402 耳を澄ませば、耳を澄まされる 前
いったん投降後、前半を加筆修正しました。
「旦那は妻を信じるという事を知らないね!」
上機嫌に酔いどれとなっていたマイサンドラは、千鳥足になりながらサルワタ通りをフラついていた。
その隣で俺は彼女の背中に腕を回し、一緒になって蛇行してしまう。
「俺は奥さんひとりひとりをちゃんと信頼しているよ」
「それなら、どうして聖女さまの事をもっと信じようという気持ちがないのよ。仮にも女神様の守護聖人である全裸男として、女神様と女神様の聖使徒に対する信心が足りないんじゃないのかしら?」
「近頃のマリはちょっと忙しそうにしているから、心配だったんだよ! それに俺だって好きで全裸と呼ばれているわけじゃねえっ」
「戦争になれば真っ先に脱ぎ散らかす癖に、よく言うわ! あはははっ」
駄目だこの女、早く何とかしないと。
放っておけば確実に路上で眠りこけて、朝になれば凍死体が一丁出来上がりになるだろう。
これがいつもの事なのか、後ろからついてくるクレメンスと女魔法使いは苦笑こそ浮かべるものの放逐している具合である。
振り返って助けを求めたところ、
「これは旦那さまの役割だす。余計な事をしてマイサンドラさんの恨みを買うのは得策ではないだす」
「珍しく正体不明になるまでお酒を飲まれたんだから、マイサンドラさんも上機嫌だったに違いないですよっ。おちんぎんはいらないとか言いながら、おちんぎんの代わりのものはちゃっかり要求するところが、いかにもマイサンドラさんらしいですねえ」
「何しろ奥さんだすからな。財産も家族共有なら、旦那さまの愛情も家族共有だす。これは逃げられない運命なのだすな!」
後ろのふたりも度を過ぎて酒を呑んでいたと思われるに間違いない。
マイサンドラは途中で商店の壁に手を付いて、待って少し休憩させてなどと言い出したりしたものの、それ以上気分を悪くして動けなくなるという事も無く、どうにか城館の門まで辿り着く事ができた。
今夜の当直警備を担当していたのは、たまたまニシカさんだった。
「どうやったら難攻不落のマイサンドラを攻略できたんだよ。ん?」
「か、勝手に呑んで酔いつぶれてこの有様だ」
「そうかい。色々と言いたいことが溜まっているひとだからなマイサンドラは、それを静めてやれるのはオレたちじゃなくて旦那のお前さんしかいないぜ相棒。オレたち猟師同士はわだかまりもあるし、カサンドラもあれでオッサンドラの事は気にしているからな……」
その事はおれも理解しているつもりだ。
カサンドラは心根優しい人間でマイサンドラを家族として受け入れる度量を示しているが、過去にあった不幸な出来事に全て整理ができているとは思えない。
ハーレムは家族、ハーレムは姉妹だと考えるサルワタ貴族の間を取り持つのも、俺の仕事だぜ。
「心を開いてくれたから油断もしたんだろう。聞けば普段あんなに呑む事は無いみたいだから」
「オレもあんなマイサンドラを見たのははじめてだぜ……」
ヒソヒソと城門前でニシカさんと体を寄せ合っていると、背後からズンズンと酒気を巻き散らしながら近づいてくる女の気配があった。
もちろんそれはマイサンドラそのひとで、ぐいと伸びた腕が俺の首根っこを押さえて引きずろうとする。
「あいにく今夜はわたしが旦那を自由にしていい日なんだ。悪いけど鼻垂れの出る幕はないわねニシカ」
「そ、そうかい。シューターは酒を呑むといつもの倍は助兵衛になるから気を付けな」
「先輩気取りでいるんじゃないよ鼻垂れ! わたしはこれでも元人妻だから、男あしらいぐらいは、どうってことないッ」
俺は強制的に城館内へと連行された。
見ていた他の奥さんや兵士たちは、ニヤニヤ顔を浮かべたり驚いたりしていたけれど、一番ビックリした顔をしていたのはたぶんニシカさんだろうか。
眼帯をしていない方の眼でしきりにアイコンタクトをパチクリと送っていた。
たぶん、ワイバーンに捕まった獲物はこんな気分なのだろう。
◆
サルワタ湖畔を眺め見る事が出来る城の別館には、俺たちハーレム大家族の生活空間があった。
最も大きなスペースの部屋は家族そろっての寝室で、夜になればよほどの事が無い限り奥さんたちはみんなここで睡眠を取る事になる。
それとは別に個々のプライベートルームが用意されていて、未使用のものも含めれば全部で三〇あまりの個室が集まっているのである。
陽当り良好であったり間取りが優れた部屋は、家族内の序列に従って大正義カサンドラや領主奥さんのアレクサンドロシアちゃんが優先している。
