閑話 宮廷に吹きすさぶ風は絶えずして 5
ここ数日の俺たちの活動は酷くめまぐるしいものだった。
本来ここにいるはずのないワッキンガー将軍は、外見を隠して信頼できる同僚の元へと夜な夜な出かけては朝方に戻る事を繰り返している。
護衛のために同行した冒険者たちは、くたくたになって昼過ぎまで寝ている事も多かった。
そのうち一度は俺も将軍に同行をしたものの、密会の成果は散々だったと言うべきかもしれない。
「その通りだ。ミゲルシャール卿のやった事を、ただちに国王陛下にご報告する事が、公明正大に言って将軍たる俺の役目であると考えているのだが。貴公、協力してくれるか?!」
「それはできない……」
「何故だ?! 貴公が陛下に誓った忠誠はどこへいったのだ! あれは嘘だったのか?」
「貴官が王都を離れている間に、宮廷を取り巻く風向きは大きく様変わりしてしまったのだ」
「……」
「ブルカ伯の反意が仮に事実であったとしても、テールオン妃に篭絡された陛下は、そのお話をまともにお聞きにならないだろう」
「…………」
貴族が旧交を温めるには相応しく無い様な、歓楽街の寂れた倉庫での事。
俺が立ち会った夜の一部始終もこんなやり取りに要約されていた。
国王陛下にお目通り願うためには、一介の貴族軍人では宮廷の承認がどうしても必要となる。
テールオン妃派が宮廷政治の実権を牛耳っている以上は、例え将軍であろうが王国軍の高官であろうが彼ら宮廷貴族の顔色をうかがう必要があった。
そしてそれを強引に推し進めるという事は、ある種の政治生命を賭けてやる必要性が出てくる。
「やはりテールオン妃の懐妊という事実は、これほどまでに王国に大きな問題をもたらしたのか。後継者問題が絡んでいるから、誰もが先々を考えて慎重になっているのだな……」
密会からの帰り際、ワッキンガー将軍が酷く肩を落としてそう零したのは俺の中で印象に残った。
帰還後ただちに国王に訴え出るという当初の予定は見事に不可能となり、いかにして国王陛下に訴え出るキッカケを作るかが問題となった。
「焦っても何も解決はしないからね。まずはできる事をコツコツと積み重ねていくしかない」
そうして将軍が朝方になってアンナルビーズ邸に戻ってくると、そんな風に苦笑いして度々将軍を慰めていた。
しばらく宮廷政治との距離を置いていた彼女は、数年ぶんの情報の遅れを取り返す勢いで、この十日ばかりは集めた情報の取捨選択を繰り返していた。
もしかすると一番の焦りを覚えていたのはアンナルビーズ卿自身なのかも知れなかった。
「きみの父御とは連絡が取れたのかい、ワッキンガーくん」
「王都にある実家の屋敷にはホルゴどのに手紙を持たせて向かったのだが、あいにく不在だった。時期が悪かったな、徴税の季節が到来していたために本領へ帰還していたそうだ」
「では父御がお戻りになるのは年の暮れ頃だろうかねえ」
「例年ならばそのまま本領で新年を迎える可能性もあったが、政治の風向きが大きく変わっているこの時期に、王都を長く離れるのは不味いだろう。父もそれぐらいの事は理解しているはずだ……」
恐らく最も頼りになるはずなのは将軍の父親トリキックワッキンガー卿のはずだ。
きら星のごとくいる王侯貴族の中で序列は決して高位ではないが、こと自分の息子に関わる問題だ。必ず国王陛下への面会の機会を、もてる限りの政治力を動員して一度ならば作ってくれるはずだ。
「だからこのアンナはその時までに、宮廷に楔を打ち込んでおく必要があると思ってね」
その時、アンナルビーズ卿は話し合いの場でそんな事を言ったのだ。
「近衛騎士たちの間に親衛隊に対する不満が存在している事は、このアンナもしっかりと把握している。けどそれだけじゃ駄目だ。宮廷が取り合わないのであれば、どれだけ忠誠を誓い王国の将来を案じた者たちが声を上げても、それは国王に届かないのと同義だからね」
だから宮廷貴族を味方に引き入れる必要がどうしてもある。
何かの妙案を思いついた様に、そして焦っている将軍や俺たちを安心させる様に、アンナルビーズ卿はこう諭したのだ。
◆
王都の街並みは丘陵地帯に築かれた政庁たる王宮と、宮廷貴族の邸宅が並んだ政治中枢、それから商業区画と宗教施設に複数の歓楽街が集まっていた。
市壁の外縁付近は農工の臣民たちが暮らし市街地を構成し、これらを全部取り囲む様にして城塞都市を構成しているのだ。
宮廷貴族と呼ばれる階層の人間たちは、世襲によって官職を受け継ぐひとびとである。
彼らは国王より領地を授けられた人間ではなく、その意味で諸侯らとは明確に違う。領地領民を保持しない代わりに、王都中央における権勢は地方在住の諸侯と比べても強大なものがあった。
軍事的影響力は皆無に等しい代わりに、王都中央の政治的実権を握っているのだから当然だ。
「高い塀に囲まれた邸宅が多いな」
