閑話 宮廷に吹きすさぶ風は絶えずして 2
貨客船で河川の流れに沿って西に向かい、そこから大きく北へ進路を変えること六日目。
俺たちはようやく荒海に面した湾口都市キルンへと到着した。
海洋に面したキルンは、隣国との交易によって栄えるまさに民族の坩堝の様な場所だった。
「王都へ向かうにしてはかなりの遠回りになってしまったが、産まれてはじめて海を見る事ができたのはいい事だ」
「あたしもナメルさんに付いてきてよかったよ」
「見ろ、あれがカモメという鳥だそうだ! カモメを知っているか?!」
だが俺たちの目的は王都へ積み荷であるタークスワッキンガー将軍を送り届ける事だ。
物珍しい物品の立ち並ぶ市場を見て回る余裕は無く、乗り換える船便を確保すると安宿で翌日を待つだけである。
必要最低限のものを買い求めた他は、道中の治安情報を手に入れるだけで大人しく客室へと引き上げた。
せめてビビアンヌが海を見て嬉しそうな顔をしたのは、いい事だ。
「ナメルさん、海とカモメが見れてよかったね」
「うるさい、俺は浮かれていないっ」
◆
安宿の一室から窓の跳ね板を上げて外の状況を確認しながら、女冒険者のクナイが質問を口にする。
「繁華には王国キルン兵団の衛兵たちが巡回している姿が見られましたね。ワッキンガー将軍はキルン兵団の将軍とは顔見知りなので?」
「若い頃に同じ釜の飯を食った事があるが、まあ今は政敵と言ったところだな」
「そりゃ公明正大さの欠けるお相手ですねえ。やっぱりお貴族さまともなると、敵対する人間がどんどん増えていくものなんだろうかね」
地方在郷の田舎貴族であっても、近隣の領主たちとは腹の探り合いをやっていたものである。
辺境における現金収入などは、ほどんどが街道を利用する行商人たちの落としていく路銀と、わずかばかりの輸出品の対価だ。
だがこれが王国本土ともなれば経済規模は爆発的に大きくなり、利権をめぐる対立もまた大きなものとなるのは大いに予想できる。
「宮廷貴族との権力闘争を嫌っていたらしいあのアレクサンドロシア卿ですら、全裸卿という懐刀を使って盟主連合軍を組織したのだからな。政敵はいないに越した事は無いし、利用できる仲間は引き入れるべきなのだろう。常に公明正大がよいというわけではないのだ」
苦々しい顔をしたワッキンガー将軍は、クワズやホルゴたち冒険者にそう語って寝台に腰を落ち着けた。
将軍は恐らく、この土地の王国軍に助けを求めたとしても、悪い方に利用される可能性を危惧しているのだろう。
より信頼のおける貴族を引き入れて、その上で国王陛下に意見具申する方が確実性が高い。
となれば、宮廷政治を掌握しているアウグスブルゴ宮廷伯か、将軍の父上であるトリキックワッキンガー卿に助けを求める考えなのだろうか。
そのところを質問しようと話を向けてみた、
「相談すれば父は間違いなく味方になってくれるだろうが、所詮は軽輩領主に過ぎないからな。貴公の申す通りアウグスブルゴ宮廷伯に支援を求めるのが妥当か」
やはり将軍はそう考えていたのか。
だが売女騎士配下の冒険者やビビアンヌたち庶民の出にはピンとこない会話だったらしい。
「宮廷伯というのは偉いひとなのかい、ナメルさん」
「国王陛下に代わって宮廷政権を運営する責任者だ。しかも宮廷伯の娘はリンドル子爵家の御台だからな」
「つまりどういう事だい?」
「わかりやすく言えば、全裸男の妻のひとりがアウグスブルゴ宮廷伯の娘というわけだ。その点を頼ればより確実性も高いと将軍は考えている」
「さすがナメルさんは学があるね。あたしはこれからもナメルさんに付いていくよ」
「フン。勝手にしろ……」
そんな馬鹿げた反応をビビアンヌがしたものだから、この場にいた仲間たちはニヤニヤ顔を浮かべやがった。腹立たしいのは生真面目な将軍までも白い歯を見せて嬉しがっている点だ。
「ナメル卿。貴公への謝礼は期待してくれて構わない、新婚生活は素晴らしいものになるであろう」
