301 アレクサンドロシアの寝坊
いったん投降後、後半に加筆修正しました。
俺の名は吉田修太、三十三歳。
この歳になるまで独り身の気楽と引き換えに寂しい生活をしてきたので、家族に囲まれて毎日を目を覚ます事に密かな幸福を感じていた。
ふと視線を向ければ、そこに家族の誰かがいるなんて最高じゃないか。
いいね!
「おはようシューターさん。今日も外はいい天気だよ」
「やあ、おはようエルパコ。って、外は曇っているし今にも雨が降りそうなんだけど……」
「雨が降れば地面にどんぐりが落ちるよ。そうすると豚はそれをたくさん食べて冬になる前に肥えるから、それはとてもいい事だよ」
な、なるほど。
板窓をはねてゴルゴライ領主館の外を見ましてみると、どんよりとした空模様が俺の眼に飛び込んできたのだが……
不思議な理屈で曇り日和をいい天気だと断言したけもみみは、だいたい俺が目を覚ますとほぼ同時に寝台から起き上がってくる。
眠りが浅いので、きっと俺が家族で一番最初に起きた時に反応できるのだろう。
それからふたり揃って、柄が象牙か何かで出来た歯ブラシで歯を磨くのが近頃の日課だった。
厨房で口をゆすいで庭先に出ると、エルパコを相手に剣術や徒手格闘の基礎練習をやる。
いつだったか空手を教えてあげるとけもみみには約束していたので、いい機会だから基礎的な動きや約束組手をやってみたのだけれど、やっぱりけもみみはハイエナ獣人らしく呑み込みが早く機敏に反応できる。
「おはようございますご主人さま。あいにくの天候ですが、体を動かすには陽も出ていないので過ごしやすいかもしれませんね」
「いつも朝から完璧な身だしなみだな。おはようベローチュ、それからみんなも」
「ご主人さまの前に出るのですから、妻としてこれは当然の事ですね」
すると、少し遅れて目を覚ましたベローチュが、クレメンスとモエキーおねえさんを伴って姿を現すのだ。
男装の麗人はいつもお貴族さまの出身として、メイクやヘアスタイルとってもバッチリ決めないと俺の前に姿を現さないのである。
一方クレメンスはそばかす顔に寝癖髪のままでも気にならないらしい。こういうところが田舎娘丸出しである。
モエキーおねえさんは立ったまま半分寝ている顔をしていた。
ちょうど体があったまってくるタイミングなので、俺は男装の麗人を相手に軽く木剣や天秤棒を使って練習試合などをする。
その頃になると残りの家族もゾロゾロと目を覚ましてくるので、着替えや手ぬぐいを持ったタンヌダルクちゃんが、ラメエお嬢さまやソープ嬢を連れて姿を現すタイミングだ。
ニシカさんは起き抜け一番にだいたい便所に向かう。邪魔をする事は許されない。
「おはようございます旦那さまあ。汗で体が冷えないうちに着替えちゃってくださいね」
「と、特別にわたしが全裸卿の汗を拭いてさしあげるわっ。これも妻の務めなんだからねっ」
「ありがとうみんな。ニシカさんはウンコですか?」
「しばらく独りにしておいてくれと、ニシカ夫人には言付けを預かっているぞシューターさん」
ウンコらしい。
ソープ嬢の言葉に返事をしながら、彼女に着替えを手伝ってもらう。
俺の汗で濡れた着替えを受け取ったラメエお嬢さまは、何故かとても興奮した表情で顔を近づけようとしているのをタンヌダルクちゃんに窘められていた。
匂いフェチというやつだろうか。小声で「らめぇ、でも嫌いじゃないわ!」とブツクサ言っているのを耳にしたので奥さんたちは揃って嫌そうな顔をしていた。
けもみみだけは「ぼくには理解できるよ」と声をかけていたけれど、ラメエお嬢さまとクレメンスを伴ってそのまま領主館を出ていく。
恐らく防風林の外にあるサルワタ貴族の幕舎で、みなさんそろっておっぱい体操とやらをしに行くのだろう。
「じゃあ行ってくるよシューターさん」
「頑張ってきなさい」
「うん、きっと大きくなるからシューターさんも期待していてね!」
元気よくけもみみやラメエお嬢さまたちは出て行ったけれど、たぶんクレメンスは手遅れだな。
モノの本によれば胸部の肥大化がもっとも活発になるのは、十五歳前後であるらしい。
してみると、エルパコはその年齢真っ盛りだし、ラメエお嬢さまは毛の生えたばかりの少女だから可能性はある。
けれどクレメンスは、そろそろ厳しいお年頃だ。
「彼女には個性を生かす方向で頑張ってもらえばいいんじゃないかな」
「ふむ、個性かシューターさん」
タンヌダルクちゃんに続き、男装の麗人からソープ嬢に視線を移したところで、つい俺は脳内妄想を口から吐き出していた様だ。
個性的な下半身を持っているラミア族のソープ嬢が、ぱしりと尻尾を動かしながら小首をかしげていた。
「個性は大事ですよソープ奥さま。みんな同じでは妻として埋没してしまいますから」
「だがな、脚は欲しいところだ。馬にも乗れず不便だからな。あと寝室が別なのも寂しいぞ……」
「うふふっ、そのぶん旦那さまが逃げ出さない様に、その体で締め上げてしまえばよいのですよう」
「「なるほど!」」
なるほどじゃねえ!
