340 イジリーの砦 後
音もなく静かに俺たちを狙いすましていたマイサンドラに、内心驚いてしまった俺である。
彼女は馬上の俺を見上げながら不敵に笑ってこんな事を口にするのだ。
「旦那ともあろうひとが無警戒すぎやしないかい? 女を後ろに背負っていたんじゃ、いざという時に咄嗟の対処ができないでしょう」
「本気で殺すつもりなら、もう少し距離を置いて弓を使ったんじゃないですかね。マイサンドラさんこそ脅すためだけにそうしたとしか思えないすよ。閣下はだから無理に抵抗しようとしなかったんです」
すると馬上で俺の背中から反論する女魔法使いはそんな事を口にするのだ。
そのままストンと雪上に降り立た彼女は、長弓を構えたままのマイサンドラに向かって魔法を何時でも発射できるように手を振りかざすのだ。
一連の動作があまりにも流麗だったので、俺は言葉で制する余裕もなかった。
「言うじゃないか愛人奴隷の分際で、ここに来たのはお前たちだけかい?」
「そうですとも。閣下をお守りするのはわたしだけで十分だと、奥さま方はご判断されたというわけです」
おちんぎんを連呼する女魔法使いであるけれど、こいつがとんでもない身体能力を持っている魔法使いだという事実に変わりはなかった。
マドゥーシャとはじめて遭遇した時は、俺とカラメルネーゼさんと雁木マリの三人がかりで、ようやく圧倒するこいつを仕留める事ができたぐらいだからな。
「フン。まあいわ……」
「あんたがこんなところにいるという事は、何かこの辺りでブルカ同盟軍の動きがあるという事だな?」
「旦那のご命令通り、ツジンに復讐を果たすために命をささげているところさ。付いて来なよ、いいものを見せてあげるわ」
ほとんど俺の事など無視する様にふたりの女は互いに睨み合っていたけれど、ようやく弓の構えを解いたところで女魔法使いもフラットな態勢に戻る。
一触即発の睨み合いにも肝を冷やしたが、マイサンドラが俺たちを仕留められる距離まで無音で迫っていた事も、内心で恐怖の理由だった。
女魔法使いが言うほど、俺はマイサンドラの動きを見切っていたわけじゃない。
さすが鱗裂きのニシカの師匠と言うだけはあって、恐ろしい限りだぜ。
先導するマイサンドラに付いていく様に馬を降りた俺は先々を進んだ。
ちょっと不機嫌そうにそっぽを向いた女魔法使いが、後方を警戒しながらも後に続く。
「足跡から見ると兵士の数は十人足らず、正規の軍事訓練を受けた人間と見て間違いないわ。真新しい靴の跡とこの装備の具合から推測するに……」
連れてこられた木こりの休憩小屋みたいな場所には兵士の死体があった。
マイサンドラがこの周辺に潜伏していて仕留めたのだという。
男は剣を抜き放ち、うつぶせになって倒れていた。
武器や防寒具の類は使い込まれていたが、それでも状態はかなり良く大切に使っていたのだろう。
「ツジンの工作員という可能性があるのか」
「ブルカに残っている戦力のうち、その中でも精兵と呼べるのはたぶんツジンの子飼いにしている連中だけだと思うわ。以前はブルカさまの血族の警護に当たっていたり、政敵の監視任務に就いていたりした連中ね。マリリンマーキュリーという男を知っているかしら?」
「朝霧の奇襲作戦の時、閣下が首級を上げたオレンジハゲさまの一族ですよ」
背後を振り返った女魔法使いの言葉に、嗚呼と俺は返事を返す。
オレンジハゲの一族だと思われるオレンジ髪の若者をひとり、確かに奇襲作戦の時に倒したことがあった気がする。
俺が仕留めたのか誰が仕留めたのかまでは覚えてないが、公式には俺が首級を上げたものだとして記録が処理なされていたはずだ。
「この男の話によると、マリリンマーキュリーの元部下だったそうよ。今は前線に差し向けられてわたしたちの動きを探っているそうね」
「尋問にかけたのか?」
「聖少女さまじゃあるまいし、そんな事しないわよ。先行してこの辺りの集落をこの男が探っていたから、地元猟師のフリをしてちょっと休憩小屋まで誘ってやったのよ」
どうやら哀れなこの男は、色仕掛けで休憩小屋まで連れてこられて、あれこれ情報だけ喋らされた後にお命頂戴されてしまったらしい。
「人間、興奮すると見境が無くなる哀れな生き物だからね」
ゴロリと足で兵士の死体を蹴り転がしてみたところ、防寒具に隠れていた下半身が丸見えになった。
どうやらあわててズボンを引き上げようとしたものの、それは不完全な状態で履きかけなのか脱ぎかけなのかよくわからない格好のままお亡くなりになった様だ。
「包茎ですね」
「この男、皮被りの分際でべたべたとわたしの体に触りやがった挙句、剣を引き抜いてわたしに脱げと強要してきたわ。あんまり腹が立ったから懐にイチモツを差し込んでやったのよ」
腹部が赤く染めあがっていたのはその為だろう。
それにしてもこのファンタジー世界の男はみんな包茎なんだから、いちいち皮被りとか言わなくていいんだよ!
「ほ、他の連中はまだ近くに?」
「そうじゃないかしら。今頃はこの男が帰ってこないから、必死で集落の周辺を探し回っているんじゃないかしら」
まるで他人事の様にマイサンドラが言った後、もう一度死体を足蹴にしながら俺を見やったのである。
そうして復讐に燃える瞳を俺に向けて言葉を続ける。
「この男の所属するチームの他にも、斥候班が何手かにわかれて放たれていると思うわ」
「まさかブルカ同盟軍が、この冬に本格的な反攻作戦に出るつもりなのか……?」
「いいえ、それは考えられないわね。それなら隣の村にはもっと多くの兵士が詰めていないとおかしい事になるけれど、わたしが潜入して見てきた限り領主の供回りがわずかに配置されているだけで、軍事力もたいしたものではなかったもの」
すでにイジリーの村の隣まで足を運んで、マイサンドラは斥候任務を済ませていたらしいね。
じゃあやはり、ツジンが別の目的でこちらに斥候を放っているのだという事になる。
「連中の狙いはたぶんギムルの旦那じゃないかしら。イジリーの砦に意識が貼り付けになっている間に、背後から忍び寄って暗殺か拉致を考えているのだと思わうよ」」
「「…………」」
「旦那、わたしにツジン暗殺の指示を出して下さらないかしら? 今度こそこの手でわたしたち家族の人生を台無しにした男の命を異世界に旅立たせるための」
凄みのある表情でヌっと俺に顔を近づけてきた彼女である。
正妻カサンドラにどこかよく似た表情でありながら、まるでそこに宿っている意志は逆方向だ。
怖いもの知らずの女魔法使いですら、この時ばかりは嫌そうな顔をして俺の腕にしがみついて来たではないか。
「さあ、ご命令をシューターの旦那」