「黙れ。例え将軍と言えどこれ以上続けると、舌を引っこ抜くぞ!」
「はははっ。公明正大に言って、それは貴公の照れ隠しと受け取ってよろしいか?」
一同が笑い出したので俺は怒りに任せて安宿の外に飛び出してしまった。
廊下に飛び出たところでビビアンヌの謝罪する声が聞こえた。
あんな奴らに謝ってやる必要など無いのだ。
いや、俺が亭主気取りであの女に身の回りの世話を焼かせていたのは事実だから、周りの人間がそれを勘違いして夫婦も同然と思い込むのは道理なのだ。
「要は俺の覚悟の問題という事なのだろう」
「……覚悟がどうしたんだい、ナメルさん?」
安宿を出てしばらくどうしたものかと頭を抱えていると、ビビアンヌの声がふと投げかけられた。
まさか追いかけてくるとは思わなかったので驚いたが、取り繕って振り返る。
「何しに来た」
「ナメルさんが突然出て行ったから、あたしが何か余計なことを言ったのかと思って」
「貴様は何も悪くない。フン……」
気恥ずかしくなって人ごみを避ける様に裏路地に入りながら俺はひとりごちた。
「お前は俺についてくる覚悟があるか?」
「あるもなにも、あたしはいつもナメルさんを頼りにしているよ。今だってあたしなんかのために世話を焼いてくれるし」
「そうか。だが世話焼きをしているのはお互い様だ」
「じゃあ幸せにしておくれよ。王都に行ったら新しい生活ができるかも知れないし、ナメルさんだっていつかお貴族さまに戻る事ができるかも知れないよ」
「それはどうでもいい!」
何とも単純思考の女だろう。あっけらかんと疑いを知らぬ顔をされてこちらが驚愕してしまった。
しかし覚悟は決まった。俺の様な没落貴族に良くしてくれる女は大切にしなくてはいかん。
「いいか、王都に到着してもそこが安住の地とは限らんからな。後悔しても知らんからなっ」
「こんなご時世だから、何をしたって後悔する時はするよ。悪所からあたしを連れ出してくれただけでも、あたしは幸せなんだ」
馬鹿な女だ。
俺なんかに付いてきて、どうなっても本当に知らんぞ!
などと心中に叫びながらも、抱きしめたい衝動に駆られてそのまま抱きしめた。
どうやら俺も単純な男だったらしい。
「ナメルさん……?」
「しばらく黙っていろ。少しの間こうさせていてくれ」
「わかったよ……」
貴族の女や分限者の女は気取ったところがあるが、この女はそういう澄ましたところも無い。
俺は他人に茶化されるのが何より腹立たしく思うたちだが、この女はそういう事もしない。
つまりいい女だ。
気が付けば何も言わずに俺の背中に腕を回してくれたビビアンヌだった。
やはりビビアンヌはいい女だ。俺にはもったいないぐらいだ……
「しかし国王陛下もいよいよ跡継ぎを授かったらしいではないか」
「種なしと言われて久しかったから、面目躍如だな。はは、いや実にめでたい」
ふとその時である。
路地裏を巡回中だったと思われる当地の兵士たちが何やら雑談めいたものをしながら通りかかったのだ。
会話の内容は国王だとか世継ぎだとか言っている。
ビクリとビビアンヌの腕が振るえたのをを感じて、普段通りにしていろと耳元で囁きながら抱いていた手を解いた。
「めでたい事などあるか。授かったのが正妃さまであれば生家のキルンを上げて祝賀騒ぎだが、見ての通りお通夜みたいな有様じゃないか上司たちは」
「まあそうだ。テールオン妃さまと言ったか、実家はどこのお貴族さまだったかな?」
「知らないのか、どこぞの辺境にある大領主というはなしだ。羽振りがいいのか宮廷貴族に金貨をばらまいて、国境への遠征軍も定期的に送り出しているらしい」
「辺境か、辺境のお貴族さまという事は、またひと波乱あるんじゃないか。正妃さまがカンカンにお怒りになって後宮を飛び出したというからな」
「キルンにご帰還なさるのか。そうなれば王国兵団と気まずい雰囲気になるな……」
国王が世継ぎを授かった? それがブルカ辺境伯の娘、テールオン妃だと?