黙って聞いていれば背後で不穏な話をしている奥さんたちである。
ところで普段あまり家族一緒で寝室を共有していないひとが三人ほどいた。
ひとりは新市街に商館を構えているカラメルネーゼさんで、最近は商売の関係もあるのか不規則な生活をしていると愚痴をよく零していた。
もうひとりは件のソープ嬢であるが、こちらは体長が蛇足のぶんだけスペースがかさばるのと、夜中は冷たくなっているので遠慮しているらしい。
そうして最後はアレクサンドロシアちゃんだが、領主奥さんは寝起きがすこぶる悪いくせに夜遅くまで執務をしている事もあるので、なかなか起きてこないのである。だからゴルゴライ領主館の書斎には、女領主専用の簡易ベッドまで用意されている。
「カサンドラはどうしているかな?」
「そろそろご起床なさるかと思いますよう。義姉さんも正妻なのだから、もっとゆっくりしてくださればいいのに。ドロシアさまを見習えばいいのですよ」
「アレクサンドロシア奥さまの場合は、半分自業自得ですよ。夜中は執務も効率が悪いものですが、どうも夜中の方が仕事が捗ると、自分などがご注進しても聞く耳を貸さないのです。ここはご主人さまに夫としての威厳を見せていただき、ひと言嗜めて妥当でしょう」
無理です。
寝起きの領主奥さんはとても不機嫌で、ただでさえ癇癪持ちなのにひと睨みされでもすれば恐ろしくて体が委縮してしまいます。
ただの低血圧なのかもしれないが、
「アレクサンドロシア卿の寝起きが悪いのは、魔法の使い過ぎが原因ですのよ」
振り返ればネグリジェ姿で庭先に顔を出したマリアツンデレジアが、巨人族の女給仕を側に控えさせてやってくるではないか。
こんな天気もイマイチの日だというのに、ゴルゴライ領主館の庭先で早朝のティータイムでも楽しむつもりらしい。
そう言えば彼女も家族とは別の部屋で寝起きしているひとのひとりだった。
生来のお貴族さまというのは、個室で寝起きするのが基本なのだろうか。むしろうちのハーレム大家族が、どうして家族全員そろって同じ寝室で寝起きしているのか謎である。
「おはようございますあなた、みなさん」
「魔法の使い過ぎと言う事はマリアツンデレジアさん。例の美容魔法で魔力を消費しているからという事か」
「そうですのよ。小じわを消すのに寝る前に美容魔法を使っているから、どうも起き抜けは体がしんどいことが多いと言っていましたの。何しろ戦場では不規則な生活でしょう? してみると疲労が顔に出やすいので、気を使っているそうですのよ」
「美容魔法で足はどうにかならないものだろうか。こう、一時的にでもいいので二本足に……」
歩みを進めるツンデレのマリアちゃんと連れ立って、ソープ嬢が会話を重ねる。
そして巨人族のメイドさんは俺たちに黙礼してそれを追いかけて行った。
「さて、わたしは家事の差配をする事にしますよう。モエキーさん、行きましょう」
「はいタンヌダルク奥さま。ではご主人さま失礼します」
おほほご機嫌よう、とよそ行きのポーズをしてみせたタンヌダルクちゃんは、そのままモエキーおねえさんを引き連れてその場を去っていった。
俺たちも領主館の中に戻って朝のお仕事に取り掛かる事にする。
ベローチュは手早く稽古道具をしまいに向かい、俺は居間に入って夜のうちに入ってきた情報を確認するわけだ。
だいたい不寝番に立っていた兵士のみなさんか、エレクトラあるいはダイソンが報告にやって来る。
「おはようございますシューターさん」
「おはようカサンドラ。アレクサンドロシアちゃんはまだ起きてこないかな」
「はい、まだお休み中のようですけれども。あのう……旦那さま?」
簡易ドレスの様な格好に着替えて居間に姿を現したカサンドラと、朝の抱擁をする。
誰も見ちゃいないので唇を奪っても問題ないぜ。
そんな事をしていると、おずおずとした表情で俺の顔を覗き込んでくる正妻である。
「昨晩は遅くに、ニシカさんやエルパコちゃんたちと起きだしていた様ですけれども。何かあったのでしょうか?」
「いやちょっとね、カラメルネーゼさんから内々の来客があったと知らされたものだから」
「まあ。それなのに今日も朝早くにお目覚めになられたのですか?」
まるでお爺ちゃんみたいな生活だと言われた気がして、俺は微妙な気分になった。
だってしょうがないじゃないか!
