城館に住まわせていただいているのが証拠と、わたしは受け止めております」
聞けばすでに両親は他界しており、
「養子として家督を継承したウルモス子爵家の一族もまた、残されておりませんので。もはやミゲルシャールさまの元に未練はありません」
「き、きみの齢はいくつだったかな」
「テールオンさま、大正義さまと同じく十七歳です。カサンドラさまはあれほど高貴な身の上の令嬢然ととなさっているのに、わたしはまるで駄目です」
薄幸そうな少女をますます救ってあげたいという気持ちになってくるではありませんか。
おずおずと上目遣いで俺を見上げてくるアップルスター卿を
「こんなわたしでも幸せになる方法はありますでしょうか?」
「幸せになれないなら、誰かに幸せにしてもらえばいいじゃないか」
「あっ、ありがとうございます。大正義さまからのご許可は頂いておりますので、どうぞ優しくなさってください……」
「えっ?」
立ち上がったアップルスター卿は、静々と寝台のところまで歩みを進める。
……そうして静かに腰を下ろすと、おもむろにケープを脱ぎ出したではないか。
「責任をもって、幸せにしてくださいね?」
「……えっ?」




