403 耳を澄ませば、耳を澄まされる 中
薄手の生地をしたシミューズの上からはくっきりとマイサンドラの尻ラインが浮かび上がっていた。
俺はそれを目標にして、ゆらりと立ち上がった。
深酒が過ぎたのだろうか。明らかに足取りは定まっておらず、手に持っていた蒸留酒の酒瓶をテーブルに置くだけでも慎重になってしまった。
そのまま転がる様につんのめって、マイサンドラの側まで身を寄せたのだ。
「……いいわ、その壁に手を付いて、じっとしていなさい」
「そういうプレイがご所望なのかな。ん?」
「ち、違うわよ。耳を押し付ければ向こう側の会話も聞こえるだろうからってッ」
少しからかったところ、マイサンドラは酒気を帯びたその表情をぷうと怒らせて俺を小突いた。
「嫌なら暖炉の中に体を突っ込んで聞くしかないわよ」
「わかってる。何か動きがあったんだな……」
暖炉の中に体を突っ込んで煤だらけになるのは嫌なので、大人しく彼女が指示する通りに耳を土壁に押し付ける事にした。
この土壁だが、表面はセメントで塗装されたようになっているが、中身は網竹材の様なものを骨組みに使って土壁を盛ったものだ。
特に防諜対策を意識しているものではないので、試しに指先で叩いてみると思い他反響したので驚いたのだ。
すると隣で同じような姿勢でお尻を突き出し耳を当てていたマイサンドラが、ぶすりと怒った顔をする。
ついその姿がかわいらしく見えたものだから、腕を回して抱き寄せて唇を奪ってしまった。
「……ん……ぷはぁ……ちょ、ちょっと待って旦那。何事も順番は大切なんでしょう?」
「何事も順番から言って、マイサンドラと夜を過ごすのは今夜の第一目的だ」
「ガンギマリーさまの事が心配とか言いながら、旦那は何を言ってるの?! この変態っ、全裸だしやっぱり変態だ――」
「シッ、おい何か聞こえたぞ」
嫌々をしながらも唇をしばらく預けていた彼女である。
けれど唇を離した途端に抗議の言葉が次々と飛び出してくるものだから、向かい合った顔をもう一度近づけて黙らせてやった。
目的はもちろん部屋の向こう側の様子を探る事だが、ついでに好都合だったのだ。
「……」
「…………」
大人しくされるがままになったマイサンドラは、一瞬だけトロンとした表情で俺の顔を眺めていたけれど、すぐにも壁の向こう側で起きた事に関心を向けたらしい。
何かの荷物が運ばれてくる音だ。
ドスンと複数が床に置かれる音が重なって、バールの様なものを使ってゴリゴリと蓋を開ける音も続く。
だとすれば木箱が運び込まれたのだろうか。
とろける様な表情をしていたマイサンドラも、この一瞬で覚醒したのか鋭い視線で俺を見返した。
見れば手元で指を折っているらしく、床に置かれた木箱の数を数えていたんだろうか。
「……全部で六つね」
「そんなにもか」
「床に置いた際の感じからすると、ひとりで運べる重さのはずよ」
「何が詰まっているんですかねえ?」
改めて耳を澄ませてみると、どうやら木箱の蓋はバールの様なものでこじ開けられたとらしい。
何かを取り出すゴトゴトという音とともに、誰かの発言も耳に届くではないか。
「――こちらは約束通り、全部で三〇振り用意しました。こっちは使用する人間が限られているというから、ひとまず一〇振り。必要に応じて増産するための手はずだけはしてあるので」
三〇振りに一〇振り?
