341 ツジンの影
復讐に燃えるマイサンドラがわざわざその殺害許可を求めてきたという事は、その対象人物たるツジンがこの界隈に潜んでいる可能性を彼女が見ているという事だろうか。
じっと俺の反応を伺う様に瞳をこちらに向けて来る華奢なマイサンドラを見ていれば、どうやら彼女なりの確信が存在しているのだろう。
「何かその兆候を見つけたという事だな……」
無言でうなずいてみせるマイサンドラに、俺と女魔法使いは顔を見合わせる。
「閣下。ツジンさまの性格を考えると、この付近に居ても別段おかしくないとは思いますけれど」
「他人任せにはできない性格というか失敗を許さないというか、独善的な性格だったというからなあ」
確かにツジンという男が、作戦指揮に際しては現地指導を積極的にやるタイプだったのを理解している。
ゴルゴライやスルーヌ、それから他の村々で工作活動をやっていた時も目撃証言があるし、俺の元いた世界でも戦争の最前線で兵士たちとともに文字通り血を流しながら戦っていたそうだからな。
それが一種の連帯感を配下の部下たちにもたらして、ツジンのカリスマ性を形成していた事は考えられるが、他の同僚たちから彼が狂人の扱いを受けていた事も事実だ。
他国の王族の暗殺計画に携わったり、戦後の日本でクーデター計画に参画したり、嘘か真かわからないが、その手の怪しい噂は絶えない人物だったはず。
「閣下は元々、ツジンさまと面識がおありなのでしたっけ?」
「いやないけど、モノの本でひととなりを少々ね……」
彼の手記や写真を何気に大学の図書館で見た記憶があったし、実際以上に彼の息遣いめいたものが俺の中に存在していたのかも知れない。
この木こりの休憩小屋の外に出てみたところ、溶け出した残雪の残る平野部のどこか近くにツジンが辻政信という人物が活動しているのかと思えば、不気味な感触が背筋を走り抜けるのだった。
「ツジンと相対したのは、シャブリン包囲戦の降伏勧告にやって来たあの時一回限りだな。あの丸メガネ坊主の言っていた、やりとげなければならない事があるというのは何だったんだろうな」
「あの方がそんな事を言ったんですか、閣下」
彼が元いた世界でやり残した事をこっちで完遂するのだという風な事を言っていたはずだ。
日本男児に生まれたからにはと、俺には理解できない事を口にした。
「女神様の守護聖人たる者は、歴史に勇名を残さなければならないらしい。ミゲルシャールにこの国を盗らせる事がツジンの望みなのさ」
日本男児と言ったところでわかりはしないだろうから、わかりやすく女神様の守護聖人と置き換えたのだけれど。
口にしてから俺はしまったという顔をしてしまう。
「あの様な外道が女神様の守護聖人であるわけがないよ、シューターの旦那」
「そうだな、その通りだ。あの人間の首を刎ねてすべてが終わるわけではないだろうが、可能な限りチャンスがあればそうするべきだ」
わけのわからない考えの人間に俺たちの人生を狂わせられるのはたくさんだからな。
俺は改めてマイサンドラの顔を見据えると、大きく頷いて見せた。
「では改めて命令だ。ツジンを殺せ、ツジンと共謀する輩も全て同罪だ」
「誓ってそっ首を!」
何とも恐ろしい命令を俺が自分の口から吐き出した。
簡単にできる事ではないだろうが、殺せと命じたんだからな。
力強くその言葉に高貴な身の上に対する礼をとってみせたマイサンドラは、ニヤリと悪相を浮かべて返したのだ。
◆
イジリーの隣村はカリッカという、どうという事もない寒村だった。
領主は老人で、ブルカ伯ミゲルシャールの辺境平定に従軍した老騎士だったそうだが、今は耄碌しているという。
ついでに配下の兵士も数十かそこらがいる程度で、ゴルゴライ戦線の戦いではものの数にも役立たなかったらしい。
「領主はイジリーにあった様な堅固な砦を新たにこさえていなかった様だけれど、辺境開拓以前からあった修道院の跡地は今も要塞として十分に機能するものがここにはあるわ」
そこまでの道中を案内してくれたマイサンドラは、周辺警戒を怠らずにそう説明してくれた。
修道院というのは騎士修道会関係の施設という事だろうか?
