閑話 宮廷に吹きすさぶ風は絶えずして 4
王都での活動拠点をアンナルビーズ邸に定めた俺たちは、そこを起点にして情報収集にあたる事になった。
頼るべき人間がアンナルビーズ卿ただひとりというのはいかにも心もとない。
この女はあまり貴族間の交流を盛んにやっていた人物ではないらしく、俺たちがここに落ち着いてからの数日間も、訪ねてきたのは隣の家に住んでいる家族と行商人、それから使いの者だけだ。
「まあ安心してくれたまえよ。ここに居ても集まる情報はあるからさ」
「その手紙が何か関係しているのか?」
「そうだね。ワッキンガーは、これでもトリキック卿の嫡男で社交界には知れた存在さ。うちの屋敷を出るときは、ある程度味方がだれで、敵が誰なのかが知れ渡ってからの方がいいだろう」
だから方々に対して手紙を送っているのだという。
聞けば送り先は貴族軍人の同期や同僚だった人物のうち、王都に駐留している人間たち宛にしたためたものらしい。
それを屋敷に仕えている使用人を使って、各地の駐屯地へと届けているのだという。
将軍や冒険者どもが近くの市場に出かけている間、俺はその手紙の中身をアンナルビーズ卿に見せてもらい、情報共有をしているところだった。
「王都にはいくつもの駐留部隊があるんだ。ひとつは近衛騎士の兵団、それから高級警備の騎士隊、王都内外を守るための兵団もふたつ、それから市街の治安を担当する衛兵隊」
「すさまじい数の軍勢が王都を守っているわけか」
「うん、そうだね」
それに、とニッコリ笑って見せたアンナルビーズ卿は言葉を続ける。
「国王陛下そのひとを守るために、今は親衛隊という組織も存在しているらしいからな。王侯貴族の子弟を集めた近衛に対して、全て兵卒上がりか傭兵上がりばかりで固めた連中だ。これはアンナが王国軍の軍監を辞した後に制度化されたものらしい。陛下の主権を守るため、現在は重きをなしているそうだよ」
「国王個人に忠誠を誓った、陛下の個人的私兵というわけか……」
アンナルビーズ卿の書斎にて、差し出された手紙を見ながら俺は中身を反芻した。
手紙の差出人は近衛騎士のひとりだという。
いきなりワッキンガー将軍の帰還を書簡にしたためたわけではなく、近況はどうしているのかというところからアンナルビーズ卿は文通をはじめたらしい。
王都内での手紙のやり取りなので、この文通はすでに近衛騎士から二度目の返書だ。
「王侯貴族の子弟にとって忠節の対象は国家ではなく陛下そのものだ。何しろ国家とは王様の権威そのものと置き換えてもいいぐらいだからね。その忠誠を誓ったはずの近衛騎士たちが、自分たちは信用されていないのかと憤慨しているらしいから、面白いよなあ」
「その対立構図は付け入るスキが存在すると、そう言うわけだな……」
「きみはナメルくんと言ったかな? 正しくは何というのだい」
「ナメルシュタイナーだ」
面白そうに俺を顔を見ていたアンナルビーズ卿は、その途端に真顔になった。
なるほど俺が、ハメルシュタイナーの嫡男であると理解した様だな。
「ふうん。今は紅蓮の槍姫と城下の誓いを交わしたわけか」
「俺はタークスワッキンガー卿の手助けをしているだけで、別に売女騎士の配下となったわけではない。売女騎士の配下と行動を共にしているのは成り行きで、可能であれば今からでも奪われた本領を取り返す覚悟がある」
「アレクサンドロシア卿も嫌われたものだね。まあ、紅蓮の槍姫はそのむかしから、敵をたくさん作る女性ではあったけれど」
「あの女を知っている口ぶりだな」
「知っているさ。ワッキンガーやこのアンナたちにとっては憧れの存在だったからね」
身を乗り出した小柄なこの女は、さもしい胸元をひときわ強調する様に腕組みをして笑った。
そんな事をしても、無い谷間はそれ以上膨らむ事は無いだろう。
「紅蓮の槍姫は凄かったよ。あのひとは国境の戦いと蛮族討伐で名を成した貴族軍人だったけれど、その功績によって先王陛下より魔法発動体たる槍を下賜されたんだ。迅速果断で冴えわたる戦運びもさる事ながら、その魔法発動体の槍に灯した紅蓮の炎で無双してね、このアンナみたいな女軍人は、いつかあんな女性になりたいと憧れたものさ」
遠くを見やって思い出に浸る様な仕草に、信じられないものを見た様な気がした。
俺や親父殿は、もしかして売ってはいけない相手に喧嘩を吹っかけたのかも知れない。
それは俺たち親子だけではなく、ブルカさまも同様だ。
