384 それは予想外ですと俺は思った
果たして眼前の白エルフ少女の口から正妃陛下という言葉が飛び出した。
であるならば、彼女の正体は王都中央から派遣された事を意味する。
中央の宮廷でも辺境で行われている戦争に対して、注目を集めているという事だろう。
アルフレッドセイヤママンと名乗った少女と仲間たちは、何かの密命を帯びてこの辺境の最果てまでわざわざやってきたのである。
「試す様な真似をされた事は正直不愉快だな」
普段の俺ならば相手かまわずへりくだってしまうところだ。
けれど俺はアレクサンドロシアちゃんという領主奥さんにだけに付いていくという、自分ルールをこのファンタジー世界にやって来た時に決めている。
誰にでも尻尾を振って八方美人になったところで、物事が上手くいくはずもないと思っているのだ。
だから俺は相手がこうして平伏してくれているのだからと、言うべきことを試しに行ってみたのだが、
「はい。全裸卿のお叱りはごもっとも、この上はいかような処罰も覚悟しております」
「じゃ、じゃあまず奥さんからスった路銀袋を返してもらおうか。話を聞くのはそれからだな」
「失礼いたしました! 当然でございます、どうぞこちらにっ」
片膝を付いた白エルフ少女はあわてて路銀袋を差し出した。
平伏している他の仲間たちも、俺の怒りに振れては任務に差し障りがあると頭を地面にこすりつけるのだ。
意外にも態度を豹変させた後の彼女たちは、俺を本当に女神様の全裸聖人として扱っている節すらある。
上目遣いをして俺の様子を伺っているアルフレッドセイヤママンは、一見すると確かに中性的な姿をしている。
シャープな顔立ちと吊り上がった眉は攻撃的で、けれども長い睫毛はアンバランスに愛らしさを感じる。それに唇はいかにも柔らかそうだ。
声が少々ハスキーなところが声変わりのしていない少年か少女か逡巡させるのだろう。
「どうぞ中身をご確認ください」
「いや、きみたちが悪党の類ではない事は雰囲気でもわかるよ。わざわざ確認する必要はない」
「や、しかし」
「こちらはあまり時間が無いんだ。正妃さまから伝えたい要件と言うのを手早く聞かせてくれ」
男の娘の様に見えるけもみみとは別種の中性的な雰囲気なのだ。
類似点があるとすればその薄い胸板、断崖絶壁だろうか……
しかし妙に食い下がって来るのは何故だろう。
時間が無いのは事実で、人払いをして王妃さまの秘密の伝言と言うのなら手早くしてもらいたい。
「まごついていると俺の奥さんや部下たちが、衛兵を引き連れてじきにこの場所を包囲してしまう事になるんでね」
「その様ですね。やむをえません、では単刀直入に……」
周囲にチラリと顔を向ける白エルフ少女だ。
きっと自慢の長耳で資材置き場の外の気配を察知したのだろう。
「王后陛下が置かれている現状を、全裸卿はご存じでしょうか」
「ここは辺境の最果てだぞ? 最新中央情勢がまるでわからないので、わざわざ奥さんのひとりを今も派遣して、調査に当たらせているぐらいだ」
「そうですか……」
「まぁブルカ伯の娘テールオン后がご懐妊で、宮廷が大騒ぎになっている程度の事は知っている。その事で派閥争いが活発化し、名家出身の奥さんの実家から離縁をする様に言われたぐらいだからな。奥さんはさっきのひととは別の奥さんね」
「は、はあ……」
「それで王妃さまも大変だな、自分を差し置いて別のお妃さまが王様の第一子を身籠ったんだって? うちでもアレクサンドロシアちゃんがブリトニーを身籠った時は俺もどうしようと取り乱した。何事も順番が大切だね」
「…………」
俺は自分が知っている限りの王都中央の情勢を並べ立てる。
ついでに王妃さまに同情する様な態度を自分の失敗を引き合いに出してしておいた。
すると黙り込んだ白エルフ少女と仲間たちは、互いに顔を見合わせているじゃないか。あれ?