むかし俺が沖縄の古老のご自宅で居候をしていた時には、道場で朝稽古や清掃をやっていたんだからね。
気が付けば早起きが習い性になっていたし、そういうもんだと俺の中では納得していたのだ。
「マドゥシャーさんはまだお休みの様でしたけれど、あの方はいつもの事ですからね」
「もしかすると魔法使いのみなさんは、寝起きが悪いのかもしれないね。さっきもマリアちゃんが言っていたんだけど、アレクサンドロシアちゃんは美容魔法とかいうのを寝る前に使っているらしくて、本当はいにしえの魔法使いがやっていた禁呪の事なのにね――」
ぜんぜん禁呪になってないよね、と俺が言うと、カサンドラは口元を抑えて笑ってくれた。
毎朝の一番大切な日課は、部下たちの報告を受ける合間にこうしてカサンドラと世間話をする事だ。
家族の内向きの事は一切取り仕切っている大正義奥さんと、たっぷり時間共有する事が、たぶんハーレム大家族を運営していく事で夫婦円満でいられる理由なのかも知れない。
元いた世界で独身生活をしていた頃などは、朝の五時半頃にもそもそと万年床から這い出して、洗濯機を回しながら朝食を作る。
米と味噌汁を食べなければ元気が出ない様な人間だったので、冷凍で小分けにしていた白米と、独り分の具も少ない味噌汁に、前の晩スーパーで割引になっていたお惣菜でもつつきながらその日が始まるわけである。
振り返ってみれば侘しい事この上ない毎日を過ごしていた様な気がするけれど、今は幸せを一杯に感じているんだよね。
ありがとうございます、ありがとうございます。
俺はカサンドラとハーレム大家族に感謝しなければならない。
しかしどうしたものか……
昨夜の出来事、例のブルカ辺境伯金貨の回収とその運用方法についてアレクサンドロシアちゃんに報告しなければならないのだが。
これがまた俺の役目という事で、いつ報告をするべきなのか悩んでしまうところである。
「どうなさりました、旦那さま?」
「誰がアレクサンドロシアちゃんを起こしに行くのかなあと」
さすがに時刻は朝の九時頃に差しかかっているはずで、早寝早起きが基本のこのファンタジー世界であればひとびとの大多数がその日の活動を本格化させている頃合いである。
女領主の寝起きが悪いとは言っても、さすがに普段なら起きていてもおかしくない時間であるのに。
「確かに今朝の領主さまはお目覚めが遅いような気がします」
「そうだよね。ちょっと様子が気になるし、報告しないといけないこともあるんだよなあ」
普段であれば女領主の起床タイミングは目が覚めるに任せるか、あまり起きて来るのが遅いときは同性の護衛役エレクトラか、あるいは俺の役割だ。
「昨夜はあまりよろしくないお話だったのですか?」
「うーん、今後の作戦方針に大きく影響が出る様な出ない様な、まあ説明のやり方次第かな」
「むつかしい事はよくわかりませんが、早い方がよろしいならわたしが領主さまを起こしてまいりましょうか?」
そんな会話をしながら女領主の書斎前にやってくると……
部屋の中からガタガタっと大きな音が聞こえたと思うと、何やらくぐもった悲鳴の様なものが聞こえてきた。
箪笥の角に足の小指でもぶつけたのだろうか、俺とカサンドラは顔を見合わせた。
そうしてドカンと部屋の扉が開いたかと思うと、血相を変えたアレクサンドロシアちゃんの顔がそこに飛び込んできたのである。
「たったったっ大変だお兄ちゃん!」
「おっ、おはようございますアレクサンドロシアさま……」
「あわててどうしたんだ奥さん、まずは落ち着いて」
ネグリジェ姿のままガバリと俺の両肩にしがみついたアレクサンドロシアちゃんは、口をパクパクさせながら俺に何かを訴えかけてくるではないか。
「こ、子供が出来た!」
「まさかご懐妊ですか? おめでとうございます。いえ、何事も順番が大事だからこの場合は……」
「子供ってアレクサンドロシアちゃんに?!」
その言葉に俺まで驚いていしまったけれど、それより隣で先ほどまで微笑を浮かべていたカサンドラの顔が引きつっている。
子供という単語に俺と顔を見合わせた直後から、とても嫌そうな顔を隠しもせずに上辺だけの祝辞を述べたではないか。
何事も順番が大事だというわが家のルールに反しているのだから、大正義奥さんの心中は穏やかではなかったのかもしれず、引きつった顔のままで指折り「わたし、ダルクちゃん、それから領主さま」と順番を数えているのだけれど。
そんな正妻の反応を無視するように、血相変えたままの女領主は叫ぶようにしてこう言った。
「違うそうではない! そうではないのだお兄ちゃん!」
じゃあ誰の子供だよ。ギムルに子供が出来たとかそういうのか?
ようやくカサンドラは正気を取り戻して、まあという顔をした。とうとう俺もおじいちゃんか……
などと思っていると、大あわての女領主は俺の肩から手を放し、即座に書斎に戻って何かの紙片を持ってくるではないか。
「国王の側室に子供が生まれたと知らせが来たのだ、御子の母親はブルカ辺境伯の娘だ! あのオレンジハゲめ、やらかしてくれよったわ!!」
カサンドラにはわりとヤンデレの気があると思うんだ。




