396 アップルスター卿の今後について
黒々とした窓の向こう側には、街の灯りに照らされた銀世界が広がっている。
湖面には月光が照らし出されて、波打つたびにそれがゆらゆらと煌めいているのが見えた。
寒さの原因は、いつの間にか散らつきはじめた雪だ。
晩餐会の来賓を送り出す時には風も収まっていたはずだが、今ではカタカタと小刻みに貴重なガラス窓を揺らしているのだ。
「どうしたものでしょうか、全裸卿閣下」
厚手のカーテンを閉め切って振り返ったところ、寝台の横に立っていたアルフレッドがおずおずと俺を見上げた。
少年の様な白色長耳ガールは、仕えるべきお姫さまに毛布をかけてあげながらも緊張している。
「アップルスター卿を見て随分と驚いていたようだけど、それで寝込んでしまったものはしょうがないからな。しばらく様子を見る事にしよう」
「はい。騒ぎばかりを起こしてしまい申し訳ございません。正妃陛下、いえガーター奥さまはたいへん心根が優しい方なので、きっと突然の事に驚いてしまったのです」
「きみも大変だな。じゃじゃ馬令嬢の側にずっと仕えていなくちゃならないんだから」
件のアップルスター卿と顔を見合わせながら俺がそう返事をすると、深々と大きく頭を下げてアルフレッドが感謝の意を示した。
「アップルスターさん、あなたはブルカ伯の末の娘とはそんなに顔が似ているんですかね?」
「そ、そうですね。よく知らない身内以外の方では見分けがつかない程度に似ていると、その様にブルカ宮殿では言われておりました。今のテールオン妃さまと似ているかどうかはわかりませんが」
「少なくとも後宮暮らしをしていたこちらの正妃さまは、きみとテールオン妃を誤認する程度には驚いた様だから、今も似ているのだろう」
「そうなのかも知れません」
俺の言葉を肯定する様に、アルフレッドがコクコクと大きく頷いて見せた。
同時にアップルスター卿もそれを否定しないのだから、傍目に見れば区別がつかず、たぶん親族でもよほど注意深く見ていなければ見抜けないのかも知れない。
「夜会の席では随分と速いペースでガーターさまはお酒を嗜んでいたようだが、彼女は酒に強いのか」
「そんな事はありません。エルフ族はもともと余りお酒には強い種族ではないので、少量呑めば十分に心地よくなるのですが。さすがに今夜は気が動転されておられた様で……」
アルフレッドの言葉によればエルフ族は等しく酒には弱いらしい。
待て、ニシカさんはお酒が恋人だと言ってはばからない酒豪のひとのはずだが、例外なのか?!
いやよく考えればいつも酔っているから、強いわけではないのか……
しかし俺がどういう事だと思考を巡らせている間に、ふとアップルスター卿が言葉を添える。
「わたしが見た限り、随分とペースが速かったのは事実ですね」
「あれ、アップルスターさんも参加されていたのか」
「はい正妻カサンドラ奥さまとアレクサンドロシアさまのご配慮で、諸侯や商人のみなさまと顔合わせをする様にと」
「そうだったのか。ご挨拶はできたかな?」
「おかげさまで、戦争奴隷の身でありながらよくよく顔つなぎをさせていただきました。戦の勝ち負けは貴族軍人の常と、アレクサンドロシアさまも仰ってくださいました」
俺たちの中ではブルカ辺境伯を打倒する事は確定的事項だ。
仮に王都中央で政変が起きず、国王による辺境の戦いに政治介入があった場合でも、アップルスター卿は有用な価値があるとアレクサンドロシアちゃんは判断していたらしい。
「戦争が小康状態になれば、やがて領境線の確定が行われる事になります。あるいは戦争奴隷の交換など身代金のやり取りもありますので、わたしの事は重宝できるとご判断もあったのかも知れないですね」
ブルカ伯一族の証である様にオレンジ色の髪をした彼女は、髪の毛をかき上げながらウンウンと唸っている正妃さまの顔を覗き込んだのである。