聞き逃す事の出来ない重大な情報をキルン領軍の兵士たちが雑談しているのを聞いて、俺は戦慄した。
「ビビアンヌ。やはり王都に上洛してもしばらく安穏とした生活とは程遠いかも知れない」
「それは王様が子供を授かるという話が、この先をややこしくさせるという事かい?」
「そういう事だ。正妃を差し置いてブルカさまの血筋の子が産まれるとなれば、宮中は今頃右に左に派閥が荒て騒がしくなっているだろうからな……」
ブルカさまの数多くいる娘のひとり、テールオン妃が世継ぎを懐妊したという事は。
つまり権力がテールオン妃を中心に集約されるという事だ。
世継ぎを妊娠した側室に権力が集中するのは当然の事で、ブルカ伯の悪行を訴えたくてもその相手がブルカ伯の娘では握りつぶされるのは当然だ。
「こうしてはおれん。将軍にこの事を伝えて、善後策を立て直さんとまずいぞ」
すでにキルン領兵たちの姿が見えなくなったのを確認すると、俺はビビアンヌの腕を引っ張って安宿に急いだ。
◆
非常に不味い事になった。
あくる日の船便に乗り込むまでの間、手分けして情報収集にあたった俺たちは、頼りにしようと考えていたアウグスブルゴ宮廷伯たるピモシー卿が、窮地に立たされているという事実を掴んだからだ。
俺はピモシー卿がどの様な人物かまでは知らなかったが、
「少なくとも国王周辺から近頃は遠ざけられていたらしい事は、酒場の情報で掴んで来た」
王都へと向かう豪華な貨客船の船室で俺はそう言った。
朝方までできるだけ情報を集める必要があった。
そのために俺と冒険者どもは手分けして酒場を梯子したものだから、酷い二日酔いだ。
今も意識を保っていられるのは、それだけ掴んだ情報の衝撃が大きかったからだろうか。
「ではピモシー卿の方向は無くなったと見るべきだな。陛下より信任を得られていないのであれば、弾劾状を上奏したところで、朝議の場で相手にされない可能性がある」
一等客室を手配したおかげで、安心して密談をする事ができる。
念のために冒険者のホルゴが表に立っているが、奴隷商人の一行に扮した俺たちが国家天下を密議しているとはだれも思わないだろう。
俺は将軍に質問する。
「他に誰か頼れる人間はいないか将軍。例えば国王陛下に意見する事が可能な王族とか、大身の諸侯であるとか」
「キルン侯爵家がまさにその大身の諸侯だったが、正妃さまが後宮を飛び出したというのだろう?」
「兵士どもの話では、その様に聞いている」
「そうであれば、王都に帰還してから直ぐに国王に訴え出るのは控えた方がいい。まず誰が味方で誰が敵かを判別するところからはじめなければならん」
それでは時間がかかり過ぎてしまう。
王都に到着するのは十一月の終わり頃だろうか。
船旅は乗り込んでしまえば各地の河港を経由しながら安全に移動する事ができるが、とにかく北回りのルートを取ったことで時間がかかり過ぎる。
ゴルゴライからであれば陸路を早馬では知らせれば十日余りという事を考えれば、倍以上も差があるのだ。
その間にもまた王都の情勢は変化している可能性があって、俺たちがどれだけ今情報を集めても使い道のないものになっている場合がある。
「けど情報は無いよりはましだからね。夜は河港に停泊するんだから、昼間は船でゆっくりと体を休めて、夜は街に繰り出して情報を集めた方がいいと思うぜナメルさん」
「今夜はあたしも手伝おうか。ビビアンヌさんほどじゃないけれど、あたしも酒はいける口だからねえ」
「ならば、どの貴族がどの派閥なのかを聞き出してくれ。傭兵のふりをして、戦争がはじまりそうなら志願するんだと言えば、何か聞き出せるかもしれない」
ホルゴとクナイが志願したので、情報収集のコツを俺なりに提案した。
すると将軍も黙っていられなかったのか身を乗り出して、
「何か俺に手伝えることは無いだろうか」
「将軍さまの出番は王都に着いてからなんだから、今はややこしいからじっとしていろ!」
「わ、わかった」
こうして情報を河港に寄る度に毎夜集めたものの、錯綜した本土の政情はいいかげんな噂ばかりが流れていた。
無駄な時間を過ごしつつ船旅を続けた後に、俺たちは終点となる湖畔の港へと到着した。
ここより街道を二日ばかり進めば、そこは国王陛下の直轄領内となる。