いったいどういう事だとたまらず顔をしかめて耳を傾けていると、今度の声はハッキリと聞き覚えのあるものだ。
俺の聖女奥さん、雁木マリのもので間違いない。
「それで構わないわ。仕上がりは十分用途に耐えるものね、装飾もしっかりとしている様だけど」
「まずこれを見て識別可能な様に装飾は施してあり、その上で用途に耐える様に手配して頂いています聖女さま」
「これならばひと眼見て身内と識別可能だわ。その上で戦闘でも十分に使えるのなら問題なしね……それで例のモノの方はどうなっているのかしら?」
マリに返事をしたのはハスキーボイスな声音だった。
男装の麗人が側にいるのか? くぐもった声のために完全に識別する事はできない。
やはり人間は複数の感覚を統合して人間を識別できる様にできているらしい……
しかしどういう事だ?
用途に耐える仕上がりで識別可能な装飾。いったいマリとベローチュは何の相談事をしているんだ。
どうやら武器か何かの話をしている事は間違いないらしく、眼の前で腰をかがめているマイサンドラの表情も緊張感を漂わせている。
カシャリと音がしたところを見ると、その武器は刀剣の類だろう。
「……鞘に納める音かしらね。別館に三〇振りの武器が運び込まれた様だけど」
「識別可能な装飾が施されているという事は、それで敵味方ひと眼で見てわかる様に工夫をしてあるという事か……」
「それでいて普段使いにしていてもおかしくないもの、武器としてもちゃんと用途を為しているもの。どういう事だろうね」
本館と別館を繋ぐ城館の回廊には警備の人間が当直に立っている。
ハーレム大家族以外は男子禁制のルールがあるので、ここをまかり通るためには厳しいチェックが行われるし、そもそも本館に運び込む段階で武器などの持ち込みも限定されているはずだ。
それがいとも簡単に本館どころか別館まで持ち込まれたとなると……
いったい何が起きているんだ。別館で武器を使用する事案が存在するとか?
「ま、マイサンドラは何かマリから聞いているか」
「いいえ。日々のお祈りの時に、聖女さまとは時々礼拝堂で顔を合わせる程度だわ。村にいた連中とは違って相談は何でも聞いてくださる方だけれども、お、同じ義姉妹関係とは言っても女神様の守護聖人に気安く話しかける事はできないもの……」
「大量の武器を別館に持ち込んで、マリたちはいったい何をする気なんだ」
理由のわからない武器の手配に俺は訝しみの気持ちを強める。
武器を必要としている最前線は雪に閉ざされているために膠着状態だ。であるならば拠点であるゴルゴライに集積するのが常道だろう。
わざわざアレクサンドロシアグラードの、それも別館に運び込まれる理由がわからない。
「例のモノはこれだけれども、普通のモノと何が違うのかな? ぼくわからないや」
「通常よりも固く、それでいてしなりがよいそうです。特殊な金属を仕入れて作成されたものなので、恐らくは簡単に折れる事は無いと思います」
「これならば満足に暴れ回っても問題ないというわけね。さすが岩窟都市のウーツ鋼」
何やら例のモノと呼ばれた武器は、ドワーフの王国から特別に輸入されたものという事か?