「この辺りから宮廷貴族たちの屋敷が集まった住宅街さ。このアンナも貴族軍人時代にはあっちの区画に屋敷をひとつ構えていてね。大きな庭と使用人付きの贅沢な生活をさせてもらったものだよ」
俺たちは今、政治中枢にある宮廷貴族たちの邸宅街を歩いていた。
アンナルビーズ卿は護衛騎士という体裁で俺を連れて、王都の案内を受けていた。
「貴族軍人も、陛下より領地を与えられてなければ宮廷貴族の一員というわけだからな。今はあんたの弟とやらが住んでいるのか」
「いや、このアンナの愚弟は残念ながら兵舎住まいさ。勲功がさもしいものだから、屋敷の維持をするほど稼ぎが良くないんだ」
「確かに、どの屋敷も広大な庭付きで邸宅も立派なものばかりだ……」
その中で唯一の例外があるのは宮廷伯に叙勲された家柄だろう。
宮廷貴族の序列第一でありながら王都周辺に国王より領地を与えられている。
当代の宰相を務めているアウグスブルゴ宮廷伯ピモシー卿がこれだ。
幾ついる宮廷伯の中で、国王に任じられた王政を主導的に補佐している人物である。
「けれど政治的にはピモシー卿はかなり苦しい立場に立たされている様だよ」
そうして俺たちが到着した場所は、件のアウグスブルゴ宮廷伯邸だった。
ひときわ豪華なこの邸宅の主こそが、ワッキンガー将軍のブルカ辺境伯弾劾のために重要なカギを握っている。
宰相を敵に回している様では、反テールオン妃派の派閥を糾合する事がおぼつかないと、アンナルビーズ卿は考えている様だ。
邸宅の門前には兵士が配置についており、閑静な邸宅も立派そのものだがどこか寂しさの様なものが漂っていた。
「知人たちから来た複数の書簡を見ていると、キルン侯爵家からは宰相邸に向けて矢の様な抗議が連日送り届けられているらしいね」
「キルン候の立場からすれば当然だ」
「ところがピモシー卿は、この通り門を固く閉ざして知らぬ存ぜぬさ。元々はガーターベルトフォンギースラ正妃を盛り立てるためにご実家のキルン侯爵家とピモシー卿とで、連携しながら政権運営を担ってきたかんだから、梯子を外された格好のキルン侯爵はそりゃ我慢ならないだろう」
「するとブルカ辺境伯はピモシー卿へ根回しをやっていたという事なのか」
「どうだろう。そこは今のところわからないけれど、旧友たちの手紙では、むしろピモシー卿は外堀を埋められて大変な事になったって感じみたいだね」
王都中央におけるブルカ伯の外交担当は、俺の見立てでは間違いなくツジンが行ったのだろう。
俺の親父殿に働きかけをした様に、何かの条件を持ち出して言葉巧みに派閥の切り崩しに取りかかったのだ。
「いや、それは違うよナメル卿。本来テールオン妃派などという閥は存在しなかったはずだろうからね。ここ数年の王政はガータベルトフォンギースラー正妃が懐妊さえなされば この国は順風満帆な未来を迎えられたはずだとみんな安心していた」
「それを台無しにしたのがブルカ辺境伯というわけか」
「そう、ブルカ辺境伯というわけだね。彼は今頃、この状況を高笑いしているんじゃないかな。娘が正妃を差し置いて懐妊し、自らが外戚となって王国の権勢を欲しいがままにできる立場になったんだ」
見ていてご覧、そろそろキルン候の使いがやってくる時間だから。
俺に身を寄せてこちらを見上げたアンナルビーズ卿は、微笑を浮かべながらそう囁いた。
建物の塀に隠れる場所まで移動していた俺たちは、その瞬間をしばらく待ち続けていた。
四半刻ほどの時間をその場で過ごし、無駄足になってしまったのではないかと俺が思い始めた頃合いになって、ピモシー邸の門前に馬車が到着したのである。
「ごらん、さっそく押し問答をやっているね」
「屋敷の主は不在だと言って、追い返すつもりなのだろうか」
「病気か不在か忙しいという理由か、日替わりで毎日何かしらの理由を用意しているんだと思う。うちの使用人に聞いたところ、日に日にキルン侯爵家の使いもしつこく食い下がる様になったらしいけれど」
見ていれば激しく言い争う声が、風に乗って俺たちの方にまで聞こえてくる。
このまま正妃の実家と言う立場を蔑ろにされていてはキルン侯爵も立場が無いのは間違いない。
ブルカ伯にこのまま取って代わられるのを、みすみす許容するはずがないのだ。
「今日も残念でしたっと。焦っている人間に付け入るのは簡単だ、このままあの馬車をつける事にしよう」
「つけてどうすると言うのだ……」
「わかりきっているじゃないか、キルン侯爵さまと話を付けるのさ、弱い立場になった人間は藁をも掴むというからね、取り入るならばいいチャンスだ。そしてその次はアウグスブルゴ宮廷伯……」
順番に取り入ろうと笑って見せたアンナルビーズ卿は、その年齢にはそぐわない少女の様な微笑を浮かべると、そのまま駆け出した。
このギャップには、いかにも全裸男がコロっと騙されるのではないかと俺は内心で思った。
ビビアンヌがいなければ俺も危なかったかもしれない。
年増の狡猾さとは恐ろしいものだ。