少なくとも戦場の駆け引きだけで勝負するのならば、名うての軍人なのは盟主連合軍なら誰でも知っている。
「けれど紅蓮の槍姫が貴族軍人だったのは、ほんの五、六年の事さ。早くに婚約されて辺境へ下向したと聞いたから、惜しんだ人間も多かっただろう。まあ、さっきも言った様に敵も多い人物だったから、喜んだ人間もいたけどね」
伝説上の貴族軍人だよ。
などと笑ったアンナルビーズはすぐに言葉を続けた。
「彼女に憧れたこのアンナも、アレクサンドロシア卿の軍学を手本にしているのさ。すなわち、
「すなわち?」
「敵の急所を攻める。国王陛下に弾劾状を叩きつけるなら、王国軍の兵団を味方につけるんじゃ駄目だ。あそこは貴族の子弟も確かに多く入るけれど、利害あって実家から送り出された連中だからね。派閥の力学が動いた時は、当然実家の与した派に従うんじゃないかな」
だが近衛騎士は違う、と言うのだ。
近衛騎士は貴族軍人の中でも特殊な立場だ。
「同じ国王への忠誠を誓った者たちではあるけれど、その中でも特に忠節の間違いない人間が王宮と後宮の警護に回される。まあ後宮の方は性質上、女性ばかりが集められるけどね。後宮警備の近衛は、どうしても人数が少ないから、本命は王宮を守る近衛騎士の男どもさ」
彼らは国王陛下が親衛隊を組織した事に、内心でかなり不満を募らせているのだという事は、見せられた近衛騎士の手紙からもよく伝わってくる。
「例えばこの手紙によれば、親衛隊の組織を陛下に耳打ちしたのは、テールオン妃だという噂が書かれている。噂の信憑性はともかくとして、テールオン妃の個人的な供回りや護衛の傭兵たちも、少なからず親衛隊に加わっているとあるよ」
王宮内を陛下あるいはテールオン妃が移動する際は、常に親衛隊が付いて回るらしい。
そのため近衛が守る事ができるのは王宮の公的な場所のみで、王族のプライベートルームについては完全に親衛隊の守備範囲と区分けが決まった事が、決定的な問題となっているらしい。
「ワッキンガー卿は見たまんまの堅物だからね、正攻法しか思いつかないだろう。むかしの同僚のツテを探しているだけでは、なかなか味方を見つけるのに時間がかかる。けれど、敵の急所になりえる近衛騎士たちを味方に付けるのならば、あるいは可能性があるというものだ」
「敵の急所。つまり近衛騎士の不満を炊きつけて、それをテールオン妃の専横だと主張するわけか」
「その通りさ。アレクサンドロシア卿ならそういう手法で切り崩しにかかるはずだ、なんてこのアンナは考えたのだけれど」
他にもアンナルビーズ卿がやり取りをしていた書簡の相手は、近衛騎士たちが中心だった様だ。
送れば面白い様に近況と称する不満がつらつらと書かれていたのだから、この近衛騎士たちの怒りは間違いのないものなのだろう。
「テールオン妃というのは、元は後宮警備の責任者でいわば近衛騎士にとって身内だったはずの人物だからね。まさか陛下にこんな意見具申をしたなんて、彼らからすれば裏切りも同然に映った事だろうさ」
「そしてテールオン妃の父親はブルカさま、というわけか。恐らくはツジンの計画を、テールオン妃が実践したまでの事だろう」
「ツジン? 知らない男だけど、テールオン妃の性格を考えれば、たぶんご本人の案ではない事はまちがいないよ。とてもおしとやかで、一歩下がった性格の女性だったからなあ」
遠くを見やる様に再び思案するアンナルビーズ卿だった。
知っているのだろうかと質問をしたところ、
「いや親しく交わった事はないけれどね、何せこのアンナは王国兵団畑をずっと転勤してきたので、接点は王都で奉職していた時だけの事だ。ハッキリ言えば顔だけ美人の、覇気のない人物だったかな」
その逆にガーターベルトフォンギースラー正妃は自己表現をキッチリなさる人物だったけれど。
笑ったアンナルビーズ卿は、手元にあった手紙を纏めてお香を炊く火鉢の中に放り込んだ。
「証拠はしっかり隠滅する事だ。さて、そろそろきみのお仲間たちが屋敷に戻ってきた様だよ、報告を聞きに行くとしよう」
立ち上がった小柄な女は、そのまま書斎の扉を元気に開けながら、寒い寒いと背中を丸めて出て行った。
悪知恵の働く女だと思った。
近衛騎士の忠節を利用して味方につけ、将軍の直訴の担保にしようというわけか。
貴族軍人たちとの連絡はこの女に任せて、明日からは俺も街に出て情報収集に当たるとしよう。