確かにオレンジハゲの一族に名を連ねているだけに、オレンジハゲ本人とともに戦争奴隷として身代金の要求をすれば高額になる可能性があると、ようじょも言っていた気がする。
「それだけではないのですどれぇ。アップルスターさんと仲良しこよしをしていれば、戦争が終わったのちもブルカ同盟軍の側にお友達がいる事になるのです!」
「あ。ッヨイさま。それにマリも来てくれたのか?」
「正妃さまが気を失ったというから、驚いて飛んで来たのよ。気付けの薬はあるから、すぐに起こしましょうか?」
振り返れば正妃さまにあてがわれた部屋の扉を、無遠慮に開いて入ってくる雁木マリとようじょの姿があった。
押し広げた扉の向こうには、不機嫌そうな女性の護衛の姿が見えたけれど、マリはそれを完全無視して入って来たらしいね。
ようじょはそのまま俺たちのところまで小走りにやってくると、正妃さまの顔をチラリと見やったのだ。
そうしてふたたび俺の方に顔を向けて言葉を続ける。
「その事はすでに義姉さまと、ドロシア義姉さまとも話し合ったのですどれぇ。すでにブルカ伯の身柄をこちらが持っているわけだから、将来的にはブルカ伯のむすこが、ブルカ辺境伯領を支配する事になるのです」
「そうなれば、アップルスター卿の居場所も無くなる可能性があるものね。何でもブルカ伯の長男フレディマンソンは、ブルカ伯が戦争奴隷になった後は独自の支配体制を作る事に躍起になっている様だからな」
オレンジハゲの身柄をブルカに大人しく渡す事は今のアレクサンドロシアちゃんは決断しないだろう。
同時に、オレンジハゲの復権をもしかしたら長男のフレディなんとかは喜んでいないのかも知れない。
オレンジハゲは六〇過ぎの爺さんだというのに、妙に若々しい脂の乗った中年みたいなところがあって、戦争でも無ければしばらく引退も考えられない様な男だったからな。
「いずれにせよアップルスター卿はその事を了承して、あたしたちに協力を申し出てくれたのよ」
「アップルスターさんは身代わり役として、テールオン妃さまとも近しい存在だったので、いろいろとお妃さまの事を聞き取り調査しようと思っていたのです。ご協力してくださってよかったのです!」
「はい、今後ともよろしくお願いします。もう戦争であの様な酷い目に会うのはとても辛いので……」
雇い入れた傭兵団に裏切られて、後ろの純潔を奪われてしまったのは記憶に新しい。
本人が気丈に振舞っているからいいけれども、もはやブルカ伯の一族としての権勢や貴族の煩わしさから解放されたいのかも知れないね……
「ケアは万全にやっているつもりだから、任せなさい」
「そうだな。マリにはカサンドラの時にもお世話になったから信頼している」
「あたしにもそういう経験があるから、他人事だとは思えないのよ」
「う、うん」
いまだに難しい顔をして天井を向いたまま唸っているガーターベルトフォンギースラー正妃を放置して。
家族のみなさんやその他の人間たちで、今後どうするのかという善後策の話は進んでいった。
ボーイッシュ白耳少女はわたわたと「ガーターさまはどうなるのですか」とあわてていたけれど、どうやら気付け薬で強制的に起こすと話がややこしいと、そんな風に思われはじめている。
仮にも正妃さまだったのに……
「家族になれば何事も順番が大切よ。優先順位を先に片づけましょう」
しかしテールオン妃に瓜二つの、場合によっては親族も騙せるかもしれないアップルスター卿か。
王都に上洛する際、連れて行って入れ替えでもしたら、国王を騙す事が出来るかも知れない。
ただし、そんな事を言い出せばカサンドラや雁木マリに非人道的だと恐ろしい顔で非難されるだろうね。
何か方策は無いものかと、うるさそうに顔をしかめているガーターベルトフォンギースラーの顔を見ながら俺は思案に暮れた。