それ以外の奥さんの部屋を訪ねてみた感想としては、基本的に大きさはあまり変わらないものだった。
趣味の内装が施されていたり、洋服が収納できるスーペース。お茶をしたり簡単な作業ができるソファが置かれていたりと、その辺りは奥さん毎に違う。
ただ唯一、特別に空き部屋にされていたはずの最上階の部屋は、現在のところ王族奥さんのガーターさまとその郎党が使う部屋として指定されていたぐらいだろうか。
「……ま、まあ今更というのもあるからね、勝手に入ってくつろいでちょうだい」
「じゃあ失礼して、おじゃまします。晩酌セットはどこに置けばいいかな?」
「適当にその辺のテーブルにでも乗せてくれればいいわ。おつまみは干し芋でいいかしら」
「それこそ、あるもの何でも構わないさ」
元猟師でツジン一味の工作員として活動していたマイサンドラは、家族内の序列に従えば新参で低い事になる。
醸し出す雰囲気だけならサルワタ貴族の古参みたいなドヤ顔の彼女だが、実際に割り当てられたプライベートルームは酷く質素でささやかなものだった。
ポツリと置かれた寝台と、部屋の隅に置かれた武器立てに並べられた長短の弓矢。
壁面には地図の様なものが数枚貼り付けられていて、どこから持ち込まれたのかわからない古びたソファとテーブル。
テーブルの上には無造作にナイフが放置されていて、燭台を向けたところで俺はたまらず肝を冷やした。
「ワイバーンの干し肉と兎の燻製肉、チーズがあるわ」
「兎かチーズでおねがいします。酒はリンドル産の上等な蒸留酒をもらってきたからな」
「贅沢じゃない。わたしは好きだけど、余り味はわからないわよ?」
すでにかなりの酒量を飲んでいたので、お互いきっと吐息は酒臭いものに違いない。
適度に酔いが回っているせいでそんな事も気にせず、俺とマイサンドラは絡まる様にしてソファに体を投げ出したのである。
「暑いな。この部屋は暖房が効きすぎている」
「隣が暖房を炊いていると、だいたいこっちも熱が伝わってくるのよ。ってちょ、もう脱いでるし旦那?!」
「全裸を貴ぶ部族だからな。きみも脱ぎたまえ」
「そういう家族のルールなのは知ってるけど、ちょっと気が早くない……?」
どのみち外と同じ様に防寒具をいつまでも着込んでいるわけにもいかない。
もそもそとソファの上でふたりが服を脱ぎ散らしていると、気が付けばずいぶんとお互いの顔が接近して。
酒に染まった彼女の吐息が俺の頬を撫でるのだ。
「大丈夫か、随分と顔を赤くしているけれど」
「呑まなきゃまともに旦那の顔を見ちゃいられないからに決まっているでしょう! どの面下げてカサンドラの旦那に股を開けばいいのかわからないのよッ」
「世間ではあんたも立派な俺の奥さんだという風に認識されているから、気にする必要なんてない」
「そうね。サルワタ領邦の領民なら旦那が辺境随一の助兵衛全裸である事を知らない者はいないんだから」
動じているのか動じていないのか、そっぽを向いたマイサンドラは背伸びする様に手を伸ばしてテーブルの酒杯をふたつ手に取った。
それらを俺の手に押し付けてからリンドル産ブランデーを手に取って注ごうとしている。
酔っているせいでまどろっこしい動きをしているのが見ていられなくなり、金属の酒杯をソファに放り出して酒瓶を奪った。
まったく、こんなものは口で直接呑めばいいんだよ。
ところがそれを見ていたマイサンドラは、露骨に嫌そうな顔をした。
カサンドラとよく似たその表情がまた妙な後ろめたさをもたらしたのだが、口から酒瓶を外した直後に唇を奪われてしまったではないか。
何が起きたのか一瞬だけわからなかったけれど、どうやら酒をわたしにも寄こせと口から吸いだされてしまったのである。
……こ、こんな情熱的な事を許してくれるのは、我が家に奥さん多しと言えどいない。
もう駄目だ、俺も息子も爆発寸前のダイナマイトだぜ!
「ちょ、それより聖女さまの部屋の様子が知りたいんでしょ」
「そんな事を言って、本当は誘っているんだろう。ん?」
「つ、続きは朝までいくらでも付き合うから、先にそっちを済ませましょう? 助兵衛やめなさいッ」
「向こうの声が聞こえるという事は、こっちの声が聞こえるという事なのか。マリに聞かせて焼きもちを焼かせてやろうぜ」
俺の暴走は酒に酔ってますます加速しそうになった。
けれどそうならなかったのは、部屋の向こう側で大人数の気配を感じたからである。
マイサンドラの熟れた尻に手を伸ばそうとしたところでパシリと手を叩かれて、彼女はソファから這い出した。
そのまま暖炉の側まで近づいて、手招きをするのである。