「いいえ、あれは騎士修道会が辺境で布教活動する以前から存在していた別の修道院のものよ。いや、だったと言うべきかしら、女神様への信仰心が足りなくて既に解散したものだから、その修道院も放逐されて久しいらしいけれども」
「ツジンがそこでテコ入れでもした形跡でもあるという事か」
雪と泥の入り混じった地面を慎重に歩きながら、木々の切れ目から見えてきた修道院の跡地とやらを目撃する。
これまで見てきた修道院から想像するに、宗教建築の嗜好を凝らした美観なのかとも思ったが、眼の前に飛び込んできたのはまるで別物の何かだ。
シャブリン修道院は少なくとも軍事拠点としての側面よりも、宗教的拠点である事を物語るものだった。フクランダー寺院は要塞としての機能も持ち合わせていたが、それでも宗教美にあふれる彫刻なんかに彩られていたものだ。
「こんな修道院が異世界にあってたまるか!」
「魔法への対策でしょうかね閣下。ひとつひとつの石材が大きくて、何だかノッペリした印象を感じます」
「被弾経始の概念かな、運動エネルギーを分散させて反らして弾く戦法みたいだ。表面にセメントみたいな塗料を塗りつけている気がする。トーチカじゃないかまるで……」
モノの本によればトーチカというのは鉄筋コンクリート製の軍事的拠点みたいなものだ。
もうまさに砦そのもので、修道院の跡地と言うからにはその基礎を利用して上に別物を建築したとしか言いようがない。あるいは放逐された素材を使って作り直したのか。
そんな、女村長がむかし住んでいた村長屋敷ぐらいの大きさのものが、みっつほど互いに援護射撃できるような形で配置されていた。
「黄色マントだな。しかもあの鳥の仮面みたいなのに見覚えがある」
「触滅隊のヤツですね閣下。わたしも持ってましたよ、不細工だから身につけたことはないですけど……」
身をかがめて様子を探る俺たちは、背後で馬をなだめていたマイサンドラに振り返って、どういう事か説明を求めた。
大人しく撫でられるがままにしていた馬に気を良くした彼女は、そのまま俺の隣までずいと身を寄せて一緒にトーチカ群の方向に視線を向ける。
「魔法を発射できるように、それぞれの建物に虎口が開いているでしょう。ただし一方向にしか対応できないから、建物それぞれがお互いに背中合わせで守れる様になっているわ。見て回ったところ、ここからはわからないけれど反対側の山の傾斜にも建物があって、林の奥に本来の修道院跡を利用した住居部分があるわよ」
すでにこの辺りを見回っていたらしい彼女が、詳細を伝えてくれた。
反対隣の女魔法使いは「護符の数が足りますかね……」などと懐を探って予備の数を確認しはじめる。
まあ今ここで斬り込むわけでじゃないので安心だが、
「ツジン配下の斥候は、ここから方々に出入りしていると見ていいわ。わたしをかどわかそうとした斥候の男は、食料を探しに集落までやって来た事を確認しているのよ。ここの領主はわれ関せずという態度で、ブルカ領兵がごそごそやっている事は無視を決め込んでいるわね」
「理由は何でですかマイサンドラ奥さま、一応は寄騎の立場から積極的に手伝いをしてもいいものですのに」
「お、奥さまではないよ! あんたと同じ奴隷さ」
「失礼しましたマイサンドラさん。耄碌していると言っても協力命令がれ出ればするものでしょう」
「そこまでの事は知らないわよ。けれど、誰か重要な幹部が修道院跡地に入っている事は間違いないわ。朝夕しきりに早馬がここを訪れている事は間違いないし、魔法の伝書鳩も飛ばされているからね。先日は若い娼婦が連れてこられたから、お相手を命じられていたので間違いないわ」
しかし、そこまでマイサンドラが説明したところで女魔法使いが異を唱える。
「それはおかしいですよ。ツジンさまは配下の人間が女遊びをするのも許さないほど規律が厳しくて、触滅隊のみなさんも、陰で隠れて女遊びをしていたぐらいですからね。奴隷狩りをする時もツジンさまには逐一報告はしていなかったぐらいです」
それがバレたら大変な事になるらしかったですからねえ。
だからそんな事はあり得ないのだと女魔法使いは俺に説明する。
「ツジンは酒も呑まない、女遊びもしなかった偏屈人間らしいからね。じゃあ別の人間が中に入っているという可能性もあるかな」
「その情報は確かな事かしら? 少なくともツジンという男は旅の道中に喉を潤すのに酒は呑んだし、あの男には妻も子供達もいたぐらいよ」
「あ、そうか。ファンタジー世界では生水も危険だから、酒を昼間から常飲していたぐらいだしな。俺が捕まえた騎士も確か、ツジンの娘婿だとか言っていたはずだし……」
では元いた世界の俺の知る辻政信とツジンとでは、考え方に変化が生じたのか?