「何か違った情報があったかな?」
「い、いえ。閣下の掴んでいる情報に間違いはありません。王妃さまは後宮での居場所を失って、ついには退去をご決意なさる事になりました」
「侯爵さまの王都にある邸宅に別居されたんだっけ?」
「いえ。世間ではその様に情報が漏れる様に振る舞ってはおりますが、それは事実とは異なる作られた噂話です」
「?」
「王都は王妃陛下にとって決して安全な場所とは言えませんので、暗殺を警戒して王都別邸とご実家を避けているのですが、」
では本当の正妃さまはどこにいるんだと聞き返そうとしたところで、白エルフ少女は盛大に舌打ちをして見せて立ち上がった。
「王妃陛下は今をときめくアレクサンドロシア卿に庇護を求めておられます。どうぞシューター卿のお口添えで、陛下をサルワタ領で匿ってくださる事はできませんでしょうか?」
「?!」
「テールオン妃の懐妊が知れた後に、身の危険を感じられてただちに王都を出立されたのです。時間をかけて南周りでの巡幸をしておりましたが、
すでに王妃陛下のご一行は、サルワタ領にほど近い場所まで到着しているはずです」
知らなかったそんなの。
俺は驚きながらその説明を受けていたのだが、そろそろ街の衛兵たちが資材置き場に迫ってきたのか、名残惜しそうに俺をしっかと見やりつつ、アルフレッドセイヤママンは今一度、貴人に対する礼を執って見せたのである。
「今回のところはこれにて失礼いたします。陛下は全裸の聖使徒さまにおすがりする他は無いのです。どうぞアレクサンドロシア卿を説得してあの城館に王妃陛下をお迎え入れください。ではっ」
呆然と言葉を聞いていた俺を残して。
まるで蜘蛛の子を蹴散らすようにアルフレッドセイヤママンとその仲間たちは四散していった。
残された俺はというと路銀袋を握りしめて、ふと中身に違和感を覚える。
どうやら金貨銀貨の中に紙片の様なものが混じっているらしく、中を覗いて引っ張り出してみると丁寧に折り畳まれた蝋印付きのメモ書きの様なものだった。
しつこくあの白エルフが中身を確認しろと言っていたのは、こういう事だったか。
俺の知らない紋様だったが、ライオンと王冠という組み合わせからそれが何者の証明であるのかは容易に想像できた。
きっと王家か王妃さまに与えられた指輪印証の刻印がこれなのだろう。
「本来ならば正式の書簡としたかったんだろうが、サイズを考えて小さなものにしたのか……」
俺は絶句した。
それで中身は何と書かれていたのかと言うと。
俺の良く知っている文字、つまり日本語によって書かれていたものだったのだから。
「もしも、女神様の守護聖人たる全裸さまがこの文をお読みになる事ができれば、どうかわたしに救いの手を差し伸べて下さい。頼れる者も無く途方に暮れております。陛下の御許に帰還できるその日まで庇護していただければ幸甚です……」
雪が舞い散る中。
俺は材木の束に腰かけながら天を仰ぎ頭を抱えた。
もうほど近くにはニシカさんの叱咤する声やけもみみの号令が飛び交っている。
衛兵なのだろう男たち複数の怒号も方々で聞こえている事からすれば、じきにこの場所に家族のみなさんが駆けつけてくる事は時間の問題だ。
小さな手紙の末尾に書かれていたオルヴィアンヌ王国正妃ガータベルトフォンギースラーという名前。
ここから判別すればどう考えても日本人の名前とはおよそ想像できない。
「じゃあ何で彼女が日本語でわざわざ手紙を寄こしたんだ?!」
何かの悪戯ではないかと疑念を深めつつも、駆けつけてくるカサンドラとけもみみの姿を視界の端に捉えたのである。
誰にでも相談できる事ではないが、雁木マリとッヨイさまにだけは伝えて話し合う必要がある。
場合によってはゴルゴライに出向くか、あるいはこの手紙の様に日本語でやり取りをして外部に情報が漏れないようにした方がいいかも知れないぜ……
「シューターさん、ご無事でしたか?!」
「ああ、問題ないよカサンドラ。けもみみ、そっちは何か問題はなかったか」
「何もなかったよシューターさん。路銀袋を盗み出したスリはどこだい?」
普段は何を考えているのかわからない表情のエルパコだったけれど、今はけもみみをピコピコと動かして明らかに戦闘モード発令中である。
不安そうにしていたカサンドラも、浅い息を繰り返しながら俺の事を気遣ってくれている様だ。
「この通り路銀袋は取り返したけれど、近頃運動不足だったからな。見事に逃げられてしまった」
「シューターさんが悪党に逃げられてしまうなんて、ぼく信じられないよ」