いったい何に使うんだ、と俺は戦慄した。
そしてマリたちの行っている密議の場には、どうやらエルパコも参加しているらしい。
「この事はもちろんシューターにはまだ知られていないのよね?」
「もちろんです。ご主人さまは日々のお役目を過ごされながら、今日はマイサンドラさんのお相手をされているはずですから」
「マイサンドラさんの? そう言えば夕飯の時に何人か見かけないと思ったけれど、城下にでも繰り出していたのかしら」
「うん。護衛のためにクレメンスとマドゥーシャが随行しているよ。シューターさんはお酒を呑むとエッチになるから、たっぷり呑ませると簡単に触ってくるはずだとアドバイスをしておいたよ」
「さすがですエルパコ奥さま。ご主人さまはお酒を呑むと御しやすいので、今頃はマイサンドラさんの胸の内で暴れているか、マイサンドラさんがご主人さまを押し倒している事でしょう」
何という言われ様だ。
俺は壁に押し付けた耳を疑いながら、奥さんたちの会話に驚愕した。
そしてマイサンドラは必死で笑いを堪えている様な顔をこちらに向けてくる。
腹が立ったので太ももをパシリと叩いてやると、あべこべに大切な場所へ反撃をされた。
「マイサンドラさんの部屋は隣なのよね……」
「なるほど。ご主人さまが激しく彼女を求めておいでであれば、耳を澄ませば聞こえるかも知れません」
「けど、こっちでゴソゴソやっていると向こうの声は聞こえないや」
「そ、それは残念ね……」
「おや聖女さまは、他の奥さま方がどの様に夜の生活をなさっているかご興味がおありと。では今度はふたりがかりでという提案をしてみませんか?」
「何を言っているのかわからないわ、仕事をしなさい!」
どうやら向こう側も一瞬だけ聞き耳を立てようとしたらしい。
けもみみに褐色エルフ。ふたりは耳のいい人種なので、こっちが盛り上がっていれば聞かれていた可能性がある。
しかしそこは安心だった。
どうやら木箱の中身を改めるというのに、使用人たちがゴソゴソと箱をひっくり返して武器とやらの数を確認していたみたいだからな。
全部の確認が終わったと見えて、その報告の声が聞こえる。
「奥さま方、短剣が三〇振り、それに長剣が一〇振り確かにありました」
「いいわ、お前たちはひとまずこれを部屋の端に片づけてちょうだい。それからアッチは用意できているかしら?」
「もちろんです。最初は奥さま方個別にと考えたのですが、それではニシカさんが強固に反対する可能性がありましたので、この際は連盟の形で書面を用意いたしました」
「これさえあれば十分に説得できるわね。他の全員が署名をしているのだから、頑固者のニシカさんも反論する事はできないでしょう。強引にいけます」
何かを訴えかける連判状を作っている?
署名を集めて、弾劾の書面かなにかを作成しているという事か。
「ぼく知ってるよ、ニシカさんは押しに弱い性格なんだ。朝から元気で困ってたシューターさんが助けを求めたら、お風呂場で慰めているのを目撃したよ」
「最悪ねあのひと、順番もへったくれもないわ。いや最悪なのはシューターの方だわ」
「夜の順番は定められておりますが、昼間は員数外です。しかもそれをして黙認されているのはカサンドラ奥さま他、序列の高い奥さま方のみです。これでは不平不満が他の奥さまに集まるでしょう……」
「そんな事は無いよ。みんな昼間に抜け駆けしているから、だからみんな文句を言えないんだ」
「あなたたち、真面目に家族のルールを守りなさい! あたしだけゴルゴライに居たのだから、そういう事はできなかったのよ」
「たまにですたまに、わたしはそう頻繁にそういう事はしませんッ」
何やら会話の様子がおかしくなってきたので、俺は顔をしかめた。
気が付くとマイサンドラは興味を失ったの、壁から耳を話して寝台の方に向かおうとしている。
「おい、マイサンドラ。これはどういう事だ?」
「その前にこの部屋に聞き耳を立てている鼠がいるから、そっちを先にどうにかしないとね……」
マイサンドラは寝台を通り越して武器立てまでやって来る。
するとそこに置かれていた天秤棒をひょいと抜いて、喧嘩キックの要領で壁を蹴り飛ばしてから、天井に向かってズガンと勢いよく突き立てるじゃないか。
途端に耳を寄せていた俺はビクリとしてしまう。
ついでに隣の部屋の物音も静まり返った様だ。今の天井を突いた音は聞かれてしまったので間違いない。
「と、隣は空室だったんじゃないの?!」
「今は誰かが聞き耳を立てているわよ。ついでにこの上はカサンドラの部屋なわけだけど」
「えっカサンドラが聞き耳立ててたの?」
「正妻にもなって、何と肝の小さいことをしているのかしら」
この城には鼠だらけね!
なんて怒って見せたマイサンドラが、いそいそとはだけていたシミューズの肩紐を直しながらぷいと怒ったのだ。
隣で行われている密議と、奥さんたちの耳目がこの部屋に集まっている事と。
これはいったいどういう事なんだ?!