しかしそれだと女魔法使いの証言と齟齬が出るなどと思っていたところで、黄色マントの数名が貴人に対する礼をしている姿を改めて視界に納めた。
出てきたのは仮面をつけた男だったが、丸メガネ坊主ではなかった。
何故か上半身だけしか確認出来ないが、周囲の頭だけ飛び出している兵士たちと見比べるとかなり大柄だ。
「…………」
「どう見てもツジンさまではないですね閣下」
「という事はあれはツジンの関係者だがそれなりに高貴な立場の人間という事か」
「ま、待ってちょうだい。ほら、あれをご覧なさいな」
鳥の仮面の男が振り返って、奥にいる誰かに何かの目配せをしているのが見える。
どうやら別の誰かも建物の陰に隠れて見えないが、いるらしいのだ。
影の人物に向かって何事かを説明している仮面の男だが、いくら猟師であるマイサンドラをもってしても聞き取る事は出来なかったらしい。
「視線の動きを見ていると、建物の陰にふたりぐらいいるみたいだな。おや……」
「そのうちのひとりは娼婦ね、やっぱり何かの用事を申し付けられてあの女は呼び出されていたのよ」
「という事はお相手をさせられているんじゃなくて、何か秘密の命令を受けたって事だろうな」
建物の陰にはツジンがいるのかも知れない。
焦れた女魔法使いはここから移動して、もう少し視界の確保できる場所に移動しようかとソワソワしていたけれど、それはマイサンドラによって押しとどめられた。
「どうしてですか! 場所を変えたら建物の向こう側が見えるんじゃ」
「下手に動き回ったら鳴子に足を引っかけるわよ。そこかしこに引き板が仕掛けられているから、音が鳴ればすぐにわたしたちの存在がバレる」
「鳴子ってアレか、ロープかなにかに音の鳴る罠が仕掛けられてるって単純な警備用の警報装置」
「ヒッ」
「それにここからじゃ弓や魔法で確実に仕留めるのは無理だわ。長弓と風の魔法が両方使えるニシカならギリギリで狙えるかもしれないけど、建物同士を繋ぐ様に通路が掘ってあって、それもなかなか狙いにくいよ。距離もあるしね……」
「掩体壕かよッ。ますますツジンの入れ知恵と見て間違いないな」
これはいよいよ近代戦の知識を持ったツジンが、この修道院跡地の再設計に口出ししたんじゃないかと思えてきたぐらいだ。
マイサンドラが猟師の勘か何かで俺に命令をしてきたのも頷けるぜ。
「あのデカブツだけは背が高いのか姿が確認できるが、普通は頭ひとつ飛び出す程度の高さに掩体壕が掘られているのかな?」
掩体壕というのは火薬兵器が発達して、砲弾が飛び交う戦場で兵士の身を守るために造られたものだったはずだ。
してみるとこのファンタジー世界の魔法攻撃に対処するためにでも作られたのだろうが、弓矢で反撃するためには身を乗り出す必要があるからか、付け焼刃で掩体壕をこさえたために深さがないのか、顔だけが通路から飛び出しているのだろう。
「わたしも、ここから狙って正確に顔に当てる自信はありません……」
「まあ俺たちの目的はツジンを暗殺する事じゃなくて、ギムルさんを援護するために必要な情報を収集する事だからな」
ツジンの暗殺はマイサンドラが継続してここでやり遂げるつもりらしいので、獲物を狙う猟師の粘り強さに託すしかない。
焦れたら負けなところがある。
「ここにツジンが入場している可能性があるというのは、わかっていただけたかしら?」
「確かに。時間をかけて狙撃する勝算はあるんだな」
「今は油断していないかもしれないけれど、捕食獣というのは獲物を捕らえる直前が一番無防備になるものよ。ギムルの旦那に毒牙を伸ばそうと悪だくみしている時にチャンスがあると見ているわ」
「わかった。じゃあ今は引き下がろう」
こちらはたったの三人で、敵は少なくとも数十人が修道院とは名ばかりのトーチカ群に人間を詰めている。
トーチカに掩体壕、それから何かの命令を下された娼婦の女。
現在イジリーの砦を囲んでいるギムルに対して何をしようとしているのか見定めて、これを報告する必要がある。
「さて、残りの村を案内するわ。そっちにも隠し砦があるから、場所を把握しておきなさいな」
すっと身を引っ込めて馬の側に戻ったマイサンドラに俺たちは従った。
こういう神経をすり減らせるやり取りは正直好きではない。
馬鹿と思われるかもしれないが全裸になっても全力で暴れまわっている方が楽に感じられるから不思議なものだ。
「……おちんぎん増し増しでご褒美もらわないと、これは割に合いませんね」
「おちんぎん増し増しつゆだくだく特盛り了解」
「何のおつゆですか閣下?!」
ははっ、何だろうね?