「てっきりブルカの工作員に釣り出されて全裸になるハメになっていると想像していたが、今回は珍しくおべべは無事さ。この寒空で裸になったら風邪を引く」
苦笑を浮かべてみせたがけもみみは明らかに俺を疑っている視線だ。
とても嫌そうな顔をしたカサンドラも、たぶん俺が嘘を付いている事を理解しているのだろう。
「カサンドラも中身を確認しておいてくれ。俺も見ておいたけど減っていないはずだ」
「あ、はい旦那さまっ」
しっかりと件の紙片だけは仕舞いこんでおき、俺は路銀袋を持ち主であるカサンドラに渡しておいた。
すぐにもニシカさんが衛兵たちを引きつれて資材置き場の中に突入してくる。
何度か俺と目線を交わしたところ、俺の方でちょっとした問題があったという事は伝わった様だ。
「いいか手前ぇら、ここは領主さまが支配する領土の言わばお膝元だ。そのアレクサンドロシアグラードの治安が悪いとなれば、オレたちが笑われる。例えコソ泥一匹、スリ一匹と言っても絶対に見逃すんじゃねえぞ!」
「「「わかりました、ニシカ将軍!」」」
「おーし、わかった資材置き場をくまなく調べるんだぜ。スリを見つけたヤツにはオレさまが上等のぶどう酒を一本奢ってやろう」
「「「やっっぱりニシカ将軍は最高だぜ!!!!」」」
どういう教育をしているのか知らないが、ニシカさんと衛兵たちのやり取りを聞いて俺はたまらずズッコケそうになった。
そのままズイズイとこちらに近づいてきた黄色い将軍は、隣に並びながら小さな声で話しかけてくる。
「何かあったのか」
「あった」
「オレたちはまだ知らねえ方がいいんだな」
「できればあまり衛兵のみなさんに本気になってもらったら困るかも知れないな」
万が一にも正妃さまの配下たる工作員っぽいみなさんが捕まるとは思わないが、あまり厳しい様だと今後の接触に差支えがあるかも知れない。
「フン、誰かからお前さんに接触があったという事だな。だがまああまり詮索はしねぇでおく」
「ありがとうございます、ありがとうございます。よくできた奥さんを持って俺は幸せなんだろうね」
「何かできる事は?」
「向こうの奥さんふたりは、俺を疑いの目で見ているんだよなあ。けど場合によってはニシカさんに武装飛脚を頼むことになるかも知れない、その時はよろしく」
王都にか?
チラリとこちらに視線を向けながら問うたニシカさんに、俺は「いや」と返事をしながら続けた。
「ゴルゴライだね。ッヨイさまと雁木マリに相談した方がいい事態が起きたってところだ。それを踏まえたうえで、アレクサンドロシアちゃんに報告する」
さすがに国王陛下の正妃さまを独断専行で庇護するなんて決めたら大変な事になる。
下手をすれば盟主連合軍の内部でこの事を問題にされて不和になったり、あるいは逆賊の烙印を押される事すらありえるのだ。
しかしやる気満々で資材置き場の周辺を調べ回っている衛兵のみなさん、どうにかならんのか。
ニシカさんが褒美として出すといったぶどう酒に釣られての事だろうけれど、アルフレッドセイヤママンと仲間たちが逃げるのに苦労するんじゃないか。
そんな事をわずかに思案していると、
「もしお前さんに接触してきた密使を心配しているのなら、安心しな。今頃はとっくにグラードの市街に逃げ込んでいるか、すでに森の中にでも姿を隠しているだろうぜ。シューターを独りにするために釣り出したって事は、そのくらいの逃げ口も用意していたはずだ」
そういうもんか、などと感心していると。
カサンドラとエルパコが俺に近づいてきて路銀袋の中身に問題がなかった事を報告してくれる。
「やはり何かあったのですねシューターさん……」
「シューターさんは嘘をつくとき、まばたきの数がいつもよりたくさん増えるんだ」
「うふふ、エルパコちゃんはよく見てますね」
苦しい嘘をついたのは確かだ。
それでも奥さんたちは織り込み済みで納得しているのか、俺に向き直って笑顔を向けてくれた。
「ええとだな、」
「何事も順番が大切ですからね。しかるべき家族に相談してシューターさんが納得なされば、その時はお聞かせいただけるものだと思っています」
「こういう場合の順番は、きっとッヨイさまが一番だとぼくは予想するよ」
まいったな。
というかけもみみは絶対に聞き耳を立てていて、俺とニシカさんの会話であらましの予想ができていたんだろう。カサンドラにも含めていたのかも知れない。
今はよくできた奥さんたちの態度に俺は感謝しながら、急ぎ城館へと引き上げる事にした。




